主従の契り 義兄弟の契り
「お待ちしておりました、ライカさま。ささ、どうぞお入りください」
いつもの内官にいつものようににこやかに取り次ぎをしてもらうと、ライカは王の執務室に入った。
「よくいらっしゃいました、兄上」
「……あと何度、同じことを言わせるおつもりですか」
文書が山積みとなった机から駆け寄ってくる景王・タカイヌを見て、ライカは眉をひそめた。
「まあまあ、今日ぐらい、いいじゃないですか。“試し合い”の報告の場なんですから。ね?」
この男は何度このやりとりをさせれば気が済むのか。ライカは呆れたようにため息を吐くと、懐から折りたたまれた紙を取り出し、タカイヌに渡した。
「栖王から私宛ての文です。先日、カンナビ家の屋敷に届きましてね」
「良かった。彼女、本当に文を出してくれたんですね」
タカイヌはさらっと中身を見ると、ホッとため息を吐いた。
文には、栖ノ国は景王が提示した倭国統一を支持すること、そしてカンドル隊が王直属の部隊になれば頼りになることこの上ないといった内容が、女性らしい繊細な字で書かれている。
「実は栖ノ国に訪問した際、栖王にお願いしておいたんです。カンドル隊の隊長は疑い深いから、こうでもしないと僕が栖ノ国を口説き落としたと信じてくれないって」
「だからって栖王にこんなことまでさせて、王様は恥ずかしくないんですか?」
「栖王はやさしい人柄なんですよ。意地悪な兄上とは違って」
ニヤリと笑ったタカイヌにライカは少しだけムッとしたが、話を戻す。
「それにしても、何をしても動じない栖ノ国をどうやって口説き落としたんですか? 正直落とせないと思っていたので驚きです」
「はは、ちょっと将棋を指しただけですよ」
「……将棋?」
タカイヌはそれ以上話そうとしないが、無論、ただ戯れに将棋をしただけではないだろう。何があったのかは分からないが、あの難攻不落の栖王をあっけなく陥落させるとは、この男はやはり只者ではない。人を動かす力があるのだ。
──ライカ自身、動かされたように。
「この文を読んでもまだ信じられないと言うなら筆跡鑑定か……それか、兄上が栖王に文を出してみてください」
まだ疑われていると思ってタカイヌはそう言ったのだが、ライカはきっぱりと言い切った。
「その必要はありません」
タカイヌが偽の文を出す意味がないし、そもそもそんなせこい真似をする男ではない。それに、何より。
「栖を動かしたとなれば、倭国統一にも拍車がかかるでしょう。その雰囲気は我々カンドル隊が王様のお供をしていれば、すぐに気付くでしょうから」
「……えっ。つまり、それは──」
「及第です。あなたはカンドル隊が仕えるに値する王のようですね」
そう言うと、ライカはタカイヌに向かってひざまずいた。ライカが恭しく礼を尽くすのを見て、タカイヌは思わず胸が熱くなる。
「あの、僕、本当にうれしいです。兄上が僕に力を貸してくれるなんて──」
「お待ちください。王様の、カンドル隊に対する評価をまだ聞いていません」
「……そんなの、言うまでもないです」
タカイヌは微笑むと、顔を上げてサッと片手を上げた。
次の瞬間、上から一人の男が飛び降りてきた。ハンゾウだ。
「カンドル嫌いの彼がこの場に現れた事実……それが答えになるでしょう?」
「……なるほど。天井裏に鼠の気配を感じていましたが、本当に一匹潜んでいたのですね」
ライカが厭味たっぷりにそう言うと、いきり立ったハンゾウがライカに詰め寄った。
「貴様、相変わらず減らず口をたたきおって……! しかも上から聞いておれば、先ほどから王様に何たる無礼な態度……そこへなおれ! 切り捨ててくれるわ!」
「ほう、たかが鼠がこの俺を斬れると? ……ま、指先を齧るくらいならできるだろうが」
「きっ、貴──!」
その時、ライカとハンゾウの言い合いを見ていたタカイヌが、ニコニコと口を開いた。
「えーっ。お二人とも、いつの間にこんなに仲良くなったんですか? いいなあ……僕も混ぜてくださいよ」
『……仲良くなってないです!』
ライカとハンゾウが口を揃えてそう言った瞬間、部屋の片隅から吹き出す音が聞こえた。三人がそちらを振り向くと、内官が口を押えて何とか笑いを堪えていた。
「も、申し訳ありません……皆さま、仲がよろしくて良うございますね」
『…………』
ライカとハンゾウは一瞬視線を交わすと、揃ってタカイヌの前にひざまずいた。
「カンドル隊一同、王様の矛となり、盾となることをここに誓います」
「この『鼠』、不肖ながら王様の御耳目となり、その御手足の代わりとなって命を捧げます」
次々にそう述べると、タカイヌは二人を見下ろして、「王」の顔で微笑んだ。
「……ああ。頼りにしているぞ、私の忠実な臣下たちよ」
その光景はまさに、王と臣下たちの主従の契りだった。
その場面を目撃した内官は人知れず、この国の未来に明るさを感じていたのだった。
◇◇◇
「皆集まったか?」
カンドル隊の窟にある広間。その奥隅に立つライカが、横目で副隊長のカミトキに尋ねた。
「はっ。カンドル隊隊員26名、ここに」
カミトキが畏まって答えると、彼の後ろにずらりと並んだ隊員たちもライカに向かって畏まった。
この大人数、しかも屈強な男たちばかりが広間を埋め尽くしていると、息苦しさを感じるほどだ。だがそれもこれで最後だと思うと、ライカも寂しさを覚えないわけではない。
「もう知っている者もいるかもしれないが、この度、我が隊は景王の傘下に入ることとなった。五日後には長年住んだこの窟から空渡城へ、身を移す予定だ」
そのライカの一言に、隊員たちがざわめく。が、ライカの言葉が続くと、その場は再びしんと静まり返った。
「中には10年前のあの時のことを、いまだ一日も忘れたことのない者もいるだろう。俺もそうだった。──だが、俺はもう一度景王を信じる。王の剣と盾になり、この国と民を守りたいと思っている。そして、倭国統一を掲げるあの王に仕えていれば、シスイにつながる機会もまたあるだろう」
神妙な顔つきの隊員たちからは、ごくりと唾を呑む音だけが聞こえる。そんな彼らを見渡しながら、ライカは話の締めに入った。
「だが、おまえたちに無理強いはしない。王は違えど、いまだ景王たる存在を許せぬ者。シスイの脅威から逃れて穏やかに暮らしたい者。そんな思いを持つ者には、隊を抜けることを許可する。したがって、その者には──」
その時、隊員たちの声がライカの声を遮った。
「隊長! そんな奴、このカンドルには一人たりともいないに決まってるじゃないですか!」
「そうですよ! 俺らみーんな、隊長と心は一つです!!」
「なめられちゃ困りますって!」
数人の上げた声に、他の隊員たちも「そうだそうだ」と大声で賛同する。賛同の声を上げていない者は、誰一人いない。
その熱を背中に受けながら、カミトキはライカに静かに告げる。
「今日ばかりは、私もこの者たちと全く同意見です」
そしてニヤッと笑ったカミトキに、ライカは一瞬戸惑いの顔を浮かべたが、やがて俯き、ぼそっとつぶやいた。
「……今日ほどおまえたちを頼もしいと思ったことはない」
その呟きは誰にも聞かれることはなかったが、広間の最後列で見守っていたダンチョウだけはライカの心情が理解できた。
ライカは隊長として、そして一人の男として、不安を表に出すことはしない。だがダンチョウはその不安を、参謀役として傍に仕えてきたからこそ、ひしひしと感じ取っていた。
──今回の空渡城に戻る決意で、カンドル隊を離れる隊員が出てもおかしくはない。一度袂を分かった城に戻ること、そして敵いそうもないシスイを懲りもせず追い続けることに嫌気がさす隊員もいるだろうから。
ライカがそんなことを考えていたのもダンチョウはお見通しで、その上で今回の決意表明は自らの思いを正直に話したらどうかと進言したのだ。
もちろんダンチョウがそう言ったのは、確信があったからである。
(ライカどの。皆、あなたに──あなただからこそ、ついて行きたいと思うのです。何より私がそう思っておるのですから)
隊員たちの歓声もやがて静まっていく。ライカは顔を引き締めると、顔を上げた。本題はここからだ。
「──伝えておくことが、もう一つある。皆に謝らなければいけないことだ」
そこで言葉を切ると、ライカは広間の出口に待機していたテスに目配せをした。テスがそれに気付くと、横の扉の陰に向かって、こそっと声を掛ける。
「ナミの姉貴! 出番っすよ」
「うん……分かった」
──広場での集まりの半刻前のこと。
自分の部屋を訪れていたライカに、奈美は抗議していた。
「ホントにこの姿でみんなの前に出るの!?」
奈美はあらかじめライカから渡されていた着物に着替えていたのだが、それは女物の服だった。どうやら東菊から調達したらしい。
男の恰好をしている時は髪を隠すために頭に巻いていた布切れも、この女の姿ではおかしいので巻いていない。
「ああ」
「女の恰好を晒すの、今さら過ぎて逆に恥ずかしいんだけど……」
これまで隊員の前では、今まで着てきた男物の上衣に穿裳といった男性の出で立ちが当たり前になっていたのだ。紗覧を着た自分が窟にいることが不自然すぎて、奈美は落ち着かない。
そんな奈美の反応を見て、ライカは口を開いた。
「……女人の姿で皆の前に出るのは嫌でも、女人だったと明かすことには抵抗はないんだな」
「ん? ……まあね。だって悪いもの、あんなに気のいい奴らにずっとウソついてるの」
パンパンと紗覧に付いていた埃を叩き落とすと、奈美は顔を上げて尋ねた。
「あなただって、みんなにウソをつきたくなくなったから本当のことを言おうと思ったんでしょ?」
「それはそうだが……」
奈美と隊員たちの関係性は、性別に左右されない。そう思ったからこそライカは真実を明かそうと思ったのだが。
そもそも奈美に男だと偽らせたのは自分である。つまり、すべては自分に非があるのだ。
ライカが口を開きかけた瞬間、その口から謝罪の言葉が出てくると察知した奈美は、先手を打った。
「あ! 謝らないでよね!? あの時はあれで良かったのよ? 見知らぬ女が突然、男所帯に入り込むのは無理があったと思うし」
奈美はカラカラと笑いながらそう言うと、扉の方に目を遣った。
「女だってこと、ずっと隠し通すのもしんどいしね。良い機会だわ」
半刻前はこんなことを言っていた奈美だったが、すでに後悔し始めていた。
(あぁ……こんな姿で来るのはやっぱり間違いだったかも……)
広間に姿を現した瞬間のざわつく声。突き刺さる26人分の視線。
それらを一手に引き受けながら、脚にまとわりつく紗覧を半ば蹴り上げるようにして、何とか前方にいるライカのもとにたどり着く。
今すぐにでも逃げ出したいところだったが、そうすべきではないのは奈美自身分かっている。じっとライカの隣に立ち、背筋を伸ばすと、隊員たちの方を向いた。
奈美が顔を上げると、今まで騒がしかった声がしぃんと静まり返り、代わりに奈美を凝視する目に力が入るのが分かった。
「……俺はおまえたちを騙していた。この通り、ナミは男ではない。女人だ」
ライカがそう告げると、皆ハッと息を呑むのが奈美にもよく聞こえた。
(──ついに言ってしまった)
この窟に来てからというもの、女であることがいつかバレるのではないかと冷や冷やしていた時期もあったが、まさかこんな結末を迎えるとは──自ら明かすことになるとは、思いもしなかった。
気まずさで頭がどうにかなりそうだった奈美は、努めて笑顔を作ってこう言った。
「いやー、ごめん! 実はそうなんだよね」
この気まずさ満点の空気を打破すべく、明るくポップにと思った奈美だったが、すぐにそれは失敗だったと悟る。隊員たちは皆、目が点になっていたからだ。
頑張って作った笑顔もしぼみ、しゅんと肩を落として呟いた。
「……ごめん。そりゃ怒るよね……ウソついてたんだもん」
その時、俯いていた視界の先に一人の足が入り込む。奈美が顔を上げると、目の前にグクイラが立っていた。
「おまえさん、少し顔を貸せ」
「……え?」
奈美がポカンとしている間に、グクイラに腕を掴まれ、引っ張られる。そのまま広間を出ると、廊下に出た。
どこに連れていかれるのだろう。それに、他の隊員たちがぞろぞろと自分の後ろをついてきているのも気になる。
先の予想ができない状況に奈美が戸惑っていると、着いた先は奈美にとって窟で最もなじみ深い場所──食堂だった。
「おまえさんはここに座っとけ」
食堂に入るなり奈美を壁際に座らせると、グクイラをはじめ他の隊員たちがあれこれと動き始めた。
「おい、机と椅子は端に寄せておけ」
「酒は食料庫だっけ?」
「おーい、樽ごと持ってきたぞう。この人数なら酒瓶じゃ足りねーだろ?」
「なんでおまえ、鍋なんか持ってきたんだよ」
「ちょうどいい盃がなかったんだよ。別に酒が入りゃ何でもいいだろ」
「ま、確かに」
机と椅子を片付けて空いたスペースに、次々と隊員たちがひとつの円陣を組んで座り込んでいく。いつの間にか、奈美もその円陣の一部となっていて、近くには炊事場から持ってきた浅めの丸底鍋と酒樽が置かれている。
(え……なになに? 一体何なのこれ? お酒と……何で鍋?)
今から何が始まるのか、奈美にはこれっぽっちも分からない。だが、食堂の出口に立つライカの顔を見る限り、このまま座っておいても問題なさそうなのは分かる。
その時、右隣に座っていたグクイラが円陣を見渡して準備が整ったことを確認すると、口を開いた。
「久しぶりだな、野郎ども。何年ぶりだ?」
「あー、テスの時が最後だったから……結構経ってるな」
誰かが答えるのを聞きながら、グクイラは目の前の酒樽から鍋の中に酒をなみなみと注いでいく。
「──我らカンドルに集いし同志、血の繋がりは無くとも、義を結び、兄弟となる。カンドル隊が一員、グクイラ」
突然そう宣言したと思いきや、グクイラは鍋を片手で掴むと、ゴッゴッと豪快にその酒を飲んでいく。中々鍋を下ろさないグクイラに、他の隊員がぼやいた。
「グクイラぁ、まだ一人目だってのにそんなに飲むな! あと何人いると思ってんだ」
「がはは、別に構わないだろう。酒樽の中にはまだまだ酒が残ってるんだしな!」
「ったく……ほら、次に回せ!」
そう急かされ、グクイラは右隣に座るセトにその鍋を渡した。
「同じく、セト」
セトもグクイラ同様、鍋を持ちあげて、酒を飲む。そうして鍋を下ろし、さらに右隣の者に鍋を渡す。
そのようにして鍋はぐるっと隊員たちを回っていき、途中で何度か鍋の中の酒が切れたので、そのたびに酒樽から注ぎ足した。
もうすぐ一周回り終えるといったところでテスの番がきた。
「同じく、テスっす」
テスがグイっと酒を仰ぎ、鍋を置いたところで、出口付近に立つカミトキに気付いたセトが声を掛ける。
「副隊長は入らないんですか~?」
その声に乗っかるように、他の隊員たちもやいやいと催促する。だが、カミトキは中々輪に入ってこない。
そんな彼に、テスが一言。
「副隊長が飲んでくれないと、ナミの姉貴がこれ全部飲まなきゃいけなくなるっす」
「え……え!?」
テスの言葉に、奈美は思わず鍋を二度見する。注ぎ足されてきた鍋の中には、まだまだ酒が残っている。一気飲みするにはあまりにも多すぎる量の酒が。
「……そうだな」
ひとつため息を吐くと、カミトキはテスと奈美の間に座った。
「同じくカンドル隊が副隊長、カミトキ」
そう言うと、カミトキはぐいっと鍋を仰いだ。しばらくしてから、ほぼ空になった鍋を下ろすと、隊員たちが「いよっ! 副隊長、男前!」ともてはやす。
カミトキは口を拭いながら、隣の奈美に鍋を置いた。
「さあ、次はおまえだ。ナミ」
「えっ? えっ?」
(さあ、って言われても……)
これがただの飲み会ではないことは奈美にも分かる。最初にグクイラが何かの宣誓をしていたのを考えても、儀式的なものだと。
奈美が鍋の前でまごついていると、カミトキが説明してくれた。
「今、名乗りを上げた者たちと義兄弟の契りを交わす意思があるならば、その酒を飲み干せ」
「義兄弟の……契り? それって確か、男同士でするものなんじゃないの?」
奈美は余計に混乱した。父親がテレビドラマで時代劇をよく見ていたから何となく知っていたが、それは男と男が交わす約束のようなものだった気がする。
そこでグクイラが横から口を開いた。
「男だろうが女だろうが関係ないぞ。ま、家族になるってこったな」
「そうだぜ。別に俺たちの仲に男も女もねえだろ。おまえはただの大事な料理番なんだからよ」
「そもそもおまえが女ってもなんか怪しいしな。大食いだし、大口開けて笑うし、案外馬鹿力だし」
「ははは、まったくだ!」
口々にそう言う隊員たちを、奈美はジトッと睨む。
「……お言葉を返すようですけどね、そう言うあんたたちだって、遠くからでも臭うし、食べ方は汚いし、妓楼には入り浸ってるし、もう野蛮人そのものじゃないの!」
「お、言うな?」
隊員たちはニヤリとした。奈美に散々悪口を言われても、彼らの目は何かを待ちわびている。
(ホント、失礼なやつらなんだから)
奈美は息を一つ吐くと、鍋に視線を戻した。カミトキが大部分を飲んでくれたおかげで、奈美でも飲み干せそうな量の酒が静かに揺らめいている。
(──そうよ。義兄弟の契りなんてよくわからないもの、まともに取り合う必要ないわ。やることなすこと予想の斜め上いってるし、思考回路は脳筋だし……それに、バカなほどまっすぐで、あったかくて)
気付くと、奈美の手はいつの間にか鍋に伸びていた。片手では持ち上げられないことは分かっていたので、両手でしっかりと鍋を掴み、顔の高さまで持ち上げる。
「──あ、」
それでも鍋の重みに耐えられず、思わず落としそうになった鍋を支えたのは、両隣にいたカミトキとグクイラだった。
「持っているから飲め」
「ほら、一気にいけナミ」
そう促され鍋に口を付けると、奈美は最後の一滴まで飲み干した。
鍋がごとんと床の上に置かれると、奈美は皆に向かって啖呵を切った。
「この平原奈美、しょうがないからあんたたちの世話くらいしてあげるわよ。放っておいたらお腹空かせてるし、すぐに怪我するし!」
わっと歓声を上がる。
皆、奈美のもとに集まると、親しみを込めて肩や背中を叩き始めた。
「痛! 痛いって! あのね、誰もがあんたたちみたいに頑丈じゃないんだからね!? ちょっとは加減しなさいよ!」
そう怒る奈美を、隊員たちはわははと宥める。そんな彼らを、ライカは食堂の外から覗いていた。
「……入りたければ、ライカどのもあの中に入ればよろしかったのに」
「ダンチョウ」
ライカが振り返ると、そこにはダンチョウが立っていた。
「いい。俺が結びたいのは、別に義兄弟の契りではないからな」
「さようでしたな」
口元に笑みを浮かべながら頷くダンチョウを見て、今度はライカが口を開いた。
「そんな顔して、おまえこそ入れば良かったんじゃないのか? あいつらもおまえなら大歓迎だろう」
ダンチョウの顔にわずかな寂しさが混じっているのを、ライカは見逃さなかった。だからこそそう尋ねたのだが、ダンチョウは首を横に振った。
「いいえ。私にはその資格がありませぬ」
「資格? 天力を持っていないことか? そんなこと、あいつらは気にしていないだろう。天力にも勝るものをおまえは持っているだろう」
任務のたびにどんなにダンチョウの頭脳に助けられているか、隊員たちは理解しているはずだ。これまでカンドル隊が誰一人欠けることなく済んでいるのは、彼の功績であることも。
それでもダンチョウは頑なに首を振り続けた。食堂で笑い合う義兄弟たちを眩しそうに眺めながら。
◇◇◇
翌日、奈美はライカに連れられて、空渡城を訪れていた。
今日の登城の目的は、カンドル隊の今後の待遇に関する詳しい取り決めと、数日後に迫る移籍についての確認だ。王直属の隊になる準備は着々と進んでいた。
ライカが執務室に行っている間、奈美はいつものように吹き抜きの中庭で座って待っていた。
(演ノ国から帰ってきた途端、養生所でキギのお世話したり、みんなに女だって打ち明けたり、最近バタバタしてたからなぁ……こんなのんびりした気分、久しぶり)
庭園でさわさわと葉を揺らす木を眺めながら、奈美はぼうっとそんなことを思う。
そんな中でも気付いたことが一つ。
今日は何やら、城の中が慌ただしい。正門をくぐってからこの大殿に着く間もそうだったが、女官や官吏がせわしなく動いているのだ。
今も目の前の廊下を顔見知りの女官が小走りで行くのを見て、一瞬声を掛けようかと思ったが、やはりやめておいた。
(忙しいのに、邪魔しちゃ悪いもんね……)
そうしているうちに、執務室からライカが戻ってきた。
「待たせたな。窟に戻るぞ」
そう言うなり、ライカは廊下を歩き始めた。王への謁見が済めば帰るのは当然なのだが、最近タカイヌに会っていないことを思い出して、奈美はふと思う。
(そういえば、最近タカイヌさんに会ってないな……今日も庭園で会えるかと思ったんだけど)
タカイヌに母クロハを慰めてほしいと頼まれて以来、タカイヌには会っていない。
クロハのもとを訪問した後にタカイヌからお礼の手紙が届いたが、そこには溢れんばかりの感謝の言葉で埋め尽くされていた。奈美のおかげでクロハが元気を取り戻したこと、母と一緒に暮らすことになったこと、そして直接礼を言えないことに対する詫びについても触れていた。
奈美としてはそんな詫びは全く必要なかったが、もし会えればクロハの調子はどうか、聞きたい気持ちはあった。
(このお城の様子じゃタカイヌさん、きっとお仕事が忙しいのね。……でも、きっと大丈夫よね。親子一緒に暮らせるようになったんだし)
そういえばライカなら知っているかもしれないと思い、奈美は前を歩くライカに尋ねた。
「ねえ、今日のお城、いつもより騒がしくない? どうしてか知ってる?」
「……ああ、王太后が今日空渡城に戻られたからだろ」
「えぇ!」
事も無げな顔で答えたライカに、奈美は驚く。
この空渡城に暮らす王族は景王一人だけ、というのは奈美でも知っていた。詳細は分からないが、城の外で暮らしていた母后が再びこの城で王と共に暮らすことになったということだろう。だから先ほど見かけた女官も、心なしか嬉しそうな顔をしていたのだ。
(お母さんと一緒に暮らすことになったって……まるでタカイヌさんみたい)
そう思って、奈美はクスッと笑った。
景王とタカイヌが同一人物だと知って卒倒するまで、数日前のことだった。
ライカと奈美の入れ違いで大殿にやって来た者がいた。王太后クロハだ。
後ろに数人の女官を引き連れ、堂々と廊下を歩くその姿は、以前の威光を失ってはいない。すれ違いざまに深々と頭を下げる者たちには、その威厳はむしろ増したようにさえ感じた。
クロハが執務室に入ると、文書の山の間からタカイヌが顔を出した。
「母上」
「お仕事中にごめんなさい」
「いえ。僕こそ母上が城に戻られるという日に出迎えもせず、申し訳ありません。ご覧の通り、栖ノ国に出掛けていた間の政務が溜まっていまして……」
「あらまあ」
苦笑いを浮かべるタカイヌを見ても、きょとんとした顔をしているクロハを見ても、二人が気安い間柄なのは分かる。
「出迎えなんてそんな大層なこといいのよ。何といっても、これからはずっと傍にいられるのですからね」
「……母上が戻ってきてくださってうれしいです」
親子はしばし微笑み合う。
やがてクロハがゆっくりと床に膝をつくと、タカイヌに向かって頭を垂れた。それがタカイヌを困惑させる。
「母上……?」
「王様。長い間、あなたを傍でお支えもせず、一人僻土で其の日暮らしをしていた愚かな母をお許しください」
「母上、顔を上げてください。そういう堅苦しいの、母上も僕も苦手じゃないですか」
「いいえ。これは私なりのけじめなのです」
その一言に、タカイヌはそれ以上言うことはなかった。クロハは続ける。
「私がこの場所にいることで、足手まといとなることもあるかもしれません。ですが戻ってきた以上、このクロハ、力不足ではありますが誠心誠意、王様にお仕え致します。そして、目の届く所から見届けたいのです──あなたの為す政を」
最後の言葉に力を込めながら、クロハはタカイヌを見つめた。
もしヤワジ王の時のようになったなら──シスイに心を操られた結果、タカイヌが正道を踏み外すようになったら、その時はおのれが刺し違える役目を負おう。クロハはその覚悟を持ってここに戻ってきたのだ。
(二度とカンドル隊に、ライカ殿にその辛い役目を負わせてはいけない……決して)
クロハの考えを察したのか、タカイヌはわずかに頷くと、口を開いた。
「僕も重々用心していますが……──もしもの時は頼りにしていますよ、母上」
クロハは微笑むと、スッと立ち上がった。
「……さ、まじめな話はここまでにしましょ。そうそう、カンドル隊も近々ここに移ってくるのよね? うふふ、楽しみだわ。ナミさんと会える機会が増えるもの」
そう笑顔で喋るクロハは、「王太后」からすっかり「気のいいおばさん」の顔に戻っている。
「それはいいですけど……城に移り住めば、さすがのナミさんも僕と母上の正体に気付くでしょう。そうなればもう今までのようにはいかないと──」
楽しそうな母親の邪魔はしたくないが、現実を見ないといけない。タカイヌはやむを得ずこう言ったのだが、クロハはまだまだ夢の中にいるらしい。
「うーん……まだ誤魔化せるんじゃない? あなたのこと、城の下働きだと思っているのよね? なら、私も女中に扮して……」
「女官が縮こまって働けなくなるから止めてください!」
「え~、名案だと思うのに」
ぶつぶつと言うクロハを、タカイヌはじっと見る。
「そもそも母上、ナミさんには必要以上に近付かないでくださいよ? 兄上がいい顔しませんから」
「ライカさんが? なぜ?」
「それは……」
あの二人がどんな関係なのか、ライカの口からはまだ聞いていないが、ライカが奈美を想っていることは見ていれば明々白々だ。
そんな自分の愛する女人に横恋慕する男の母親が近付いてくれば、ライカは警戒するだろう。奪われるのではないかと疑って。
(ナミさんに対する僕の気持ちは誰にも言ってないけど……兄上はきっと、気付いてるよなあ……)
タカイヌは途切れた言葉の続きを言わなかったが、クロハはピンときたようだ。
(あらあら、まあまあ)
クロハは驚いた。タカイヌが奈美を女人として慕っていることに。玉座に居る限り、そんな感情は遠ざけると思っていたからだ。
だが驚くと同時に、嬉しかった。我が子が人を愛する気持ちを持ってくれたことが、素直に嬉しかったのだ。
だから母として、人を愛することを覚えたタカイヌを応援したかった。
とはいえ、あの二人──ライカと奈美を応援したいとも心から思う。クロハから見て、あれほどしっくりくる二人はいないのだ。
「困ったわね……どうしましょう」
タカイヌにも聞こえない声で呟くと、クロハは執務室の窓からぼんやりと外を眺めた。




