新たな局面
タカイヌは急ぎ足で、執務室に向かっていた。人を呼びつけといて自らが遅刻とは。
「左大臣殿は優しいからまだいいけど……兄上にはまた睨まれそうだな」
想像に容易い未来に苦笑していると、中庭が見えてきた。ここまで来れば、執務室までもう少しだ。
「大体、大殿は広すぎなんだよなぁ……。生活区と政務区だけなんだから、もう少し小さく改装してもいいかな……管理にかかる費用も手間もばかにならないし。特に、この中庭なんか――」
ブツブツと呟きながら歩いていると、あるものを目にして思わず足が止まった。
光で輝いた中庭に、美しい女がいる。見たことのない毛の色をした女が、天を仰いで立っているのだ。
彼女の髪と瞳も光を受けて、キラキラと輝いていて――
「……天女……?」
タカイヌはそう思った。しかし、すぐに頭を振る。
(いやいや、僕は一体何を考えてるんだ。女官の格好でもないし、そうだ、きっと左大臣の娘御のお付きの者だろう)
それで納得すると、再び執務室へと歩き出した。
だが、中庭が見えなくなるまで、その女から目を離せなかったことに、タカイヌ自身も気付いていなかった――。
◇◇◇
ライカが王の執務室に通されると、そこに王の姿はなかった。代わりにいたのは、イルグカとその娘オウキだった。
「久しぶりだのう、ライカどの。先日の件では世話になったな」
イルグカが微笑みながらそう言うと、隣に立っていたオウキが頭を下げた。
「それが任務でしたので」
ライカがそっけなく答えると、イルグカは気に障った風もなく、ニコニコと続けた。
「私たち3人が王様に呼ばれたのはライカどのも既に知っての通りだが、その理由は知っているかね?」
「大体は推測できますね」
普通なら参内するはずのないイルグカの娘までが、この場にいる。そして、近頃世間を騒がせているあの事件……。ある考えがライカの頭に浮かぶ。
「私もだよ。さて、答え合わせといこうかのう」
執務室の外の官吏が王の戻りを高らかに告げると、一同は扉に向き直った。
「皆の者、待たせたな。視察に手間取った」
景王タカイヌは足早に部屋に入ってくると、頭を下げるライカたちの間を通り抜け、執務机の前に座った。一同に座るよう声をかけてから、タカイヌは切り出した。
「早速だが本題だ。そなたらに来てもらったのは、他でもない。近頃立て続けに起きている、珂族の娘が襲われるという騒動に関してだ」
この所、都はこの話で持ちきりなので知らぬ者はいないだろう。この10日ほどで、何と4人の珂族の娘が何者かによって次々と襲われているのだ。オウキが襲撃された件の数日後からのことである。
「娘たちを襲った者はいまだ捕まっていない。足取りさえ掴んでおらぬ状況だ。だが、手口が似ていることから、全ての事件は同一人物によるものと考えられる。ただし、左大臣の娘御を襲った者とは別の者だ」
そこで言葉を切ったタカイヌに、ライカが訊ねる。
「失礼ですが、そう断言できる理由をお教えください」
「今しがた捕庁に赴き、この目で確認してきたのだが、あの男――ヨミといったか。あの者が自らが首謀者だという言に嘘偽りはないと見た」
タカイヌが臆することなく言い切った。この男の他人を見る目が確かなのは、ライカも知っている。だからこそ、新犯人が気になるところだ。
「この騒動の犯人を早く捕らえねば、都の治安が不安定になり、民を不安にさせてしまう。何より珂族の娘たちの不安を取り除くためにも、私は早くこの騒動を収めたいのだ。そのために、そなたらに力を貸してほしい。……左大臣は娘御の一件を経験し、そしてカンドル隊はその解決に関わった。そなたらならきっと力になってくれるだろうと思っている」
真剣な眼差しで言う王に、イルグカは微笑んだ。
「どうして否と言えましょう」
一方、ライカは相変わらずの仏頂面で口を開いた。
「……王様。それはカンドル隊への依頼、ということでよろしいですか?」
「そうだ」
「……ならば、私もお断りする理由はございません」
「よろしく頼む」
タカイヌはフフと笑うと、今度はオウキの方に向き直った。
「……さて、オウキ殿。男が苦手だと聞いていたのに、呼び出してすまかったな」
普通の娘ならば畏れ多くて景王の顔さえ直視できないだろう。だがオウキは、大胆不敵にも真っ直ぐタカイヌの顔を見つめ、わずかに口の端を曲げて言い放った。
「いえ、私も王様にお願いがありましたので、お呼び立て下さり良かったですわ」
「これ、オウキ!」
イルグカは慌てて娘をたしなめた。言わんこっちゃない。早くもこの娘、王に食ってかかろうとしている。
「よい、左大臣。かく言う私もオウキ殿に頼みたいことがあるのだ。お互い様というやつだ」
「はぁ……」
イルグカはオウキがいつ不敬罪に問われるかと冷や冷やしながら、答えた。
(それにしても……王様がオウキに頼みたいことがあるだと?)
男嫌いの娘が素直に王城についてきた理由なら解る。オウキは上奏したあの件について、王に直訴するつもりなのだ。
これだけでも冷や汗ものなのに、王がオウキに何を頼むというのだ?
イルグカは嫌な予感を覚えながら、タカイヌの言葉の続きを待った。
「オウキ殿の願いというのは分かる気がするぞ。これだな?」
そう言ってタカイヌが机の上に置いたのは、一つの上奏文だ。
「そうだ、そなたが書いた上奏文だ。平民に対する取り調べでの処遇改善だな」
「上奏にはそう書き申し上げましたが、それで終わりではありません。衣食住や職についても、不当な扱いの改善を求めます」
「オウ――」
血相を変えて口を開いたイルグカを、タカイヌは手で制した。
「我々の常識を覆す発言をする娘御を制したい、そなたの気持ちは分かる。だが、私にとっては貴重な意見なのだ。どうか娘御を責めないでくれ」
そう言われては、イルグカも黙って頭を下げるしかない。
イルグカとしても、程度の差はあれ、内心ではオウキと同じようなことを思っていた。この国の長い歴史の中に染み付いた、身分による差別は無用だと。
ただ自分はそれを行動に表さなかったが、オウキは行動に表した。それだけだ。
タカイヌがオウキに向かって告げる。
「オウキ殿。そなたの願い、聞き入れよう」
「! しかし王様――」
イルグカが驚いて声を上げたが、タカイヌはそれを無視して続ける。
「だが、いきなり全ての改善は無理だ。まずは取り調べの件から着手しよう。左大臣にも手伝ってもらうぞ。そなたの娘御が言い出したことだからな」
「……御意」
イルグカはそう答えながら、明日から大忙しになることを憂いた。とは言え、口元がつい綻ぶ。
(悠久の歴史にこびりついた染みを取り除こうというのか、この若き王は。……面白い)
「さて、私の願いだが――」
タカイヌがその話題に移ったので、イルグカが息を呑む。一体何だ、王がわざわざ娘を呼んだ理由は。かつての被害者として、事件解決への協力を要請するためだと思っていたが……王の考えはどうやらそれだけではないらしい。
「オウキ殿に私の妃となってほしい」
思いもかけない話に、イルグカは目をぱちくりとさせる。ライカも思わずタカイヌを凝視しているほどだ。
「無論、まことに妃になるわけではない。その振りをするだけでいいのだ」
タカイヌが慌てて説明する。
「これまで狙われた娘の家柄を見て思ったのだが……どの家も城で幅を利かす名家だ。そして、娘たちは婚期真っ只中のうら若き女ばかり。それで、こう思ったのだ――」
「事件の犯人は、王様の妃候補に名が挙がりそうな娘を狙っている……」
言葉を繋いだライカに、タカイヌは頷いた。
「その通り。故に、妃が決まれば、珂族の娘が襲われなくなるのではと思った」
「不確定要素は多いですが、試す価値はありますね……。それで襲撃事件が収まれば良し、収まらなくても敵の動向を探る機会が得られる」
そう呟いたライカに、イルグカが慌てて口を開いた。
「お、お待ち下さい! 確かに偽の妃を立てる案に利点はあります。しかし、襲撃犯の目がオウキに向けられるのでは?」
「すまぬが、その通りだ。そなたの娘にそのような危険な役どころをさせるのは気が引けるが……いくら考えても、オウキ殿以外に妃役に適した者がいないのだ」
それを聞いて、イルグカはううむと唸る。
確かに王の言う通りだ。王もオウキも婚姻を望んでいないので、お役目終了の際は、偽とはいえ、後腐れなく婚姻を解消できる。
そして、一度王と縁組した女は、王と離縁した後も男たちから敬遠される慣習があるため、再婚はほぼ不可能に近い。
偽の役とはいえ、表向きは妃として国中に知らせるので、世の男はもちろん慣習に従うだろう。いつか祝言をと夢見るうら若い娘に、そんな役を頼むのは酷である。
だが、男嫌いのオウキは別だ。元々、婚姻など一生するものかと思っているのだ。そんな慣習など痛くも痒くもない。
「父上、私はそのお役目を受けとうございます」
オウキがはっきりと告げてきた。強情な娘のことだ。意志は堅いに決まっている。
(そうだな……自分の望みを前向きに対応してくれる相手の頼みで、しかも一生男が近づいてこないおまけ付きとなれば、この子が承諾しないわけがない……)
もしかすると万が一の確率で愛娘の花嫁姿が見られるかもしれないと期待していたが、それももう叶わぬ夢だ。王の申し訳なさそうな視線を受けて、イルグカは首を縦に振った。がっくりと肩を落としながら。
「……分かりました。器量の悪い娘ではありますが、どうぞお役立てください」
「器量が悪いなど、とんでもない! 恩に着るぞ、左大臣!」
タカイヌはパッと顔を明るくさせる。
「オウキ殿も辛い役目をさせて申し訳ない。だが、国の為にどうかよろしく頼む」
そう言って、タカイヌがオウキの方に身を乗り出すと、右手を差し出した。その手をただ凝視するオウキを見て、タカイヌが慌てて差し出した手を引っ込めた。
「すまない、政務の場ではなかったな」
「……いえ、こちらこそ宜しくお願い致します。王様」
タカイヌとオウキは見つめ合うと、笑みを浮かべた。互いが互いを利用しようという、裏のある笑みだ。
それを見ていたイルグカは、こっそりため息をついた。
(……これは厄介な2人が手を組んでしまったようだな)
その後、これからのことを軽く話し合ってから、謁見は終わった。
3人揃って執務室を出たところで、イルグカがオウキに言った。
「私はライカどのと少し話があるから、先に部屋に戻っていなさい」
「はい」
オウキは父に、次にライカに頭を下げると、自分の付き人が待つ部屋へと戻っていった。
その後ろ姿が見えなくなると、イルグカは口を開いた。
「すまぬな。無理を言うて」
「少しくらいなら構いません」
ライカはため息をついた。王の謁見ついでに、オウキとナミを会わせてやりたいというイルグカからの文を読んだ時は驚いた。
が、確かにナミも令嬢のことは気にしている様子だったので、ナミにとっても良い機会だと思って了承したのだ。
「ただ、城内で隠れて、というのは感心しませんが。誰かに見られたら厄介でしょうに」
男嫌いで有名なオウキの待機部屋に、男の格好をした者が出入りしているのがもし発覚すれば、ちょっとした騒ぎになるかもしれないのだ。
ライカの心配をよそに、イルグカはいたずらっぽく笑った。
「なに、その点は上手くやるように言ってある」
「……は?」
「しかしのう、そうせざるを得なかったのはライカ殿のせいでもあるぞ。私の屋敷にナミどのを連れて来てくれと頼んでいるのに、何度も断るのだから」
横目でじとっと睨むイルグカに対して、ライカが素っ気なく答えた。
「うっかり行かせて、返してもらえなかったら困りますからね」
「……信用ないのう」
「うちの大事な料理番ですから、あれは」
そう言うライカの表情を見て、イルグカはいたずらっぽく微笑んだ。
「それだけではないだろう?」
「……何か?」
ライカに射殺すような眼を向けられ、イルグカは慌てて謝った。
「悪かった! 私が悪かった! だからそのような恐ろしい目で睨むのはやめてくれ!」
「……冗談はこれくらいにしまして、納賽の儀のことですが」
ライカが咳払いをして話題を変えた。
(ライカ殿が冗談……本当かのう……)
イルグカは心の中でそうつぶやきながらも、頷く。
「おお、すまなかったな。オウキの我が儘でまたナミどのを巻き込むことになった」
「いえ、お嬢様も大変なお役目をされるのです。それに、お嬢様が矢面に立つと知れば、あれも自ら申し出るに決まっていますから」
「そう言ってくれると救われる」
「安心なさってください、イルグカ様。私と隊員たちで必ず守りますから、王様もお嬢様も」
(――それに、あいつも)
テムルで繋がれた相手だから?
カンドル隊の仲間の一人だから?
いや、違う。というよりも、理由など何だっていい。
――ただ、ナミを守りたい。
すでに、ライカの心はそう決めていたから。
「――ナミ!」
部屋に戻ってきたオウキは、そこで待つ女の顔を見るや、パッと顔を輝かせた。駆け寄ってくるオウキに、奈美は挨拶する。
「あ、オウキさま! お久しぶっ……」
奈美は挨拶しようと口を開いたが、駆け寄ってきたオウキに抱きしめられ、口が塞がれた。
「少しも顔を見せに来ぬとは薄情なやつだ。そなたに聞いてほしいことが山程あるというに」
その声が少し震えているのに奈美が気付いた瞬間、オウキの体が崩れていく。
「オ、オウキさま! 大丈夫ですか!?」
「大事無い。久々に男と対面して腰が抜けただけだ」
しかも、ただの男ではない。この国一の男だ。そんな相手に一世一代の賭けに出たのだから、力が抜けて当然だ。
「そういえば、王さまに会ってきたんですよね」
オウキの体を支えて椅子に座らせながら、奈美は訊ねた。その言葉に、オウキはニヤリと笑った。
「ナミ、すまぬな。そなたに、また一肌脱いでもらうことになった」
「……え?」




