Table turning 7
「そう、……彼女の願いは、少女たちの存命と…両親との再会だった……」
「だからタチカワ様は狐狗狸様に感謝をしていたのでしょう。本当なら親の顔すらも見れずに終わる命を、貴方の力で今日まで叶えてもらったのですから」
「そんなのッ! ……そんなの、あんまりよ。四十年も目覚めない我が子を親がどんな気持ちで見ていたと思う? 人間は生きるのに膨大な金がかかるって、狸が言っていたわ!」
「タチカワ様のご両親はいつも笑っていたそうです。生きててくれてありがとうと、目を覚ましてくれなくても、自分達より先に死なないでほしいと」
「そんなセリフ、まるで見ていたとでも言うの…?」
「タチカワ様が見ていたそうです。貴方に支えられ生きながらえていた体で、朧気な意識のなか声も聞こえていた、と」
狐狗狸は再び大声で泣き出した。
クラゲは彼女の手をすり抜けて先ほどと同じように涙を受け止めるが、どれも触手から落ちていく涙を再び掬うことはできずにいる。
彼女が声に出した音はほとんどが謝罪であり、無力を訴えるものであったけれど、高峰は静かに頭を撫でてくれていた。
しばらくして狐狗狸が落ち着きを取り戻したのを確認すると、高峰が再び依頼書の受領について尋ねてくる。
「大丈夫、もういかないと」
泣きすぎた目は赤くなっているだろうけれど、狐狗狸は強く頷いて契約書を高峰の前に滑らせた。
「かしこまりました。当契約に則り、貴方の願いを消させていただきます。」
高峰は契約書に受領の判を押すと、大きな両手の掌を合わせて高らかに叩いた。
途端、彼の両手を始めとして高峰の体から月白の光が溢れ、店中の雑貨も同じように光を放つ。
「キレイ、まるで海月のよう……」
彼女の右手には高峰が作る光と同じ色を灯したクラゲが揺れ動き、ゆっくりと明滅を繰り返す。
「このたびは、ご契約お疲れさまでございました」
椅子から立ち上がり、高峰が深々と頭を下げた。
「四十年、長い夢だったのね……何で忘れてたのかしら。私は人間じゃないのに、こんな可愛らしい姿なんて模して」
狐狗狸はクラゲのいる右手とは反対の、左の手のひらをゆるりと天井に向ける。
手のひらの中心から発生した風はまたたく間に少女の体を包み込み、少女の体をズタズタに引き裂いて中に詰まっていた獣を引きずり出した。
懐かしい感触。懐かしい景色。
『ほら、こんなにも懐かしい』
可愛らしい薄ピンクのたをやかだった手は白い毛に覆われて、声も人の持つ声帯から出る音とは全く違う鳴き声へと変わっている。
『私は狐狗狸の狐。少女の願いは、いつしか私の願いに変わっていたのね。少女を死なせたくない我儘に』
「ですが貴方の我儘でタチカワ様は救われました。彼女に代わり、御礼申し上げます」
『私はね、少しだけ意地悪な醜い化け物。でも彼女はとても美しい魂をしていたわ。清く、強く、私達とは正反対で美しかった……』
自我を持つ前、狐狗狸の三匹はそこら中に漂う陰気な淀みでしかなかった。
それがいつしか少女達の純粋な祈りと儀式で形を得て、上辺だけの真っ白な毛をまとっているに過ぎない。
「そうでしょうか」
『え?』
「貴方はいま、とても美しいと自分は思います。貴方が今日まで守り抜いた、タチカワ様と同じように」
海月は心なしか、嬉しそうに体を震わせている。
『お上手ね、私はもう消えてしまうのに。常連にはなれないのよ?』
「この店はそういうものです。願いが消えれば店には来られない、なにせ――」
『願いを持つ者しか店には入れない、でしょう?』
「そのとおりです」
『数回しか聞いていないのに不思議ね、今なら何となく分かる気がするわ。願いが消えるということは、いらぬ執着が消えることだったのかもね……』
狐狗狸とクラゲの姿は光に溶けるように、舞い散る綿毛のように、少しずつ形を失い始めていた。
「一概には言えませんが、当たらずとも遠からずでしょうか」
高峰は相変わらずの強面だが、決してポーカーフェイスではないのを彼は気付いているだろうか。
『こういう時は空気を読んでそうですねって言うものよ、魔法使いさん』
「すみません、不得手なものですから。……どうぞ、お元気で」
『冗談も言えたのね、ありがとう。それじゃあ貴方も達者でね、魔法使いさん』
消えかけた足で空中を蹴り出し、クラゲとともに店の壁をすり抜けて飛び出した。
店の外はこれまで真っ暗だと思っていたが、単に自分が見えていなかっただけだと知る。
空には満点の星空と欠けていても美しく浮かぶ三日月、眼下にはどこまでも続く穏やかな海が広がっており、月明かりに照らされてとても明るく見えた。
体の小さかったクラゲは消える直前に、狐狗狸の頬を撫でてから先に旅立ってしまう。
『またひとり、置いてきぼりなのね……』
狐狗狸は浜辺にひとり座り込んだ。
いや、足も手も、もう立ち上がれるほどに色濃くはなかったからだ。
『おー……い』
『おー……い』
海のはるか先から、涙が溢れそうになるほど懐かしい声がする。
でも聞こえてくる音は、幻聴だ。分かたれた二つは四十年前、先に消滅しているからだ。
『遅いぞ狐~……』
『わしらは待ちくたびれちまったよ~……』
もう声は出ない。足も、手も、目玉も、耳も、空に飲まれるように消えてしまった。
なのに聞こえてくるのだ。おかえりと笑う、狗と狸の笑い声が。
(やぁ…ねぇ、……嬉しくて、……眠りたく…なくなる、じゃ…ない……)
狐は最後に、水へ落ちた水滴のように闇の中へ溶けていく感覚を感じながら、瞼の消えた目の瞼を下ろした。
お読みいただきまして、ありがとうございます!
怖いものだと知りつつも、
小学生あたりで友人とやってましたコックリさん…。