王様のお達し
──倭国民の大多数が信仰する大道神教。総本山は景ノ国にあるシン大神殿だ。
その静寂に包まれた本殿で、一人の美しき巫女がひざまずいていた。祭壇に向かって一心不乱に祈るその姿は、霊妙かつ優美だ。
その時、年かさの巫女が本殿に入ってきた。祈るのに夢中で気づかない巫女に、彼女は微笑んだ。
「──マヤ殿。納賽の儀を終えた神官長様が、都からお帰りになりましたよ」
「……巫女長様」
マヤが顔を上げると、つややかな漆黒の髪が揺れる。年頃は20半ば程だろうか。だが、髪色と同じ色に濡れた瞳は、純真無垢そのものである。
「信心深いのは大いに結構ですが、ほどほどになさってくださいね。この寒い時期に長時間のご礼拝は、お体に障りますよ。さあ、こちらへ。温かいお茶をいただきながら、神官長様たちの土産話でもうかがいましょう」
巫女長と共に、マヤは本殿を後にした。マヤは空を見上げた。外はいつの間にか、雪がちらついている。
(どうりで、寒いわけだわ)
今の今まで気づかなかったが、体の芯まで凍え切っている。巫女長が声を掛けてくれなかったら、あのまま本殿で倒れていたかもしれない。最近は特に、時を忘れるほど、礼拝に夢中になってしまう傾向にあるようだ。巫女長には感謝しかない。
神殿に仕える神官や巫女たちは、神事を執り行うのも仕事の一つだ。尊い人の婚礼に関わる儀式も神事のひとつで、ちょうど数日前、景王の納賽の儀があった。その儀を執り行ったのが、ここシン大神殿の神官長だ。そして、マヤの先輩巫女たちもその補佐として一緒に行ってきたのだ。
暖かい部屋で茶を飲みながら、その先輩巫女たちの土産話を聞いているときだった。納賽の儀はどんな様子で、王様や新しい妃がどれほど麗しかったか、参列者には誰が来ていたか──彼女たちが一通り話し終えると、そのうちの一人がマヤに言った。
「──そうそう。カンナビ・ライカ様も儀に参列されていましたよ」
その言葉に、儀に同行した他の巫女たちも、きゃあきゃあと色めき始めた。
「あの方をお見かけしたときは正直、胸がときめきましたわ。公の場にお出でになったのは久方ぶりですよね」
「相も変わらず、素敵な殿方でした……いいえ、一段と磨きがかかったといいますか」
「ええ、本当に。10年の歳月分、深みが増されていましたわ」
その時、巫女長がコホンと咳払いをして言った。
「あななたち、はしたないですよ。神に仕える巫女がそのような……」
「あら、ただ美しいものを鑑賞して、その良さを談じているだけですわ。巫女長様だって、ライカ様を麗しいとお思いになりますでしょ?」
「ま、まあ確かに……いえ、どちらかと言えば私は、先代のバイカ様の方がより精悍で男らしさがあると──」
巫女長はそこでハッと我に返ると、巫女たちがニヤニヤとこちらを見ていることに気付いて、慌てて話題を変える。
「しかし、残念です。本当にお似合いのお二人でしたのに……あんなことになってしまって」
巫女長はそう言うと、マヤに憐れみの視線を送った。マヤはそれに気付くと、もの悲しげに微笑んだ。
「いえ、悪政の限りを尽くした先代景王の娘である私が、都を追放されるだけで済んだのです。そして、そんな私を神官長様や巫女の皆様は快く受け入れてくださった……。それだけで充分、私は果報者ですわ」
「マヤ様……」
マヤの慎ましやかな姿勢に、巫女一同の目頭がじいんと熱くなる。巫女たちは袖で目を拭うと、次々と励ましの言葉を言った。
「でも! マヤ様のような尊く、心のお美しいお方は、このような世俗を離れた場で生涯を終えるには勿体ないかと存じます!」
「そうですわ。マヤ様は、人の世に慈悲をお与えになる、まさに女神のようなお方……。世俗でお暮らしになった方が人々にとっても喜ばしいことでしょうに」
「あのお方も、いまだ正妻どころか妾の一人もいらっしゃらないという噂。もしかすると、あれからもずっとマヤ様のことを……」
マヤはやはりもの悲しそうに微笑むと、首を横に振って言った。
「……いいえ。私はこの場所から、あの方のご無事とご健闘をお祈りするだけで良いのです。許嫁であったライカ様が元気でいらっしゃるのならそれで──」
◇◇◇
(えー、平原奈美、28歳。ただいま追い剥ぎに遭遇中)
今日も景王に呼ばれたライカに付いて、奈美は景城へと来ていた。
ところが、城に入り謁見に向かうライカと別れた途端、奈美は数名の女官たちに拉致され、人気のない部屋に連れ込まれた。女官たちが自分の男物の衣をどんどん脱がしていくのをただ呆然と見ているだけだったが、ようやくハッと我に返る。
(ダメだ。実況中継してても何の解決にならないわ)
「あ、あのー……これは一体……?」
勇気を出して訊ねてみると、一人の女官がにっこりと笑って教えてくれた。
「まあまあ、お気になさらずに。ナミさんは私たちに身を委ねて、くつろいでいてくださいな」
(……無理です)
奈美は彼女たちのことを知っていた。納賽の儀の前に作法の講義をしてくれた女官たちだ。だからではないが、彼女たちが自分に危害を加えるような人物でないことは何となく分かる。
しばらく黙って女官たちの好きなようにさせていると、女性用の衣やら装飾品やらを次々と持ってき出したではないか。そして、あーでもないこーでもないと衣を次から次へと奈美に当てては離し、最終的に決まったらしい。その衣一式を奈美に着せだしたのだ。そこで慌てて、奈美は訊ねた。
「ええ? 本当に、何なんですか?」
こんな高価そうな服を着せられたら困る。万が一汚しでもしてしまったらと思うと、体がすくむ。
年長の女官が、仕方ないとばかりにため息をつくと、訳を教えてくれた。
「あるお方から、頼まれたのです。いつも男装している貴女を、この王城の中だけでも女人の姿でいさせてやってほしいと。だから、大人しくしていなさい」
……なるほど。だから、彼女たちは自分を女人の姿に仕上げようとしているのか。
奈美は、いやいや、と首を振った。
「……それ、本当に私のことですか?」
「男装している女人が、他にいますか」
「ですよね」
ピシャリと言い返されて、奈美は力なく笑った。人違いの線は消えてしまった。
「ええと……その『あるお方』って……?」
奈美が恐る恐る訊ねると、年長の女官が口を開いた。
「王様です」
華やかな女性の姿にさせられ、髪結いと化粧で仕上げをされた奈美は、鏡も見させてもらえぬまま、部屋を追い出された。よくわからぬまま連れ去られ、よくわからぬまま追い出されるとは、ひどい話である。
女官が言うには、中庭より奥の区画に入らなければ、大殿を見物していて良いらしい。それなら、ライカが戻ってくるまで中庭で待たせてもらおう。自分の待機部屋がどこかも分からない今、あそこなら丁度いい。きっと人も居ないだろうし、このとんでもない恰好が人目に触れることもないだろう。
そう。鏡を見ていないので自分が実際にどんな風に見えるのかわからないが、とりあえず女人姿を振りまくのは得策ではない。しかも衣だけを見るに、珂族のお嬢様が身に着けるようなものに見える。目立つ行為は最悪、自分とライカの命に関わるかもしれないのだ。
とりあえず周りに人気がないのを柱の陰から確認した奈美は、そそくさと廊下を移動した。このまま誰にもすれ違わずに中庭にたどり着けそうだと思ったその時、廊下の向こう側から数人の官吏が歩いてくるのが見えて、奈美はギョッとした。
(どうしよう。引き返すのも却って怪しいし……ええい! このまま通り過ぎるしかないか)
奈美は腹を括って、官吏たちとすれ違うことに決めた。平然を装っていれば、それほど目立つこともないはず──と思いたい。
官吏たちの方も、奈美の存在に気付いたらしい。向こうから近づいてくる女人を見て、彼らの口がポカンと開いていく。
そして、彼らの視線が奈美に釘付けされたまま、両者がすれ違う。
やがて官吏たちの足音が遠ざかり、奈美はホッと胸を撫で下ろす。
(よし! 何事もなく、通り過ぎれた! ……ものすごく見られてた気がするけど)
そして、そのまま中庭に滑り込んだ奈美は知らない。全然、何事もないわけではなかったことを。
「今の女人、どこのご令嬢だ⁉」
すれ違った後しばらくして、一人の官吏が上気して仲間に訊ねた。
「見たことがない顔だな。それにあんな髪色、初めて見た」
仕事の一環として、珂族の令嬢が集う社事教練所に定期的に通う官吏が答えた。
「だが、あれほど美しいご令嬢なら、噂のひとつにでもなると思うが……」
「もしかすると、国外のご令嬢なのではないか? それなら説明がつく」
「だが、何故、こんな大殿に?」
「……それもそうだな」
そうして、しばらくの間、彼らたちは謎の美女の正体に頭を悩ますことになるのである。
(ふう……さっきはびっくりしたな……)
中庭の池の前に座り込むと、奈美は大きなため息をついた。
それもこれも、王様のせいだ。何が目的で、自分に女人の姿をさせるのか。
(そもそも、何で王様が私なんかのことを知ってるの? カンドル隊のたかが料理番なんてお呼びでないでしょうに……)
オウキの護衛として隊員の一人が女官に扮装すると王様に伝えたと、ライカから聞いていた。だが、本当はその隊員が女人なんてことは言っていないだろう。
(てことは、講義と支度を手伝ってくれた女官さまたちからバレたのかな。私がカンドル隊の人間って知ってたし……──あ、)
その時、納賽の儀の時にやらかしてしまった失敗が頭によぎる。
(……そういえば、一瞬だけ顔出ししちゃったんだった……)
垂衣をめくり上げたその隙に、王に顔を見られてしまったのかもしれない。誰にも見られていないと思っていたが。そして、顔を見て女だと気づいた王が、その女がいつもは男のフリをしていると女官から聞いて、もしかすると気を遣ってくれたのかもしれない。
奈美は自分の推理に一人、こくこくと肯いた。
(ある……ありうるわ)
「どうかしましたか? 一人で肯いて」
「わっ‼」
奈美が飛び上がって後ろを振り向くと、そこには先日この場所で会った青年が立っていた。今日も前と同じく、町にいる一般的な男性のような恰好をしている。
「あっ! 『爽やかキラ男』!」
「はい?」
「あっ、いや、何でもないです」
慌てて誤魔化した奈美だったが、彼は気分を害することもなく、ニコニコとしている。
「また会えましたね。今日は一段と輝いていますね」
男が自分を眩しそうに見て言ったので、奈美は慌てて説明した。
「ち、違うんですこれは。私にもよく分からないんですけど、いきなり拉致されたと思ったらこんな姿に着せ替えられて……」
「カンドル隊に在籍している、男装の女人を本来の姿に変えてやりなさいという、王様のお達しがありましたからね」
勝手知ったる様子で男が言ったので、奈美はキョトンとした。
「えっ……どうして知ってるんですか?」
(ま、まさか……女官さまだけじゃなくって、下働きの人の耳にまで届いてるの……⁉)
そんなの、王城の上から下まで全員知っているようなものだ。先ほどすれ違った官吏たちにやけに見られていたのも、そのせいだったのかもしれない。普段は男装しているおかしな女が、身分不相応な恰好をしていると。きっとそうだ。
「うわあ~~~~……」
嗚呼、穴があったら入りたい。穴がないのなら、早く元の男の姿に戻りたい。恥ずかしすぎて、奈美は思わず顔を覆う。
「あんまり見ないでください……。分不相応って分かってますから……」
「そんなことありませんよ。とてもお似合いです」
「うう……」
そんな真っすぐな眼とキラキラした笑顔で言わないでほしい。同情心と社交辞令からそう言っているであろうに、こんな好青年に言われては心臓がもたない。それに、そんなことを言わせるのが大変申し訳ない。
それにしても、以前東菊で同じようなことがあったな、と奈美はふと思い出した。あの時も綺麗な女人姿に仕上げてもらった。が、しかし、相手がテスやダンチョウだったから、ふざけた調子で見せられたのだ。相手が違うだけで、こんなにもこっ恥ずかしいものとは。
奈美が塞ぎ込んでいるので、青年が助け舟に話題を変えてくれた。
「でも、びっくりしました。カンドル隊の方だったんですね」
「あ……すみません。隠してたわけじゃないんですけど、前会った時は言ってなかったですよね」
奈美がようやく顔を上げると、男が顔をパッと明るくした。それを見て、奈美は少しドキッとした。
(大の男の人だけど、なんか……犬みたいで可愛いな)
一緒に居てほのぼのする男性は初めてだ。うちの隊長とは、えらい違いだ。
奈美もつられて頬筋を緩ませていると、犬系男子が口を開いた。
「そういえば……お名前をうかがってなかったですよね?」
「あ、そうでしたね。私、ナミっていいます」
「ナミさん……ですね。僕はタカイヌといいます。よろしく」
「タカイヌ……さん、ですか」
思えば、この世界に来てこんな風に仲良く喋る男性(カンドル隊と卸問屋の主人を除く)は初めてだ。カンドル隊の連中と違って、無骨なところは一切見当たらないし、品がある。良い友達になれそうだ。
「それはそうと……タカイヌさんは、お仕事大丈夫ですか? もしかして休憩中?」
「はい」
ライカが戻ってくるまでは暇人の自分と違って、タカイヌは仕事があるだろう。そう思って確認すると、休憩時間中だと言うので、奈美はホッとした。
「次の予定まで少し時間があったのでここに寄ったんですけど。会えるかなと思って行ったら、本当にあなたが居て。嬉しくなりました」
(またまた、こんなことをキラキラな顔で言う!)
まあ、爽やかキラ男だから仕方あるまい。だが、顔が赤くなる点については、彼の言動に慣れるまでは見逃してほしいものだ。
「ま、まあ、今日も隊長の付き人でお供してるので、ここにはこれからもよく来ることになりそうです。最近、うちの隊長、王様によく呼ばれるみたいなので」
「じゃあ、これからもそのお姿を目にすることができるわけですね。楽しみだなあ」
「え⁉ 王様のお達しって、今日だけのことじゃないんですか⁉」
(特に考えてなかったけど……なるほど、そうしよう)
タカイヌは頭の中で一瞬そう考えると、満面の笑みで答えた。
「ええ、永久的に有効です」
「ウソ……王様って何考えてんの……イミわからん」
奈美が頭を抱えてそう呟くのを聞き、タカイヌの笑顔がギクッと固まった。
「い、嫌ですか……?」
タカイヌのその顔がしょげ返った犬の顔にしか見えなくて、奈美は慌てて叫んだ。
「え……⁉ う、ううん! 嫌ではないかな⁉」
「そうですか……!」
タカイヌの顔に再び笑顔が戻るのを見て、奈美は心の中で思った。
(爽やかキラ男&犬系男子属性……恐るべし!)
タカイヌの頭に耳が生えている幻覚まで出てきた気がする──と奈美が思っていると、タカイヌが微笑を浮かべてこちらを見ているのに気付いた。
「あ、あの、何か……?」
「あ、すみません……。いえ、僕の周りには、ナミさんのような女人は居ないなあと思いまして」
「あ……それ、色んな人から言われます……。気に障っていたなら、すみません……」
そう、この世界に来てからだが。どうも自分は、この世界の一般的な女人像からは外れるようなのだ。オウキやシイラシ等々のように淑やかさは無いのは、確かに自分でもわかる。
しょんぼりとした奈美に、タカイヌは慌てて言った。
「そんなつもりで言ったんじゃありませんよ! 何だかいいなあと思ったんです! 何でも話しやすいですし……」
「……そう、ですか?」
「はい!」
タカイヌはそう言い切ると、少し迷うような顔をしたものの、やはり決めたとばかりに話し始めた。
「……実は今、悩みがありまして……よかったら、聞いてくれませんか?」
「私で良かったら全然聞きますよ?」
タカイヌは一度奈美を見てから、足元に目を落として、語り始めた──。
◇◇◇
ライカは、王との謁見前に、イルグカとの会議を約束していた。場所は、大殿・政務区の一室である。
「──このように、前王一派の重鎮を中心に隊員たちに見張らせていましたが、納賽の儀前から今に至るまで、不審な点は特に見受けられません」
ライカは大机の上に置いた都周辺の拡大地図を指しながら、説明を終えた。聞き終えたイルグカは、顎髭をさすりながら、口を開く。
「オウキを狙うような動きも、今のところ無い。ううむ……オウキを王妃に立てても、手がかりは得られぬ……か」
難しい顔で唸ったイルグカに、ライカが口を開いた。
「……気になる点がひとつ。先日の、納賽の儀の後に襲われた者が誰であったか、思い出してください」
「ジョウゴ家の娘御であったな……。襲撃された時の一太刀で即死だったそうな……まだ16だというに、気の毒な──」
「そうです。一派の中でも底辺であるとはいえ、前王一派であるジョウゴ家のご令嬢が、ただ怪我を負うのではなく、亡くなったのです。ちなみに、それまで襲われた4人のご令嬢は、即死が二人、怪我で済んだのが二人と半々です。それぞれ派閥も家格も、バラバラですね」
「何が言いたいのだ、ライカどの?」
「今回の下手人の黒幕ですが、タカイヌ王の対抗勢力──つまり、前王一派である可能性を考えていました。仮に前王一派が黒幕だとして、自分たちに目が向けられるのを防ぐために演じた狂言だとしても、派閥仲間のご令嬢の命まで奪うでしょうか。しかも、ジョウゴ家のご子息はその有能さを王様に買われて、近々民部卿の補佐官として大抜擢されるとか。そんな家のご令嬢が即死なのです」
「確かに言われてみればそうだな」
イルグカは考えた。この一連の令嬢を狙った黒幕は、誰なのか? そして、その目的は?
黒幕の正体は前王一派、という線が薄いのなら──。
「王の妃候補を潰そうとしているわけではないのか……?」
イルグカのつぶやきに、ライカは目を細めて言った。
「……念のため、本日から都中のご令嬢に護衛をつけます」
もちろん護衛に携わるのは城の兵ではなく、カンドル隊だ。珂族は多少はあれど私兵を持っているが、その護衛の中に城兵が加われば、ただでさえ巷の騒ぎで不安を感じているであろう令嬢に、さらなる不安を煽るからだ。カンドル隊ならば私兵に紛れやすいのでちょうどよいのだ。
だが、それを聞いたイルグカは驚いて、声を上げた。
「都中すべての令嬢、と申すのか? カンドル隊は総勢30名にも満たない軍だろう。都中合わせて、どれほどの令嬢がいると思っておる? そのすべてに隊員をつけるというのは、いくらカンドル隊といえども──」
「──イルグカ様。お聞きになったことはありませんか? カンドル隊の術持ちは一騎当千だと」
「…………!」
ライカの昂然たる口ぶりに、イルグカは思わずごくりと唾を飲み込んだ。確かにこの男たちなら、そうだと思わせるものがある。
(……まあ、実際は一騎当千までとはいかないかもしれないが)
ライカは心の中でニヤッと笑うと、イルグカに告げた。
「それでは、都全体の護衛は二名の隊員を中心にやらせます」
「た、たったの二名で、都中の珂族の護衛を?」
「はい。彼らは、その気になれば数百、数千の部下を手に入れることができるので。獣と蟲ですが」
「おお、もしかして、私たちの時にも世話になった彼らか……!」
イルグカも確かに覚えている。獣使いと蟲使いには、娘の件で大活躍してもらったのだ。
その後、話し合いを進め、他の隊員たちは都の各所に分散させ、交代で待機させることに決めた。襲撃があった場合は、その場所に加勢させるのだ。
もちろん、この作戦に問題がないわけではない。
(とりあえずの課題は、イスビとシム──特にイスビを説得することだな……)
ライカは待ち受ける難題にため息をつきながら、イルグカとの会議を終えた。
もうすぐ王との謁見の刻だ。廊下に出て、王の執を室に向かう途中、ライカの目にあるものが入って、ギョッとした。
吹き抜きの中庭の草の上に、一人の珂族の令嬢が座っている。よくよく見ると、それは奈美だった。
(……何だ、あの姿は⁉ いや、そもそも、控え所を抜け出して何やってるんだあいつは!)
何故だか、彼女は一人、ケタケタと笑っている。その時、奈美の肩にひょこっとリスが顔を出した。どうやら背中を這い回られ、くすぐったくて笑っていたらしい。
それから、近くに数羽の小鳥が地面に降りてきたのを見た奈美が、おいで~と言いながら手の平を差し出した。すると、小鳥たちが奈美の手に止まったので、奈美はぱっと顔を輝かせている。
奈美がどうして、ふれあい動物園にいるかのような光景にあるのかには理由があった。先ほどまで喋っていたタカイヌから、この中庭には実は小動物が棲みついていて、人に懐いていると聞いたので、仲良くなれる秘訣──いつもタカイヌが与えている餌を授けてもらったのだ。そのおかげで、初対面の奈美にも怖がることなく、近づいてきてくれたのだ。
「……何やってるんだ、あいつは」
くっくっと笑いながら、ライカは奈美を観察していたが、ハッと我に返る。
呑気に見ている場合ではない。文句を言いに行かなければ。
「何なんですかあれは!」
執務室に入るなり、ライカはそう怒鳴った。怒鳴った相手はもちろん、景王、である。
「入ってくるなりお説教ですか、兄上」
苦笑いを浮かべながら、タカイヌは答えた。
「でも、おかしいですね? 怒られるようなことをした覚えはないんだけどなあ……?」
「とぼけないでください。どうせ王様の仕業でしょう、うちの隊員におかしな恰好をさせたのは」
「そうですか? 僕は、女人が男の姿をしている方がおかしいと思いますが」
口答えするなと言わんばかりにライカが一睨みしてきたので、タカイヌの背筋がぴゃっと伸びた。
「……それにしても何故、こんなことを? こんな遊びに付き合っているほど、お暇ではないはずでしょう。そもそも、何故彼女のことをご存じで?」
「納賽の儀で、ナミさんが顔を出したでしょう。一瞬だけでしたけど。まあ、あれがナミさんのことを知るきっかけになりましたね」
……やはり、自分以外にもあれに気づいていたか。ライカが心の中で奈美のしくじりに舌打ちをしていると、タカイヌがニコニコと話を続けた。
「それで、普段は男のふりをしていると聞いたものですから。この王城にいる間くらい、本来の姿で過ごしてほしいなあと思ったんです。あの女人本来の美しさを隠しておくのは勿体ないですよ。現にほら、ナミさん、お綺麗だったでしょう?」
「…………」
ライカは答えない。確かに、着飾った奈美を見て少しも心を乱されなかったと言えば嘘になる。だが、タカイヌの手前、それを認めるのは癪だ。
タカイヌはライカの頑固さに思わず失笑したが、今日ライカに会ったら聞こうと思っていたことを思い出して、口の端を引き締めた。
「兄上に伺いたいことがあるんですが……。他の隊員たちを偽ってまで、ナミさんをカンドル隊に置く理由は何ですか?」
この男は、妾をそばに置いておきたいから女人禁制の規則を破るなんて、そんな低俗な考えなど持っていない。だから、何か理由があるはずだ。
タカイヌはそう思いたかった。ライカがあの女人を傍に置くのは、女人として好いているからではなく、そうせざるを得なかった理由が他にあったのだと。そうでなければ、もうあの女人に近付くことができなくなってしまう──。
タカイヌがドキドキしながら待っていると、ライカが口を開いた。
「それは教えられません」
ライカがニヤリと笑って言ったので、タカイヌは呆気にとられた。残念そうな、かつ、ホッとしたよう顔で。
「ええっ、秘密ですか──」
「ただ、今は、ですが。“試し合い”が終わり、私たちが主従の契りを結びましたら、明かすことと致します」
「なるほど……それは頑張らないとですね、お互いに」
主従の契りを結ばないと言えない内容というのがものすごく気になるが、こう言われてはやるしかあるまい。
「……そういえば、僕が栖ノ国を口説き落としたら、兄上が何でも言うことをひとつ聞いてくれるんでしたね。もちろん、それとは別の話ですよね?」
タカイヌがニッコリと訊ねたので、ライカも笑みを浮かべて答えた──心の中で舌打ちしながら。
「……覚えてやがりましたか」
「ほら! 確認しといてよかったですよ! 兄上は昔から人を出し抜くのが上手いんだから……!」
「人聞きの悪いことを言わないでください。知略というものですよ、王様もご存じで──」
その時、執務室の扉の前に立っていた内官が吹き出した。二人の会話に堪えきれなくなったのだ。
「あ……大変失礼致しました。王様が楽しく話しておいでなのが嬉しくてつい」
「…………」
タカイヌとライカは一瞬視線を交わすと、ごほんと咳払いをした。ライカが話題を替える。
「ところで……女官たちはよく、そんな命令を素直に聞いてくれましたね。王妃が決まったばかりだというのに、どこの馬の骨だか知れない女人をめかし込むなど、もう側室かと噂されても仕方がありませんよ」
「王妃を娶ることになったからですよ。王妃が居てこそ、彼女たちは本分を果たせますから、機嫌がいいんです。だから、今なら僕の言う事を何でも聞いてくれるんです」
妃が決まった時から女官たちの意気込みといったらすごい。それを実際に見ているからこそ、タカイヌは怯えていた。
(実はオウキ殿は今回の作戦のための偽の妃でした──なんて言ったら、女官たちに殺されるんじゃないかな僕……)
タカイヌが乾いた笑みを浮かべていると、ライカがため息をつきながら言った。
「それはそうと、ナミを勝手にいじくるのはもうやめてください」
「えっ、ダメですよ。この城内で男装している限り、ナミさんを女人に仕立て上げるお達しは永久的に有効ですから」
「は?」
「何より、女官たちがやる気なんですよねぇ。王妃を迎えるまでの肩慣らしとか言って。今更、無しとか言えないですよ」
「王様……」
ライカは睨み付けるが、タカイヌは今度ばかりは屈しない。目の前のライカも恐いが、女官も恐いのだ。
「わかりました」
ライカが大きなため息をつくと、頭が痛いとばかりにこめかみを押さえて言った。
「『男装している限り』その命令が有効ならば、ここには女の恰好をさせてから来ることにします」
「え? どうしてですか?」
ライカは答えない。というか、言えるはずがない──女官たちによって仕上げられた奈美はあまりに美しく、他の男共の目に触れさせたくないなどと。それならば、ほどほどの女人姿で居てもらう方がまだ安心というものだ。
「……先ほどのイルグカ殿との会議での決定事項をお伝えします。問題なければそのまま準備を進めま──」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、女官たちにどう言えば……兄上~~!」
ライカが突然話題を変え、タカイヌは女官に咎められる未来を想像して半泣きになる。内官はそんな二人を微笑ましく見ているのであった……。




