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どのくらいの時間が経ったのか、ふと、子供の声が聞こえて目が覚めた。
瞬間的に腕時計に目をむける。だいたい30分ほど眠っていたようだ。日差しを浴びて、少し汗ばんでいる。
公園の片隅で遊んでいる子供たちの姿が見える。
間もなく、高校生くらいの年齢の若者たちの集団がやってきた。茶髪に金髪の若者たちの姿を見て子供たちが遠慮気味に帰っていく。若者たちが何をしたというわけでもないのだが、子供たちの目からすれば、その存在は怖いと思われても仕方ないかもしれない。
それから10分ほど過ぎた頃、一人の少女が公園に走り込んできた。
一瞬、その小柄な姿から中学生くらいに見えたが、それは響が通う陸奥中里高校の制服のものだ。長い髪をツインテールに結んだその顔には見覚えがあった。クラスは違っているが、それは同じ高校に通う蓮華千波だった。
千波の母、蓮華咲子は一条家の顧問弁護士をしており、響もこれまで何度も顔を合わせたことがある。そして、千波もまた一条家と関わりがあるらしい。つまり、彼女もまた『妖かしの一族』の一人のはずだ。
千波はすぐに公園の噴水脇にかたまっている若者たちに気づいてまっすぐに近づいて行った。
何か声をかけているようだが、若者たちはそれに対してバカにするような笑い声をたてた。そして、その中の一人がまるで追い払おうとするかのように千波の肩を軽く小突く。だが、次の瞬間、その身体が宙を舞って地面に叩きつけられた。きっと彼らには何が起こったのかわからなかったに違いない。それほどに千波の動きは素早かった。
投げ飛ばされた若者の仲間たちは、一瞬、後退ってから少し慌てたように倒されてキョトンとしている一人を助け起こし、逃げるように公園から出ていった。
その姿はまるでアニメに出てくるヒーローのようだった。
若者たちを追い払った千波は軽くパンパンと両手を叩く。そして、改めて公園内をグルっと見回す。その千波の視線が、それまでの流れを眺めていた響のほうへと向けられた。
千波が響に気づいて近づいてくる。
その勢いに、思わず逃げたほうがいいかと身構えているとーー
「あら、草薙さんでしたか」
ベンチに座る響の前に立った千波は少し気を削がれたような声を出した。
「確か……蓮華千波さん、だったよね」
「私のこと知ってたんですね? そうか。お母さんとは顔なじみということでしたね」
「ボクのことは?」
「聞いていましたよ。というか、それより前から知ってました」
「どうして?」
「まあ……いろいろな事情があるんですよ。あなたが忘れてしまった過去にね」
千波と話をするのはこれが初めてと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「ボクって、千波さんにも前に会っていたの?」
「そういうことです。でも、それについてはあなたに話してはいけないと言われているのでこれ以上は話せません」
「どうして?」
「うかつに話をすると、あなたが誤解をするから……と言われてます」
「君はボクのことをどのくらい知っているの?」
「だから、話せないと言っているじゃありませんか」
千波は困ったように口をとがらせた。
「誰にそう言われているの?」
「お嬢様にですよ」
「お嬢様? それは誰のこと?」
「それは当然――あ、いや、だからそういう話は出来ないんです」
「そう……ところでどうして休みの日に制服を?」
「こ……これも言えません」
少し困ったように目線が動く。
「あれ? ひょっとして補習受けてた?」
この連休中、一部の生徒に補習を受けさせなければいけないことになった、と担任が愚痴っていたのを思い出す。
「言えないって言ってるじゃないですか。それより、今日は、双葉伽音さんは一緒じゃないのですか?」
「約束があるって」
双葉伽音は響のクラスメイトで、彼女もまた一条家で暮らしている。いつも不意に現れ、まるで響の保護者のように振る舞う。そんな彼女の存在は頼もしくもあり、少し困った存在でもあった。
「きっと沙羅ちゃんですね」
その名前は聞いたことがあるような無いような微妙な感じがする。
「沙羅ちゃん?」
「ええ、小学生くらいの女の子。妙に仲が良いのです。変な関係ですよね。え? それも知りませんか? あなたとの会話は難しいですね」
「あの……どうして敬語なの?」
「だって、あなたは年上じゃありませんか」
千波の言うのももっともかもしれない。響は昨年、一年間休学していて今年になって改めて高校に入学している。それを知っている人からすれば、同学年と言われても違和感があるのだろう。
「それはそうだけど、あまり気にしないでほしいな」
「気にしているわけじゃないです。一度、私にとって年上という認識をしているので、むしろそれを変えることのほうが気を使うんです」
「ああ、そう」
その気持もわからなくはない。
「そんなことより、今日はどうしてこんなところに? 何か用件が?」
「いや……何か特に目的があったわけじゃないけど」
「草薙さんって、人と関わるのが嫌いですか?」
「嫌いってこともないけど……ちょっと苦手かな。どうして?」
「休日ですよ。ゴールデンウイークですよ。高校生がゴールデンウイークの初日に公園でたった一人って……気になるじゃありませんか」
「あ……そう」
さっきのミラノとの会話を思い出す。誰でも思うことは同じようだ。
その一つの理由が記憶のことだ。新学期がはじまって以来、誰と話すにしても、必ず中学時代の話や家族のことを聞かれる。それはきっとただの会話の発端にしか過ぎないのだろうが、過去のことをすっかり忘れている響にとって、それはなかなか馴染めないものだった。
「やっぱり人が苦手ですか?」
改めて千波は聞いた。
「まあ……ね」
「そうですか。私もです」
躊躇なく千波は言った。
「え?」
「私たち一族にとって、一般の人との付き合いほど面倒くさいことはありません。何から何まで遠慮しなきゃいけませんからねえ」
「……そう。だからわざと補習を受けに?」
「その話はするつもりありません!」
千波は顔を赤くして言った。どうやら補習を受けたのはそんな深い理由があるわけではないようだ。
「ボクは別に皆に遠慮をしているわけじゃないよ。ただ、なんとなくどう付き合えばいいかわからないってだけだよ」
「ここもあまり人がいることがありませんよね。ほとんど貸し切りって感じだし」
「それは君が追い出したからじゃない? さっきの人たちとは何があったの? ひょっとしてさっき出ていった子供と何か関係が? 彼らは別に子供をいじめてたわけじゃないよ」
「子供? 何の話をしているんですか? そんなこと関係ないですよ。ただ、ここにいてもらったら困るから帰ってもらっただけです」
「困る? ここで何か始まるの?」
「ちょっとね」
「じゃあボクもここにいたらまずい?」
「うーん、草薙さんならいいですよ。でも、何かあっても自己責任でお願いします」
「そんなヤバいことがはじまるの?」
「ま、大丈夫でしょ。情報ではそんなたいそうな相手では無さそうですし。楽勝でしょう」
「楽勝?」
誰かと戦うつもりなのだろうか。
それを千波に訊こうとした時――
「来た」
小さく千波がつぶやいた。




