王太后クロハの憂鬱
「えっ、私あての依頼?」
珍しく炊事場に来たライカが放った言葉に、奈美は驚いた。思わず料理の手を止め、ライカの方を振り返った。
どこの誰が、ただの料理番を指名したのだろうか。そもそも自分の存在を知っている者なんてほとんどいないはずだ。
「タカイヌという男を知っているだろ」
「あっ、タカイヌさん? うん、知ってるけど」
あからさまにホッとした顔を浮かべる奈美。それがライカの癇に障る。
「その母親が最近、気が塞ぎがちなんだと。それでおまえに──」
「話し相手になってほしいんでしょ? うんうん、タカイヌさんから聞いてるよ。でも、タカイヌさんたら律儀よねぇ。わざわざ隊の方に依頼しなくてもいいのに」
奈美がくすくすと笑い出したので、ライカは眉をひそめた。
「──おまえな。どこの馬の骨だか知らない奴の頼まれごとなんか放っておけ。ほいほい引き受けたりするな」
「馬の骨なんかじゃないわよ。お城で下働きしてる、ちゃんとした人なんだからね! それにタカイヌさんのお母さんの話し相手になるってだけでしょ? そのくらいいいじゃない! 大げさなんだから」
(その話し相手が王太后だと知った時の反応が見物だな)
ライカが心の中でニヤリと笑っていることにも気付かず、奈美は鼻歌を歌いながら米を洗っている。
次の日、留守の間の料理番は他の隊員に代わってもらい、二人はさっそく馬で依頼先へと出向いた。
タカイヌの生母、クロハ王太后は景城に住んでおらず、都から離れた小さな町に住んでいた。半日かけて目的の町に着くと、馬から降りた途端、奈美は地面にへたり込んでしまった。
「疲れたぁ……お尻痛いぃ……」
ライカが手綱を握る前にただ乗せてもらっていただけなのに、それがどっこい、辛いのだ。恐るべし乗馬。
(うぅ……タカイヌさんとお母さんて、てっきり都で一緒に住んでるんだと……。こんなことならテスに送ってもらいたかっ──いや、上空1kmの飛行旅もやっぱヤだわ)
その時、町の様子を軽く見回ってきたライカが戻ってきた。
「目当ての場所は町はずれにあるようだ。……抱えてやろうか?」
くたびれた奈美を見たライカがそう言った。
「自分で歩けますっ!」
「──ハッ」
奈美がしゅたっと立ち上がったので、ライカは思わず笑った。一瞬だけのことなのに、その顔を奈美はまじまじと見てしまう。ある事実について薄々気付いてはいたが、奈美はいまはっきりと確信した。
(──あ。私、この人の笑ってる顔、好きだわ)
そう思った一瞬のち、奈美はすかさず追加した。まるで言い訳をするように。
(この人が、じゃなくて、笑ってる顔が、ね! ほら、普段笑わないからギャップでそう思っちゃうアレよアレ!)
「なに間抜けな顔してる。おいていくぞ」
先に進んでいたライカが振り返ったので、奈美は慌ててその後を追いかける。
途中、呉服屋に寄り、奈美は女物の衣に着替えた。タカイヌの母には、女人が来ると伝えてあるので、男装のままでは驚かせてしまうからだ。
ライカの後を歩きながら、町の様子を見ていた奈美が口を開く。
「それにしても、いいところね~。小さいけど、雰囲気がやわらかくて」
それはライカも思った。都の喧噪を離れたこの町は、あの貴婦人にはぴったりだと。
一軒の民家の前に着くと、奈美はそれをワクワクしながら眺める。
「これがタカイヌさんのお母さんが住んでる家かあ……すごい、思ったより大きいのね」
(……王太后が住むには随分と小さいもんだがな)
心の中でそう突っ込むと、ライカは門をくぐった。来客に気付いた下男が奥から出てきた。
「お待ちしておりました。奥様は裏庭にいらっしゃいます」
そう案内され、ライカたちは家の中には入らず、その横を通って家の裏へと向かった。裏庭は半分は野菜畑に、もう半分が花畑となっている。その一角に、小さな机と椅子が二脚置かれていて、そこに一人の女性が座っていた。
年かさの女性は花壇の花をぼんやりと見ていて、来客には気づいていない。ライカは奈美に顎で促した。奈美が女性の方に近付くと、ライカは音もなく去っていった。
(……まあ、この仕事にあの人は関係ないもんね)
「あの……突然、お邪魔してすみません。タカイヌさんのお母さまですか?」
一度深呼吸してから、奈美は女性に声をかけた。振り返った彼女はしばらくぼうっと奈美を見ていたが、やがて顔をほころばせて口を開いた。
「あらあら、まあまあ」
「初めまして。私、ナミと言います」
「あの子から文で聞いているわ。ナミさん、私のことはクロハと呼んでちょうだい」
「クロハさん」
奈美が確認するように呟くと、王太后クロハは嬉しそうに微笑んだ。
「息子のおつかいでこんな遠い所まで、よく来てくれましたね。こちらへいらっしゃい。春の花が綺麗に咲いているのよ」
クロハに促されるまま椅子に座った奈美は、花壇の方を見やった。クロハの言う通り、冬から目覚めた花たちが顔を広げている。
しばらくして、クロハがお茶を淹れて持ってきた。
「ナミさん、どうぞ。お口に合うといいのだけど」
「すみません」
奈美は恐縮して立ち上がろうとしたが、クロハがそれを制した。
「いいのよ、久しぶりのお客様だもの。おもてなしさせてくれるかしら?」
それを聞いて、奈美は思った。
(さっき……クロハさんが寂しそうに見えたのは気のせい──じゃなかったみたいね)
「……あっ、これタカイヌさんから預かったものです」
奈美はクロハに小さな包みを渡した。忙しいタカイヌに代わって友人が届け物をしに来たという名目で、今日はここに来たのだ。ちなみにタカイヌからこの包みを預かった時、中身は知らされていない。
「ありがとう。何かしら」
包みを開けた途端、クロハが言葉を失ったことに、奈美は気付いた。
「? 何が入っていたんですか? ……種、ですか?」
奈美も包みの中を覗き込むと、そこには小さな黒い粒がたくさん入っていた。
「そうよ。これはユキウランソウの種よ。タカイヌの生まれ故郷の花なの」
「タカイヌさんの生まれ故郷……」
「あの子はね、都から遠く離れた雪里で生まれ育ったの。あの頃は辺り一面にこの花が咲いていたわね、懐かしいわ……」
一見、クロハは昔を懐かしんでいるように見えた。しかし、奈美にはそれだけとは思えなかった。どこか切なげな様子が感じ取られたのだ。
「あの、タカイヌさんはあまりこちらに帰って来られないんですか?」
「ええ、ずっと忙しいようで中々ね……。あの子が城に入った当初は、私も都で暮らしていたんだけど……馴染めなくて、私はこの町に移ったの」
「そうですか……息子さんと会えないのはお辛いですね」
なるほど。クロハの気が塞いでいたのは、愛する息子と離れたことが原因だったのか。家族と離れて暮らす寂しさは、突然異世界に放り出された奈美にとっては痛すぎるくらい理解できた。
だが、クロハは微笑みながら、首を横に振った。
「ありがとう、ナミさん。でも平気よ。あの子は国と民のために頑張っているのだから、母としてこれほど嬉しいことはないもの」
(そっか……下働きとはいえ、お城で働くってすごいことだもんね。クロハさんはタカイヌさんを誇りに思ってるんだ)
何だか微笑ましくて、奈美もつい顔が緩む。
それなら、クロハは一体何に気を塞いでいるのだろうか。奈美は迷ったが、回りくどい駆け引きは苦手だ。正直に話してしまおうと心に決めた。
「──実はですね、こんなこと言ったら、タカイヌさんに怒られてしまうかもしれないんですけど……今日私がここに来たのは、タカイヌさんからお願いされたからなんです。最近元気のないお母さまを和らげてほしいって」
「……あの子が?」
「はい。クロハさんが元気じゃないと、タカイヌさんも仕事に身が入らないんじゃないかなって思うんです。だから、もし困っていることがあるのなら、話していただけませんか? 私では力不足かもしれませんが……」
「ナミさん……」
懸命に思いを伝える奈美に、クロハは目を潤ませた。
もちろん王太后という立場上、いつも周りに人はいる。だが、お付きの者である彼ら彼女らはきまって、王太后のお話し相手なんて畏れ多いと身をすくませてしまうのだ。
こうやって膝と膝が触れるほどの近い距離で、目と目を交わして話したのはいつぶりだろう。「王太后」ではなく「クロハ」と呼んでもらえたのも、いつぶりだろう。
(──この子になら、言ってしまってもいい)
クロハは息をついて気持ちを落ち着かせると、口を開いた。
「私はね、あの子が──都に行ってしまったタカイヌのことが、心配でたまらないの」
上京した我が子を心配する母親の心境はどの世界に行っても共通なのだな、と奈美が思っていると、クロハは言葉を付け足した。
「ほら、あの立場だから、いつ命を落とすことになるかもわからないでしょう」
「命⁉」
奈美の驚きっぷりに、クロハも少しびっくりしたようだ。
「え、ええ。ナミさんもご存じでしょうけど、あの子の伯父──私の兄の晩年と最期はひどいものでした。タカイヌには、私の兄のようになってほしくないのです」
「は、はあ……」
(下働きでも命がけって、お城で働くのって大変なのねえ……)
奈美は感心しながら聞いているが、大きな勘違いをしていることには奈美もクロハもまだ気付いていない。
「兄を殺した男があの子の命をも奪ってしまわないか……。でも力の無い私にできるのは、都から離れたこの地で、ただ案ずることだけなのです」
地位こそ王太后だが、我が子を守ってやるだけの力を持っていない。それを考えると、タカイヌ王が不憫に思えて仕方ないのだ。
クロハは思いの丈を吐き出すと、少し気が楽になった。やはり誰かに心のうちに吐き出せるというのはいいものだ。聞いてもらった相手に、何かを期待しているわけではない。だが、奈美が明るく答えたので、クロハは驚いた。
「大丈夫ですよ! カンドル隊がいますから!」
「……え?」
「タカイヌさんの命を狙ってる輩がいるんですよね? なら、カンドル隊に守ってもらいましょう! あ、カンドル隊って知ってますか?」
「もちろんです。でも──」
クロハは戸惑った。10年前、ヤワジ王のことでカンドル隊には多大な迷惑をかけた。それなのに、その血の繋がりのあるタカイヌを守ってくれなどと、どの面を下げて頼めようか。
だが、何も知らない奈美は、ぐいぐいと話を進める。
「大丈夫ですって、カンドル隊は強い男たちばかりですから! 私も、タカイヌさんの友人として黙って見てられませんしね」
その言葉に、クロハは目を見開いた。
「あの子を、友人と呼んでくれるのですか……」
「? はい」
王座とは、孤独なものだ。それは遥か昔から言われてきたこと。人間関係だって、山里で駆け回っていた頃のようにはいかなくなる。
何かおかしなことを言っただろうかと奈美は首を傾げていると、クロハが顔を上げた。彼女は笑っていた。幼い我が子と穏やかに暮らしていたあの頃のように。
◇◇◇
どれくらい喋っただろうか。気付けば、もう夕暮れ時だった。
ライカとの待ち合わせの刻はとうに過ぎていたことに気付いて、奈美は慌てて帰り支度を始めた。
「長居してしまってすみません。私ったら、くだらない話ばっかりしちゃって……」
「あら、そんなことないのよ。もっとナミさんとお話したいわ。……ね、暗い道を帰るのは危ないし、今日はうちに泊まっていかれない?」
「あ……ありがたいんですけど、すみません。今日は連れがいまして……」
約束の刻を過ぎてもクロハの家から出てこないので、きっとライカは怒っているだろう。そもそもクロハとのおしゃべりの間、ライカはどこで待ってくれているのだろうか。
(まさか、今もずっと外で待ってる……? 春とはいえ、まだまだ肌寒いのに)
内心ハラハラしながら早くお暇しようとした奈美を、クロハはにこにこしながら庭から家の中に案内した。
「なら、お連れさんと一緒に泊まっていけばいいのよう。遠慮なさらないで?」
「いえ、でも、」
「ねえ、お連れの方もそう思わない?」
「……え?」
クロハに案内された暖かい客間の中に一人座っていたのは、ライカだった。机の上を見るに、温かい茶と菓子をふるまわれていたようだが、なぜか浮かない顔をしていた。
「なんでここに……」
奈美が呆然としていると、なぜかクロハも驚いている。
「あらまあ、ナミさんのお連れの方って、あなただったの。あらあら、まあまあ」
「……お久しぶりです」
ライカが立ち上がって、頭を下げた。浮かない顔は健在である。
当たり前のように挨拶を済ませているライカを見て、奈美は口を開いた。
「えっ? お二人はお知り合いなんですか?」
「知り合いというか、タカイヌの幼なじみかしら。子供の頃はあの子と、里山でよく遊んでくれてたわよね~」
「ええっ⁉」
(というかこの人、幼なじみだって知ってて、私に『放っておけ』なんて言ったの? あんないい人相手に?)
奈美は恨みがましい目で見たが、分かっているからか、ライカはこちらをちらとも見ようとしない。完全無視である。
「いえね、あの子の文で、ナミさんが護衛の方と来ることは聞いていたのよ。それで、ナミさんとお話ししている間、護衛の方に外で待っていてもらうのも悪いでしょ。だから中でお待ちいただくよう、あらかじめ家の者に頼んでおいたのよ。でもまさか、昔なじみだとは思わなかったわあ~」
クロハがくすくすと柔らかく笑った。今日話をさせてもらう間に奈美は何度も思ったが、この穏やかで柔らかな雰囲気は本当にタカイヌとそっくりである。
「先ほどナミさんにも言っていたのだけど、泊まっていくわよね? いくらあなたが一緒とはいえ、もう遅い刻だし……」
クロハはそうライカに訊ねたが、ライカは首を縦に降らなかった。
「大変ありがたいお言葉ですが、先を急ぎますので……」
「夜はまだまだ冷えるわ。ナミさんの身体を冷やすことになってはいけないわ」
「ですがご迷惑をおかけするわけには──」
「迷惑だなんて。ナミさんとまだおしゃべりしたいし、あなたとも積もる話をしたいし。ねっ?」
そう言うと、クロハはにっこりと笑った。その笑顔の背後に謎の圧力を、奈美は感じた。
(笑顔の強制力がすごい……!)
元の世界でも、「ねっ! いいでしょ?」というオバサンの圧には逆らえなかったことを奈美は思い出した。お姉様世代の押しの強さは、どこでも一緒のようだ。
さすがのライカも断り切れないと思ったようで、諦めた顔をしている。それを見たクロハは、うれしそうにパンと手を叩いた。
「さっそく御馳走を用意するわね!」
それからは、あわただしく時間が過ぎた。クロハの家の召使いは、奈美たちを出迎えてくれた下男と、もう一人年配の小間使いの二人だけだったため、突然の知らせにてんてこまいになって働くことになった。
「あの、何かお手伝いさせてください」
自分のせいで忙しくさせてしまったことに申し訳なさを感じていた奈美は、小間使いの女に声を掛けた。だが、小間使いは頑なだった。
「いいえっ! お客様を働かせるなんてとんでもありません。お座りになっていてくださいっ」
「そうよー。ナミさんは座ってくつろいでらして」
クロハはニコニコと笑いながら、腕まくりをして炊事場に入ろうとする。そんな主人を見つけて、小間使いがすかさず突っ込んだ。
「奥様もですよっ‼」
「あら~、いいじゃない。お客様がいらしている時くらい」
「私が買い出しに出ている間、お茶のご用意も奥様がなさっていましたよね? 私が不在にしていたので仕方がなかったのは分かりますが、ご自身のお立場をわきまえてください!」
「ええ~~、いけずなんだから……」
拗ねた顔のクロハとその息子の姿が重なって見えて、ライカは内心ニヤリと笑った。
(……似たもの親子め)
「ねね、タカイヌさんてやっぱり、いいところのお坊ちゃんなの? クロハさん、奥様って呼ばれてるし」
その時、炊事場を追い出された奈美が、ライカの隣に座りながら囁いてきた。
「お城の下働きやってるくらいだから、珂族とまではいかないにしても、やっぱりお家柄は良いのね。なんだかわかるわ~。だって、タカイヌさんって品があるもんねえ」
うんうんと一人頷く奈美を尻目に、ライカがぼそりとつぶやいた。
「……おまえ、俺の時は他人に聞かされるまで気付かなかったくせに」
「え? 何か言った?」
「別に」
その後、ささやかな晩餐が始まった。三人は舌鼓を打ちながら、様々な話題に触れた。
ちなみに、奈美は自分がカンドル隊の一員であることを、晩餐が始まって早々にクロハに打ち明けた。元々隠す必要はなかったし、クロハとライカが知り合いとあれば、言う方がいいに決まっている。
「──それで次に二人が起こした事件はね、確かタカイヌが6つだったから、ライカさんは7つの時のことかしらね。なんとね、村の鶏を全部逃がしたのよ。100羽以上よ、100羽! 村人総出で山を捜索したわよ!」
「うわあ……とんだいたずら小僧たちですね」
「結局半分ほどは捕まえられたんだけど、もう半分は見つからなくて。みんな諦めてたんだけど、次の日の朝、起きてびっくりよ! 空いていた鶏小屋が、キジやら山鳩やらでぎゅうぎゅうになってたんだから!」
クロハが真剣な顔で両腕を振り上げると、奈美があははと笑う。
「やることなすこと桁外れなのは、子どもの時からなのね?」
ニヤリと笑う奈美に訊ねられたが、ライカは黙って答えない。その表情からして、早く帰りたいと思っているのは間違いない。
(ずっと浮かない顔をしていたのはこういうワケだったのね)
ライカは昔の話を持ち出されて嫌だろうが、奈美は少し──いや、だいぶ楽しかった。ライカがどんな人生を歩んできたのかが、ほんの少しだけでもわかったからだ。
「でも、びっくりしました。この人はまあ、そんなことしそうですけど、あのタカイヌさんが結構やんちゃだったんですね」
ライカが聞き捨てならぬ言葉に眉をひそめた一方、クロハはくすくすと笑った。
「あの子は元来大人しい性格だったんだけど、ライカさんと出会った日から、すっかりライカさんにのめり込んじゃってねえ。兄上兄上~~ってライカさんの後をついてまわって。そこからはもう今に至るまで、兄分と子分の関係よぉ」
「え、今もですか?」
「本人に聞いてみたら?」
フフフと微笑むクロハを見て、奈美はくるりとライカの方を振り返った。ライカは黙々と食事をしている。
「……これ、最後の一口もらうぞ」
そう言うと、ライカは大皿に少しだけ残った料理を箸でつかんだ。
「あ、待っ──」
だが一足遅く、ライカがぱくりと食べてしまった。それを見て、奈美はうなだれる。
「それ、まだ食べてなかったのにい~~」
「話ばかりのおまえが悪い」
「なに子どもみたいなこと言って──」
その時、クロハがくすくすと笑いながら間に入ってきた。
「ナミさん、大丈夫よ。また作ってもらうから。カンボ、お願いできるかしら」
「かしこまりました」
そばに控えていた小間使いの女がそう答えると、炊事場へ向かおうとした。
その時、奈美が思い切って声を上げる。
「あの! そのお料理を作るところを見せていただいてもいいですか? 作り方を覚えて、カンドル隊のみんなにも作ってあげたいんです」
この世界の料理をまだまだ知らない奈美にとっては、またとないチャンスだ。奈美のいた故郷の料理ばかりでなく、隊員たちにとって馴染み深い料理を作ってやりたいと、前々から思っていたのだ。
「カンボ、お願い」
主人の後押しも効いてか、小間使いはため息をついた。
「お手を出されないのなら、いいでしょう。ご覧になるだけですからね」
「ありがとうございます!」
小間使いと共に奈美が出て行くのを見送ってから、ライカが立ち上がる。そして、クロハの前にひざまずいて、深々と礼を尽くした。
「礼が遅くなり、申し訳ございません」
畏まるライカを見て、クロハは悲しげに微笑んだ。
「……よかったのに。昔から言っているでしょう、そういう堅苦しいことは苦手だって」
「昔のような僻地で暮らしておられた頃とは違いますから。それに、王太后さま相手にそうはいきません」
「でも、ナミさんのいない時にしてくれたのは、せめてもの配慮なのね?」
「どうやらまだご身分を明かしておられぬようでしたので。──申し訳ありません、あの者はなかなか鈍い上に世間知らずな奴でして」
「いいえ、むしろ礼を言うわ。久しぶりに楽しい時を過ごせたの」
まるで親しい友との談話のようだった。そんなひと時を思い出して、クロハは嬉しそうに微笑んだ。
「お話ししているうちにね、もしかしてナミさん、タカイヌが王だってことを知らないんじゃないかって気付いたの。本当に嬉しかった……山里で暮らしていた頃に戻ったようで」
それからクロハは懐から包みを取り出して、中身をライカに見せた。
「ユキウランソウの種よ。あの子の決意は固まったみたい」
10年前、タカイヌが景王として都に上がる際、クロハは息子にこの種を与えた。王ともなれば、いつどうなるかもわからない。もしも都で最期を迎える場合、生きて故郷に戻ることは叶わずとも、せめて骸だけは故郷の花に埋もれてほしい。母の精一杯の計らいだったのだ。
ライカは昔に、その種の意味をタカイヌから聞いていた。母からもらって以来、彼は肌身離さずこれを持っていたはずだ。だが、それを母親に返したということは──。
「故郷を顧みないお覚悟を持たれたのですね、王様は」
タカイヌは倭国統一を目指すことをライカには伝えていたが、母親に告げるのは今日の今日までためらっていた。なぜなら、倭国統一を目指せば、その先はヤワジ王と同じ道をたどることになるだろう。自分の身を案じる母親にそんなことを打ち明けられるはずがない。
だが、それでも消せぬ倭国統一への想いがあり、奈美の明るさで少しでも癒されるようにとの願いを託して、この種を返すことに決めたのだ。自らの覚悟を示すために。
クロハは悲しげに微笑んでいる。タカイヌの王としての気概は誇らしいが、母としてはやはり我が子には生きてほしいのだ。
「ご安心ください。王様はカンドル隊が命に代えてお守り致します」
ライカのその言葉に、クロハがハッと目を見張った。そして、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、それはなりません」
「……私がタカイヌ王を弑逆するかもしれぬからですか。私の父がヤワジ王を弑逆したように」
「違います!」
即座にクロハは否定した。10年前のことがクロハの頭によぎると同時に、喉が締め付けられて息苦しくなる。
「そうではありません……殺めたのではありません。バイカ殿はむしろ……兄を、そして民を救ってくれたのですから」
クロハは息を整えてから、ライカを見た。彼の瞳は少しも揺らぐことがない。
(あのわんぱく坊やが……。あの時からずっと立ち止まったままなのは私だけなのね)
クロハはぎゅっと目を瞑り、やがてゆっくりと目を開けた。その瞳は、わずかに光を取り戻していた。
「私は10年前のように、国一番の英雄まで失いたくないのです。いいですかライカ殿、死ぬことは決して許しませんよ。これは王太后の命令です」
気高く言い放ったその姿は、まさしく王太后だった。自然とライカは頭を垂れて、こう口にしていた。
「──御意に」




