武力でなくても
「借りるぞ」
ライカはそばにいた私兵の腰に下げていた短剣をパッと奪うと、奈美の縄を切った。
「あ──」
ポカンとしている奈美の手を引きながら、走ってチガヤの後を追う。一緒についてきた小間使いの手引きもあって、目的の部屋の前でチガヤに追いつくことができた。
「──こんなことをしても無駄ですよ!」
チガヤに続いてライカたちが部屋に入ると、聞き覚えのある声が部屋の中に響いた。声の持ち主は家令だった。部屋の奥にはキギと同じ顔を持つスイがいて、手には灯火を持っている。家令がスイを説得しようと躍起になっているところだった。
「……旦那様!」
主人が来たことに気付いた家令は、慌てた様子でチガヤの傍にやってきた。その後ろに、自分を取り押さえて間者を逃がした男がいることに驚いた様子だったが、ひとまず事の経緯を説明した。
「申し訳ありません……一度逃してしまったあの者ですが、屋敷内に潜伏していたらしく、再び天井裏から入られてしまったようなのです。この部屋に侵入されたと気付いた時にはもう、この有様でして……」
この有様というのは、部屋一面の床に撒かれてた油のことだろう。中には、飾られている衣などにも油がかかっているのもあって、思わず奈美はため息が出た。
(あ~あ、もったいない……)
それはさておき、部屋の中の衣や装飾品は、乱雑ではなく、きちんと整理されて飾られている。部屋のどこにも油以外、埃ひとつ落ちておらず、チガヤのコレクションもこまめに手入れをされているようでピカピカだ。
(大事にされてるのね……)
チガヤの女装癖を裏付けるのがこの光景であるわけだが、奈美はそれ以上にチガヤのコレクションに対する愛とか尊敬を感じた。
「とりあえず、その火をこちらに寄越せ。話をしよう」
油の境目の向こうにいるスイに、チガヤが話しかけた。奈美が見る限り、チガヤはコレクションを人質に取られているのに、とても冷静だ。
それに対し、スイはチガヤをキッと睨み、叫んだ。
「言ったはずだ! 仲間を……姉を解放しろと! おまえたちと話すことなど何も無い!」
捕まっていた部屋から脱出した後、スイは屋敷の床下に隠れて外に出る機会を窺っていた。そのまま頭領の元に貴重な情報を届けたかったのだが、敷地内はどこも私兵がウロウロしていて、迂闊には動けなかったのだ。
(……キギはどうなったのかな。私が逃げる機会を作るために、私兵を攪乱してくれたんだよね……)
そんなことを考えていると、不安と孤独が胸に押し寄せてきた。じわっと目に熱いものが滲み出てくる。スイはそれを手でごしごしとこすった。
(いけない、弱気になったら。私がするべきことは、ハンゾウ様に手に入れた情報を届けること。ただそれだけ)
そんな時、外が騒がしくなったので、スイは耳を澄ました。どうやら、手こずりはしたものの、やっとのことで侵入者を捕まえたらしかった。
そう、キギは捕まってしまったのだ。スイは愕然とした。
今なら、私兵の大部分が捕まえた侵入者の方に集まっていて、逃走経路の警護は手薄だ。逃げるなら今しかない。
(そうよ、スイ。キギが作ってくれたこの機会を逃しては、絶対に駄目なんだから)
スイは床下から這い出ると、走り出す。塀の方ではなく、屋敷の中に向かって。
どうしても、自分の分身である姉を見殺しにはできなかったのだ。
「姉をここへ連れてこい! 私たちが窓から外に出るまで何もしないと約束するならば、私も火を放たない!」
スイは必死に叫ぶ。こんなことしかできない自分が情けなかった。自分にもっと力があったなら、こんな方法でなく、正面突破して姉を助けに行けたのに。
「…………」
チガヤは考え込んでいた。この部屋の大事な宝たちを無残に燃やされたくはない。かといって、間者を一人も残さず逃がしてしまえば、その目的が分からなくなってしまう。相手は演ノ国の敵国からの者かもしれないのに。近頃の奇怪な事件は、この者たちに関わりのあることかもしれないのだ。
(……一か八か、賭けてみるか)
油断を誘った隙に、女を捕らえる。その際に手元から灯火が落ちて、油に着火するかもしれないが、薬師の護衛がいる。この男が火を消し止めてくれると信じて──。
チガヤが足を半歩前に踏み出した瞬間、ボソッと呟いた言葉が静まり返った部屋に響いた。奈美だった。
「あのー……ここにある物燃やすの、やめない?」
「……は?」
突然の拍子抜け発言をした者に、一同、呆気にとられた様子で目を向ける。もちろん、そんな発言をしたのは奈美である。
「物に罪はないっていうか……こんな素敵なもの燃やしちゃうのは、もったいないな~って。スイさん──ですよね? 火は消しましょうよ」
奈美と視線が合ったスイは、訳の分からない提案に困惑している。
「な、なにを……」
「で、チガヤさんはキギさんとスイさんを解放してあげてください。そしたら、スイさんたちは将軍さまの秘密を誰にも喋っちゃだめですよ。……うん、これで丸く収まる」
「…………は?」
あまりのお気楽な思考に、一同はポカンと口を開けている。ライカは、こめかみを押さえてながら、深くため息を吐いた。
(……また妙なことを……)
やがて口を開いたのは、チガヤだった。奈美の提案に、冷静に反論する。
「そんな取り決め、この間者どもが従うわけがなかろう。解放したが最後、私を陥れるため、手に入れた情報は利用するに決まっている」
「う~~ん……ま、確かにその可能性はあります」
奈美はそこで言葉を切ると、チガヤの方を見た。
「でも、将軍さま、ご自分の立場に執着してないんじゃないですか? さっき、そういう風にお見受けしましたけど……違いましたか?」
その言葉に、チガヤの顔が固まった。図星のようだ。さらに気付いたことがあったのか、奈美は続ける。
「……むしろ、将軍のお仕事、辞めたいと思ってます? あ、それで女装家になりたいとか!」
「違う! 私は女装が趣味なのではなくて、女人の衣や装飾品を眺めるのが好きなのだ! 確かに身に着けることもあるが、着け心地や品質の良し悪しを確かめる為であって……」
チガヤがハッと我に返った時にはすでに遅かった。スイは目が点になっているし、事情を知っている家令と小間使いは「旦那様……」と深い溜息をついている。懸命に隠し通してきた秘密を、主人自身の口からこうもあっさりと暴露されるとは思いもしなかったようだ。
ただ、その中で、奈美だけが違う反応だった。女子会のようなテンションで喋り出す。
「分かる~! きれいなものや可愛いものっていいですよね! 見てるだけでうきうきするというか」
思えば、かつて寛人と温泉旅行に履いてきたのもお気に入りのブーツだった。これを絶対に手に入れるんだと思えば、きつい仕事も頑張れた。そんな愛するブーツも、この世界に来て窟に着く頃にはぼろぼろになってしまったが……。
今度は奈美が我に返る番だった。「すみません……」と縮こまると、チガヤが首を横に振った。
「いや。そなたは理解を示してくれるのだな。……だが、世のほとんどの人間は違う。特に、名家の主がいかがわしいことに興味があると分かれば、その先は身の破滅しかない。特に、軍の士気に関わる私の職では許されぬことなのだ」
だからこそ、女人の物を集めている事や身に着けている事が外部に漏れぬよう、屋敷の警護を厳しくした。会話の中でうっかりこの事を暴露してしまわぬよう、人付き合いも最低限にとどめた。普段身に着ける衣も黒一色にまとめ、女人の装いに興味があるなどと微塵も思わせぬよう努めた。
チガヤの沈んだ顔を見て、奈美はう~んと唸りながら言った。
「なら、今のお仕事辞めたらどうですか? で、服飾関係の商売を新しく始めるとか」
「簡単に言うな。将軍だぞ。しかもナナギタ家は優れた武将を輩出する名門……国の守護を放棄して、道楽と言われても仕方のないことに現を抜かせるわけがない」
「……国を守るのって、別に武力とかの力じゃなくても、できるんじゃないですか?」
「……なに?」
チガヤが理解できないといった表情をしているので、奈美は例え話をすることにした。
「えーと……例えば、素敵な服を見たらやる気が出ますよね。この服を買うために仕事を頑張るぞって。で、仕事を頑張ったらその人の国は豊かになりますよね? 豊かになるってことは国の力が強くなるってことで……。つまり、その素敵な服を作ったり売ったりした人だって、立派に国を守ってるってことです」
「──ハッ」
ライカが突然吹き出したので、奈美はムッとする。
「私が言ってることは間違ってないでしょ」
「確かに間違ってはないな」
ライカは同意したが、笑いを押し殺しているのは分かる。
(はいはい、どうせ私は甘ちゃんですよ)
ぶすっと不貞腐れた奈美だったが、ライカが思わず笑ってしまったのは奈美の考えがお気楽だったからではない。大国の一将軍に退任するよう、それはまじめな顔で勧めていたのが可笑しかったからである。地位も身分もあったものではない。
普通なら、いち薬師程度の人間がこんなことを言えば、激昂した珂族にその場で切り捨てられても文句は言えない。見ている感じでは、チガヤはそんな低能なことはしないだろうが、素直に受け入れることもないだろう。
(さて、将軍はどうでるか……。しがない薬師の声など、まともに受け取らないだろうが……この場をどう収める?)
ライカはチガヤを見た。チガヤは黙り込み、奈美の言葉を反芻しているようだった。やがて、ぼそっと呟いた。
「──簡単なことだ」
チガヤの眼はもう、生きているかも分からないような眼ではなかった。目から鱗が落ち、澄み切った眼になっていた。
「将軍でなくとも、国を守れる……。こんなにも簡単なことだったのに、私は何故気付かなかったのだ……」
それから、家令の方を向くと、言った。
「登城する。用意してくれ」
「い、今からですか?」
家令が驚いて尋ねると、チガヤは頷いた。
「将軍の座を辞するならば、王様に早くお伝えせねば」
それからチガヤは奈美の方を向くと、頭を下げた。
「礼を言う。そなたの言葉、深く胸に刻んだ」
「えらく突然ですけど、良いんですか?」
チガヤのあまりの決断の早さに、奈美も呆然としている。
「良いのだ。これまで将軍をやってこれたのは、ただ家の名を守るためで、ずっと己の心を裏切ってきた。私は、心の赴くままに生きよと、誰かに言ってほしかったのかもしれぬ。私を動かすその一言が。そなたがそれを言ったまでだ」
「……健闘を祈ります」
チガヤの晴れ晴れとした顔を見て、奈美は自然とその言葉が出た。団子屋で初めて見た時の彼は血の通わないような人間に思えたが、それは自分の心を殺して生きていたからだ。その時と比べると、まるで違う人間のようだ。
部屋を出て行く前に、チガヤはスイの方に向き直った。
「そういうわけで、お前は自由にしろ。このナナギタ・チガヤに女装癖があると好きに触れ回るがよい」
「…………!」
スイは信じられない展開に驚くばかりだった。『鼠』の狙いは演の智将の失脚だったが、手に入れた将軍の秘事を利用するまでもなく、それは叶ってしまった。
(……これまでの努力は一体……。いや、狙い通りになって良かったんだけど……)
そう思うと、張り詰めていた緊張が一気に解けた。それがいけなかった。
「あっ──」
気が付いた時には、スイの手から滑り落ちた灯火が、床に落ちていた。途端に、床に撒いていた油に着火する。瞬く間に勢いを増して燃え広がった炎が、傍に飾ってあった衣や装飾品に襲い掛かる。スイの衣の裾にも燃え移り、それに気付いた奈美が叫んだ。
「スイさん……! 大変、早く消さなきゃ!!」
どこかに水はないものかと奈美が探そうと動き始めたその時、ライカが前に出た。
その場の皆が、ライカに注目した。ライカは右手を前に突き出し、開いていた手を、見えない何かをぐぐぐと掴むように動かす。
その炎を掌握したのか、突然その手をグッと握ると、燃え広がった炎は一瞬にして消えた。
部屋中の炎もスイの衣に付いた火もすべて。残るもののは煙だけだった。
一同が唖然としていると、ライカがくるりと振り返った。俺を連れてきて良かったろう、とでも言っているかのような不敵な笑みを浮かべている。
「た、助かった……礼を言──」
「礼の言葉は要らん」
ようやく言葉を絞り出したチガヤを、ライカが遮った。
「代わりに欲しいものがある。褒美にそれを賜われるか、将軍?」




