面白い女人
城でオウキから軽く聞いてはいたが、窟に帰ってからライカに詳細を聞いて、奈美は口をあんぐりと開けた。
「本当に私が、その納賽の儀っていうのに出るの!? オウキさま付きの女官として!?」
珂族の娘が襲撃されるのを阻止するべく、オウキが偽の王妃役を買って出た。
襲撃犯にそのことを知らしめるのに重要なのが、「納賽の儀」だ。これはいわゆる王族における結納の儀式であり、国内外に婚約を知らせる大事な行事である。
納賽の儀は、重臣を始めとした国内の珂族、そして他国からの使者も参加する、厳かかつ盛大な行事だ。そのことを今、ライカから教えられ、奈美は困惑していた。
「そんなに偉い人がたくさん集まる儀式に出るなんて、絶対ボロが出るよね私!?」
オウキから聞いた時は、内輪程度の人数で、ぱぱっと式が終わるものだと想像していた。だがよくよく聞けばその儀式、大勢のお偉いさん集団に見守られながら、オウキの後ろをついて歩かなければならないらしい。しかも多くの段取りと作法があるらしく、奈美にはヘマをする未来しか想像できない。
ライカはため息をひとつつくと、もっともなことを言った。
「ま、明日から稽古だな」
「はい……」
ライカの言う通りだ。オウキが大変な役目をやるというのだから、奈美としてもできる限りの応援をしたい。そのためには練習あるのみ、だ。
奈美を安心させるためか、ライカは付け加えた。
「そんなに心配するな。皆の興味の対象は、王の妃となる者だけだ。そのお付きの女官など誰も見ちゃいない」
そういうものか……と奈美は思ったが、あることを思い出した。
「でも、カンドル隊も警護で式場に入るんでしょ? いくら何でも、カンドルのみんなにはばれちゃうんじゃない? ほら、女だってバレたらまずいから、女の姿を晒すのはダメでしょ」
「それも問題ない。お付きの女官は垂衣付きの笠を被る決まりになっている。薄い布だが、よほど近づかない限り顔は見えない」
「そうなんだ」
それから数日後、奈美は再び、ライカに付いて景城に上った。ライカが王と会うため執務室に向かった後、奈美も官吏に案内され、とある部屋に通される。ここにはこの前、入ったことがある。オウキの待合室だ。
「ナミさん、こんにちは」
中には一人の女がいた。オウキの小間使いのチカノだ。
「この度は無理なお願いを聞いていただいて感謝しています」
「チカノさん! いえ、オウキさまのお役に立てるならこのくらい」
「ありがとうございます。それでは早速、こちらの衣に着替えていただけますか?」
チカノがくすっと笑うと、奈美に衣一式を手渡した。女物の服だ。
今日はただの付き人として城に来たわけではない。城の女官による、納賽の儀の作法の講義があるのだ。今日はオウキも一緒に講義を受けることになっている。
奈美は服を着替えながら、チカノに尋ねる。
「オウキさまは今どこにいるんですか?」
「納賽の儀で実際に身に着ける衣裳合わせをしておりますわ。講義にはそれが終わり次第、参加されますよ。そうそう、私たちの衣裳合わせは後日あると、先ほど女官さまがおっしゃっていました。楽しみですねっ」
そう言ってチカノがうふふと笑ったので、奈美がえっと声を上げた。
「もしかして、チカノさんも納賽の儀に出るんですか?」
「はい。不束者ですが、女官の一人として私も参加させていただくことになりました」
にっこりとチカノがうなずくと、奈美は思わず相好を崩した。
「良かったぁ! オウキさま付きの女官って合わせて二人いるって聞いてたから、あと一人は誰なんだろうって少し不安だったんです! チカノさんで本当に良かった~~」
女官とは王城に仕える女性官吏のことで、身分の高い女性にしか務められない。奈美は、そんな人なら偽物女官の自分はさぞ煙たがられるのではと思っていたのだ。
「そんなに喜んでもらえるなんて、私も嬉しいですわ。主人の輿入れの際、生家からお仕えしていた小間使いがそのまま嫁ぎ先でもお仕えするのは景ノ国ではよくあることなんです」
「……ん?」
奈美はチカノの言葉に少し引っかかることがあって、首を傾げた。
「でも、女官って身分の高い人しかなれない職業なんでしょ? 嫁ぎ先に一緒についていく慣習があるとしても、ただの小間使いが女官にクラスチェンジできるのかしら……?」
クラスチェンジという聞きなれぬ言葉に首を傾げながらも、何故だかチカノは恥ずかしそうに答えてくれた。
「イルグカ様率いるカザノエ家のような家格の高い名家は、ご令嬢の小間使いに家格の低い珂族の娘を用います。つまりはその、恥ずかしながら私、珂族の端くれでして……」
「えええっ‼ チカノさんって珂族サマだったんですか⁉」
奈美は思わず叫んだ。そして、チカノに対して気安く話しかけたこれまでの自分の所業が頭の中を駆け巡る。
「だって、チカノさんってすごく親しみやすい雰囲気だし、普通の服着てるから! まさかそんなに偉い人だなんて思わなくて……あっ、口に出てました⁉ ごめんなさい、私ったら失礼なことを……!」
「いえ、大丈夫です……」
チカノは吹き出しそうになるのを堪えながら、何とか答えた。
「珂族といっても私の家は本当に底辺の家格で……没落しかけの珂族なんです。暮らしぶりは平民と同等、いえ、それより貧しいかもしれません。それなのにイルグカ様とオウキお嬢様は私を用いてくださり、本当に感謝の言葉しかないんです。だからナミさん、お願いですからどうか、今までと同じように接してくださいね」
「チカノさんがそう言うなら……でも、迷惑だったらすぐに言ってくださいね⁉」
ナミの言葉を聞いて、チカノは嬉しそうに笑った。
「でも、可笑しいですわ。ナミさんったら、私にはそんなにへりくだるのに、すぐそばにいらっしゃる家格の高い珂族の方には気安いんですもの」
「……えっ?」
イルグカ様のこと? それともオウキさま? 二人に対してそんなに失礼なことをしてしまっていたのかと奈美が考えていると、チカノが爆弾を投下してきた。
「ライカ様ですよ。王族の次に位の高い珂族──例えばイルグカ様やオウキ様は葡萄杢の身上札を持ちますが、その次に位の高い珂族は如鱗杢の身上札を持ちます。ライカ様はこの如鱗杢をお持ちになるほどのご身分なのですよ」
「まっ──」
まさか、そんなことがあるはずがない。あの男が身分の高い人間だとは、奈美には到底思えない。
(だって獣みたいに洞穴にひっそりと住んでて、無骨な男たちのリーダーやってて、愛想がなくて不躾で……あれ?)
その時、奈美は初めて景の都に来たときのことを思い出した。そういえばライカが身上札を見せたとき、門兵が地面に頭をつけそうな勢いで恐縮していたシーンが頭をよぎる。
(え、ウソ……ライカが珂族……⁉)
奈美は頭が混乱してきた。もしそれが本当なら、とてもまずい気がする。これまで自分はライカに対して何を言い、してきたか? チカノに対するものとは比にならないほどの、数々の所業……。
「まあ、ライカ様とナミさんの間柄ならそんなの関係ないですよねっ。私が見るところ、ライカ様はナミさんにすっかり心を奪われていますから、ライカ様の方はとっくに身分の壁なんてぶち壊していらっしゃいますよ!」
「謝ったら許してくれるかな……? いや、あの人意地が悪いからそう簡単には……あっ、一人だけ食事のメニューを豪華にしてみよかな⁉ それとも肩揉みとか…………」
ぶつぶつと一人考え込んでいる奈美には、もはやチカノの声など聞こえていない。それを見たチカノは、うん、と一つ頷いた。
(ナミさんがライカ様にどのくらい想われているのかさりげなくお伝えしたかったのですが……面白いからこのまま放っておきましょう)
◇◇◇
着替えの後、奈美はチカノと共に作法の講義を受けた。オウキはというと、思った以上に衣裳合わせに時間がかかり、奈美たちの講義が終わるのと同時に現れた。
今はオウキ一人で講義を受けている最中だ。講義の手伝いで、チカノも共に講義部屋に入っていってしまった。
一人になった奈美は、女人姿のまま、退屈しのぎに庭園に行くことにした。前に来た時は少し見ただけだったので、今度はじっくり過ごしてみたかったのだ。もちろんオウキと官吏に許可はもらっているので、堂々と居られるというわけだ。
庭園に入り、しばらくぶらぶらと歩く。前に見た時も感動したが、本当にこの庭園は素晴らしい。今日も天気が良く、日光を受けて、草木がキラキラと輝いている。
やがて、池にたどり着いた。池のすぐそばに木々に囲まれている場所があって、人目に付きにくそうだ。奈美は池のそばに腰を下ろして、少し休むことにした。
「あーー疲れた……女官さまの講義、キツかったな」
講義を担当してくれた女官たちの力の入れようは、それは凄かった。今の景王は王妃どころか、妾の一人も囲うことがなかったらしい。そのせいでこれまで女官たちの出番がこれと言ってなかった分、突然の王妃決定の知らせは青天の霹靂だったようだ。今日、女官たちの張り切りようを目の前で見てきたが、本当はオウキが王妃になる日は来ないと知ったら、彼女たちはどれだけ落胆するだろう。
ぽかぽかと心地よい日差しを受け、奈美は眠くなってきた。王城でこんな体たらくはいけないと思うのだが、毎日の料理番の仕事に読み書きの勉強、と寝不足が続いているせいだ。少しだけと自分に言い聞かせ、奈美はごろんと横になった。
(オウキさまとも一緒に講義受けたかったけど……ま、しょーがない。儀式の日まで、また会えるチャンスもあるしね)
ふかふかの草が余計に眠りを誘う。奈美の瞼が閉じてからは、あっという間だった……。
タカイヌが再び天女を見つけたのは、偶然だった。
定例会を終え、執務室へと向かっているところ、庭園に差し掛かった時だ。例の天女が池のそばで、仰向けに横たわっている。
「え……⁉」
それを見て、タカイヌはぎょっとした。辺りを見回し、人影がないことを確かめると、迷わず庭園に入った。
ゆっくりと近づき、天女のそばにひざまずく。天女の胸がゆっくりと上下しているのを見て、タカイヌはホッとした。
「寝ているだけか……」
いや、この王城で堂々と寝ているのもおかしいのだが。しかも若やかな女人が、だ。
「……面白い女人だな」
タカイヌはくすっと笑うと、その横に腰を下ろした。
(次の予定まで少し時間があることだし……この者が目を覚ますまで、報告書でも読みながら待ってみよう)
そして、この女人が天女なのか、それとも普通の人間なのか。いつ目が覚めるかとワクワクしながら、タカイヌはその天女をじっと見つめた──。
「……あ、れ?」
日差しのまぶしさに、奈美は目をぱちくりとさせた。
(あ……そうか。私、庭園で寝ちゃったんだ……)
「んん~~~~っ、よく寝た」
奈美は上半身を起こし、伸びをしたところで、ぎょっとした。見知らぬ男が微笑みながら、こちらを見ているのだ。
「よく眠っていましたね」
男はそう言うと、奈美が起きるまで目を通していたらしい紙をたたんで横に置いた。
「いくらここが大殿とはいえ、危ないですよ。若い女人が無防備な姿をさらすのは」
その男は責めるような口調でもなく、ニコニコとしている。穏やかそうな人柄で、奈美は思わず警戒心を解いた。
「あの……すみません。寝不足がたたりまして、ついうたた寝を……」
「わかります。実は僕も、ここで仮眠したことがありますよ。日差しが気持ちいいんですよね」
「そうなんです! 草木の音も耳心地がいいし、それで気持ちよくなってついつい……」
そこで奈美ははっと我に返った。のんきに同意している場合ではない。
「……すみません」
奈美は顔を赤くして縮こまった。それから、ちらっと男の方を見てみる。男は自分と同年代くらいの年頃だろうか。町男のような普通の衣を着ている。素材が良いもののように見えるが、よくわからない。
(この人、誰なんだろう……? 大殿にいるってことは、官吏? でも、官吏の人たちが着てるような服じゃないし、重臣とかのお偉いさんってわけでもなさそう。あ、下働きの人かな?)
うん、それが一番しっくりくる。それなら気楽に話しかけてもよさそうだ。
「この前、付き人として初めてお城に入ったときに見つけたんですけど、この庭園、すごいですよねー。建物の中に木と池があるんですよ? しかも吹き抜きになってるし! 上からこう、光が降り注いで、草木や水にキラキラと反射するんです。すっごくきれいで、空の上の世界と思っちゃったくらい」
「そんなに気に入ってもらえたんですか」
男──タカイヌは、少し驚いた。この庭園のことをこんなにも楽しそうに語る者が、いまだいるとは。自分など、管理の手間と費用節約のため、潰そうかと思っていたくらいだ。
それにしても、この女人の正体がわかってきた。先ほど、付き人と言っていたから、イルグカの娘オウキの付き人だろう。確かに数日前にオウキを執務室に呼んだし、今日も納賽の儀の講義があると言っていた。
(……オウキ嬢は面白い付き人を持っているのだな)
この女人は天女ではなかったが、普通の女人とも呼べないかもしれない。相手が王だとは思いもしていないにしても、普通、初対面の男にこんなにはつらつと話し、ころころと表情を変える女人はいない。しとやかで静やかなのが、この国の一般の女人像だ。
だが、この女人の在り様は不快ではない。むしろ、親しみさえ覚える。
「……実は僕、あなたは天女なんじゃないかと思ってたんです」
突然、そんなことを言われ、奈美は驚いて声を上げた。
「へ⁉ 天女? 紛うことなき人間ですよ、私!」
「そうですね。確かにそのようです」
タカイヌはくっくっと笑うと、奈美をじっと見つめた。
「でも、見たことのない毛色を持つ美しい女人を見たら、誰でもそう思うでしょう? しかも、その髪が日の光を受けて輝いて見えて、心が奪われるほどで」
ストレートに褒められ、奈美は思わず恥ずかしくなって俯いた。居たたまれなくなって、他に話題はないかと考えた。
「え、と……あの……でも、いつもはそうでもないんですよ? 男の恰好してますから」
思いもよらないことを聞かされ、タカイヌは驚いた。
「男の姿を? それはどうしてですか?」
「仕えている人から、そうしろって言われてるんです。まあ、訳はちょっと言えないんですけど」
ごにょごにょと言う奈美を見て、タカイヌは、ははあと思った。
(……なるほど。オウキ嬢の男嫌いと関係がありそうだな)
男嫌いのオウキ嬢は近くに男の付き人を置けないが、防犯のために、男の付き人がそばにいると見せたいのだろう。そのために、女の付き人に男装させるのは一理ある。
「もったいないな」
「え?」
「……いえ、何でもありません」
タカイヌは微笑むと、ごまかした。そして、思わず本心を呟いてしまった自分に驚いた。出会ったばかりの女人に言えるはずもない──それほど美しいのに、男の姿で隠してしまうのはもったいない、とは。
その時、タカイヌの目の端に、向こうの廊下を官吏がバタバタと走っていくのが見えた。王がどこにもいないことに気づいて慌てて探しているのだろう。
「……時間切れか」
そうつぶやくと、タカイヌは横に置いていた荷物を持ち、立ち上がった。
「すみません、僕はもう行かなければ。あの……また大殿に来る予定はありますか?」
「えっ、あ、はい……」
衣裳合わせが後日あると言っていたし、儀式作法の講義もまだまだある。奈美は呆然としながらも答えると、タカイヌはそれは嬉しそうに笑顔を見せた。
「そうですか! また会えるといいですね」
そう言うと、謎の男は去っていった。奈美は彼の姿が見えなくなると、ため息をひとつ吐いた。
「はあ……この世界にも、あんな好青年がいるのね……。なんかアイドルみたい」
それから、奈美は心の中で彼をこう呼ぶことにした。その名も──“爽やかキラ男”だ。もちろん、ネーミングセンスなんてもんは知ったこっちゃない。




