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並行世界(パラレルワールド)は君のいる世界  作者: 方丈 治
第二章

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幕間小話:熱を帯びた墨跡

 奈美はライカの部屋に来ていた。食事を運びに来た訳でも、文句を言いに来た訳でもない。今日は、読み書きの指南を受けに来たのだ。


 ちなみに、奈美はすでに疲れて果てていた。明日の依頼のため、この世界の一般女性になりきるため、つい先ほどまで東菊にて礼の作法の手ほどきを受けていたのだ。講師はシイラシとライラなので、もちろん手加減はない。

 だが、足腰が悲鳴をあげていようが関係ない。文字の勉強ができるのは奈美にとって願ってもないことなのだ。ライカもそれをわかっていたからこそ、「今から読み書きの指南をしてやる」とご褒美をくれたに違いない。


椅子を二つ並べて、ライカと奈美は肩を寄せ合い、机の上を凝視していた。


「『ナ』……『ミ』……」


 机に広げた紙を、筆がさらさらと踊る。ライカは筆を置くと、紙を持ち上げて奈美に渡した。


「これがおまえの名だ」

「へえ……私の名前ってこんななのね……」


 奈美が感心したようにライカの書いた文字をまじまじと見ていると、ライカが今度は筆を渡してきた。


「書いてみろ」

「え?」

「書かないと上達しないだろ」


 奈美は受け取ると、筆先を硯の墨を少し浸した。


「うわー……まともに筆使うの、中学か高校以来かも」


 少し緊張しながら、奈美はライカの書いた文字の横に筆を下ろした。懐かしい筆の感触に、腕がプルプルするのは致し方ない。

 何度もライカのお手本と筆先を見比べながら書き上げたものは、初めてだとしても上出来だとは到底思えない代物だった。ライカも同じことを思ったらしい。


「……もう一度書いてみろ」

「……ハイ」


 奈美はその横に再び書いてみた。


「……もう一度」


 さらに、その横に書く奈美。

 それを何度か繰り返した後、ライカが大きなため息をついた。


「……子供でももう少しマシな字を書くぞ」

「し、仕方ないじゃない! 筆なんて慣れないもので書いてるんだし……!」

「? ……筆を使わないというなら、おまえの居た世界では何を使って書いてたんだ?」

「えっと……ボールペン?」

「……ぼう、るぺん……」


 初めて耳にした言葉に眉をひそめたライカを見て、奈美は「あ、そーだよね」と説明を始めた。


「えーと……筆で例えると、この持つ部分の中にインクの軸──あ、墨のようなものが入ってて、先も毛じゃなくて細くて尖った金属でてきてて……だから細い線が書けるの。筆みたいに墨をつける手間もないし便利なのよ」

「そんなもので本当に書けるのか……?」


 疑い深そうなライカを見て、奈美は思った。


(元の世界から持ってきたカバンにボールペンを入れてなかったのが惜しい……)


 実物を見せれば、この男の驚く顔が見れたというのに。

 そもそも看護師をやっていた職場では電子カルテだったのもあり、ボールペンを握る機会さえめっきり減っていたーーというのは話がややこしくなるだけなので言わないでおこう。


 奈美は仕切り直して、新しい紙を置いた。


「ま、何回も練習してたらそのうち上手く書けるようになるでしょ」


 筆先に墨を付け、もう一度書いてみた。だが、筆を上手く操れず、またもや文字が潰れてしまう。


「ありゃ」


 奈美が不思議そうに首をひねるのを見て、ライカがため息をつき、立ち上がった。


(え?)

 奈美は突然のことに目を瞬かせた。


 ライカが背後に立ったかと思いきや、筆を持つ奈美の右手に自分の右手を重ねた。背中にライカの胸板が当たっているのは気のせいではない。


「筆は斜めに構えるんじゃなく、立てて持つ。これが正しい持ち方だ」

「え、あ、うん」

「あとは姿勢だな。肩が上がりすぎだ」


 そう言うと、ライカは左手で奈美の肩を片方ずつポンポンと叩いた。


(あ……力が入りすぎてたんだ)


 奈美は何となく筆遣いが上手くいきそうな気がしてきた。ライカも頷いて言った。


「これでいい。……いくぞ」


 ライカの右手に誘導されるがまま、筆は紙の上を踊る。

 やがて筆が止まり、二人の手が離れた途端、一気に恥ずかしさが込み上げる。奈美はそれを打ち消すように、大げさに驚いてみせた。


「わ……上手! ね、私、上手に書けたよね?」

「……あのな。俺が書いたようなものだぞ?」

「あはは……そうだよね」


 呆れた様子のライカを見て、奈美も自分に呆れていた。


(何、これぐらいのことで動揺しちゃって……ただ文字の書き方を習ってるだけじゃない! ウブな10代じゃあるまいし……)


 まだバクバクが治まらない心臓を感じながら、奈美はライカをちらっと見上げた。

 それに気づいたライカが珍しくニッと笑って、何かを差し出した。


「次までにこれ全部、端から端まで書いて練習しておけ。自分の名くらい、まともに書けないとな」

「……え?」


 奈美はきょとんとした顔で、ライカが持つ紙の束を見下ろした。軽く20枚はありそうだ。

 次回の『授業』は、イルグカの依頼が済んでからになるだろう。依頼から無事に帰れるかも分からないが、きっと──いや必ず戻って、このくらいの宿題、軽くこなしてやる。


 奈美が黙って紙の束を受け取るのを見て、ライカが意外そうな顔をした。


「音を上げるかと思ったが」

「なめないでよね。私、こう見えて物覚えはいい方なんだから。今日は名前だけでいいけど、次からはもっとたくさんの文字を教えてよね」


 ライカは目を丸くしたかと思うと、にやっと笑った。


「……覚えておく。そのためにも、無茶な事は考えず、自分の身を守ることだけを考えるんだぞ」

「……わかってる」


 奈美が部屋を出ていった後、ライカは椅子に座った。

 しばらく考え事をしてから、机に置いた紙のシワを伸ばすと、筆を取る。とある貴婦人に(ふみ)を出すために。


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