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  作者: サキスケ
13/18

お引越し

瀬名陽子


 冷蔵庫に入っていたスポーツドリンクのキャップを開け、そのまま流し込む。

 喉を流れ落ちる液体の冷たさが心地いい。

「はぁ……」

 どうしてこんなことになったんだろうと思いながら、ベッドに目を向ける。そこで眠っている男は思い返すまでもなく、昨日の朝もここで寝ていた。

 久しぶりに自宅に上げた男がこんな意味不明な奴だとは、あまりにも残念過ぎる。……残念コンビめ。

 百歩譲って昨日の朝についてはまあ、いい。良くないけど、良かったことにしておく。ノーカンでお願い。

 しんどそうだったし、事情を聞く必要があったから。

 しかし、今日はだいぶ違う。ただ単に酔っ払いを泊めただけだ。まあ、私も酔ってたけど。

「んん」

 奴は苦しそうに声をあげて寝返りをうっている。

 時計を見ると時刻は十時を回ったところだ。今日はあまりのんびりとはしていられない。そろそろ動き出さないと色々とまずい。

 仕方ないか。

「いいかげん起きなさい。もうあんまり時間ないんだから」

 できるだけ優しく声をかけると、ベッドで布団を抱き締めている男が薄く目を開いた。

「おはよう」

 目覚めたばかりで意識がはっきりしていないのか、彼は視線をぐるぐる回して自分の目の前の風景を認識しようとしている。が――

「――――!」

 突然目を可能な限りに見開き、がばぁっ! と布団をはねのけてベッドから飛び上がった。一瞬身体が宙に浮かぶくらいの勢いだった。

「おはよう」

 声をかけても返事がない。失礼な奴。ただのしかばねのようだ。

 彼は答えずに頭をぶんぶん振って室内を見回し、次に自分の体のあちこちをべたべた触り出し、やがて安堵の声をあげた。

「……ああ、良かった」

「何が良かったの」

「いや、ちゃんと服着てて」

 むかつくな。なんだか色々と微妙な反応なんだけど。

 ――ナニハトモアレ。

「佐々木!」

「ハイ!」

 背筋をぴしっと伸ばして元気なお返事。

「……やっぱりこうくるか」

 はてな、と首を傾げる佐々木優介を横目に、私は額に手をあてて大きな溜め息をついた。


 昨夜の話を簡単にまとめると。


 私と藤崎綾香は、飲みすぎた。

 しかも、あいつは酒乱だった。

 面倒なことこの上ない絡み方をする、恐ろしい奴だった。


 そう言う私もちょっと二日酔いっぽい。

 佐々木君は私と藤崎との間で交わされた会話のことなど知らない様子で、のんびりしたものだ。

「なんか気持ち悪いです」

 うええと舌を出している佐々木君に、全てお前のせいなんだぞと怒り出したい気持ちが増し増しな方向で進んでいく。が、ここは一つ抑えておこう。

 今日一日彼にはたっぷり働いてもらわないといけない。

 私と同じくだるそうにしている彼にも飲み物をやり、詳しい話は後でするから、と言ってシャワーを促した。

 

 シャワーを終え、ドライヤーで髪を乾かしている彼に今日の予定を告げる。

「……なんですか、それ」

 明らかに不服そうな表情を浮かべているが、文句を聞く気は微塵もない。

「あんたに拒否権はないの。あんたの口から出た言葉なんだから」

 どれだけ不満なりという顔をされても、決定事項だ。私は嘘は一言も言ってない。

 確かに昨日、

「引越し手伝うよ」と、彼の口から聞いた。

 それが例え「佐々木君ではなく藤崎綾香」だったとしても、この口から出た言葉であることは間違いがない。

 さらに、藤崎綾香が好きなだけ酔っ払って、あげくの果てに面倒を彼に押し付けたのだとしても、それは私には関係がない。

「わかりました……」

 それで納得するキミも悪いのだよ?


 その後予定通り十一時過ぎには引越しのスタッフがやって来て、凄まじい勢いで荷物を梱包し始めた。ちなみにやって来たのは男性が四人。みんな私服を着ていたので、日頃見知った引越し業者でないことは確かだ。年齢もばらばらで、十代と思しき青年から三十くらいかな、と思う人もいる。

 できれば洗面所やトイレなどの衛生用品、下着類などは自分でつめて下さいとのことだ。もちろん、その辺りは流石の私でも大いに気にするところだったので、電光石火の勢いで瞬殺してやった。

 佐々木君には食器類の梱包を命じる。

 お気に入りの食器が割れたら問答無用であなたの責任だから注意して、と天使の笑顔で告げてやると嬉しそうに、

「わかりました陽子様!」と言っていた。

「言ってねえよ!」

 今なにか聞こえたような気がするけど、気にしない。

 

 荷物をトラックに積み終わるまでに三時間以上かかった。やっぱりあらかじめ準備しておかないと、とんでもなく時間がかかる。

 意識していないと気がつかないうちに物はどんどん増えていくもので。運ばれていく段ボールは二十箱では済まなかった。

 まあ、全部佐々木君にやってもらえばいいか。

 しかし。

「空っぽになった部屋を見ると感慨深いなあ……」

 物がなくなった途端に部屋の温度が下がったような気がする。寒々しいというか。物がなくなると広く見えるもんだなあ。

 この部屋には大学四年の時から住んでいたから、三年以上お世話になったことになる。

「佐々木君もそう思うでしょ」

「いや……この部屋来たの二回目だし。むしろ会うのが二回目の人の引越しを手伝っているっていう、この状況に色々と思うことがある」

 荷物を梱包しながら話していたら、実は佐々木君の方が年上だということが判明した。

 だからと言って、今更話し方を改めるのもどうかなと思ったので私はそのまま話しているけど。

「まあ、面白いからいいけどね」

 そう言って彼は薄く笑った。

 ……二日酔いで引越し手伝わされて面白いか? 藤崎綾香の件といい、彼はMなんだろうか。


 新居は五つ先の駅から徒歩五分のマンションだった。元々空室があったみたいだけど、どんな手回しの良さか鍵と地図は昨日のうちに松戸さんから受け取った。

 確か、築十年くらいだと言っていたような。

 外壁はちょっと濃い煉瓦色といったところだろうか。三階建てで、各階につき五部屋。

 想像していたよりもファミリーマンションっぽい。謎の組織が持つマンションにしては普通だ。内装に何か仕掛けがあるのだろうか。まあ、思いっ切り奇抜な外観のマンションじゃ目立つし、何より嫌だけど。

 でも、どんな人が住んでいるんだろう。聞いたところによると普通の人は住んでないらしいけど。

 マンション前の道路に引越しスタッフのトラックが停めてある。どうやらスタッフの人たちは車内でおにぎりを頬張っているようだった。

 近付いていってコンコンと窓を叩く。

 運転席に座っている若い男性が私に気づいて窓を開けてくれた。

「あ、すみません。すぐ食べて行きますね」

「いえ、こちらこそ遅くなってしまって。ゆっくりでいいですから」

 スタッフの人たちに頭を下げられ、こちらも頭を下げる。

 入り口を入ってすぐのところにはダイヤル式の集合ポストがあった。見たところ世帯の名前が書かれていないものがほとんどだ。まあ、こんなものだろう。今まで住んでいたところも表札を出していない世帯の方が多かった。

 私が住むことになるのは二階の二号室。本当なら角部屋がいいのだけれど、あまり贅沢も言えない。

 なんせこの引越しで私は一円たりとも出していない。ちなみに今まで私が住んでいたところは築二十年。おまけにここの方が都心に近く、基本的には家賃が高いはず。

 さらにさらに、私は引越し代だけでなく家賃も払わなくていいとのことだった。

 まあ、年収がいくらになるかとかはっきりさせないといけないことも多いけど。ああ、そういえば年金はどうなるんだろう。

 ……でもまあ、その辺りのことは、命が続いていないことには、ね。

 新居は以前住んでいた家と同じく2DKで、広さも実際同じくらいだ。これなら家具を入れるイメージもつきやすい。

「うわ、なんかいい部屋」

 一足踏み入れると同時に賞賛の声をあげる佐々木君。

 まあ、友達にも一人で2DKに住んでる人はいない。別にもう2DKじゃなくても良かったんだけどな……

 これだけ広ければなー、とか。家賃いくらくらいだろ、と彼が愉快に想像を膨らませていると、お邪魔しますーと言って引越しスタッフさんたちがやってきた。

 じゃあ今から作業開始させてもらいますね、と一人が頭を下げる。

 彼らの邪魔にならなければ搬入作業はあっという間に終わるだろう。なんといってもここに来るときとは違い、運び込むだけだ。梱包がない分、ペースが違う。

 結局、搬入は一時間ほどで終わった。

「さ、てと……どうしたもんかな」

 現在時刻は十五時を回ったところ。目の前には積み重なる段ボールの山。取りあえず佐々木君に手伝ってもらうことにはなっているが、これはちょっと骨が折れそうだ。

 梱包はともかく、部屋を作り込むのは彼にも出来ないだろうし。

「まあ、適当に荷解きをお願い」

「ん、適当にやってみる」

 オオ、あっさり返すとはこの人意外と融通が利くかもしれない。

 適当って、言う方はざっくりお気軽だけど、言われた方はけっこう難しい。

 まあ、とにかくまずは地道に開けてみないことは始まらない。

 見栄えは後回しにして、ひたすら開けては出してを繰り返した。

 経験上、こういうのは速攻で片付けないと一ヶ月や二ヶ月たっても開けずに段ボールのまま放置、ということにつながる。

 開けっ放しで収納できていないものも沢山あるが、二人で集中して作業していると三時間くらいでほぼ片付いた。

 ちょっと疲れはしたが、日頃から一日のほとんどを接客して過ごしている私には、なんてことない。聞けば彼も接客業で、ずっと立って作業するのは慣れているとのことだった。

「佐々木君、お腹へらない?」

「あー、そう言われるとそんな気がしてきた。いい加減ちょっと飽きてきたし」

「でしょ。昼も食べて無いしさ、もう七時だしどっか食べにいこっか」

「んー、りょうかーい」


 この近くには大学が二つあり、駅前には大小さまざまな飲食店が建ち並んでいる。大きな繁華街ほどではないが人通りもそこそこ多い。

 この街に住むことができるのは、あらゆる問題を脇に置いておけば正直嬉しい。今まで住んでいたところも不便には感じなかったけれど、決して便利とは言えなかった。それに比べるとここらは便利そうだ。

 同じところをぐるぐる歩き回ってどのお店に入ろうかと悩んだ結果、結局無難にチェーン店の定食屋に決めた。

 ちなみに私は梅おろしチキンカツ定食で、佐々木君はカキフライ定食。もちろんビールも頼んだ。労働後にはやはりアルコールを取らねばなるまい。

 引越しを手伝ってくれたお礼におごってあげると佐々木君は大層喜んだ。安いなあ、この人。

「佐々木君、今日はありがとう」

「別にいいよ。この口で言ったことみたいだし」

「あ、真に受けてたんだ」

「え? 言ってないの?」

 む、と彼が眉を寄せて私を睨む。

「ううん、言ったよ。言ったけど、それにちゃんと責任を持つんだな、って思って」

「まあ、そりゃあ持つよ」

「なんで?」

 彼はちょっと呆れたような顔をして私を見た。

「なぜにそんな顔をするー」

「今目の前にいる僕が、『佐々木優介の振りをしている藤崎』、じゃないって瀬名さん断定できる?」

「え……」

 考えてもみなかった。朝起きたときの雰囲気から佐々木優介だと判断して、彼も返事はしたけれど、確かにそれが事実だと証明するものは何もない。

「いや、そんな急にだまられてじろじろ見られても困るけどさ」

「あ、ごめんなさい」

 考え事をすると、意識せずに視線が固定されてしまう。こっちとしてはぼーっとしているだけなんだけど、相手からすると凝視されているように感じるらしい。

 お待たせしましたー、と言って店員の女性がビールを机に置いていく。

「えっと……藤崎、なの?」

「違うよ」

 おずおず尋ねると彼はあっさりと否定した。

「ま、取りあえず引越しおめでとう」

「え……ああ、ありがと」

 グラスを合わせて黄金色の液体を口に含む。佐々木君は喉が乾いていたのか、一口で三分の一ほど飲んでいる。

 いたって普通の態度に見えるが、彼を佐々木優介だと思っていた自分の前提を揺るがされるとちょっと怖くなってきた。

「要するにさ、こういうことなんだよ。端から見ててもわからないでしょ、誰が誰かなんて。僕を佐々木優介と見ようが、佐々木優介の振りをしている藤崎と見ようが、言っちゃえば佐々木優介の振りをしている藤崎の振りをしている佐々木優介と見ても、何でもいいんだよ。それは認識の方向性の問題だと思う」

 私は黙って聞いている。

「でも、事実だけは変わらない。僕は昨日引越しを手伝うって言ったんでしょ? なら、それを守らないと僕は約束を破ったことになる。この際、人格がどうのこうのって話は関係なくて、この口から出た言葉を、この姿形をした僕が守らなかったって事実だけが残る。それは、良くないと思うんだよね。それを守らないと、よそから見た僕は嘘をついたことになる。ってこと」

「……言いたいことはわかった、ような」

「ん。ならよし」

 満足気に頷くと彼はまたビールをあおった。液体を飲み込む度にごきゅり、と音が聞こえるようであり、私はなんとなく上下する喉仏を見てしまった。


 食事を終えると彼は親切にもマンションの入り口まで送ってくれた。

「ありがとう」

「いや、こちらこそご馳走様。それじゃあ」

 彼はそれだけを簡単に告げると、すたすたと帰っていった。振り返りそうな素振りは全くない。

 藤崎に劣らず、やっぱり彼自身もかなり変人のような気がする。

 部屋にあがると、室内は運び込まれた自分の荷物で落ち着く匂いになっていた。

「はあ……」

 ベッドに飛び込んで息を吐く。

 一昨日の夜からの展開が急過ぎた。

 できれば何も考えたくないけど。

 藤崎綾香に、「東京」、あとは……霊長、とか言ってたっけ。

 どういうカラクリでアスファルトが突然めくれ上がったりするんだろう。

「……う」

 骨だの肉だの思い出したらちょっと気分が悪くなってきた。

 なんでこんなことになるかなあ。確かに休みはほしかったけど、日常が消えてなくなるのを望んだわけじゃないんだけどな。

 部屋を見回してみると、まだ片付いてはいないがグレードアップした部屋。クリーニングをしたのだろう汚れのないオフホワイトの壁紙。壁も厚そうだ。

 これが望んで手に入れた日常なら、大歓迎だけど。

 一人になると、やっぱり怖い。

 松戸さんによるとこのマンションには「東京」の関係者しか住んでいないらしい。全員が全員ではないが、みんなが藤崎のように人外と戦える人たちだという。

 そう聞いていても、不安は全く解消されない。

(また次を楽しみにしてるから)

 告げられた言葉がまだ耳に残ってる。

 もうちょっと佐々木君にいてもらえば良かった。あっさり帰るなんて、ひどい。彼は本当に何も知らないんだろうか。

 ……私は松戸さんの下に付くとか言ってたけど。具体的には何をするんだろう。

 あ。そう言えば松戸さんの番号知らないや。

 脇に投げ捨ててあった携帯を手にとってパスティスをネットで検索してみる。

 池袋、パスティス。しばし読み込みの後。うん、ない。

 今から行くには、ちょっと疲れた。明日にでも訪ねてみよう。

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