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ゴールデンウイークといっても別段予定があるわけもなかった。
草薙響は近くの公園へと自転車を走らせた。
一条家で暮らし始めて既に1年が過ぎ、響は休日には出来る限り外出するようにしていた。決して一条家の居心地が悪いというわけではない。むしろ、当主の一条春影をはじめ、多くの人々が響に気を使ってくれている。ただ、この一年、一条家で暮らしてみて、一条家という場所は、ある意味、特殊な環境であることに少しずつ気づくようになっていた。一条春影もそれを考えてか、むしろ響が外出して外の世界を知ることを勧めているところがあった。
外出するとしても、響にとっては行く場所がそう多いわけでもなかった。
郊外の野山へ自転車を走らせてみたり、高校から少し離れた城趾公園に行く程度だが、それでも響にとっては居心地の良い場所だった。
最近になってよく通うようになったのが、住宅街の外れにある公園だった。その近辺には不釣り合いなほどにわりと広い公園で、その広さからかむしろ立ち寄る人は少ないようだった。
今日もやはり公園には人影は見えなかった。
木陰にあるベンチに腰をおろす。
強い日差しが遮られ、時々、吹いてくる風が心地良い。響はリュックの中から本を取り出してページをめくる。
ふと気づくとどこからやって来たのか一匹の猫が公園の中を堂々と歩いている。
妙にふてくされた感じに見えるハチワレ猫。その姿を見た時、響はドキリとした。
見た目は他のものと変わらないが、明らかにそれは普通の猫とは違っていた。全身に禍々しい気を纏っている。いや、それはその猫の内から湧き出ているように見える。
猫は響の前まで来ると、ピタリと足を止めた。そして、響のほうへ視線を向ける。
それを見て響は思わず身を竦めた。
一瞬、ニヤリと笑ったように見えた。そして、そのまま公園を大きく横切って去っていった。
それを見送ってから、響はホッとして肩の力を抜いた。
少し気にはなったが、それでも猫のことを忘れて再び本をめくっていく。
5分ほど過ぎた時――
「あなた、休みの日に一人で何やってるの?」
その声に振り返る。そこに立っていたのはデニムのスカートに白いシャツを着た御厨ミラノだった。彼女には妖かしの力があり、高校に入学したばかりの頃、その原因を調べてほしいと依頼されたことがあった。彼女は不死の猫である妖かしが取り憑いているということがわかったが、その原因まではハッキリとわかっていない。
「何って……別に。ミラノさんこそどうしてここに?」
ミラノの自宅はここからかなり離れているはずだ。
「お礼をね。言っておかなきゃと思ったの」
そう言いながらミラノは響の隣に座った。
「何の?」
「え? 何よ、あなたって記憶がないの? そういえば、昔の記憶がないって話だったわよね。あなたってつい先日のことでも忘れてしまうの? 病気? そういう障害があるの?」
「いや、そうじゃないよ。確かに事故のせいで去年の春以前のことはまるで憶えていない。でも、それ以降のことはちゃんと記憶してる」
「それならあなたが私の依頼に応えてくれたことも覚えているんでしょ」
「アレか。でもお礼を言われなきゃいけないようなことボクはしていないよ」
「あなたがどう思っているかなんて関係ないわ。私が依頼したことをあなたはやってくれた。だからお礼を言うのは当然でしょ。それとも私がそんな恩知らずな人間に見える?」
「それはーー」
どこか矛盾しているように思えるのだが、ミラノの堂々たる態度にそれを口にするのははばかられた。
「見える?」
「……いいえ。それで気が済むなら」
「ずいぶん素っ気ない言い方をするのね。そもそも休みの日にこんなところで何してるの?」
「別に何をってわけじゃないんだけど」
「あなたっていつも一人でいることが多いわよね。クラスで浮いているものね。まあ、あなたって私たちより2才歳上なんだから仕方ないわね。あなたって皆にとってはちょっと不思議な存在だもの」
ミラノは興味深そうに響を見つめた。確かに彼女の言っていることは正しかったが、そういうことを本人に言ってくる神経はよくわからない。
「そう?」
「そうよ。気づいてないの? でも、気にすることないわよ。クラスの皆なんて相手にしたって退屈なだけだもの」
そういえばミラノもあまりクラスのなかでは少し浮いた存在に思えた。もちろん響とは意味が違っている。彼女はわりと多くの人から注目されているようだった。それも特に多くの男子生徒の視線を集めていた。おそらくその容姿がその原因だと思われた。そして、それは同時に女子生徒からの妬みのような視線につながるものでもあった。
「ミラノさんはどうなの? クラスには馴染んだ?」
その問いかけに、一瞬、ミラノは複雑な表情をした。やはり、彼女自身もその周囲の視線の意味を理解していたのだろう。
「そうね、そういう質問って自分に向けられるとあまり良い気はしないものね。私もあなたと同じなのよね」
「同じ?」
「私もクラスの皆に馴染んでいないって言いたいんでしょ? そうね。その通りだわ。やっぱり妖かしだからなのかな?」
「正確にはミラノさんは妖かしじゃなくて、妖かしに憑かれたってものらしいよ」
「そう。でも、私にとっては同じようなものよ。ひょっとしたら……私とあなたって、どこか似てるのかもしれないわね」
憂いを含んだような口調でミラノは言った。
「それは関係ないんじゃない? ボクとミラノさんとは違うよ」
響の言葉を聞き、突如、ミラノの表情が険しくなった。
「何よ、私が間違ってるっていうの?」
「いや、そうじゃないけど。そうだね、ミラノさんはむしろ音無さんに似てるようなーー」
「音無? それって3年生の音無雅緋のこと?」
「うん」
「どうして急にあの人の名前が出てくるの?」
ミラノは不愉快そうに眉間にシワをよせた。
「いや、なんとなくーー」
「ああ、わかったわかった。あなたってああいう女が好みなのね? わりと人気あるみたいだものね」
「そうじゃなくてーー」
「知ってる? あの人、一年留年しているのよ。だから、あなたよりも歳上なの」
「らしいね」
「知ってたの? 知ったうえでそんなことを言ってるの?」
「別にそんなの関係ないよ」
「関係ない? 歳上だって良いって言ってるの? 歳上が好きなの?」
「そんなこと言ってないよ……っていうか、何の話をしてるの?」
「何よ、あの人をかばうつもり?」
「いや、そんなつもりで言ってるつもりはないよ」
「冗談じゃないわ」
何が面白くなかったのか、彼女は怒りながら帰っていった。
その後姿が見えなくなってから、ゴロリとベンチに横になる。彼女が礼を言いたいと言いながら、結局、それを口にしないままだということに気づいたが、別にもともと礼など言ってほしいわけでもない。
すでに本を読む気はなくなっていた。
(それにしてもーー)
いったいミラノは何を怒っていたのだろう。まったくその理由がわからなかった。だが、あまりそのことは気にならずすぐに忘れてしまった。
気になっていたのはあの猫のことだ。いったいあの猫は何だったのだろう? 奇妙な雰囲気を持っていた。しかし、どこか自分に近いものすら感じた。いや、どちらかといえば、なぜだかあの猫とリンクしているような気がする。
あの感覚はなんだろう?
そんなことを考えながら、その陽射の暖かさから襲ってきた眠気に身を任せる。すぐに眠りの中へと吸い込まれていった。




