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融合:表と裏が合わさるとき

 

 逆さまに落ちてゆく──。


 時間としてはほんのわずかなものだったに違いない。だが、奈美には底なしの穴に落ちているかのような感覚だった。

 見えるものと言ったら、真っ青な空しかない。落ちていく間の時間があまりにも長く感じられて、奈美はどうでもいいことを考えていた。


(ああ、今日は空がきれいなのね……)


 ぼうっとしながら見ていたので、その空が一瞬歪み、自分の傍を何かが通り過ぎたことに気付かなかった。何か違和感を覚えたちょうどその時、真っ逆さまに落ちる奈美の体の向きが百八十度変わり、空の代わりに地面が目の前に開ける。

 それを見た奈美は、今自分が絶体絶命の窮地に立たされていることを思い出した。


「ひっ……ひいぃぃぃぃぃ」


 もう奈美は叫ぶしかなかった。こうやって叫んでいる間にも、地面はどんどん近づいてくる──。


◇◇◇


 何かが聞こえて、しゃがみ込んでいたライカはハッと顔を上げた。

 空から何かが降ってくる──。目を凝らしてみると、どうやら人の形をしているようだ。


 ライカはその人間から、何か紐のようなものが伸びていることに気付いた。そして、その紐の先をたどると、なんと、自分の胸に──心臓のある部分だ──突き刺さっていることにも。


(……『命の鎖』……?)


 ライカの頭に、ふとシスイの言葉がよぎった。


(まさか──アレが?)


 シスイの言葉を信じるのも癪だが、もし本当にアレがシスイの「贈り物」ならば──ライカが「贈り物」を守らないと長生きできないのならば、アレを放っておくわけにはいかない。アレが生身の人間なら、このまま地面に激突すれば生きてはいられない。


「~~~~くそッッ!! ──テス!」


 ライカは後方の森に向かって、叫んだ。身を縮めて地揺れがおさまるのを待っていたテスは、ライカの声を聞いて、びくっとした。


「俺の上空に向かって風を放て!!」

「えっ……兄貴!?」


 突然のことに戸惑った様子のテスは、ライカが立つ場所の上方を見上げた。その目に映ったものを見て、テスはさらに素っ頓狂な声をあげた。


「あ、ありゃあ──人っすか!?」

「早く!!」

「は……はいっ!」


 ライカの言わんとすることを瞬時に察知したテスは、両手を前に突き出した。それと同時に手のひらから旋風が湧き起こり、上空めがけてグングン進んでいく。ついにその風が、真っ逆さまに落ちていく奈美に当たった。


「きゃあ!?」


 突然激しい風がぶつかったせいで、奈美の体が一度、空中で跳ね上がった。それまでは地面に対し垂直に落ちていたのが、今度は斜めの方向に落ちていく。落下速度も少し遅くなったようだ。

 しかし、この先に待ち受けることは変わらない。すぐ目の前はもう、茶色い地面だ。


「~~~~~~っっ!!」


 奈美は目を閉じた。どうせ死ぬなら、少しでも痛くないようにと祈りながら──。


 だが、いつまでも経っても痛い感覚はない。というよりも、地面にぶつかる衝撃を感じない。


「…………?」


 ──空を飛んでいる。恐る恐る目を開けてみた奈美がまず思ったのは、それだった。


 いや、空を飛んでいるのではない。地面に向かって緩やかに下降しているのだ。

 そして、さきほどまでのような切迫感がないのは、自分が誰かに抱きかかえられているからだと分かった。


 次の瞬間、トタンという軽快な音と共に奈美の体が揺れ、長く感じた浮遊感からようやく解放された。どうやら地面にぶつかって死ぬことなく、無事に着地できたようだ。──ここが天国でなければの話だが。


「あーにきーー」


 向こうから若い男の声がしたので、奈美はそちらの方を見た。──が、次の瞬間、地面に尻もちをついていた。自分を抱えていた誰かに、乱暴に降ろされたようだ。


「いったーー……もう、何なのよ!」

「命を助けてやったんだ。丁重な扱いを受けようだなど、厚かましいにも程がある」


 冷たい声がして、奈美はびくっとした。恐る恐る後ろを振り返ると、一人の男が立っている。

 丈の長い黒っぽい着物を身に付けていて、腰には剣──奈美にとっては、映画などでしか目に見たことがないものだ──をぶら下げている。かなりの長身のようで、男の顔を見るまでに奈美はかなり見上げなければならなかった。


 男は精悍な顔立ちをしていた。黒い長髪を後ろでぞんざいに結んでいる。男の顔を見て、奈美は思わず目を逸らした──鋭い目つきでこちらを見ていたからだ。奈美を品定めしているかのようでもあったが、日常生活で普通の生活をしていれば、普通はそのような目つきなどできない。そう思うくらい、異質なものだった。


(なに、この男……目つきがヤバいわ。恰好も普通じゃないし……犯罪者か何かかしら?)


 そう考えた奈美は、とりあえず大人しくしておこうと思った。様子を見て、隙あらば逃げ出すのだ。


(そうよ。コイツから離れてから、警察に電話して助けを求めればいいわ)


 両腕で抱えるようにして持っているカバンをちらりと見て、そう思った。カバンの中にスマホが入っているはずだ。崖から落ちている時も落とすことなくしっかり抱えていて良かった、と奈美はつくづく思った。

 それに、婚約指輪の入ったケース。寛人から受け取ってからずっと握りしめていたので、幸いなことに無事だ。こんな大事なものを落としては大変だし、この風貌怪しい男に目を付けられては面倒くさい。奈美は男に気付かれないように、さっと指輪のケースをカバンの中へと滑り込ませた。


 自分の足元で落ち着かない様子をしている人間を見て、ライカは眉をひそめた。髪の色に衣裳……見るからにこの国の人間ではない。


(奇妙な姿をしているな……女、か? 一体、何者なんだ?)


 空から降ってきたこの異様な女が、シスイの「贈り物」なのだろうか。今はすっかり消えてしまったが、先ほどは一本の「鎖」が確かに自分とこの女を繋いでた。シスイの言うことが真実ならば、この異様な女が「贈り物」であることに間違いはないだろう。


(シスイの野郎……面倒なモノをよこしやがって。女を与えれば俺が喜ぶとでも? しかもテムルとかいう厄介なものまで付けやがった!)


 ライカの心の中で、あの飄々ひょうひょうとした男を恨む気持ちが一層強くなる。過去の一件・・・・・を思うと、なおさらだ。

 怒りがふつふつとわいてきたが、ぶつける相手がいない今、ライカは大きく溜息をつくことで気持ちを抑えた。


(な、なに? 気味悪……)


 自分を見て溜息をついたライカに、奈美はますます疑いの目を向けた。


 その時、二人の男が駆け寄ってきた。一人は短髪に少し白髪が雑じっている中年の男で、もう一人はボサボサ頭に薄汚れた顔をした若い男だ。若い方が奈美を見て、驚いたように声を上げた。


「うわっ、本当に人間だったんすね!」


 その声を聞いて、先ほど聞いた声はこの男のものだと奈美は気付いた。そして、彼はまだ少年と呼ばれるほどの年頃だということも。薄汚れた風貌が本来の齢を分からなくさせていたのだ。

 その少年がじろじろと奈美を見てきたので、奈美は思わずのけぞった。


「それにしても、変わった奴っすね。見たことないころも着てるし、髪も紅いし……」


 少年が奈美の足先から躰、背中まで伸びた長い髪、最後に顔を見たところで、ボッと顔を赤らめた。


「ま、ま、まさか、コイツ……女っすか!? ……あ、やべ、鼻血が……」


 少年が鼻を押さえながら、奈美を避けるように後ろによろめいた。それを無視して、ライカが中年の男に聞いた。


「……シスイは?」

「既にこの場から消えたようですな。地揺れが起こった際、空に向かって飛び上がったところまでは確認できたのですが……申し訳ない」


 シスイの行動を追えなかった自分を責める男に、ライカはその背中を叩きながら言った。


「いや、あいつは神出鬼没だ。仕方がないさ」


 そうは言ったものの、シスイの行方が再び分からなくなってしまったことを思うと悔しくてたまらない。ライカは唇の端を噛みながら、奈美を睨んだ。


(残された手がかりは、この女だけ……ということか)


 ライカの視線があまりにも厳しすぎて、奈美の背筋に悪寒が走る。


(……やっぱりフツウじゃない。サイコ・・・だわ!)


 悪党に屈してはいけないと思った奈美は、泣き出したいのを必死に堪えながら目の前に立つ長身の男を睨み返した。


「とりあえず、ここにいても仕方ない。カンドルの窟に帰るぞ。テス、帰る間はおまえがこの女を見張っとけ」


 奈美の視線にはびくともせず、ライカはうずくまっている少年に声を掛けた。


「えぇっ!? オレがっすか!?」


 テスと呼ばれた少年が、驚いて顔を上げた。袖で鼻血を拭きながら、抗議する。


「で、でも、窟までオレの天力を使って帰るんすよね? だったら、見張り役はオレじゃなくて、ダンチョウさんに……」

「いや、歩いて帰る。こいつの正体が明らかになるまでは、むやみに俺たちの力を見せられないからな。ダンチョウは道案内をしてくれ」


 ライカの指示に、中年の男──ダンチョウは頷いた。その横で、テスががっくりと肩を落とした。


「うぅ……オレ、女は苦手っていっつも言ってるのに……」

「しかし、おぬし、いつもおなごの尻がどうとか脚がこうとか騒いでいるではないか」


 テスをからかいながら、ダンチョウが歩き始めた。その後にライカ、テスが続く。


「そりゃオレだって男っす! 女は大好きっすよ? だけど、実際に目の前にすると体が思うように動かねえし、何も考えられなくなっちまって……」

「まだまだ青いな、テスは」


 はっはっはとダンチョウが笑う。だが、ライカが手で「待て」と指示したので、ぴたりと足を止めた。


「ライカどの?」

「あれ、どうしたんすか。兄貴」


 危うくライカの背中に鼻をぶつけそうになりながら、テスがライカの顔を覗いた。ライカはテスの背後を見ている。


「おい、女」


 その冷たい声に、奈美はびくっと肩を震わせた。


「話は聞いてただろ。立て」


 奈美はそれでも立ち上がろうとしない。立ち上がろうにも、恐怖で足がすくんで立てないのだ。

 それでも動こうとしない奈美に痺れを切らしたようだ。ライカは奈美の目の前までつかつかと進むと、イライラとした様子で見下ろした。


「手間をかけさせるな。怯えているフリをしても無駄だぞ」

「そうかなぁ……オレには本当に怯えてるように見えるっすけど」


 ボソッと後ろで呟いたテスを、ライカは睨んだ。


「あのなあ……こいつはシスイが送り込んだ間者かんじゃかもしれないんだぞ? っつーか、女を歩かせるのも、見張り役のおまえの仕事だろ。この馬鹿!」

「いてっ!」


 ライカの拳骨をくらったテスが頭をさすりながら、渋々と奈美に近づいてきた。


「まあ、そういうワケだから、立ってくれないっすかねえ? アンタが歩いてくれないと、叱られるのオレなんすから……」

「──来ないで!」


 テスが近づいてくるのを見て、奈美はようやく声を上げた。今までも抵抗できるものなら抵抗したかったのだが、長身の男──ライカの鋭い目と氷のように冷たい声が、金縛りにあったように奈美を動けなくさせていた。

 だが、この年若い少年相手なら、声を荒げることだってできる。


「だーれが、ついていくもんですか! あんたたちみたいな怪しいカッコしたサイコパス集団に、ノコノコついていくと思う?」


 言いたいことを言い切ってスッキリした奈美だったが、そのすぐ後に自分がまずいことをしてしまったことにハッと気づいた。


(やば……逆上させちゃたら、逃げ出すチャンスもなくなっちゃうじゃない!)


 おそるおそる男たちの様子をうかがったが、少年のテスはぽかんと口を開けているだけだ。ライカとダンチョウも顔色を変えることなく、こちらを見ている。


「さい、こ……ぱ? 何言ってるかわかんねぇや……オレ、やっぱり阿呆あほうなんすかねぇ」

異国者いこくものの言うことだ、気にするな。ただ、分かったことが一つある。この女は俺たちに大人しく付いて来る気はないそうだ」


 再びライカの冷たい視線を感じて、奈美は身を固くした。が、声を出してから恐怖心が少しマシになったようだ。今度はライカに向かって言い返すことができた。


「そ、その通りよ! あんたたちのようなアブナイ連中についていく人なんている訳ないでしょ!」


 ライカが顔色一つ変えずに、じりじりと奈美に迫った。その近すぎる距離に戸惑いながらも、奈美は抵抗した。


「か……髪の毛一本でも触ったら、大声で叫んでやるから! そうしたら、人がやって来て、警察呼ばれて、あんたたちもそれでオシマイよ!」

「……こんな山奥に人がいるとは思えないがな」


 その時、金属がこすれるような音が響いた。

 奈美はしばらくして気付いた──自分の首に剣先が当たっていることに。

 首に当てられた剣が、肌にわずかに触れている。剣の当たる部分から血がにじみ、首筋に垂れるのを、奈美は感じた。──もちろん声など出せない。恐怖のせいでもあるし、少しでも動けば切れるのは皮だけでは済まないからだ。


(え……本物の剣だったの……?)


 腰に提げている剣を見たときは、単なるイミテーションだと思ったのだ。この日本で普通の生活をしていた奈美がそう思うのも無理はない。


「立て」


 ライカのたったその一言で、奈美はがむしゃらに立ち上がった。

 ──立たないと、殺される。本当にそう思ったからだ。


「──よし。おまえはただ、素直に従っていればいい。分かったな」


 そう言うと、ライカは奈美の首から剣を外し、鞘の中に収めた。それから奈美をテスに任せると、ダンチョウに先に進むよう指示した。

 一行が歩き始めて、奈美も一緒に歩かざるを得なかった。とにかく今は嫌でも従っておかないと、命が危ない。


 しばらくして、奈美のやや後ろについて歩いていたテスが、奈美の異変に気付いた。異国の女はとぼとぼ歩いていたのだが、様子がおかしいのだ。肩を震わせて、何やらうめいている。


「ううう~~……」


 テスが何かと思って奈美の顔をそっと覗くと、仰天した。奈美が目から涙をぽろぽろとこぼして泣いていたからだ。


「わっ、ちょっ……アンタ、なに泣いてんすか!」

「うえ~~~~」


 より激しくなった泣き声に戸惑うテスに、自分に与えられた仕事を全うせんと黙々と歩き続けるダンチョウ、そして後ろを振り返りもしないライカ。

 泣きじゃくりながら、この怪しげで冷酷な男たちに連れられて、自分は一体どうなるのだろうと奈美は思ったのだった。


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