男嫌いのオウキ
奈美は今、久しぶりに女の衣裳を身に着けていた。素材も色合いも町娘が着るようなものである。いつもは胸に巻いている晒し木綿も、今は解いている。そして先ほど、東菊の女中のライラに軽い化粧と髪結いをしてもらった。もうどこからどう見ても完全に『女』である。
「女物の服着たの、野盗退治の時以来かあ……。なんか緊張するわ」
紗覧のシワを伸ばしながら、奈美がつぶやいた。男物の服を着ることに抵抗がなくなってきた最近では、逆に、男の恰好している方が落ち着く。それが喜ばしいのか悲しいのか、奈美にはわからない。
そんな奈美を、テスがまじまじと見上げている。
「こうやって見たら、ナミの姉貴がそういえば女なんだったって思い出すっすよ」
「……つまり、それはケンカを売ってるってことでいいのよね?」
そう奈美がにっこりと訊ねたのが恐ろしい。口を滑らせたことに気付いたテスが慌てて弁解を始めたが、ライカが口を挟んだ。
「遊んでないでそろそろ出る頃合いだ。段取りは頭に叩き込んであるな?」
「……うん」
奈美は緊張の面持ちで頷いた。昨日の作戦会議で散々聞かされたから大丈夫だ。
今回の依頼は、敵が誰だか分からない。ゆえにカンドル隊は、表に出ずに護衛することになった。カンドル隊が関与していると敵に知られでもすれば、最悪、敵の正体を掴むことができなくなってしまうからだ。
そこで奈美の存在が重要となってくる。奈美が無事、オウキの小間使いとして潜入できれば、奈美を通じて内部の情報を少しでも手に入れられるからだ。襲撃者と内通者をあぶり出すのは、ひとまず奈美が潜入に成功してからだ。
「東菊から輿で左大臣のお屋敷に移動したら、使用人に『オウキさまの小間使いの件で面接に参りました』って取り次いでもらえばいいのよね」
「そうだ。令嬢はそばに仕える使用人は必ず自ら選ぶそうだ」
「小間使いにならないと護衛の仕事ができないものね。何とかお嬢様に気に入られるように頑張るわ」
そこで奈美は拳をぐっと握りしめたが、ライカとしてはむしろ失敗してほしかった。
昨日の密談で、思った以上に奈美はイルグカに気に入られてしまった。ライカがこの者は非戦闘員だからと何度も断ったのだが、結局イルグカを諦めさせることができなかったのだ。身内の人間が信頼できない状況では、非戦闘員だろうが、カンドル隊の一員に傍にいてほしいと思う親心は分からないでもないが。
(だが、ナミが危険な目に遭ったら、一体どうしてくれる? この任務の性質上、カンドル隊は近づけないんだぞ)
これが原因で、ライカは昨日からイライラしていた。だからか、ライカはいつの間にかこんなことを口走っていた。
「頑張らなくていいぞ。気に入られなかったら気に入られなかったでいい。側付きを置くことができなくとも、他の手を考えればいいだけだ」
ライカがなぜそう言うのか、奈美には分かっていた。奈美の身が危うくなれば、ライカの命も危うくなるからだ。だからライカの言葉に口答えはしなかったのだが、できることならイルグカたちの手助けをしたいと内心では思っていた。
(昨日、話を聞いちゃったんだもん……あんなに切実に助けを求めてるのに、知らんぷりなんてできないわよ。ま、私に何ができるわけでもないケドね……)
ライカたちのように剣や天力をふるう力はないし、ダンチョウのように頭がきれるわけでもない。だからもし側付きになれたとしても、果たしてその役目を全うできるか全く自信がない。もはや「なるようになれ」だ。
「ライカどのはこう言っておりますが、もしこの依頼を無事果たすことができればイルグカ様に貸しをひとつ作ることになります。カンドル隊がゆくゆく城に戻るならば、朝廷の重臣を味方につけておくのは心強いところ。……とはいえ、ナミどのが気負う必要はありませんぞ。敵にカンドル隊が関わっていることを悟られぬため表立っては近づけませぬが、必ず我々がどこかでナミどのを見守っておりますからな」
「うん……ありがと、ダンチョウさん」
ダンチョウもこう言ってくれている。奈美は一呼吸すると、自分のできることをしようと念じてから、部屋を出た。
娼妓や客たちの目に触れないようにそっと東菊の裏口から出た奈美は、そこで待っていた輿に乗った。二人の力者が奈美の座る籠に莚を下ろすと、それぞれ前後に立って輿を担ぎ上げた。
輿は遊郭を出ると、この景の都のどこかにあるイルグカの屋敷に向かって進む。
思えば、この世界に来てから一人で外で行動するのは初めてだ。だからか、かすかに不安感がある。輿の揺れを感じながら、奈美はぼんやりと考えた。
(……今もどこかで私のこと、見てくれてるのかな)
なぜだろう。ライカの姿が思い浮かぶ。
奈美はため息をついた。いつの間にか、こんなにもあの男に依存していたのか。確かにテムルで繋がれている間柄、彼に守ってもらわなければならない立場ではある。だが、頼ってばかりではだめだ。もっと自分の力で何とかしなくては。
(こら、しっかりしろ、奈美!)
ぺちぺちと頬を叩いたり、ぶんぶんと頭を振っていたりするうちに、目的地に着いたらしい。力者が立ち止まり、輿が下ろされた。
籠から降りた奈美は、目の前の大きな屋敷を見上げて、思わずため息を漏らした。
(うはー……いかにも、偉い人が住んでる家って感じ)
そこで奈美は我に返った。感心している場合ではない。
目の前に階段が続いている。それを上った先に門がある。奈美はその階段を上り始めた。紗覧では歩きにくいが慣れるしかない。
五十段ほど上っただろうか、ようやく大きな門にたどり着いた。門の前に立つ門番に取り次ぎを頼む前に、奈美は何度か深呼吸をした。
◇◇◇
オウキは不機嫌そうに机を指でトントンと叩いた。
ここ最近頻繁に起こる身の危険で神経をすり減らしているというのに、父からの「小間使いを一人、新たに雇い入れる」という一方的な通告は何なのだ。せっかく身元に信用のある使用人だけを残してあとは辞めさせたというのに、その新しく来た小間使いがもし内通者であったら一体どうするのか。父の雇った小間使いはそれほど信用できるというのか。
父に訊いてもおそらく教えてはくれないと踏んで、兄に問い詰めた。兄ははじめ中々口を割らなかったが、妹の剣幕に押されてようやく白状した。
(カンドル隊の者に護衛を頼んだ? 私がこの上なく男が嫌いだとご存じの上で、あえてそうなさるとは)
「……このところの気がかりで、父上は気でも狂われたか」
オウキは向かいの扉の方を睨んだ。今からのこのことやって来るというその者を、どのようにいたぶり、追い返してやろうか。
「お嬢様。例の小間使い希望の者が参りました」
部屋の外から使用人がそう告げると、オウキはニヤリと笑った。
「通せ」
カンドル隊が男一色の隊だということは知っている。つまり、今から部屋に入ってくる者は男だ。小間使いとして忍び込むわけだから、男の恰好のまま来るはずがない。名高いカンドル隊の者が、強面のいかつい男が、一体どのような女装をして出てくるのか見ものだ。よし、その情けない女装姿を散々いじってやろう──オウキがほくそ笑んでいると、扉が開いた。
扉から現れた者を見て、オウキは目を見張った。
おどおどとした様子で部屋に入ってきたその者は、強面でなく、いかめつもなく、どこからどう見ても女人にしか見えない。しかも女人の中でも美しいと言われる部類に入るほどの。髪が見慣れた毛色ではなく、栗色に紅葉色の光が差し込んだような艶やかな紅さなのも、妖しい魅力がある──。
奈美は今にも口から心臓が飛び出そうだった。使用人に案内された部屋に入ってから、その主に食い入るように見られているのだ。
何とか主の前にたどり着くと、ひざまずいて礼を尽くした。この世界で身分の高い者に対して行う礼の作法は、昨日今日と散々練習させられた。ぎこちないが、まあ、初めてだから仕方ない。
「お初にお目にかかります。ナミと申します」
低い声で話すのが日常になっていたが、今は男のフリをしなくて良いので、普通に喋れるのが良かった。というよりも、こんなに緊張していては低い声を出せと言われても無理だっただろう。
「顔を上げよ」
そう告げられて、奈美は顔を上げた。この部屋の主──オウキは床に置かれた文机の前に座っていた。奈美にとってこの世界の高貴な女性を見るのは生まれて初めてで驚いた。オウキは、金銀糸を含む色とりどりの糸で刺繍されていた衣裳を身にまとっていた。娼妓の衣裳も鮮やかだったが、オウキの衣裳はそれに加え、優雅だ。
オウキは、一言で表現するなら、とても気高かった。さすが左大臣の娘、というところか。奈美を見つめるその視線一つとっても、品格が感じられる。
(それにしても……さっきから、すっっっごく見られてるのは一体何!?)
小間使いとしてふさわしいのか見極めようとしているにしても、度が過ぎる。何かまずいことでもしたかしらと奈美が思っていると、オウキがクククと笑った。
「どうやってそなたをからかってやろうかと考えていたが、気が変わった。カンドル隊のような無骨者の集まりにも、そなたのような美貌の持ち主がおるのだな」
「……え?」
思わず奈美は聞き返した。オウキが袖で口元を隠しているのでよく聞こえなかったが、今、「カンドル隊」と言わなかったか。だが、確かめるわけにもいかない。
奈美がおろおろしていると、オウキがすっと手を下ろし、口を開いた。今度は奈美にもよく聞こえるようにはっきりと。
「……単刀直入に言おう。私は男が嫌いだ。近くに寄るのを許すのも、父上か兄上くらいなものでな。──そなた、見た目は女人そのものだが、男だろう。父上が雇ったカンドル隊の者であることも知っている。ゆえに、そなたを小間使いにすることはできぬ」
奈美は唖然とした。まさかオウキに自分の正体がバレているとは。
(イルグカさま……「娘には必ずナミの正体を悟られないように配慮する」って言ってたのに!)
奈美は心の中で叫んだ。のほほんとしたイルグカの顔が頭に浮かぶのが忌々しい。これでは、この場でいくらオウキに取り入ろうとしても無駄ではないか。
「話は終わりだ。すみやかに去れ」
そう言うと、オウキはぷいと横を向いた。退屈しのぎにいい玩具を見つけたと思ったのも一瞬だった。
(──あぁ、つまらん。泣いて許しを乞うまでからかってやろうと思ってたのだが……まるで女人のような姿をしていては、からかえぬではないか)
オウキはため息をつくと、気付いた。──奈美が部屋を出て行かずに、まだ目の前にいるのだ。
「聞こえなかったか? 私は去れと言ったのだ」
だが、奈美に立ち上がる気配はない。ただじっと、座り込んでいる。
オウキは眉をひそめ、部屋の外に聞こえるように声を張り上げた。
「マナホ! この者を連れていけ!」
「はい、オウキ様」
扉から使用人のマナホ──先ほど奈美が部屋に入る時に会った女だ──がしずしずと入ってくると、奈美の腕を取った。
「お立ちなさい。失礼ですよ」
使用人に無理やり立たせられようとしたが、奈美は彼女の手を振り払った。
「オウキさま! 実は私──、」
あとでライカに何とどやされるか。考えると怖いが、他に良い案が浮かばないので仕方ない。
「女なんです!!」
突然の告白に、オウキとマナホが目を合わせる。すると、二人とも噴き出した。
「そうだな。確かにその姿では、誰に言っても信じるであろうな!」
オウキはくっくっくっと笑いながら、目の端に滲んだ涙を袖口で拭う。
「いえ、でも、ホントに……」
奈美は歯がゆそうに説明を続けようとした。が、語気を強めたオウキによって口を塞がれてしまった。
「それほどまでに護衛役を務めようとしているのは褒めてやる。だが、私は同じことを何度も言うのは嫌いだ。男であるそなたを傍には置けぬ。そなたが女であるとの言葉がまことならば、その女装を解いてみせよ。まあ、できぬだろうがな!」
(……そっか。その手があった)
奈美はオウキの言葉を聞いてひらめいた。自分の身を削るのも貴婦人相手にこんなことをするのも気が引けるが、女だと信じてもらうにはこれが確実だ。
奈美は上衣の衿を両手でつかむと、肌付きごと、ぐいっと引っ張って脱いだ。奈美の上半身がむき出しになる。
「な……ッ」
オウキも、マナホも、奈美の行動に、そしてその白肌と胸の膨らみを見て、目を丸くした。
「これでも信じてもらえないなら、下も脱ぎますけど?」
奈美はやけくそ気味に訊ねた。会ったばかりの人に、しかも左大臣の娘に裸を見せるなどどうにかしていると、自分でも思う。だが、もうなるようにしかならないのだ。
幸いにも、紗覧まで脱ぐ必要はなくなった。オウキは咳をひとつすると、居住まいを正した。
「よい。そなたがまことに女であることは、もう分かった。衣を直すがよい」
「……あ、はい」
奈美は内心ホッとしながら、上衣を直し始めた。それを見ながら、オウキがため息をつく。
「……まったく、そなたの頭の中は一体どうなっておるのやら。みずからの肌をさらしてまで護衛役を得たいのか?」
「え? ……まあ、そうですね」
奈美は一瞬、考えてから答えた。それを聞いて、オウキはフンと侮蔑の笑みを浮かべる。
(必死だな。そこまでして父上の後ろ盾を得たいのか、カンドル隊は)
それにも気付かず、奈美は帯を締め直しながら、淡々と言った。
「誰だってイルグカさまのあの顔を見たら、助けてあげたいって思いますよ。あの人、のほほんとした顔なさってますけど、目の下にクマできてるでしょ? 不安でろくに眠れてないってことですよ。娘を守りたいって躍起になってる人を簡単に見捨てるなんて、私にはちょっと、できないかな」
奈美が「よし完成!」と帯をポンと叩く。それから顔を上げると、奈美は驚いた。何故だか、オウキとマナホが目を見開いて、奈美を見つめていたからだ。
「……え? 私、何か変ですか?」
帯の締め方でも間違っていたのかと焦った奈美は、自分の衣裳を見下ろす。が、オウキがぽつりと話し出したので、顔を上げた。
「……母上も、兄上も、使用人も皆、心配するのは私の身ばかりで、父上のお体のことは誰も気遣わぬ……。それだのに、そなたが気付くとはな」
(……その言葉、嘘でも心うれしいぞ)
オウキがわずかにほほ笑んだのを見て、奈美はドキッとした。オウキはキツイ性格らしいが、笑うと結構かわいいものだ。
「それにしても驚いた。カンドル隊は女人禁制だと聞いていたのでな。女人の武人を入れるようになったのか?」
オウキの問いに、奈美がひらひらと手を振った。
「あ、いえ、私は戦う力はなくてですね……ただの料理番としてカンドルにいるだけです。だけど、今回はイルグカさまにどうしてもと頼まれて……」
「そうだろうな。父上は私の男嫌いをよくご存じだからな。何としてでも女人であるそなたを私の傍に置きたかったのだろう」
その時、奈美はふと思った──いつの間にか、オウキの警戒心が和らいだ気がする。それに、先ほどまでのつんけんとした態度も和らいだ。これはもしかして、と奈美は思った。
「それはそうと……もしかして私、小間使いの面接、合格ですか?」
恐る恐る訊ねた奈美に、オウキはニヤッと笑った。
「ナミといったな。これから頼むぞ」
奈美はそれを聞いて、じわじわと胸に嬉しさがこみあげてきた。
「はっ、はいっ!」
◇◇◇
めでたくオウキの側付きを務めることになった奈美は、オウキの部屋のすぐ横の小部屋を充てがわれた。ここはマナホも使っている共同部屋だが、今マナホはオウキの部屋の前に控えているので、ここには居ない。
奈美はマナホのことを小間使いだと思っていたのだが、実は武人なのだと先ほど明かされた。9年前、オウキがまだ11歳の頃からオウキ専属の護衛として、ずっとそばに仕えてきたらしい。
マナホは自分と同じ年ごろだと推察するが、確かに体が引き締まっているように見えるし、所作がきびきびとしていて無駄がない。今は使用人を減らして人手が足りていないので、小間使いも兼任していると言っていた。
(とりあえず、ちょっと安心したわ。私一人で護衛しなきゃいけないのかと思いきや、マナホさんがそばにいるんだもん)
そんなことを考えていると、突然、テスが“瞬足”を使って現れた。奈美が面接から戻らない場合、つまり首尾良く小間使いになれたと考えられる場合、テスがイルグカの屋敷まで会いに来てくれることになっていたのだ。
「ナミの姉貴!」
「──テス! 誰にも見られてないわよね?」
「一応屋敷の周りに誰もいないことを確認してから入ってきたから大丈夫っすよ! ま、普通の人間にゃ、瞬足使った俺は速すぎて見えないっすけどね」
テスが鼻高々に言うと、奈美に促されて座った。
奈美はこれまでの経緯をテスに説明した。オウキとその護衛マナホに自分が女だと明かしたこと、オウキはカンドル隊が雇われたことを知っていること……。すべてを話したところで、テスは頭を掻いた。
「あちゃー……そりゃ、ライカの兄貴が知ったら驚くというか、怒りそうというか……」
「でも、そのおかげでやりやすくなったと思わない? 私が女だって分かってもらったからこそ、全面的にオウキさまに協力してもらえるようになったわけだし」
「ま、そっすね!」
「オウキさまには例の件のこと、伝えてあるわ。でね、私、ちょっと考えたんだけど……」
そこで奈美の考えを聞いたテスが、「えぇッ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「そ、それはさすがにライカの兄貴が許さないんじゃないっすか? 姉貴が側付きの任務につくのも渋々だったのに……」
「でも、それが一番いい策だと思うの。オウキさまを危ない目に遭わせられないでしょ? それに、何の取り柄もない私ができる唯一のことだと思うの。じゃ、隊長にそう伝えといてね」
「えぇっ? オレがっすかぁ!?」
「何言ってんの。それが伝令の仕事でしょ!」
「おっかない思いすんの、オレなんすけど……」
「じゃ、よろしくねテス」
テスが窓から消えるのを見届けてから、奈美はふうと息をついた。さあ、決戦の日は三日後だ。
◇◇◇
次の日、部屋の場所と仕事の説明を受けるため、奈美はマナホに連れられて屋敷内を回っていた。倉庫の中で物品の説明が終わると、マナホが振り返った。
「ナミさんが出入りする必要のある部屋はここで最後ですね」
「ありがとうございました! 護衛のお仕事の間だけとはいえ、頑張ります。こう見えても私、雑用は得意なんですよ。カンドル隊でもやってますし」
奈美が鼻息荒くそう言うと、マナホがくすりと笑った。
「あなたが来てくれて、正直助かります。この屋敷は今、圧倒的な人手不足ですから」
「あ……確か、結構な数の使用人を辞めさせちゃったんですよね」
奈美の言葉に、マナホが難しい顔をして頷いた。
「……オウキ様には不便をおかけしていて、いち使用人として申し訳ないと思っています」
「そんなのマナホさんのせいじゃないですか! マナホさんにもさっきオウキさまと一緒に聞いてもらいましたけど、例の作戦でさっさと敵を捕まえましょ! それまでの辛抱です」
「ええ……」
マナホが微笑んで頷く。奈美が「そういえば、」と口を開いた。
「オウキさま専属の小間使いって他にいないんですか? さっき、常に使用人の誰かがオウキさまの部屋の前で控えていなきゃいけないって言ってたじゃないですか。なら、交代するにはもうひとり誰かいないと回らなかったでしょ?」
「オウキ様の小間使いは、他にはいません。みな昔からの付き合いでいい者ばかりでしたが、誰が間者か分からない状況では如何ともしがたく……。イルグカ様がオウキ様周辺は『念には念を』と、辞めてもらったのです」
「え、じゃあ、マナホさん一人で!?」
「いえ、私が最低限休まないといけない間は、奥様付きの小間使いに側仕えをお願いしていました。……とはいえ、寝ていてもいつでも飛び出せるようにはしています。くせ者が忍び込んだ時に対処できるのは、オウキ様付きでは私しかいないので」
突然、奈美が感心したようにつぶやいた。
「……オウキさまのことが大切なんだぁ」
「え?」
「だってそうじゃなきゃ、こんな大変な仕事辞めてやろうって思いません? 気の休まらない、しかも命まで懸けて働くって、そんな人のためじゃないとできないですよ」
「大切……」
マナホが奈美の言葉を噛み締めるようにつぶやく。
「でもま、それもそっか……十年近く一緒にいたら、情が湧いて当然ですよね! マナホさんはオウキさま付きで唯一残った使用人なんだし……オウキさまもそれほどマナホさんのこと信じてるんですよね。うーん、素晴らしき主従愛だわ……」
そう言ってひとり勝手に納得しながら部屋に戻っていく奈美の後を、マナホも黙ってついてゆく。
──初めて見たときの主人は、今とは全く違った。豪気で威厳ある風格はどこにもなく、不安に押し潰されそうな顔をした、ただの少女だった。
マナホがオウキの護衛として屋敷に入ったとき、先輩使用人から聞かされた。あるまじきことに、男に乱暴されそうになったらしい。一度は外を出歩けるまでに回復したらしいが、外出中に見知らぬ男にぶつかられた衝撃で再び、部屋に引き込もってしまったという。
部屋の隅で布団を被り震える少女を見て、ひとまずマナホは、この少女の本当の顔が見たくなった。
(……そうか、あれからもう十年が経つのか……)
マナホはぎゅっと手を握りしめると、主の待つ部屋に向かっていった。




