家族
昔、母親想いの男がいた。
景の都で城兵をしていた彼は「母危篤」の知らせを聞くとすぐに暇をもらい、故郷に戻るため、都の大通りを人混みかき分けながら駆け抜けていた。
そのとき、誰かと少しぶつかった。男は非礼を詫びようと振り返ると、目を見開いた。
ぶつかった相手が、珂族の少女だったのだ。それに、なぜだか異様に怯えている。ちょっと腕が当たっただけなのだが。
「オウキお嬢様!?」
「きさま、お嬢様に何をした!?」
少女の周りにいた数人の使用人が騒ぎ出す。道行く人々も一体何事だと足を止める。
男が何を言っても聞いてはくれず、両腕を抑えられ、ついには捕吏に引き渡されてしまった。
捕庁での取り調べは中々終わらなかった。珂族絡みゆえか、男がやっとのことで外に出られたのは七日も経った後だった。
すっかり精魂尽きていたが、彼は故郷へと足を向けた。ようやく故郷の村に着いた時は、すでに弔いは済み、母親は骨となっていた。
男は慟哭した。
なぜこんなことになってしまったのか。あのとき、あの少女にぶつからなければ──。
そんな兄を見兼ねた妹が、都へ行くと言った。母と兄に心残りの最期を迎えさせた少女の素性を、そしてその者がどんな人間なのかを調べてくる、と。
妹が都に旅立っていったあとも、男はそれから都には戻らず、そのまま故郷で農民として生きた。だが、自らの運の悪さと、悔しさ、恨み……それらがずっと胸の中にあった。
そんなある時、ある男が目の前に現れた。突然のことだった。畑仕事をする彼の前に、突如として現れたのだ。雪を思わせる真っ白な髪と肌を持つ、美しい男が。
「このままじゃ終われない、って顔をしているね?」
そう言って、真白な男が微笑んだ。
それからのことは、あまり覚えていない。真白な男から、かの日の少女が王妃となる日は近いと聞かされ、頭にかっと血が上ったのは覚えている。
──俺は母親の死に目に間に合わなかったというのに、自分はのうのうと王城暮らしか。
そうはさせない。その思いだけに突き動かされて、男──ヨミは珂族に恨みを持つ手練れと武器を集め、かの少女の命を奪う計画を着々と進めていったのだった……。
◇◇◇
(──ヨミ兄さん!)
脱衣所の窓から外の様子をうかがっていたマナホは、心の中で叫んだ。
計画通り、兄はオウキの命を奪うべく、温泉に現れた。しかし、突然現れた男にあっけなく倒されてしまったのだ。
(まさか、カンドル隊の者がこの場にいたとは……)
「何かあったか? 外から音がしたが……」
後ろで、マナホの主人──オウキが口を開いた。オウキは席に着き、事が無事に済むのを待っていた。気を揉んでいるのか、いつもの大胆不敵な表情はない。
いつものマナホなら、主の問いにすぐ答えていた。だが、今の彼女は、ただ困惑した顔で突っ立っているだけだった。
(どうすれば……!? 兄さんの仇敵がすぐ目の前にいるというのに……私は────)
「……マナホ?」
オウキが返事のないマナホを訝しげに見やると、意を決した様子の、口をぎゅっと結んだマナホと視線が合った。
次の瞬間、椅子が派手に倒れる音が部屋中に響いた。
マナホがオウキの後ろに回り込み、オウキの首に短刀を当てている。
「お覚悟を……!!」
マナホがそう低くつぶやいた時、温泉側の扉から二人の男女が飛び込んできた。兄を倒した男と、ナミだ。
「えっ……マナホさん……!?」
奈美が目の前の光景に絶句する。対して、ライカは落ち着いて口を開いた。
「当たってほしくない予感が当たってしまったようですね」
その言葉に、とらわれたオウキが儚げに微笑んだ。
「……そのようだ」
「────!? 私が内通者だとわかっていたとでも……!?」
「確証はなかった。だが、私がそなたを疑っていたのは事実だ」
これまで二度の襲撃事件の調査を行うにつれ、オウキはある疑念を抱くようになっていた──内通者の正体がマナホであることが最も辻褄の合うことに。
これまでの襲撃は、左大臣一家の行動と屋敷の私兵の警備状況を把握していなければ不可能だ。マナホはその点で、「オウキの護衛」という立場を生かしてどちらの情報も手に入れることができた。
「だが……そなたが私を裏切るとはどうしても思えなかった。故に、他の使用人を辞めさせても、そなたは傍に残したのだ」
オウキはマナホと視線を交わした。二人は、共に過ごしてきたこの十年間の日々を思い出す。その日々が嘘で作られたものだとどうして思えるだろう。
ライカがマナホのわずかな動きにも対応できるように構えながら、口を開く。
「……もうおまえの仲間はすべて捕らえた。観念して刀を置くんだな」
「待ってくれ、ライカ殿」
そう言ったのは、首に短刀を当てられたままのオウキだ。
「マナホ、私の首を斬れ。それでそなたの気が済むのであれば、そうしてくれ」
「なっ……!?」
奈美は驚いた。マナホまでも予想もしなかった発言に目を丸くしている。
「オ、オウキさま! 何言ってるんですか!」
「ずっと考えてきたが、見当のつかないことがあった……もし内通している者がマナホだとすれば、理知的で忠義に厚いそなたが、何故私を裏切ったのか。マナホは金や権力では動かない女人だ。……きっと私が知らず知らずのうちに、そなたを傷つけてしまったのだろうな」
オウキが儚げに微笑むと、続けた。
「さあ、早う斬れ。私はそなたを傷つけたまま、一人のうのうと生きるつもりはない」
(オウキさま……)
奈美はオロオロとオウキとマナホと、そしてライカを見比べることしかできなかった。だが、ライカは微動だにせず、この状況を見守っている。
マナホは歯を食い縛ったまま、ずっと固まっている。
――命尽きる前に息子に会いたいと言い残して死んでいった母。それを叶えてやれなかったと悲嘆にくれる兄。
そんな家族のために何かしたくて、オウキに近づいた。家族をこんな目に遭わせた者が、どんなに非道で残酷な人間なのか知りたかったのだ。
だが、オウキはただの少女だった。気高く、一族を誇りに思い、そして時に不安と恐怖におびえる、小さな少女。
オウキが非道で残酷な人間なら、どんなに楽だっただろう。
「…………っ」
一瞬、マナホの短刀を握る手に力が込められ、ライカはいつでも飛び出せるようにグッと構えた。
だが、短刀はオウキの首を切り裂くことはなく、そのまま床にゴトンと落ちた。
「私に……オウキ様は斬れない。斬れる訳がない……」
マナホは膝から崩れ落ち、震える両手を見下ろした。
(斬れないと解っていた……はずなのに……)
はじめは兄に情報を渡す目的で近づいた。だが、十年を共に過ごすうちに、時に主従という関係を越えて、妹のような存在になってしまった。オウキはもう、自分にとって「家族」だったのだ。
「取り押さえます。……よろしいですね?」
ライカの問いに答える代わりに、オウキは涙を一筋流した。それを見て奈美は、なんて美しいのだろう、と思った――こんな時に非常識だとはわかっているが。
もはや抵抗する気力もないマナホは、ライカによって縛られ、どこかへ連れていかれた。
残された奈美とオウキは、やるせない思いでそれを見送る他なかった……。




