深夜の迎撃戦
藤崎綾香
「藤崎、本当に来ると思うか?」
二人がけのソファにゆったりと腰を掛けた大柄な男がふと思い出したように言った。
名を葉山総司といい、「東京」の中では年長者に分類される。年齢は三十代の半ばだったと記憶しているのだがやや童顔であり、彼を知らない人間から見ると三十前に見えなくもない。
百八十センチを超える長身でがっしりとした体格にトレンチコートを纏っており、目の前に立たれると威圧感がある。彼のやや堅過ぎる性格もその威圧感を助長しているのだが、本人はそのことに全く気付いていない。
「きっと来ます。私としては来てほしくないんですが」
「どうせならさっさと来ればいいんだよ。そしたらこんなところで待つ必要もない。すぐに始末して終わりだ」
私の言葉を受け、テーブルに突っ伏してつまらなさそうにしている、やや小柄な高校生くらいの少年が言った。
彼の名前は水沢陸。同じく東京所属の人間だ。学生服を着てニット帽から茶色の髪の毛を出した彼はさきほどからテーブルをコツコツと叩き、うだうだしている。
やる気のない言葉が目立つ陸だが、実際のところは言葉に反してチームプレイを重視しているためこういった作戦時にはよく呼び寄せている。
「こんなところで悪かったね。そうそう上手くいくなら本当に助かるんだけどさ。ま、来たらすぐわかるようにしてあるから、それまではくつろいでてよ」
そう言ってコーヒーをすすっているのは佐藤隆。灰色の細身のジーンズに白いシャツというラフな格好でパソコンデスクの前に座っている。年齢は確かぎりぎり未成年だったはずだ。
彼自身は戦闘はできないが、今回はマンションの周りに進入者を感知するための監視装置を張り巡らせてもらっている。
ちなみに今私たちがいるのは、佐藤のくつろいでくれという言葉が示すように瀬名陽子と同じマンションの一階に位置する佐藤の部屋だ。
「人形がいくラ来ても、マスターには手ヲ触れさセません。ご安心下サい」
最後はアイ。こちらはすね辺りまでの長さのベージュのパンツにライトグレーのブラウス、その上にフェイクファーのフードがついた黒いアーミーコートを着込んでいる。
彼女は佐藤にあてがわれた試作型戦闘ロボット、だと聞いている。佐藤と共に最近新しくできた技術部という部署から回されてきたのだが、詳しい経緯は知らされていない。
近くから見れば質感や関節部で機械だとわかるが、遠目から見る分には人間のように見える。まだイントネーションなども人工的なところが多々見られるが、基本的な意志疎通に関しては問題ない。
何より痛みや恐怖を感じず、通常の人間の何倍もの力を持つ彼女は物理的な戦闘ではかなりの戦力になる。
「おそらく、そろそろでしょう。小細工なしに来るかと思われます」
室内の時計が示す時刻は間もなく午前二時。これから三十分が最も人形たちとの遭遇件数が多い時間となる。全く、日本的なことだ。
「わかった、お前がそう言うなら信じよう」
葉山さんはそう言うと両手を組んで目を閉じた。後は待つのみといった様子だ。
佐藤はそれを横目にし、僅かな異常も見逃すまいとパソコンのモニターに集中している。
室内には時計の針が時間を刻む音が規則正しく響き、それぞれが集中を高めていた。
「アイ、俺はこの部屋から出なければ大丈夫だから、対象をきっちり守ってくれよ。それがこのチーム全体の生存にも繋がってくる」
「はい、マスター」
佐藤は隣に立つアイに言い聞かせるよう今夜の方針を伝えているが、彼女を見もしない。佐藤にとってアイはパートナーではなく、彼の使用しているコンピューターと同様一つの道具ということなのだろう。実際、アイに対してはいつもぞんざいな扱いをしている。
「ふん、心配しなくても、お前の大事なマスターのところまで敵が来ることはねえよ。ここには今東京にいる最強クラスが集まってんだ」
陸の言葉を裏付けるように、この部屋にいる全員が警戒こそしているものの自然体を保っている。確かに、このチームで対応出来ないようなら今夜の東京に対応できる人間はいない。
「陸、アイ。二人とも頼むね」
「任せとけ」
「了解デす」
二人がそれぞれ頷くと、背を向けていた佐藤が私に振り向いた。
「来たよ」
その言葉を受けて葉山さんが目を開けて立ち上がる。
「……行くか」
「数は六。それ以上は今のところわからないけど、隠れてる奴がいる可能性もある。十分に気をつけて」
アイの口から佐藤の言葉が告げられる。彼自身は先程の部屋にこもり、得た情報をアイを通して全体に拡散させるのが役割だ。
マンションの入り口前に立って前方を見やると、ぞろぞろとこちらに近付いてくる集団が見える。幸いなことに他に人影はない。間違いなくあれが今夜の相手だろうが、正直なところ一度にこれだけの数と対峙したことはない。
一見すると通常の人間と思われた一団には、先日遭遇した人形と同じように右腕が異様に長いものが一体混じって見える。そいつに関しては対応も練りやすいが、他のものはどんな力を持っているか予想もつかない。
私がそんなことを考えている隣で、葉山さんは呆れたような声を上げた。
「まさか馬鹿正直に正面から来るとは思わなかった」
それよりこの数を見て何も思わないのだろうか。この人はいつも余裕だな……
「葉山、俺の邪魔はすんじゃねえぞ!」
陸は今にも突進していきそうな台詞を吐いて人形たちを睨み付けている。
「私と陸で敵を崩します。葉山さんは御自身の判断でお願いします。アイはその場で待機、迎撃に専念」
葉山さんとアイがそれぞれ無言で了解の意を示したのを確認し、右手に風の力を集め始める。
「んじゃ、いくぜ!」
気合いとともに陸が右手を前方に突き出すと、その掌を中心として渦巻く水の塊が現れる。それは次第に大きさを増していき、いよいよ彼の上半身ほどの分量となる。
「先手必勝!」
陸は一団に向かって駆け出し、右手に蓄えた水球を投げつける。その動きに合わせ私も後ろから追走する。
ただの水の塊に見えたソレは、先頭の人形に触れた瞬間に凍りつき、動きを阻む。氷は凄まじい勢いで侵食を始め、抵抗を許さないまま人形の全身を包み込んだ。
他の五体の人形は先頭を飛び越え、脇をすり抜け、盲目的に前進を続ける。
「吹き飛べ!」
今度は私が右手に集中した力を解放し、敵の中心を狙って風の塊を叩きつける。こちらに向かっていたうちの一体に衝撃波が直撃し、氷漬けになっていた人形を巻き込んで後方に吹っ飛んだ。
風塊を受けた人形は全身を隈なく切り刻まれ、最初に陸の攻撃を受けた人形は衝撃によって粉々に砕け散る。
「はっ、雑魚だな」
鼻で笑う陸に先の一撃を避けた一体が迫る。同時に私の方にも一体。残り二体は前衛の私たちを迂回しマンションへと向かう。
それぞれの力の程はわからないが、一瞬で葉山さんとアイが突破されることはないはずだ。仮に一瞬で突破されるようなら、私が急いで後方をフォローにまわったところで間に合わない。まずは眼前の敵を処理することからだ。
私をターゲットとして相対した人形は、外見上はまだ幼さの残る中学生くらいの少女の姿をしている。胸の辺りまで伸びる美しく艶やかなストレートの黒髪。セーラー服に紺のカーディガンを着ているが、左の肩口は袖がちぎれ、細く白い腕がむき出しになっている。
これは、どう考えても左腕に何かあるが……そう時間をかけているわけにもいかない。
「かわいそうだけどっ」
右腕を一閃。鋭い風の刃で一刀両断を狙う。
瞬間的に突風が吹き抜け、少女は二つに切り裂かれる。はずだったのだが。
ガゴッ! と重い音と共に少女の後方両サイドのアスファルトが一部吹き飛んだ。
「……そういう仕組みね」
一言で表現すればグロテスク。膨張した血管が浮き上がった少女の左腕は真っ黒に変色し、三倍ほどの大きさに肥大化している。さらにいたるところから元の腕ほどの太さの突起物が突き出しており、殺傷力に特化したような形状だ。風切りを弾き飛ばしたことからしても、相当な硬度があるのだろう。
「切り落とすのがいいか」
腕そのものは硬いかもしれないが、肌色を保っている腕の付け根はやってやれないことはないはずだ。
見たところ右半身にはこれといった変化も見られない。となれば、常に相手の右を取ればいいだけだ。わざわざ相手の得意分野に合わせる必要など欠片もない。攻撃の死角に回り込んで頭を吹き飛ばせるような風塊を打ち込んでやってもいい。
「時間が惜しいな」
今度は五本の指先から風を発生させる。線でも塊でもなく、数でもって相手を制圧する。威力は相当落ちるが、数を増やせば回避は難しくなる。言ってみれば風の散弾銃。
「痛いよ」
放った風弾は五つ。顔面、両脚、胸部、左腕をターゲットとして。目で見ることができず、見えたとしても反応できない速度で迫る風の弾丸を、少女はこちらの動きを読んでいたのか放たれると同時に横に跳躍することで避ける。
思いの外身軽な動きだが、初弾を避けられた程度ではどうということもない。
少女の足が地に着く瞬間を狙って次弾を撃ち込む。タイミングとしては避けようがない。しかし彼女はそれも読んでいたように左腕で身体を庇う。
見えないはずの風弾が着弾する瞬間、今度は左腕の突起物が意思を持った別の生き物かのように飛び出し、風弾を霧散させた。
「……いや、別の生き物か」
ふと見れば、少女は見開いた両目から涙を流していた。声は聞こえないが、その口が助けて、助けてと動かされているように見えなくもない。
急ごしらえで作られた人形なのだろう。彼女は今、人間と人形の境界線上に立っている。まだ、霊長の意のままに動く人形になりきってはいない。
嫌な気分だ。
人形は壊せばいいが、人間は殺すことになる。
人形は割り切りやすいが、人間は割り切れない。
「悪いね」
だからと言って放置することはできず、助けることもできない。
ここで始末をつけるしかない。
「人のまま死ぬか、化け物になって死ぬか。選ぶくらいはできそうだけど」
少女は答えられない。言葉はもう聞こえていないかもしれない。
だらりと下げた異常そのものと、人としての姿を残した子供の体。
「……い」
人間は耐えられない。
「……やぁ」
変質した左腕を突き上げてこちらに突進してくる少女。
「ああああああっ」
その言葉は少女のもの。脆い体と精神を、霊長に喰い破られた人間の残り香。
左手で右手首を強く握り、全神経を掌に集中する。風が、右腕に纏わり付く。
「せめて、苦しまないように殺してあげる」
あっという間に眼前に接近してきた少女が左手を振り上げる。
私は激しく痙攣をし始め、風を四方へまき散らしそうなこの腕を、額の血管が切れそうなほどに集中して固定する。
どくどくと脈打つ少女の腕が、頭部を潰さんと渾身の力で振り下ろされる。
どす黒い凶器は体重を移動してわずかに後ろに跳んだ私に触れることなくコンクリートの地面にめり込んだ。
「……っ!」
次の瞬間、少女の腕から伸びた突起の一つが皮膚から飛び出し、顔面に迫る。
首の筋を違えるかと思うくらいに首を傾げてその直撃を避けはしたが、左耳をかすめられ焼けつく痛みが走る。左方の音が消え、平衡感覚が揺らぐ。油断した。
でも、ここまでだ。
「目を閉じなさい」
掌に込めた風を解放し至近距離で叩きつけるだけの、何の捻りもない、最も威力の高い攻撃方法。自分の腕さえも傷つく代わりに、未だかつて防がれたことのない、単純な力業。
私は一歩進んで、正面からその力を叩きつけた。
色々なものが、周囲に飛び散った。
風は少女の体をいくつもの断片に切り刻み、血の雨を降らせた。
「藤崎、随分と派手にやったな」
「……すみません」
後ろから近付いてきた葉山さんは渋い表情を浮かべてはいるものの、それ以上何も言わなかった。きっと理解してくれているからだろう。ありがたい。
「葉山さんは綺麗なものですね」
「まあな」
驚いたことに、彼の服には汚れ一つないように見える。
確かマンションの方にも二体行ったと思ったが。それだけ彼の力が飛び抜けているということだろうか。しかしそれにしても無傷とは。
それに比べると――
「アイはけっこうやられたね」
葉山さんの隣に立っているアイは左腕の肘から先がちぎれて失くなってしまっている。
「申し訳アリません」
無表情で謝罪の言葉を述べたアイだが、痛みを感じずにいられるロボットだから平気なだけで、これが人間だったら致命傷だ。
「陸はどうした?」
……ああ、忘れてた。ごめん陸。
「陸なら――」
動揺を顔には出さず、ポーカーフェイスを装って陸がいるであろう方向に向き直る。
「人形ふぜいがナメンじゃねえよ! 凍り死ね!」
陸が鋭い叫び声を上げたかと思うと周囲の温度が急激に下がり、陸の前方にいた人形が全身を凍結させられる。そして陸はそいつに向かってドロップキックをくらわし、粉々に砕いていた。
……あの子は漫画だな。
「陸も派手にやってるな」
「……そうですね」
「全く、雑魚バカリで良かったです」
本気で言ってるんだろうか。アイ、お前片腕ないんだけどさ。
「はっ! この程度なら問題ねえな!」
右腕をぐるぐる回しながらこちらに歩いてくる陸。
お前は今、どう見ても全力っぽい技出してなかったか。
じと目で陸を見ていると、彼はわざとらしく目を逸した。見た目通り子供だな。
「この程度ならな。たまたま今回はこの程度で済んだが、より強力な人形が数を揃えて来たら俺たちだけでは対応し切れない」
葉山さんの言葉は確かにその通りだ。私たちは現在敵がどの程度の戦力を持っているかを把握できていない。さらに言えば、人形ならまだしも霊長が出て来ればこのメンバーでも守りきれるかはわからない。
「めんどくせえな」
「改めて対応策を練る必要があると思います。そうですね……これだけの人形を処理されてすぐに次の動きということはないでしょう。昼にでも松戸を訪ねに行きます」
「わかった。ではそれについては藤崎に任せる。俺は陸と奴等の本拠地を探ることにしよう」
葉山さんが陸の頭をがしがしと撫でる。本当に彼にかかると陸の子供扱いが加速するな。陸も本気で嫌がっているようで、それが照れ隠し程度にしか見えないから余計に葉山さんがからかう。
「ちょっ、勝手に決めんなよ」
「ごめん、陸。私からもお願いしたい」
腕を払いのけながら嫌がる陸に、実際申しわけないとは思うが頭を下げてお願いをすると、渋渋といった様子ではあったが了解してくれた。
「……藤崎がそう言うなら聞いてやるけどよ。貸し一つな!」
「わかった、覚えておくよ。じゃあ葉山さん、よろしくお願いしますね」
葉山さんに改めて頭を下げると、彼はひらひらと手を振って頭を上げるよう促した。
「応。良い知らせが出来るように善処しよう。では陸、さっそく行くか」
「今からか?」
「対応は早ければ早いほどいい。もし奴らが組織的な攻勢に出てみろ。抵抗する間もなく詰むぞ」
「確かにな……仕方ねえ。おい佐藤! アイ! 俺たちがいない間にやられんじゃねえぞ!」
陸の言葉を受けて、アイは首を小さく縦に振った。
「大丈夫だよ。もしまずそうだったらアイに足止めをさせて逃げ道を作るから」
アイの口を通して佐藤の言葉が告げられる。
正直褒められるような内容ではないが、佐藤とアイの関係は彼らのものだ。この際、目的さえ達成できるようであれば文句はつけられない。
「……アイ、頼んだよ」
アイはにっこりとした笑みを浮かべ、無言で大きく頷いた。
全く、佐藤よりアイの方がよっぽど人間らしいな。