鼠の足音
舞耀に来て初めての夜を宿で明かし、次の日、奈美はライカと二人、人でにぎわう大通りを歩いていた。
カンドル隊は帰りの警護まで特にすることがないと思いきや、『鼠』の頭領ハンゾウの足取りを掴むべく、商団の馬の見張りを数人宿に残し、隊員たちは情報収集のため街へ出て行ったのだった。隊員たちのがっかりした顔は見られなかったので、彼らは来る前から知っていたらしい。
「でも、本当にいいの? あなたたちは仕事してるのに、私一人都見物だなんて」
「構わない。その方が俺も怪しまれずに動ける」
「ならいいけど……」
そこで奈美はちらっとライカを振り返った。ライカは都に入ってから、外套を頭から羽織り、布で口元を隠している。
「どうして顔を隠してるの? 余計に怪しまれない?」
「偽の身上札で入国している身としては、慎重にいきたい。俺の顔を知る奴がいないとも限らないからな」
(それって、昔この人がお城にいた時の知り合いとか?)
景王直属の部隊の人間だったなら、国外の人間に顔を知られていることもあるだろう。なるほどね、と奈美が納得していると、美味しそうなにおいが鼻に飛び込んできた。
この大通りには露店が数多く立ち並んでいるのだが、食べ物を売る店も結構多い。どれも食欲をそそられて、見た目にも楽しい。目を輝かせてきょろきょろとしている奈美を見て、ライカが小さく笑った。
露店のひとつのおやじが、たっぷり油の入った大鍋で何かを揚げている。それを指して、ライカが言った。
「揚げ饅頭だな。食べてみるか? うまいぞ」
「えっ、いいの?」
ライカが揚げ饅頭を二つ買ってくると、ひとつを奈美に渡した。奈美はそれをハフハフと頬張る。
「ん~~~~すっごい肉汁! 美味しい! これ、肉まんに似てるかも。肉まんを揚げたらこんな感じなのねえ……え? なに?」
じっと見てくるライカに気付いて、奈美が顔を上げた。ライカが笑いを堪えながら答える。
「いや、いい食いっぷりだなと」
「な、なによ。美味しいものは美味しくいただかないと失礼じゃない」
「そうだな」
くっくと笑いながら、ライカも揚げ饅頭を頬張った。まさか年頃の女人と、人の行き交う道端で揚げ饅頭を頬張る日が来るとは。買い食いをするのは男か子供で、年頃の女人なんかは恥ずかしがって普通しない。いま奈美は男の恰好をしているので、傍目には何もおかしくはないのだが。
(ま、こいつは女人の恰好をしてても食いそうだが)
ライカがニヤリと笑っていると、すでに食べ終えた奈美が次の露店に目をつけていた。
「ねえねえ! あれは何ていう食べ物なの?」
「ああ、あれはあん巻きだな。向こうのは牛串、その隣は蕎麦蒸しだな。どれも演ノ国の名物だ。食べとくか?」
ライカが説明していると、奈美は感心した様子でため息をついた。
「へー、景ノ国生まれのくせに演ノ国の料理に詳しいのね?」
「俺は演ノ国生まれだ」
その一言に、奈美はきょとんとした。
「え……この国で生まれたの? でも、あなた、景の珂族だって──」
「養子だった。拾われたんだ、ひとつの頃に」
ライカが今どんな表情をしているか、顔を隠していてよく分からない。だが、その優し気な目元から、微笑んでいるように奈美には見えた。
「……育てのご両親、良い人だったみたいね?」
「養父だけだったがな。……格好いい親父だった」
奈美は目をぱちくりとさせた。この男が素直に誰かを褒めるとは珍しいではないか。奈美も自然と顔がほころんで、つぶやいた。
「ふうん……いつかあなたのお父さんの話、聞いてみたいな」
今度はライカの方が目を見開かせた。そして口を開こうとした時──。
「こっちこっち! 早くしねえと終わっちまうよ!」
大きな声が背後から降ってきて、ライカも奈美もぴたっと固まる。見ると、十人ほどの子どもたちがわいわいと大通りを駆け抜けていく。
「ま、まってよう!」
その中の小さい男の子が一人、人の壁に阻まれて、他の子どもたちに置いて行かれてしまった。独りぼっちになってしまった彼は、半べそをかきながら、きょろきょろと仲間の姿を探している。
「大丈夫? 置いていかれちゃったの?」
奈美がすかさず駆け寄って声を掛ける。男の子はオドオドしていたが、やがて小さく頷いた。
「うん……」
「みんながどこに行ったのか知ってる?」
「ううん……。でも、ハヤジにいちゃんが、今みやこに、きょくげいしがきてるっておしえてくれたから、みんなで見にいくところだったんだ」
「きょくげいし……あ、“曲芸師”?」
「そうだよ! つなわたりしながらくるってまわったり、刀をくるくるふりまわしたり、すごいんだよ!」
男の子が懸命に説明するその姿だけで、その曲芸師がいかに観る者を熱狂させているかがわかる。奈美はポツリと呟く。
「へー……私も見てみたいなあ……」
突然、ライカが男の子を抱え上げると、肩車をした。
「これでよく見えるだろ。曲芸師を見つけたら教えてくれ」
「う、うんっ!」
確かに人で溢れかえっているこの大通りでは、むやみに探し回るより、この方が手っ取り早い。しかし奈美にとって、ライカのこの行動は良い意味で驚いた。
(子どもに優しくすることもあるんだ……)
奈美はこっそりライカのことを見直したが、自分の発言が発端になったことなど微塵も気付いていない。
「あ! あそこ!」
しばらく都の中をぶらぶらしていると、ライカの頭上で男の子が遠くを指さしながら叫んだ。
「きょくげいしだっ! はやくはやくっ、おじさん!」
「分かってる。そう急かすな」
ライカは苦笑いをしながらも、指示された場所へと急ぐ。曲芸師のいる場所に近付くにつれ、人の込み具合が激しくなってきた。人を押しのけて何とかたどり着くと、ライカの肩から降ろされた男の子が、叫びながら駆けていく。
「ハヤジにいちゃーん!」
その声に、子どもの集団の中の一人が気付き、「あっ」と声を上げた。
「おまえ……途中ではぐれたかと思って心配してたんだぞ! このやろ!」
ハヤジという名の男の子にぐにぐにとほっぺたをつねられているが、男の子は嬉しそうに笑っている。
「ごめんね……でも、このおじさんとおねえちゃんがつれてきてくれたんだ!」
そこで男の子はライカと奈美を紹介した。男の恰好をしている奈美だが、子どもの目はごまかせないらしい。
(女ってバレてるけど、ま、いっか。それよりもこの人が“おじさん”って呼ばれてるのが……)
奈美が笑いを堪えていると、ハヤジが深々と頭を下げる。いかにも悪ガキそうなハヤジだが、「どうもありがとうございました」と大きな声で礼を言った。それから少し考えて、奈美とライカに手招きをした。
「お礼にならないかもだけど……おじさんたちも見ていけよ! ここ特等席だから!」
「えっ? でも……」
嬉しいお誘いではあるが、彼らが取った場所であるし、後ろにいる人たちにも申し訳ない。奈美が断ろうとすると、ハヤジが奈美の手を取って引っ張った。
「いいんだよ! ほらほら」
「あ、ちょっと……」
後ろからライカもぐいぐいと背中を押してくる。周囲にぺこぺこと頭を下げながら、なんだかんだで「特等席」に来てしまった。
(わ……本当にいい場所じゃない)
ハヤジに連れて来られた場所は、一番前の列だった。曲芸師がすぐ目の前で、迫力満点だ。申し訳ない気持ちはあるが、せっかくではあるので、奈美はしゃがんだまま見させてもらうことにした。ライカも隣でできるだけ身を小さくしながら見ている。
「──そこで龍は申したっ!『我らと共に参ろうぞ』と!」
男の語り手が大仰にそう講ずるのに合わせて、龍の被り物をした演者がひらりひらりと剣舞をする。語り手のそばには、語りの調子に合わせて太鼓を叩く者も一人いる。
(わあ……ミュージカルみたい)
曲芸師たちの劇に、奈美は一気に引き込まれた。何と言っても、全部で十人ほどの演者たちの動きが、とても美しい。それぞれ別の生き物に扮した演者は皆、剣や槍などの武具を身に着けているが、体の一部のように華麗に操るのだ。
ただ、話はだいぶ進んでいるようだ。話の筋を理解するのに手間取っている奈美に気付いたハヤジが、隣から助け船を出してやった。
「倭国に暮らすいろんな生き物たちの話だよ。互いに仲が悪かったんだけどさ、少しずつ団結して、強大な鬼に立ち向かうって話なんだぜ。今はな、団結しようって呼びかけても頑なに応じなかった虎が、ようやく仲間になった、って場面だ。ちなみに、みんな手を取り合おうって呼びかけたのが、あの龍な。ま、大将みたいなもんだな」
「へえ……仲間にするのは虎で最後なの?」
「そうだよ。他にも手こずった仲間はいるけど、虎は一番強敵だったね」
「じゃあ、次は鬼退治ね?」
わくわくしながら、奈美は訊ねた。鬼退治とは、何だか桃太郎みたいな話だ。
「そ! でも今日はここらで終いじゃねえかな。虎の仲間入りっつう見せ場もあったし」
「えっ、この劇、続き物なの?」
「うん。ひと月前ほどから曲芸師たち、たま~にどっからかポッと現れて、こうやって突然劇を始めるんだ。今日は六回目の劇だよ。全八回らしいから、もう終盤だね」
一週間しか舞耀に滞在しない自分が、残りの二回分を観ることは無理そうだ。「ま、仕方ないか」と奈美が思っていると、ハヤジの話を聞いていたライカが突然、口を開いた。
「……その生き物の種類は55、か?」
ハヤジは驚いて、ライカを見た。まさにその通りだったらしい。
「おじさん、観たことあるの?」
「いや」
(……観なくても想像はつく)
ライカはハヤジ少年からこの劇の物語のあらすじを聞いて、あることを思い出した──そう、『倭国統一』を。
タカイヌ王が目指す倭国統一は、ばらばらになった倭国じゅうの国々をひとつにまとめ、大陸の脅威に抗うためのもの。「仲の悪かった生き物たちが力を合わせ、強大な力に立ち向かう」という物語は、まさに倭国統一を表しているのだ。
(倭国にある国は全部で55……。生き物たちを倭国の国々に見立てているのは一目瞭然だ。さしずめ、龍は景ノ国で、虎は演ノ国か? ──いや、それはあの曲芸師らは何者で、何を目的にしているかによるか。舞耀の民衆を相手に、この曲芸師たちが何を企んでいるのか……少し調べる必要があるな。ハンゾウと関わりはないかもしれんが、何か気になる)
ライカが考え込んでいるうちに、劇はお開きとなっていた。大勢集まっていた客たちはすでに散り散りとなり、残された曲芸師たちは衣裳や小道具の後片付けに、投げ銭の回収をしていた。
「なあ、おっちゃん! 次はいつやんの⁉」
いつの間にか、ハヤジが語り手をしていた男に近付いて喋りかけていた。語り手の男はにやりと笑って答える。
「そいつぁ教えられねえなあ。何度も言ってるだろ」
「こっそり教えてくれたっていいじゃんよ! そのせいでおれたち、仲間で手分けして、毎日都の見回りするハメになってんだから! 大変なんだぞ!」
「おーおー、愛されてるねえ、我が曲芸団は」
語り手の男はそう言って笑ってごまかしたが、ライカには教えられない理由が分かった。
(倭国統一なんて政治的に過激な内容の劇をやってるなんて知れたら、すぐに舞耀城から兵がやってきて捕らえられる。曲芸師たちは城や兵の目を盗んで演る必要があるんだ。だから劇の日時も指定できないし、続き物の劇にして兵が送り込まれる前に終われる短い劇にしている)
さらに言えば、神出鬼没の全八回もの劇となれば、次回の劇まで待たされる間、民衆たちの心に期待感が生まれる。そして、話題の中心となる。
本日第六回目の劇は、ざっと見ただけでも軽く百人を越える観客で盛り上がっていて、確かに民衆の人気を獲得している様子。この曲芸団がそこまでを計算してやっているかは分からないが、油断ならない相手には違いない。
(このまま彼らがどこに行くのか……宿泊する場所を把握したいところだ。しかし、奈美を伴って可能だろうか?)
ライカがそんなことを考えていると、遠くから「あーにきーー」という声が聞こえてきた。テスだ。
「兄貴、探したっすよ! みんな続々と宿に戻ってきてるっす! で、何人か、兄貴に報告したいことがあるって……」
「ちょうどいい」
ライカはにっと笑うと、テスを近くに呼び、片付けを終えようとしている曲芸師たちを視線で教えた。
「今、この舞耀で話題の曲芸団らしい。今からあいつらを尾行して、宿を探れ」
「えっ、オレも兄貴と一緒に宿に戻ろうと思ってたのに……」
「頼むぞ」
(オレ、腹ペコなんすけど……)
その時ちょうど、奈美が食べ物をたくさん抱えて戻ってきた。すぐそばの露店で売っているものが美味しそうで、たまらず買ってきたのだ。
ライカとテスの会話はほとんど聞いていなかったが、テスは何だか腹を空かせているような顔をしている。奈美は瞬時に、テスがライカに無茶ぶりを押し付けられたことを察知する。
奈美は腕の中のものを差し出しながら、憐みの表情で訊ねる。
「これ……食べる?」
ライカと奈美が宿に戻った後も、テスがホクホク顔で尾行任務に勤しむことができたのは言うまでもない。
◇◇◇
「……つまり、隊員たちの報告をまとめるとこうか」
宿に戻ったライカは部屋に戻ると、さっそく報告書に目を通していた。仕事の早いカミトキが情報収集から戻った隊員たちの話を聞き、その内容をすでにまとめていたのだ。
馬襲撃事件関連が八件。隊員たちが商人の護衛に扮して聞き込みを行ったというのもあるが、今最も舞耀の民の関心を集めている事件だとうかがえる。
襲われた者たちを詳しく調べてみると、そのほとんどが演ノ国の商団で、中には演城お抱えの騎兵・輸送用軍馬の厩舎もあったという。それらに共通するのが、爆竹で馬をおどかし失踪させるのが目的であることだ。だが訓練された軍馬は、爆竹などでは怖がらない。そういった場合は、馬を殺すといった例もあったそうだ。
次に、鉱山事故関連の報告が三件。演ノ国北部には大きな鉱山がある。鉱山入口や坑道が崩落するという事故が、このひと月で三度と続いているらしい。
そこで採掘される鉄は良質で、国内の武器に使われるという。だが近頃は事故続きで、武器の生産が滞っているようだ。
最後に、舞耀で人気の曲芸師についてが二件だ。これはライカもこの目で見てきた。
彼らの劇に「倭国統一」という危うい意味が含まれていることに気付いている者がどれだけいるかは分からないが、舞耀の民はすがりたいのだろう──不穏な事件や事故が続く中で都にポッと出現した明るい話題に。
「この三つは無関係のように見えますが……」
カミトキのつぶやきに、ライカは頷いた。
「どれもひと月前という同じ時期から起こっている。これをただの偶然とみるか、それとも…………。ところでカミトキ、例の情報屋には会えたか」
「はい。情報屋にヨハイ翁の文を渡すと、これを」
養生所のカナイとヨハイには舞耀に知り合いの情報屋がいた。演城の内情を探りたかったため、今回その情報屋に協力してもらうよう頼んだのだ。
ちなみに、情報屋との文でのやり取りは暗号で行われる。この暗号は、養生所の姉弟とライカしか解読できない。
カミトキから受け取った文を読んだライカは、「やはりな」とつぶやいた。
「演城は国内で起こる三つの騒ぎへの対応に追われているらしい。特に軍馬と武器の生産が減り、軍事力の低下を危惧した将軍が動き出したようだ」
「将軍……とは、昨日団子屋で偶然会ったという──」
「そう、ナナギタ・チガヤ将軍だ」
チガヤ将軍を昨日初めて見たが、上背もあり、中々腕っぷしの強そうな面構えだった。だがああ見えて、腕っぷしよりも頭で勝負する武人だというのがライカには少々驚きだった。
(団子屋でぶつかった女人に対する態度はそっけないものだったが、横暴だともいえない。そこらの傍若無人な珂族と比べたら、確かに知性は持ち合わせているようだ)
ライカはそこまで分析したところで、ふとチガヤとぶつかった女人のことを思い出した。将軍の前と将軍の去った後でのあの性格の変わりようは可笑しかった。何だか、珂族だと知られた時の奈美を彷彿させるようで。
その時、ライカの頭に何か引っかかるものがあって、ぴたっと止まった。
「将軍の前にした態度の変化……。あの女人の目的、まさか……?」
それから、報告書に再び目を戻す。何かを考え込んでいる隊長を見て、カミトキが訊ねた。
「何かありましたか?」
「……なるほど。そうだったのか」
「どういう意味ですか?」
いまだ解りかねるといった表情のカミトキに、ライカがにやりと笑った。
「いいか、カミトキ。現在、演ノ国で起こっている出来事は、すべてつながっている」




