名古屋田崎
藤崎綾香
深夜の迎撃戦から六時間後、パスティスにやってきた私は松戸と顔を突き合わせて唸っていた。
「早い行動は予想内、だけどね。こんなに張り切ってくるとは思わなかったかな」
「いや、これはとても予想内とは言い切れない」
いつもは飄々としている松戸もさすがに苦々しい表情を浮かべ、中指でカウンターをとんとんと叩いている。
昨夜襲撃にやって来た人形は全部で六体。葉山さんは無傷だったが、私もある程度傷を負った。陸も全力でやっていたようだし、アイに関しては片腕を失っている。同じ規模の敵がやって来れば正直対応が難しいし、あれ以上の戦力が来たら瀬名を抱えて逃げるしかない。
「そうだねえ。まあ、不適合者と言ってたなら執着はわかるけどね」
「松戸、私たちはどうしたらいい?」
今更松戸の言葉を問い返すことはしない。彼がわかると言うのなら、それは間違いなく彼の知る範囲内の出来事なのだ。今はわからなくとも、私たちが知るべきことであるならば、その時には松戸はちゃんと教えてくれる。
パスティスは私達にとって、いわば休憩室を兼ねた作戦会議室だ。
実のところ力を持った個人を「東京」という組織にしたのは松戸に外ならない。
そのため、一部を除いた「東京」のメンバーほぼ全員と連絡を取ることのできる松戸が棲息するここパスティスが前述の役割を担う場となるのは自然の成り行きだった。
「うーん。早急に数を集めて当たらないと厳しいかな。人形だけならならまだしも、相手が霊長となるとね」
「そうだな。私だけではどうにもならない差を感じた」
「んー、綾香ちゃんでどうにもならないなら、その辺の子たちじゃあね」
残念ながら松戸の言葉は事実だ。自分を客観的に見た場合、現在「東京」に所属するメンバーの中でも戦闘能力に関しては上位だと思われる。それだけに、事態の深刻さがよくわかってしまう。
「葉山さんたちにも協力してもらっているけど、他にも誰か呼び寄せられない?」
「そうだね……」
松戸はポットに残っていたコーヒーをそれぞれのマグカップに注ぐ。
「ちょっと難しいかな。この辺りの人間で動けるのはいない」
打つ手なし、か。
瀬名陽子をあのマンションに押し込めたのは、戦力を集中させて確実に守りきるためだった。人形の一体や二体やって来たところで、安全に撃退できるだけのメンバーで固めたつもりだった。
それが実際はどうだ。葉山さん以外はそれなりに消耗してしまい、連戦は厳しいものがある。
もっとも、まだ敵に戦力があることを想定して焦っているだけではあるが、あれで打ち止めと思うのは甘すぎるだろう。厳しい局面を想定してし過ぎということはない。
ふと顔を上げると、松戸が何か言いたそうな表情で私を見ていた。
「……どうしたの?」
「実はね、一人いるんだよ。ただ、残念ながら東京の人じゃないんだ」
「東京じゃない? ならどこの奴?」
「名古屋だよ」
「名古屋? なんでそんな奴が近くにいるんだ?」
わざわざ改めて確認せずとも、「東京」のメンバーは首都圏に居を構えている。
他の地方の情報に関してたいした話は聞かないが、現在のところ「東京」と同規模の組織はないはずだ。
「いや、どうやら名古屋でも大々的に東京のような集まりを作ろうとしてるみたいでね。どこから聞いたのかは知らないけれど、どうしても僕に話を聞きたいってことだったから」
「なるほど……話はわかった。だが、そいつに協力を仰げるのか?」
「話はもう通してあるよ。こっちを手伝ってくれたら、そっちも手伝うってことで」
「ずいぶん手回しがいいんだな」
「まあ、直接は手を出さないからね。少しくらいは」
松戸はそう言って笑った。
と、見計らっていたかのように扉が開く。
「来たよ、松戸さん」
入ってきたのはまだ成人したばかりかと思われる年の頃の青年。短い髪をワックスで立てており、瞳には強い意志が宿っている。若さから来る力強さと、人懐っこさを同時に感じさせるような人物だ。
「いらっしゃい。待ってたよ」
「……この人は?」
彼は先に座っていた私にちらりと警戒した視線を向け、入口から近付いてくることなく松戸に尋ねた。
「藤崎くんだよ。長い付き合いの一人でね。今回田崎くんには彼の手伝いをしてもらう」
「そうですか」
松戸の言葉を受け、田崎と呼ばれた青年は警戒を緩めたようだった。彼は表情を柔らかくさせると私の隣に座り、手を差し出した。
「田崎です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
握った手は温かく、若々しさに満ちているように感じた。松戸が紹介するくらいだ、実力はあるのだろう。できれば実戦前に彼の力を把握しておきたいところではあるが。
「それで、具体的にはどうすればいいんですか?」
「そうだな。現在私たちがやらなければいけないのは、ある女性を守ることだ。防衛戦ということになる。期間としては残念ながら未定。ただ、早期決着を望んでいる。具体的には、五日以内かな」
一気に説明すると田崎は眉を寄せ、手を挙げて質問の意思を示した。
「なにか」
「はい。『東京』がよそ者の手を借りて防衛戦だなんて、いったい何と戦っているんですか」
どうやらちゃんと物事を考える頭も持っているらしい。まあ、組織を作ろうと考えるほどの男だ、それも当然か。松戸を見れば口元に薄く笑みをたたえ、嬉しそうに田崎を見ている。
「疑問はもっともだ。残念ながら、現在かなり面倒な事態になっている。私たちが相手にするのは霊長だ」
霊長、という言葉を聞いて田崎の表情が曇った。
「それは……なかなか面倒な相手ですね」
人形と霊長では格が違う。私たち同様、奴らにも個体差が存在し、雑魚と言える人形や強敵と認識しなければならない人形がいる。しかし、「勝てる」と断言できるような霊長は存在しない。しかもそれは一対一ではなく、四、五人で束になって勝負を挑んだ場合にかろうじて勝てる可能性がある、と言うことができる程度だ。
「止めておくか?」
勝算の少ない相手から遠ざかることは、臆病でもなんでもない。むしろ現実的な行動として評価できる。霊長と聞いてなにも思わないような人間は、勇気と無謀を履き違えたただの馬鹿だ。
しかし、幸運なことに田崎は馬鹿よりの人間だったらしい。
「勝算がないわけではないんでしょう? なら、やりますよ」
やる気は十分、か。まったく。
なら、私が言うべき言葉は一つだけだ。
「ちゃんと自分のことも守るんだぞ」