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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ちょっと大将聞いてくれよ

作者: 某千尋

 金曜の23時。忙しい時間が過ぎ、店内にはのんびりとした空気が流れる。

 カウンターとテーブル席2つしかない狭い店内だが、私一人で回すにはこの程度がちょうどいい。

 カウンター前に並べた自慢のおばんざいは、だいぶ少なくなっている。

 あとはカウンター席に座る常連達と会話を楽しみながら閉店を迎える。それがお決まりのパターン。今日もそうなるだろうと思っていた。


 しかし、その予想はある若者の到来によって覆ることになる。



 店の引き戸が乱暴に開けられ、些か驚きながらも、店主として声をかける。

「いらっしゃいませ」

 店に入ってきたのはむすっとした表情の若者だった。おそらく、20代前半だろう。大学生だろうか。今時の格好をした洒落た若者であることはわかるが、なにぶん私は若くないので流行とかはよくわからない。


 若者はどかりとカウンター席に座った。

 顔を見ると赤らんでおり、漂う酒の匂いからだいぶ酔っていることがわかる。


「……大将、ハイボール」


「かしこまりました」


 私は40を迎えたばかりである。大将と呼ばれることに違和感を抱きつつハイボールを用意する。


「お待たせしました、ハイボールです」


 若者は目の前に置かれたハイボールに目を向けることなく、ある一点を見つめていた。

 視線の先を見ると私の自信作の肉じゃががあった。


「これください」


 注文された肉じゃがを取り分け、程よく温めてから提供する。


 若者は肉じゃがを凝視している。なんなのだろうか、私の肉じゃがに文句でもあるのだろうか。文句を言うにしてもまずは食べて欲しい。


「あの……」


 若者が肉じゃがと見つめ合って動かないので、思わず声をかける。

 すると、若者はハッとしたように動き、箸を持つ。

 そして、ひと口。


 瞬間。


「うっ……うぅぅぅううう」


 若者が大号泣し始めた。


 ちらちらと若者の様子を伺っていた常連達が目を見開いて若者を見る。


「あの……」

「うまいよ…肉じゃがうまいよおぉぉおお」


 それまで喋らなかった若者が突然喋りだす。


「大将!やっぱ肉じゃがはこうですよね!これが肉じゃがですよね!」


 しかしその内容はよくわからない。どう返したものかと考えていると若者は返事を求めていたわけではなかったのかそのまま喋る。


「聞いてくださいよ大将!本当に!俺、俺の彼女…いやもう別れたから元カノなんすけど!あいつ手料理振る舞ってくれるのはいいんすけどめちゃくちゃメシマズで!!


 肉じゃがなんてあれすよ……じゃがいも生煮えでガリガリするし酸っぱいんすよ。どうしたら肉じゃが酸っぱくなると思います?意味わかんないすよね。でも!俺、文句言わずに食ってたんすよ。俺……初めての彼女で……可愛い彼女が俺のために作ってくれたんだから、ちゃんと食べてやるのが男ってもんだと思って……なのにあいつ!浮気してたんすよ!そんで喧嘩して……謝ってくれたらそれでよかったのにあいつ開き直って……あんまり腹立ったからついメシマズのお前の料理も我慢して食ってやったのに!って言っちゃって……いや、本当それは俺が最低すよね、わかってます。


 でもそしたら!お前が浮気相手だ!って言われて……ひどくないすか?俺、あいつのまずい料理どんだけ我慢して食ったと思ってんだ……何度トイレに籠ったか……飲み込むのもきついやつ沢山あって……俺あいつと付き合って1ヶ月も経ってないのに5キロも体重減って……酸っぱい肉じゃが本当意味わかんない……」


 一気に捲し立てたと思ったら、今度は肉じゃがを勢いよく食べる。そして泣く。


「うぅぅぅ……うまい……これだよ、俺が食べたかった肉じゃがはこれなんだよ……大将天才すね、これ肉じゃが界の王様っすよ……この肉じゃがなら毎日食いたい……うぅうううう」


 様子を伺っていた常連達のうち、若者の近くに座っていたしょうさんが若者の隣に移動しその肩をポンポンと叩く。


「なんか大変だったんだな。店長の料理はうまいからなんでも好きなだけ食え。俺がご馳走してやる」


 大号泣する若者が憐れだったのか、しょうさんが優しい顔で若者を慰める。


「いいんすか……そしたらあの、そこのポテトサラダと、横のイカのやつください」


 若者は出された料理を食べるたびに大号泣する。

 味を褒められるのは嬉しいが、あまりの大号泣にどうしていいかわからない。

 そもそも私の店の客層は30代以上が主で、20代そこそこの若者が来ることなどほとんどないため、若者のテンションについていくことができない。


「大将……大将みたいな人と俺は付き合うべきだったんだ……もうメシマズはやだ……メシマズはやだ……」


 彼女の料理がよっぽどトラウマなのだろう。

 ぶつぶつ呟きながら料理を食べている。

 本当に美味しそうに食べてくれるのでだんだん愉快になってきた私は、彼の前に椎茸の肉詰めを出した。


「お兄さん、サービスです」


 若者は目を輝かせて椎茸の肉詰めと私を交互に見る。


「大将……!!俺と結婚してくれ!!」


 酔っている。この若者はとんでもなく酔っている。

 しょうさん含め常連達は大爆笑である。

 丁重にお断りすると若者はまた泣いた。


 泣いている若者におろおろしていると店内に着信音が響き渡る。


 それは若者のスマホだったようで、若者はポケットから取り出したスマホを耳に当てる。


「あ?おー亮どうしたー?……え?俺が消えた?いやいや俺ここにいるし……ん?どこにって……えーと……」


 若者が私に目を向けたので店の名前を答える。


「うん、うん、そう。あ、ここくんの?……おーわかった待ってるー」


 相手の声は聞こえなかったが、若者の発言から推測すると、どうやら若者は誰か別の人と一緒にいたところ、その相手を置いて一人でこの店に来たらしい。


「大将……今から俺の大親友がここくるんすよ……あいつ本当にいいやつで、俺が振られたって連絡したらすぐきてくれて……しかもめっちゃいい男なんすよ……ちょーイケメンで……もうね、レベチすぎて妬む気も起きないくらい……」


 友人を絶賛する若者の話を聞いていると、店の引き戸が開けられた。


「いた!尚……トイレ行くって言ってたのにいつまでも帰ってこないから探しに行ったらどこにもいなくてびっくりしたよ……」


 ほっとした様子の若者は、若者に絶賛された通りのキラキラした美形だった。足が長いなーと思って見ていたら、美形はカウンター席に座る若者を見て表情を固くする。


「尚、泣いてたの?」


 先程まで大号泣していた若者の目は真っ赤で、誰がどう見ても泣いていたことは明らかだった。


「亮ーここの肉じゃがが肉じゃがでさ、ポテトサラダもイカも椎茸のもまじでうまくて……大将にプロポーズしたら断られて……」


「は?」


 要領を得ない若者の説明に美形が眉を潜める。

 何を言ってるかわからないからだと思ったが、次の瞬間何故か私は美形に睨まれる。


「プロポーズ……?どういうこと……?」


 なんだか雲行きが怪しい。

 私はこれでも長年接客業をやっているため、人の感情の機微には聡いつもりだ。

 だからわかる。これは、そう、あれだ。


「いやー、このお兄さんとんでもなく酔ってましてね。彼女の料理がトラウマみたいで、料理上手な人と結婚したいみたいなんですよ」


 私は、若者が私ではなく料理にこだわっていることを強調した。

 その答えは正解だったようで、美形が納得したように頷く。


「……なるほどね。ほら、尚そんなに酔ってたら店に迷惑かかるよ。だからほら、もう帰ろ、送ってくから」


「うーん……」


「かわっ……もー尚、立ってよ。ほら手貸して。全く……肉じゃが食べたいならいくらでも俺が作るのに……」


 酔っ払ってお腹も満たされた若者は、眠くなったようで目がとろんとしている。

 美形が若者の手を引いて立ち上がらせると、若者は足元が覚束ないのか美形に寄りかかる。

 美形は嬉しそうに微笑み、若者を抱きしめるように支える。若者の腰の位置に置かれた美形の手の動きが不埒に見えるがきっと気のせいだろう。


「大将、お会計を」


 若者が私を大将と呼んだせいか美形まで私を大将と呼ぶ。でもいい、もう早くお引き取り願いたい。常連達が二人から必死に目を逸らしている。


「お連れさまのお会計はうちの常連さんが持ってくれるんで大丈夫ですよ」


「え?なんで……」


「うちの店には滅多に若い方はいらっしゃらないんで、私含め常連さんも嬉しくなってしまいましてね」


 一瞬鋭い目になった美形ににこりと返す。大丈夫、ここの常連が若者を狙っているわけではないですよ、という気持ちを込めて。


「でもそんな……」


「いいんだよお兄さん!なんだかそっちのお兄さん色々大変だったみたいだから、美味しいもの食べさせてやりたかっただけなんだよ。おっちゃんからのささやかな気持ちだから遠慮しないでくれ」


 しょうさんも早くこの場を終わらせたいらしい。助け舟に感謝する。

 私と常連達の心は今間違いなく一つになっている。


「……ありがとうございます。そしたらご馳走になります。って俺関係ないですね。尚の代わりってことで。大将、お騒がせしてすみませんでした」


 ニコリと綺麗に微笑んだ美形は若者を支えて店から出ていく。やっぱり腰に置かれた手の動きが気になるが、見なかったことにしよう。


 若者達が去った後の店内はなんともぎこちない雰囲気になり、いつもは閉店までいる常連達が気まずそうに帰っていった。


 客が全員帰り、私もなんだかとても疲れたので、早めに店じまいすることにした。


 翌日、若者がまた店にやってきて私に大号泣しながら美形との一夜を語るなんてことはこの時の私は知らない。

 

 さらにはその後、若者から美形との関係について相談を受けるようになるなんてことも全く知らない。


 最終的に若者と美形の2人が常連になり、カウンター席でいちゃつく2人がこの店の名物になるなんてことも当然知らない。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  今回もいいお話ですね。感動しました。評価5
2021/04/23 21:07 退会済み
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