【お題で小説:TS】 フロンティアディスカバリー
「はひーーぃ、つっかれたー!」
仕事から帰り、服を着替え、化粧を落としてお風呂に入る。
夕食もそこそこに終え、ベッドに飛び込む瞬間の疲労混じりの達成感は何とも言えない。
そのまま寝入りたくなるが、その甘美な誘惑を大きく伸びをして振り払う。
私の夜はここからが本番なのだ。
「うっ、んん・・・・・・」
首の後ろの端子にケーブルを接続した時のこの感覚だけはどうも慣れない。
無線で体内のナノマシンに接続する機材もない訳ではないのだが、通信が不安定になるかもしれないし……何より高い。
趣味の為にボーナス一回が吹き飛ぶのは流石に厳しいものがある。
そうこうしているうちに、視界に『待機中』のウィンドウが現れた。
私は慌てて専用の椅子に座り、体の各部を固定していく。
意識がない間の身体の誤作動を防止するための安全措置だ、昔はベッドで横になるだけでもいいくらい規制がゆるゆるだったらしいが、骨折などの負傷事故の発生から厳しくなったのだという。
ナノマシンが身体の状態から固定を確認し、視覚系に直接投影されているウィンドウが『待機中』から『接続中』に変わると、浮遊感の後、視界が暗転した。
世界が暗転して失われたのは視覚だけではない、触覚・聴覚・嗅覚・平衡感覚……味覚にいたるまで全ての感覚が失われ、そして一瞬で戻る。
しかし、戻った視界が映すのは私の部屋ではない。
そこは、少し歩き回れる程度の広い部屋。
出入り口はなく、光源もないのに部屋全体が明るい。
この部屋にももう慣れている私は、拘束されていない短い足でぴょこんと椅子から飛び降り、体を伸ばしたり腕を回したりする。
「あー……『備品・鏡』!」
自分の声とは全く異なる野太い声で言葉を発すると、私の前に宙に浮かぶ姿見の鏡が現れた。
姿見に移るのは仕事に疲れた中背のOLではなく、矮躯ながらがっしりとした体つきの髭面の男。
私が使っている、VRゲーム『フロンティアディスカバリー』のアバター"ゲンゴロー"だ。
この部屋は、アバターと本来の身体の体格が大きく異なる場合に感覚を掴むために用意されている準備用の部屋である。
鏡を見ながら身体を動かし、鏡と同じく備品メニューで出した積み木を使って細かい感覚を調整したら、ついにゲームの始まりだ。
「『準備・終了』、『選択・フロンティアディスカバリー』」
視界が歪むと先程までいた部屋は消え去り、私の目の前には畑が広がっていた。
「……あーっと、この前は収穫して終わったんだっけ、じゃない、じゃったか?」
ついつい素の口調で喋ってしまい、意識して言い直す。
このゲームにおいては私はドワーフの男性裁縫師ゲンゴローなのだ。
そう意識づけるのは、何もロールプレイに拘っているからだけではない。
『フロンティアディスカバリー』、通称"FD"のドワーフは、製作スタッフのこだわりにより男しか存在しない。
しかも、プライバシー保護のために自動でアバターに即した合成音声が割り当てられるため、女性でも見た目通りの声になる。
この状態で女口調をするのは激しい違和感があるし、珍しい女性ドワーフプレイヤーに絡んでくる輩もいるので気を付けるに越したことはない。
ネナベプレイと後ろ指をさす人もいるだろうが、他人に迷惑をかけないのなら放っておいていて欲しいものだ。
FDはアクションゲームが苦手な人向けに開発されたスローライフゲームだ。
これといった敵キャラは存在せず、広がる未開拓地を自分なりの方法で開拓し、集落を広げていく。
木を切って焼く木こり兼炭焼き職人になってもいいし、畑を耕す農家になってもいい、料理屋でも鍛冶師でも、狩人でもなんでもいい。
直接開拓に関わらなくても集落に貢献すれば開拓は進んでいくのだ。
極端な例を挙げるなら、集落の子供たちの子守りで貢献度を溜めている猛者もいるという。
とにかく、自分のやりたい事をして集落を育てていくのんびりしたゲームなのだ。
私ことゲンゴローは、集落で服や小物を繕う裁縫師をやっている。
原料を作るため農家の真似事もしていて、この前は畑で育てた綿花の収穫をしたところだった。
「ふむ……布にするまでは頼まないといかんし、まずは"街"か」
ウィンドウからファストトラベルを選ぶと、私は最寄りの"街"へと転移した。
◇◇◇
FDは基本的にソロプレイで進めることが出来るが、『他のプレイヤーとも交流を持ちたい』『自分のいる集落以外の素材や産品が欲しい』、そういった要望のために用意されているのが共用区域、通称"街"だ。
街は常にオンライン状態であり、同じサーバーに接続している者が最寄りの街で交流できるようになっている。
中には、街を主なプレイ区域にして商売で開拓資金を集める商人プレイのプレイヤーもいるし、幾らかの素材を分けてもらうことで作業を請け負う職人系プレイヤーも店を構えている。
私は馴染みのプレイヤー店舗で糸紡ぎと機織りを依頼し、完成するまで市場を冷やかすことにした。
「おうっ、そこのドワーフの人! うちのインゴット見ていかねぇか?」
鉄や青銅の延べ棒が並ぶ露店の呼び込みをかけてくるが、ひらひら手を振って遠慮を示す。
「残念じゃが、わしは鍛冶師じゃない。他をあたるんじゃな」
「なんでぇ、ドワーフなのに"農民"かい? 珍しいねぇ」
"農民"は農業を主軸としたプレイヤーの通称だ。
手堅くはあるが、地道な作業が多いのでサブならまだしもメインに据える者は少ない。
特にドワーフは鍛冶や細工などの精密作業にボーナスが入る種族なので、農民はまずいないだろう。
「わしも農業はサブじゃよ。メインは裁縫師じゃ」
「裁縫師!? じゃあちょうどいい! さっき代金の一部を物納で受けたんだが、専門外でな。ちょっと見てもらいてぇんだ」
そう言って露店の店主は返事も聞かずにメニューウィンドウを操作し始めた。
時間まで屋台通りで買い食いでもしてたかったんだけど……まあ、いいか。
このゲームでは同じ人との出会いは2度ないこともある。
何が縁になるか分からないし、偶にはこういうのもいいだろう。
「こいつだ。糸の原料を出すのは分かるんだが、俺はそっち系は扱ったことが無くてな……売り払うにしてもどこに行けばいいかも分からなくて困ってたんだ」
店主が出したのは一抱えほどの籠に入っているデフォルメされたぬいぐるみの様な丸っこい芋虫。
色は真っ白で、ところどころに黒い斑点があった。
「かわ……これは珍しい、野生種のシルキーワームか」
これでも裁縫師のはしくれとして、糸や布用の素材関連の知識は持っている。
シルキーワームはいわゆる蚕で、リアルのものとちがい成虫にならず、毎日糸を吐いてくれる。
育てるのに餌にする特定の植物を用意しなければいけないのが曲者で、養蚕家は農業を強要され、元々農民の場合は畑の一部を占有される。
上質な糸を出す分そういったハンデのあるシルキーワームだが、森などに極稀に出現する野生種は少し異なる。
野生種は雑食で、植物なら何でも食べる。
育てるのが簡単な代わりに、体調と好感度で吐く糸の量が変わる不安定さはあるが、その界隈ではなかなか人気だ。
これは……掘り出し物だ……!
「どうだ? なんなら譲ってやるぜ? まあ、足が出ない程度の額は貰うけどな」
「ふむ……」
私はアバターの髭をしごく。
ドワーフのプレイヤーがこれをするのは『考え中』のジェスチャーだ。
誰が始めたのかは知らないが、FD最初期からあるジェスチャーで、今ではドワーフ以外のプレイヤーの間でも知られている。
今の懐は寒い訳ではないが、依頼をした後で余裕があるわけでもない。
後々買い叩かれたと言われないためにもそれなりの額を払わねばならないが、そうすれば屋台通りで買い食いして回ることはできない。
だけど滅多に出ない野生種……
悩みに悩んだ末、私は答えを出した。
「……よし、買った!」
「あいよっ、売った!」
こ、これは先行投資だから……
◇◇◇
適正価格より気持ち安め、くらいの金額を支払った私は地味に楽しみにしていた屋台巡りを諦め、完成した布を受け取って自分の集落に戻ってきた。
財布もだいぶ寂しくなってしまった、これからしばらくは金策に励む必要もあるだろう。
自分のホームに"キヌエ"と名付けたシルキーワームの寝床を作ったところで、アラーム音と『設定時間になりました』のウィンドウが出る。
残念だが、今日はここでログアウトだ。
FDを終了し、最初と同じ部屋で今度は本来の自分と同じアバターで感覚を掴み直してVR自体を終了する。
意識が自分の部屋に戻ってきたら、拘束を外して椅子から立ち上がり、伸びをして固まった身体をほぐす。
次回のプレイからはワームシルクが手に入るし、絹織物に手を出すのもいいなぁ。
ゲンゴローの服は細かい刺繍が入ってるのがウリだから、新しい図案も考えておこう。
それから、それから……
考えているうちに、無意識に手が髭を撫でようと顎の下に伸びかけて、ハッと止める。
ヤバッ、危ない危ない……今のは女としてナイわー。
ちょっとゲームの頻度を減らした方がいいかしら?