隊員たちの疑心
夜が明け、支度を済ませた奈美とライカは門の前に立っていた。奈美はクロハに頭を下げた。
「クロハさん、一晩泊めてくださってありがとうございました。とっても楽しかったです」
「こちらこそお礼を言わせて」
クロハは首を横に振った。王太后という立場で、その立場を忘れて談笑できるとは思いもしなかった。得難い時間だった。
でも、それもこれが最後だ。次に会う時には、彼女は自分の正体に気付いてしまっているだろうから。クロハは奈美の手を優しく握った。
「ナミさん、本当にありがとう」
奈美は名残惜しそうにそっとクロハの手を離すと、ライカと共に去っていった。
二人の姿が小さくなっていく。それを晴れ晴れとした、そしてどこか決意を固めた顔で見ながら、クロハはつぶやいた。
「さてと……私もこんなところでうじうじとしてはいられませんね」
◇◇◇
只今、窟は夕餉の時間である。食堂は腹を空かせた隊員たちで、がやがやと賑わっていた。
奈美とライカが窟を空けている間、令嬢連続襲撃事件も落ち着き、隊員たちは久しぶりの平穏を過ごしていた。ただしナミがいない今、食事の時間は平穏とは言えないようだ。
「それにしても、どうしようもなくまっじーな。おまえが作った飯」
呆れ顔でセトが愚痴をこぼしたが、飯はガツガツと食らっている。その目の前で給仕中の本日料理番、イスビが睨んだ。
「うるせー。文句あるんなら食うな」
「そうだぞセト。イスビが悪いんじゃない。ナミの飯がうますぎるだけだ」
横で食べていたグクイラが後輩をたしなめると、セトは「はいはい、そっすね」と適当に受け流す。
「でもよー、もう俺たちゃ、うめえ飯食い慣れちまったからなあ。あー、早く帰ってきてくれねえかな~ナミよぉ~」
それについては一同、同意見である。
その時、向かいに座っていたゴソクが、飯をつつきながら口を開いた。
「結局、昨日は帰ってこなかったよな、隊長たち。日はまたがないって言ってたのにな」
「詳しくは知らされなかったが、何かの任務で出かけたんだろ? 一体どんな任務なんだろなぁ」
「ナミと二人で、ってとこがなんか気になるよな」
周りの隊員たちも興味津々といった様子で話に加わる。食堂の片隅で同じく食べていた副隊長のカミトキも、耳だけそちらに傾注する。
「何がだ? ナミは付き人だから付いて行っただけだろ?」
「なんちゅーか……隊長の、ナミを見る目が怪しいんだよな」
「ナニ言い出すんだよおまえは」
とんでもない発言に、一人の隊員が口の中のものをぶっと吹き出しかける。
「女嫌いが高じて、遂には男色に走っちまった……ってことか? 隊長が?」
「……いや、隊長の気持ちは分からんでもないがな。ナミの野郎、見た目は女といっても通用するしな。ナミの奴が実は女なんじゃねえかって思ったこと、一度くらいあるだろ⁉」
「うっ……」
一同、ぐっと黙り込む。心当たりのある者、多数である。
グクイラもその一人だ。ナミが窟に来た初日、料理番の引継ぎの際に早くもそう思ったものだ。
その時、セトの笑う声が辺りに響いた。
「東菊では女殺しで名を馳せてるナミだぞ? 女? 有り得ねえだろ」
「しかし、あいつの裸を見たことある奴はいるか? あるいは厠で一緒になったことは?」
その問いに、食堂がしんと静まり返る。
しばらくして、その沈黙を破った者がいた。イスビだ。
「……俺さ、気になってることがあるんだよな」
「どうした、イスビ?」
イスビは前掛けを外すと、椅子に腰かけて言った。
「前、左大臣んとこの姫の護衛任務があったろ」
「ああ、おまえが温泉に飛び込んでお嬢の裸見たアレな」
「だから俺じゃねー! 飛び込んだのはオオカミだ」
イスビは茶化した隊員を睨みつけると、すぐに真面目な顔に戻って話を続けた。
「その任務の後、そのオオカミから聞いたんだがよ。おかしいんだよな……温泉に入ってたのは、姫様じゃなくてナミだって言うんだよ。でもナミに聞いたら、温泉には入ってねえって言ってたし」
「オオカミが間違えたんじゃねえのか?」
「アホ、訓練したオオカミの嗅覚なめんなよ。いくら硫黄のニオイが充満してる温泉の中でも、個体の識別くらい朝飯前だっての」
それは一理ある。イスビのオオカミたちは、天力“獣使い”の真髄だ。その優秀さは、隊員たちもよく知っていた。
「なら、温泉に入ってたのはナミってことでいいんじゃねえか? やっぱり入りたくないって姫さんに駄々こねられて、直前に身代わりで入ったんじゃねーの。で、恰好つかねえから姫さんに口止めされてたんだよきっと」
一人の隊員が考えに考えた結果、その結論に至ったようだ。他の隊員たちも同じ意見のようである。
だが、イスビの顔は納得していない。心に秘めていた疑念……。イスビは重い口を開いた。
「……温泉に入ってたのはメスだって言うんだよ。ヒトの雌のニオイって」
それを聞いた一同は、しんと黙り込む。
「……俺も実は見ちまったんだよな、この前」
皆、今度はセトの方に注目した。セトは手をまごつかせながら、話し始めた。
「隊長がナミ連れて景城に行くって別れてから、見たんだよ。隊長が女と手をつないで歩いてるところ」
セトの話を聞いて、他の隊員も思い当たることがあったようで、ぼそぼそと話し出す。
「そういえば俺も、東菊で娼妓に聞かれたな。隊長に妾ができたのかって。都中で噂になってるみたいだぞ」
「……俺も飲み屋で常連のオヤジに真偽を訊かれたな。城勤めしてる親類に聞いたそうだが、カンドルの隊長が女人を連れ立って登城したって。うちの隊長に限ってそんなわけねえだろって言ってやったんだが、まさか本当の話だったってことか……?」
「ナミは実は女で……隊長とデキてる……?」
「ただいまー。あーー疲れたあ」
その時、奈美が食堂に入ってきた。主に乗馬による疲れで、ふらふらとしている。
「あれ? どした?」
食堂にいる隊員たちの視線が自分に向けられているのに気付いて、奈美はきょとんとした顔で訊ねた。が、疲労と空腹の方が勝り、すぐにどうでもよくなったようだ。
「あ~腹減ったぁ。あ、これ一口もらい」
我慢できず、奈美は近くに座っていた隊員の茶碗から、一口分をつまんでパクっと食べた。
「…………誰? これ作ったの」
何とも言えない顔でそう訊ねた奈美を尻目に、隊員たちがこそこそと話を再開した。
「……そんなはずないな」
「おう。大食いだし、どこでもぐうぐう寝るし」
「大きい口開けて笑うし、叩かれると結構痛ぇし。これが女のはずがない」
口の中のものを何とか飲み込むと、奈美は彼らのひそひそ話に興味がわいたようだ。
「え、なに話してるんだよ?」
だが、隊員たちはもごもごと口ごもるだけで教えてくれない。
「? ま、いっか」
奈美は訝しげに首をひねると、来る次の食事の準備のために炊事場に向かった。
食事を終えたカミトキは妙な雰囲気の中、食堂を出た。そこにライカが待っていた。
「カミトキ、少し話がある。後で来い」
それだけ言うと、ライカは踵を返して行ってしまった。
「……わかりました」
何の話か、カミトキには分かっていた。窟に戻った隊長も、隊員たちのいつもと違う様子に気付いているはずだからだ。
すぐにライカの部屋を訪ねると、ライカは単刀直入に言った。
「おまえには話しておこうと思う。ナミのことだが……あいつは女だ」
(ああ、やはり……)
カミトキはごくりとつばを飲み込んだ。畏敬の念を抱いていた隊長自身がまさか、隊の規律を乱すようなことをするとは。カミトキはまだ信じられなかった。
ライカの話はまだ続いていた。
「そして、この世界ではない別の世界から来た人間だ」
カミトキの時が止まる。奈美が女人であることは予想の範疇だった。だがしかし。今、隊長の口から異世界とかいう言葉が飛び出さなかったか?
「隊長? いま何と……」
「信じられないか。はじめは俺もそうだった」
ライカが鼻で笑う。だが、カミトキもこの名を出せば納得してくれるだろう。
「シスイ」
その名を聞いた途端、カミトキがピクリと反応した。彼の反応を見ながら、ライカは説明を続ける。
「奴に呪いをかけられた。普段は目にすることができないが……俺とナミの心臓は『命の鎖』でつながれている。ナミの身に危害が及べば、『鎖』を通じて俺にも影響が及ぶらしい」
「それは……ナミが死ねば隊長も、ということですか」
「恐らくはな」
カミトキは混乱する頭で必死に考えた。──シスイ、そして呪い。この二つを結びつけると、あの日のことを思い出す。
(……三方の崖か)
あの日、突如として窟に現れたシスイが言った──隊長に『贈り物』があると。それから隊長はダンチョウとテスだけを伴って三方の崖に向かい、そして奈美も伴って戻ってきた。どう見ても、呪いをかけられたのはあの時しかない。
それに、シスイほどの狂った人間なら、異世界から人間を連れてくることもできるに違いない。まだ完全には信じられないが、そうかもしれないと思うのは、相手があのシスイだからだ。
「……何故、私に打ち明けてしまわれたのですか? このことを知るのは、あの日お供したダンチョウ殿とテスだけで良かったはずです。無駄に秘密を知る者が増えれば、隊長の御身に危険が──」
そうだ。女だとを明かすだけならまだしも、呪いのことまで話してしまう必要はなかった。奈美との関係は隊長の弱点となるのは間違いないのだから。
「無駄じゃない」
その一声が聞こえて、歯を食いしばっていたカミトキが顔を上げた。
「もし俺が死ぬか……再起不能になったら、後のことはすべておまえに任せたいからだ。その時はカミトキ、おまえが隊長になって隊員を引っ張ってやってくれ」
ライカのまっすぐな視線を受けて、カミトキは動揺した。もちろんそれは冗談で言っているような眼ではない。
(私などがカンドル隊を……? いやそれより、隊長の口から「死」という言葉が出るなど……)
「──隊長、それは──」
カミトキが到底受け入れられないといった顔で口を開きかけたが、ライカは問答無用とばかりに続けた。
「場合によっては俺だけが死に、ナミは生き延びることもあるかもしれない。その時は、どうかナミを頼む。あいつを、生まれ育った世界に返してやってくれ」
カミトキは大きく目を見開いた。隊長が自分に向かって頭を下げたからだ。皆に恐れられ、敬われるこの男が。一人の女人のために。
(…………隊長にとって、ナミはそれほどの存在、というわけか)
出会って数か月の女人が、隊長の凍ってしまった血を、心を、溶かし始めている。隊長とは十数年の付き合いになるが、そんな人物は初めてだ。
カミトキはこの時を待っていた──この生きる屍に再び “生”を与えてくれる人物がやってくるのを。
「否────などと言えるわけがないでしょう、この私に」
隊長の命令は絶対である。が、そうでなくとも、カミトキは喜んで従っただろう。
「……おまえにはいつも苦労をかけるな」
ホッと息をついたライカに、カミトキは訊ねた。早速対処しなければならない問題が目の前にあるのだ。
「すでにご存じだとは思いますが、ナミが女人だと隊員たちが気付きかけています。隊員には明かさぬ方針でよろしいですね?」
副隊長としては、まずこの窟の落ち着かない雰囲気をどうにかしたかった。何と言って隊員たちを納得させようかとカミトキが考えていると、ライカが答えた。
「いや、あいつらにも時機を見て言う。そうだな……次の任務の後にでも」
その一言に、カミトキは驚いた。これまでの隊長なら、隊の統率に影響が出そうなことはしなかったろうに。
「……それは大変な騒ぎになりますね」
それに対し、ライカも苦笑いで答えた。
「俺も言わないつもりだった。……が、あいつらを見ていたら、男でも女でもどちらでも構わない気がしてな」
ライカはこの数か月、奈美と隊員たちの関係を観察して思った──性別という要素で彼らの関係が変わらないのであれば、嘘を吐き続ける必要はないと。
「ところで、次の任務はどのような?」
カミトキに問われ、ライカはつい先ほど渡された依頼書を広げた。養生所から戻ってきたテスが持ってきたのだ。
「商団の護衛だ。景を出るのは五日後、目的地は演ノ国の都、舞耀だ」
「演……ですか」
カミトキが眉をひそめるのを見て、ライカがニヤリと笑った。
「偽の身上札の用意を頼む。対立国の懐に飛び込むのは、まあ気が乗らないだろうが、もしかするとこれが最後の依頼かもしれん」
「!」
カミトキは驚いて、ライカを見やった。
「掴んだのですか?『鼠』の頭領の居所を⁉」
「落ち着け、それには至っていない」
ライカは依頼書をコンコンと叩きながら、説明する。
「……が、養生所から得た情報によると、近頃演ノ国が騒がしいらしい。それが『鼠』と関係しているかはわからない。だが、じっとはしていられないしな」
これ以上、手をこまねいている場合ではないのだ。タカイヌが栖ノ国に向けて動き出した、との情報があった故なおさらだ。
「演に入り、あの国で何が起こっているか調べるぞ。それでハンゾウの尻尾を掴めたら御の字だ」
そして、ライカは大胆不敵な笑みを浮かべた。




