納賽の儀
納賽の儀は本日、空渡城の中心部、正殿で行われる。奈美は窓から普段と違う王城の様子をうかがって、緊張していた。
正殿は賑やかな雰囲気だった。下働きから官吏までが、忙しそうに走り回っている。臣下をはじめとした国内の珂族や他国からの使者など、身分の高そうな者たちも、続々と集まっているようだ。
奈美はよろよろと窓を離れると、そばの椅子に腰かけた。緊張のせいか、衣裳の重さのせいかは分からないが、なんだか胸のあたりが気持ち悪くなってきた。
「大丈夫ですか? ナミさん」
そう声を掛けたのは、奈美と同じ衣裳をまとったチカノだ。二人の衣裳は何枚もの衣を重ねたもので、女官の式典用の正装だ。
「まあ、何とか……。チカノさんは緊張しないんですか?」
「しないことはないですが……緊張しても仕方ないですからね」
チカノはナミの背を優しくさすりながら、ニコッと笑う。
「そうだぞ、ナミ。主役は私なのだから、そなたが張り詰める必要はない」
「──オウキさま!」
部屋に現れたのは、豪華な衣裳を身にまとったオウキだった。金銀の刺繍が細やかに施されている分、奈美の衣裳よりもさらに重そうだが、平然と着こなしている。上衣の裾は長く垂れていて、歩きやすいように二人の女官が後ろで裾を持っている。
「すごい! オウキさま、素敵!」
奈美がわっと歓声を上げる横で、チカノも主人の姿を満足そうに眺めた。
「お召替えはお済みに?」
オウキはうなずくと、奈美とチカノの顔を見て言った。
「準備がよいか? さあ、戦が始まるぞ」
何を大げさな──とは言えない。この納賽の儀で、新たな妃に仇なす者が現れるかもしれないのだ。
奈美とチカノは女官たちからそれぞれ裾を受け取ると、オウキを先頭に、表の舞台へと向かった──。
◇◇◇
正殿は、多くの人で込み合っていた。儀の参列者たちはそれぞれ正装を身にまとい、正殿は鮮やかな色で埋め尽くされていた。
すでに到着していた珂族たちは、手持ち無沙汰に世間話を始めている。
「年明け早々、めでたいことですなあ」
「いや、まったく」
「しかし、聞いたときは驚きました。これまで妃選びに全く関心を示してこられなかったタカイヌ王が、突然、妃を決められるとは」
珂族の男たちは何気ない会話をしつつも、周囲をうかがっている。今回の儀に王城から招待された顔ぶれを見ることで、国政の情勢が分かるからだ。
一人の珂族の男が周囲に聞こえないように、声を潜めた。
「今回の件、何か裏があるとは思いませんか?」
「……私もそれは薄々思っていた。今回の新たな王妃となられる左大臣どののご令嬢は、男嫌いという噂……。そして、何の前触れもなく婚姻の公表をされた」
「今日の顔ぶれを見る限り、前ヤワジ王を慕っていた一派が敬遠されているわけではなさそうだ……。タカイヌ王が左大臣どのの娘御をお選びになったのは、単なる前王一派への牽制でしょうか?」
「我々、中立派もどちらにつけばよいか、悩むところですな」
「まことに。近頃、巷を騒がせている珂族の娘を襲う事件も解決していないというのに、悩み事が増えるばかりだ」
「そういえば、おたくもお嬢さんがおられましたな。うちも年頃の娘なのでまったく同感です」
そう言って、男たちは悩ましげにため息をつく。
その時、正殿の入口の方がざわめいた。男たちが見ると、一人の男が入ってきたところだ。眉目秀麗なその男は、頭に深緋の位冠を被り、薄青の位袍を身にまとっている。
「あれは……かの王殺しの子息、か?」
「そうです。父亡き後、カンナビ家の跡目を継ぎ、カンドル隊の隊長もやっている男です」
「久しく見なかったが……」
「王殺しの父を持つ術持ちか……よくも、この王城にのこのこと顔を出せたものだな」
周囲から侮蔑の視線を向けられていることにライカは気付いていたが、気にも留めず、ずんずんと正殿を進む。
──自分や隊員たちに対する蔑み。父がまだカンドル隊の隊長をやっていた頃──カンナビ・バイカ将軍が国の英雄だった頃は、これほどあからさまに向けられることはなかった。
だが、侮蔑を隠されない方がいっそ清々しくて、むしろライカにとっては好ましかった。余計な腹の探り合いをする手間も省ける。
(ま、相手にするだけ無駄だな)
ため息を小さくつくと、指定された位置で立ち止まる。参列者が立つ場所としては壇上から最も近い、最前列だ。
それを見た珂族たちは、皆一斉に息を呑んだ。なぜならライカが立った場所は、王族を除き最上位の身分である葡萄杢位の珂族、または国外の使者など、選ばれたほんの一握りの者にしか立つことのできない場所だったからだ。
「あの場所は──」
「久しぶりの王城で、礼儀作法も忘れてしまったのか、あの男は……」
「いや、しかし、官吏が笏を渡しているぞ。間違えているわけではないのか……」
一人の官吏がライカの元にやってきて、恭しく笏を差し出している。ライカがそれを受け取り、一礼してその場を去っていった官吏を見て、周りの者たちは動揺を隠せない。
「……つまり、あの場所で招待を受けたというわけか」
それはつまり、景王から重用されていることを意味する。
「だが、あの者は今、城で特に職務についていないのではなかったのか?」
一人のその言葉に、他の珂族たちは神妙に顔を見合わせた。
──これから、王城で何かが変わる。彼らは変化の兆しを感じた。
納賽の儀が始まった。
広々とした正殿に、参列者が左右に分かれて整列している。その間の道を、王妃となるオウキがゆっくりと進む。その後ろには二人の女官が横に並び、オウキの裾を持って、付いて行く。参列者たちは皆、中央の道の方を向いて畏まっている。
(うわーーうわーーーー! お偉いさんたち、右も左も、みんなこっち向いてるし‼)
大人数の圧に、奈美は心の中で思いっきり叫ぶ。しかし、ドジを踏まないよう、しっかりとやるべきことはやる。
(怪しい人がいないかチェック……と)
垂衣付きの笠を被っているので、周りを観察しやすくて助かる。今の所、誰も不審な動きをしている者はいなさそうだ。
(みんな下を向いてるし、このひらひらした布のせいで、よく顔が見えないけど……あの人は確かあの辺りに立っているのよね)
奈美は垂衣越しに、こっそり最前列の方を見る。見えにくいが、奈美はわかった。
(──あれだ)
ライカは他の参列者同様、笏を両手で持ち、うつむきがちに畏まっている。
きちんとした格好をしているライカは、いつにも増して目立つような気がする。元々男っぷりのいい顔立ちが活かされるのだ。冠で隠れて見えないが、いつもは雑にひとつに結んだだけの髪は、今日はきちんと頭上でまとめられているようだ。
(ふーん、ああいう姿をしてると結構カッコイイんだけどね。…………⁉ いやいやいや、普段、地味~で質素なカッコを見慣れてるせいだわきっと‼)
奈美が一人、心の中で言い訳をしている間に、オウキが壇の前に着いた。
壇上には景王が立っている。王がガラス玉のようなものが連なった飾りをじゃらじゃら付けた冕冠を被っているのと、自分の視界不良のせいで、王の顔はよく見えない。何となくわかるのは、意外と若そう、ということだ。
(ちっ、残念……王様の顔、見たかったなー)
といっても所詮、自分は王様の顔などお目にかかれる人間ではないことは奈美も分かっていたので、それほど残念でもない。
(……ふむ。ここまでは順調だ)
タカイヌは、壇の下でひざまずいて礼を尽くすオウキを見て思った。重量のある衣裳を身にまとうオウキが独力で礼をするのは難しいので、後ろにつく二人の女官が、後ろからオウキを支えている。
(どうか、何事もなくこの儀が終わってくれれば。この大変な役目を担ってくれているオウキ殿に何かあっては、左大臣殿に申し訳が立たないからね)
それに、オウキの付き人の、あの不思議な娘も。左大臣の娘とあれば、お付きの者も珂族であるのが一般的だ。ゆえに、彼女はこの場にいるはず。垂衣で顔が確認できないが、後ろの女官のどちらかが、きっとあの娘なのだろう。
そして、もう一人の女官がカンドル隊の者だということはライカから聞いている。カンドル隊の隊員たちが城兵に扮装して正殿の周りを警護してくれているが、それでは不安ということで、女官に扮した隊員も配置することにしたらしい。
本来、儀への武器の持ち込みは禁じられているが、ライカとその女官隊員二人だけは剣の所持を許可した。もちろん、他の者の目に触れぬよう、衣の中に隠すという条件付きでだが。
(それにしても……兄上がそばにいてくれるだけで、安心感が半端ないな)
タカイヌはちらっと最前列に並ぶライカの方を見て、思わず顔をほころばせた。万が一の時、すぐに駆け付けてもらえるように最前列に並んでもらうよう手配したのだが、はじめはライカに断られたものだった。
(たぶん兄上は、自分が最前列に立つことで政が混乱するのを恐れたんだろうな……。でも、そのうちカンドル隊を直属に置くんだから一緒だよ。……あ。でも、その前に栖ノ国を口説き落とさないと……)
タカイヌが冕冠の飾りの奥で苦笑いをしていると、礼を終えたオウキが壇上に上がってきた。
それに併せて二人の女官も壇上に上るが、オウキの裾をきれいに整え置くと、作法通りに壇を降りていく。それを見て、タカイヌは感心した。
(カンドル隊には男しかいないはずだから、あの女官のどちらかは男なのか……。顔は見えないけど、どちらも背格好からして女人にしか見えないなあ)
作法もよほど練習したのか、どちらの女官も見事に役割をこなし、違和感なく女官役を演じている。無骨な隊員ばかりと思っていたが、カンドル隊も中々やるではないか。
タカイヌがそんなことを思っていると、一人の男が、壇上に上がってきた。神官長だ。
「三種の神宝をこちらに」
神官長がそう告げると、年かさの官吏三人がしずしずと現れた。三人は両手に盆を持ち、その上にはそれぞれ一つずつ、何かが載っている。御璽、鏡、剣、だ。
(あれが、景王が代々受け継ぐ王位のしるし……)
奈美はごくりとつばを飲み込んだ。聞くところによると、三種の神宝は古代から受け継がれているものらしい。そんな大層なものを持たされているのだ。官吏たちが緊張するのも肯ける。三人ともわずかに手が震えているのが見える。
三人の官吏は揃って礼をすると、御璽を持った官吏がまず壇上に上がった。彼は壇上の祭壇に盆を置くと、しずしずと下がっていった。
次は、鏡を持った官吏だ。祭壇に置くと、同様に壇の下へ降りていく。
最後、剣を持った官吏の番になった。先の二人を同じように壇上に上がろうとしたのだが、緊張で足が思うように動かなかったのだろうか。壇につまずいた。
それを見ていたタカイヌやオウキ、神官長、参列者たちはその瞬間、息を呑んだ。奈美もその一人だ。
だが、他の者たちと違ったのは、ただ驚いたのではない。なぜなら、官吏がつまずいた先にはちょうどオウキが立っていたからだ。
(オウキさまが──危ない⁉)
もしあの官吏がつまずいたと見せかけて、オウキに害をなそうと企んでいる者だったら──。しかも、あの官吏が持つのは、ちょうど剣だ。
──敵が剣を持っている場合、こちらも武器を持っていることを示せ。
それだけのことが、奈美の頭の中を瞬時に駆け巡る。次の瞬間、奈美は懐の中に忍ばせておいた短剣の柄を右手で掴んでいた。さらに、左手で邪魔な垂衣を笠の上にめくり上げる。
だが、奈美はそこでぴたりと止まった。官吏は慌てて体勢を直し、オウキの横を通り過ぎたからだ。祭壇の上に盆に載った剣を置くと、官吏はホッとした顔で壇を下りて行った。
「あ、あれ……?」
奈美が呆然としていると、隣からチカノの慌てたような囁き声が聞こえてきた。
(──ナミさん!)
奈美はハッと我に返り、慌てて短剣の柄から手を放す。ついでに垂衣を下ろすのも忘れない。
(や、やっちゃったーーーー!)
短剣はギリギリ懐から出していなかったが、突然垂衣をめくり上げる行為は流石に怪しすぎる。穴があったら入りたいものだが、垂衣で顔が隠れているだけまだマシだ。誰にも見られていないことを切に祈るが、ライカは気付いている気がする。
(あー……あとで小言言われるよね、これ……だから、剣なんか持つなって言われそう……)
実際、皆の視線は官吏の方に向いていたので、奈美の不審な行動に気づいたのは参列者を含め、ほとんど居なかった。
だが、壇上の一人は一部始終を目撃していた──景王タカイヌだ。
確かに、見た。三種の神宝のひとつ、神剣アメノオハバリを捧げる官吏がつまづいたちょうどその時、向かって右に立つオウキ付きの女官が、懐に手を伸ばしたのを。剣身は隠れて見えなかったが、その手に握っていたのは剣の柄に間違いない。
そして、その女官の正体は男ではなかった。タカイヌが知っている顔だった。
(──大殿の庭園で会った、あの女人じゃないか)
その瞬間、タカイヌは自分が思い違いをしていたことに気が付いた。彼女がオウキの付き人だと思っていたが、もう一人の女官が本当の付き人だ。そして、不思議な髪色をしたあの女人こそが、カンドル隊の一員だということを。
(……とすれば、女人禁制のカンドル隊に女の武人が入ったのか? でもそんなこと、兄上が許すはずもないし……。かといって、彼女がああ見えて実は男だとも到底思えない)
神官長が儀式を進めるのを見つつ、一人考えていると、タカイヌはある事を思い出した。庭園で彼女は、男の姿をするよう主人に命じられていると言っていた。何か訳ありで。
(……つまり、兄上が彼女を男装させて、他の隊員たちには男と偽って入隊させた?)
しかし、どうにも腑に落ちない。何故、そんなことをする必要があるのか?
タカイヌが冕冠の奥で悩んでいる間、神官長が長い祝詞を述べ終えた。
「これにて、我が景ノ国の王とカザノエ・オウキは、大御神の名のもとに、縁組の契りを許されました」
神官長のその言葉を合図に、隅に控えていた楽師たちが演奏を始める。笛や太鼓、琴が優雅に鳴り響き始めると、二人の舞子が祭壇のすぐ隣の踊り場に現れた。
(これがウワサの巫女さんの舞かあ~~)
奈美は先ほどの失態をすっかり忘れ、目をキラキラとさせながら、優雅に舞う舞子に注目した。実は、納賽の儀に関して色々と学ぶ中で、ひそかに楽しみにしていたのだ。
この舞は、神に舞を捧げ、契りを交わした男女が神の祝福を受けるようにという意味が込められているらしい。舞うのはどちらも若い女人で、聞くところによると、普段は神殿に仕える巫女らしい。神事に仕えるのも仕事のひとつというわけだ。
(……なんだか、神秘的)
奈美がうっとりと眺めている間も、儀式はつつがなく進み、そしてお開きとなった。
納賽の儀は滞りなく終わり、カザノエ家の娘が王妃としてまもなく君臨することを、国内外に知らしめたのだ。儀に新たな妃に仇なす者が現れなかったことに、タカイヌやイルグカは胸を撫で下ろしたのもつかの間だった。
納賽の儀のわずか三日後、珂族の娘が新たに襲撃されたのだ。




