二人の恩人
時は少し遡る。
約束通り呉服屋で将軍と落ち合ったキギは、今は都の片隅にある東屋に落ち着いていた。将軍家の使用人に呼び来られては困るので、場所を移したのだ。決して屋敷に潜入中のスイの邪魔はさせはしない。
「──それでは、景ノ国で仕入れたのか」
「はい。景の東部地方の、有名な染め出し職人の作品ですわ」
「なるほど……道理で見たことのない色づきをしている」
チガヤがまじまじと見ているのは、キギの紗覧である。
(フン、男を手玉に取るのなんか楽勝ね)
キギははじめ、そう思っていた。目を見張る美しさと巧みな話術を以てすれば、どんな男でも自分の虜になるのだと。
だが、しばらく話しているうちに、あることに気付いた。この男の興味を引かせたのは、自分ではなく、自分の身に着けている物なのではないかと。
その証拠に、話し始めてからずっと、チガヤはキギの身にまとう着物や装飾品の話しかしていない。はじめは照れ隠しか、はたまた女人に不慣れでそうなのかと思った。だが、興奮した様子で、しかも息をつかせないほどの速さでキギを質問攻めにするチガヤを見て、考えを改めたのだ。
(この男、『聞きたいことがある』ってスイに声をかけたみたいだけど、もしかして着物とか装飾品のこと……!?)
キギはすまし顔のまま内心では愕然としていると、チガヤは粗方質問し尽して満足したのか、息を吐いた。
「……貴女は本当に流行りの装いにお詳しい。それも、景や演だけでなく、倭国中の装いに。団子屋で初めてお会いした時から思っていたが、見かけるたびに素敵な召し物ばかりを身に着けている」
チガヤは感心した様子で、キギを見る。その目は恍惚としているが、女人を恋い慕うというよりも、尊敬といった雰囲気だ。
(まーね! あんたの気を引くため、津々浦々から名品を取り寄せたもの!)
結果的に気を引きはしたが、何か違う……。キギが複雑な心境でいると、チガヤが思い出したように口を開いた。
「そうだ、貴女にぜひ見て頂きたい簪があるのだ。以前市場で手に入れたのはいいが、どこで作られたのか売り手の商人にも分からず、困っていたのだ。それはいい簪でな……貴女ならその簪を作った職人が分かるかもしれない。今から屋敷に取りに戻るので、ここで待っていてくれないだろうか。すぐに戻るから!」
「え……⁉ ちょっ……」
キギが止める間もなく、チガヤは東屋を出て行ってしまった。
(まずい……! 今、屋敷に戻られたら……!)
即座にキギも東屋を出て、チガヤを引き止めに後を追った。だが、さすがは将軍だけある。チガヤの足は速く、すでに彼の姿はなかった。
キギは走りにくい紗覧で、必死に都を駆けた。こうしてチガヤに追いついた時、彼はすでに屋敷に入っていった後だった。
(屋敷には今、スイが……!)
先ほどまで会っていた女が屋敷にいるのは、かなりまずい状況である。言い繕おうにもスイはこちらの状況を知らない上、家探ししているところを鉢合わせしたら最悪だ。「団子屋での女人」がただの女人ではなく間者だと知れれば、拷問、最悪その場で切り捨てられるだろう。
(とにかくすぐに助けに……!)
たった一人で私兵だらけの屋敷に乗り込むなんて虎穴に入るようなものだが、のんびり待ってなんかいられない。同じ血を分けたの妹を見捨てることはできない。自分たち双子は二人で一人、どちらが欠けてもいけないのだ。
だがそれ以上に、尊敬する頭領に任された任務の方が、あの聖君の臣下として大義を果たす方が、もっと大事だ。
屋敷に乗り込もうとキギが物陰から出ようとしたその時、将軍家に三人の男が入っていくのが見えた。
(……あれは……あの時の、薬師?)
チガヤの家令が二人の男を連れている。一人は、団子屋で図らずも作戦の邪魔をされたあの薬師だ。もう一人の覆面の男も団子屋で見覚えがある。おそらく薬師の所属する商団の護衛だろう。
(……そうか。スイの仮病に慌てた家令が、街薬師を呼びに行ったもののつかまらず、偶々あいつを見かけて頼んだのか)
彼らが屋敷に入って、状況が変わるかは分からない。だが、キギはしばらく見守ることにした。自分が屋敷に乗り込む即ち、自分たちが双子の間者であることをバラすことになる。スイを助けに入るのは最後の手段だ。
待っている間は、時の流れが永遠のように感じた。だが、しばらく経って、事態はようやく動いた。
険しい顔のチガヤが屋敷の中から出てきて、敷地内にいる私兵たちに何やら指示を出している……。よくない方向に事態が動いているのだとキギは察した。
(まさか、あの薬師……団子屋の時と別人だって気付いたんじゃないか!? それでそのことを将軍にバラしたのだとしたら……。団子屋も、今日も、邪魔しやがって……! 許さない、絶対に!!)
とにかく、最後の手段に移るべき時だ。
キギは変装を解き、忍装束に戻ると、懐から得物を取り出した。そして、将軍の屋敷へと駆けていった──。
◇◇◇
目を覚ましたキギが最初に見たのは、格子窓から差し込む光だった。
「……うぅ……」
重い体を起こしながら、周りを確認する。暗くて狭い部屋で、物が雑多に置かれている。土間床だから、ここは屋敷の敷地内に建つ物置小屋なのだろう。
(あの野郎……思いっ切りやってくれたわね)
チガヤに背後から斬られたところまでは覚えている。背中が激しく痛む。傷を確認したいが、縄抜けできないほど厳重に両手を縛られていて無理だ。
「あ……目が覚めた? 気分はどう?」
キギはハッとして声がした方を見ると、そこにはあの薬師が座っていた。そのすぐ隣には、護衛の男も。二人とも自分と同じく、両手を縛られている。
「おまえは……!」
(こいつさえいなければ……。女みたいな顔でのほほんとしやがって!)
キギの頭にカッと血が上ったが、その様子に薬師は気付いていない。
「あ、私の顔に見覚えある? ってことは、やっぱり団子屋で会った方の子だね~」
(やっぱり、双子だと気付かれている)
キギが敵意むき出しの目で睨んでいると、薬師は心配そうな顔でポツリと呟いた。
「あなたは捕まっちゃったけど……もう一人の子は無事に逃げられたかなぁ」
「……ま、屋敷の方から騒がしい様子は聞こえないから大丈夫だろ」
薬師とその護衛のやり取りを聞いて、キギは愕然とした。
「どういうこと? あんたたち、スイがどうなったか知ってるの? スイは無事なの!?」
キギのただならぬ様子に目をぱちくりとさせると、薬師はこれまでの経緯を説明した。説明を終えると、薬師──奈美はふうと息を吐いた。
「やっぱり、あなたたちはスパ……じゃなくて、間者だったのね。仮病使ってたのは聞き捨てならないけど、まあ、病気じゃないならよかった。団子屋であなたのひどい顔色見たときは重い病気だと思って緊張しちゃたわよ……ん?」
奈美がふと気付くと、キギがよろけながらも体を二つに折り、頭を床につけるところだった。
「妹を助けてくださり……ありがとうございます。恩人に対するこれまでの不躾な態度、どうかお許しください」
「あっ!? そんなのいいから! 傷に障るから動いちゃだめよ! 幸い傷は浅かったけど……」
「え?」
キギがきょとんとした顔を上げると、奈美がぺろっと舌を見せた。
「あ……ごめんね。勝手に傷の手当て、しちゃった」
スイを逃がしたあと、今度は奈美とライカが取り押さえられる番だった。もちろん、間者の逃亡の手助けをした為だ(実際に手助けしたのはライカだったが)。ライカはやけに大人しく捕まっているので、きっと何か考えがあるのだろうと踏み、奈美もこうして大人しく捕まっているのだった。
屋敷の外の小屋に連れていかれ、両手を縄で縛られようとした時、奈美は見つけた。小屋の中に負傷した女が横たわっているのを。それで、けが人を放ってはおけない奈美がチガヤに「先に女の手当てをしていいか」と申し出たのだ。
チガヤも、まだ死なれては困ると思ったのか、間者の手当てを許可した。奈美が手当てを済ますと、速やかに縄で縛られ、今に至る。
「何から何まで……。本当に、なんとお礼を申し上げればよいか……」
キギがそう言うと、意を決したような顔で奈美を見た。
「詳しくは申し上げられませんが……私は、とある尊いお方にお仕えしているキギと申します。此度は大義のため、演の将軍ナナギタ・チガヤのことを調べていました。妹のスイが将軍の秘事を掴んだとあらば、彼女は迷わず報告に向かったはず……つまり、仲間が助けに来るとは考えにくい状況なのです。私があなた方をお助けしたいところなのですが……どうやら私一人の力ではできそうにもない。そんな無力な自分に……腹が立ちます」
キギは歯痒そうにつぶやいた。「鼠」の中でも、自分たち双子は最年少の未熟者だ。そんな者を他の仲間を危険にさらしてまで助けに来ることを頭領が許すわけがない。
「そ、そんな思いつめなくてもいいんじゃない? しばらくしたら解放してくれるわよ、きっと」
奈美が明るい顔で励ましたが、キギはバッサリと言い切った。
「将軍は私たちを生かしてはおかないでしょう。彼の秘事を暴いてしまったのだから」
「……あらぁ……」
──たかが女装癖、されど女装癖。奈美が居た現代日本では様々な性的嗜好に対してようやく寛容な風潮になってきたところだが、この世界では男性が女の恰好をするというのは致命的な欠点なのだろう。
奈美の笑顔が凍ったところで、後ろから一言。
「……それは無いだろう。少なくとも俺たちに関しては、な」
ライカの言葉に、奈美は「えっ」と声を上げた。
「何でわかるの?」
「あれは智将だ。私情で動いて国損になるような真似はしないだろう。それに、相対して分かったが……あの男から殺気というものが感じられない」
「? そんなものかな……」
奈美が首をひねっていると、ライカが壁に背をもたせ掛けて言った。
「ま、なるようになるだろ。あとは気楽に待て」
そして、ライカは目を閉じた。
奈美はそれを見て、何となくホッとした。両手は縄で縛られ、武器も取り上げられ、為す術もない状況だが、ライカは至って平然としている。だから大丈夫なのだ。
自分も少し休もうと奈美が横になろうとしたその時、小屋の扉の方がガタガタと揺れた。そして扉が開き、差し込んだ光がまぶしくて、奈美は目を細めた。
「薬師と、その付き人」
入ってきたのは、チガヤ将軍だった。後ろに控えている数人の私兵は、小屋の見張り番だろう。
「身上札を検めた。お前たち、景ノ国の者なのだな?」
「え……はい」
「景の商団の者であれば、釈放する。今、景ノ国を刺激したくはないからな」
それを聞いて、奈美はあることを思い出した。そういえば、宿で隊員たちが演ノ国の現状を話していた内容だ。近頃、馬襲撃や鉱山事故などの度重なる事件で、演の軍事力と資源力が低下しているのだと。
(つまり……景の民を勝手に殺したりしたら問題になる。だから国力が落ちている今は、大国の景に喧嘩を売りたくないってこと)
先ほどライカが言っていたのは、このことだったのだ。偽物の身上札に(奈美のは元々偽物の上の偽物になるが)、上手く騙されてくれたようだ。
感心していた奈美だったが、同じ囚われの身にもう一人いることを思い出した。
(あ……でも、あの女の子は……)
ちらっとキギの方を見ると、彼女は微笑んでいた。恩人を死なせることにならなくてよかったという、安堵の笑みだ。
奈美はそれを見て思った。自分たちだけ釈放されていいものか。奈美はチガヤに恐る恐る訊ねた。
「ええと、あの~……でも、いいんですか? 私たち、あなたの秘密を知ってしまったんですよ? 自分の秘密を知る人間を外に出したら、世間に秘密が漏れる可能性もありますよ? ──いえ、秘密を漏らそうだとかは全然思ってないですけどね!? あくまで可能性の話ですから!」
奈美のその発言に、ライカが呆れた顔をした。素直に釈放を受け入れとけばいいものを、また仲間でも何でもない人間をかばおうと考えているな、とでも思っている顔だ。
「……もしそうなれば、それまでだ」
そう言ったチガヤは、どこか憂いを含んだ顔をしている。それを見て、奈美はふと思った。
(……あれ? この人、“冷血将軍”ってあだ名がつけられてるみたいだけど……そうでもないんじゃない?)
「……とにかく、お前たちの縄を切る。──おい」
チガヤは外の見張り番の一人に縄を切るよう指示したところで、異変が起こった。
「──さま! 旦那さま、おられますか!」
一人の小間使いらしき中年の女が、小屋の中に駆け込んできた。
「どうした」
「た、大変でございます! 例の間者がまだ屋敷の中に残っていたようで……旦那さまのあのお部屋にまた忍び込み、油を撒いているのです!『捕らえられた仲間を解放しなければ、火を放つ』と!」
「何だと……!」
チガヤは顔色を変えて叫んだ。あの部屋に保管している衣や装飾品は、何年もかけて集めた逸品ばかりだ。決して消し炭にされてはならない宝の山なのだ。
(スイ……! なぜ逃げなかったの……!)
スイが任務遂行より自分を助ける方を選んだと知って、キギは複雑な心境だった。もちろん、スイが助けに来てくれて嬉しい。嬉しいが、任務はどうなるのだ。このままでは最悪、二人とも捕らえられてしまう。
キギが内心ではひどく困惑しているとは誰も知らず、小間使いがチガヤに指示を仰いだ。
「ど、どういたしましょうか?」
「……とりあえず、私が行く」
チガヤが小屋を出て行こうとしたその時。
「俺を連れていけ」
その場の全員がライカに注目すると、皆、息を呑んだ。なぜなら、彼の両手を縛るその縄に炎がついていたからだ。炎がじりじりと縄を舐める。みるみるうちに縄は炭となり、ぽろぽろと地面に落ちていった。
「え……? 火……?」
キギは目を見張った。この小屋のどこにも松明や灯火などの火の元はなかった。なのに、独りでに火が付いた……。それも、正確に操られたかのような炎だった。それを証拠に、護衛の手首も袖口も、ひとつも焼け焦げることなく、縄が焼き切れた瞬間に消えていった。
(あれはまるで……ハンゾウ様が昔、おっしゃっていたカンドル隊の──)
この男は、ただの商団の護衛なんかじゃない。キギがライカの正体に気付き始めた時、チガヤもその存在を知っていることに気付いた。
(聞いたことがある。景ノ国には昔、少数ながらも倭国最強と謳われた武人の集団がいたと……。そして彼らはそれぞれ、天力なる人離れした術を持っていたと。その武人集団をまとめる将軍が王を弑逆した時に、世から消えたと思っていたが……この男はその生き残りというわけか)
敵国の、しかも将軍である自分相手に、この男が一体何を企んでいるのかは分からない。だが、本当に火を操ることができるなら、今この状況において、喉から手が出るほどにその能力を借りたい。その結果、地位権力を捨てることになっても。
「……ついてこい」
それだけ言うと、チガヤは踵を返して、屋敷に向かった。




