イルグカの依頼
ライカは東菊の一室で一人、茶を飲んでいた。その時、部屋の扉がカララと開く。
「ライカさん。ご賓客がいらっしゃいましたわ」
シイラシがしなやかな手つきで扉を開けると、脇に退いた。シイラシの後ろから現れたのは、恰幅の良い初老の男だ。上流階級の者らしく、質の良い衣裳を身にまとい、穏やかな目つきをしている。
「それでは、ごゆるりと」
シイラシは頭を下げると、扉を閉めた。
部屋に残された二人は、ただ互いの顔を見ている。やがて、初老の男の方が顔をほころばせた。
「10年ぶりだのう、ライカどの。こうやってあなたの元気そうな顔を見られる日が来るとは、感慨深いものがある」
「……どうぞお座りください、イルグカ様」
ライカに乞われて、初老の男──イルグカは向かいに座り込んだ。イルグカの前に置かれた杯にライカが酒を注ごうとしたが、イルグカが制止した。
「いや、私も茶をいただくことにしよう。近頃はちっとも酒を呑む気にならないのでな……」
ライカが茶を注ぐのを見ながら、イルグカがぽつりぽつりと話し始めた。
「しかし、こんな形で再開するとは夢にも思わなんだ……。私は今もヤワジ王のことを考えぬ日はない。王様があのような最期を遂げられてしまったのは……そして、忠臣であったバイカどのにあのようなことをさせてしまったのは、王様をお諫めしきれなかった私にも非があると……そう思っておるのだ」
「……イルグカ様。今日は昔話をするためにお呼びしたのではありません」
それ以上、過ぎたことを──父の名を出してくれるなと言わんばかりに、ライカが強い口調で言った。イルグカもそれを察して、申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうであったな。すまぬ」
「依頼書からは把握できないことをお聞きするために、この場を設けさせていただきました。この密談が外に漏れてはいけないと思い、妓楼にお越しいただいたのですが、どうかご勘弁を。ですが、この東菊は信頼に値する場所。ご安心を」
「そんなことくらい、わかっているよ。むしろ有難い。今のこの状況では、おちおち私の屋敷に来てもらうこともできないからのう……」
イルグカがため息をつくのを見て、ライカが一言──。
「内通者がいるのですね」
「さすがカンドル隊の隊長だな」
「誰であっても気づきます。依頼書には肝心なことが何も書かれていないんですから。つまり、ご自身が養生所に乗り込まれるほど、養生所へ文を持たせる家令でさえも信用ならないというわけですね。……まったく、外に出るときは必ず人がついて回るそのお立場で、どうやってあんな廃れた養生所なんかに入りこめたのか不思議です」
「養生所の目の前で仮病を使ったのだ。そうすれば使用人たちが自然と運んでくれるだろう?」
イルグカが無邪気に笑った。少年が自分の宝物のことを話すかのように、説明する。
「あの時はヒヤヒヤした。治療中も使用人たちがずっと横についていてな。わずかに彼奴らが目を離した隙に、すかさず懐に忍ばせておいた文をあの薬師の老婆に渡したものよ」
「使用人の鑑のような者たちですね」
ライカが皮肉っぽく笑ったが、イルグカは再び浮かない顔に戻った。
「だが、その中に敵と通じておる者がいるかもしれないと分かれば、おちおち寝てもいられんわい。狙われているのは私ではなく、娘のオウキであればなおさらよ」
「すでに何度か襲撃に遭ったと聞いていますが」
「ああ、二度だ。一度目は出かけ先で、二度目は私や倅の居ない時を見計らって屋敷に襲撃してきた。どちらも私たちの行動を把握していなければできぬことだ。この二度の襲撃は運よく耐えたが、敵の数や実力を見れば、我が屋敷の私兵だけではどうにも守りが手薄のようでな。追手をかけようとしたが、奴ら、蜘蛛の子を散らしたように逃げおった。敵に関する手がかりも何も無く、またいつ襲ってくるかと家人・使用人みな、不安な日々を送っている」
「お嬢様がなぜ狙われているのか、もしくは誰に狙われているのか、心当たりはありませんか?」
「そうだな……オウキは、私から見ればそれはそれは可愛い娘なんだが……その、なんだ、人当たりのきつい子だからな。何人もの人間の恨みを買っていてもおかしくはない。なんなら、此度の襲撃の黒幕はそこらの平民かもしれぬ」
「イルグカ様……お戯れもたいがいに」
イルグカにとっては真面目に答えたつもりだったのだが、ライカがじっと睨んでいるので慌てて話したてた。
「まず考えられるのは、タカイヌ王の妃候補を潰そうとしている線だろう。左大臣の娘ならば、王の妃候補に挙がっても何もおかしくはない。それを阻止するため、何者かが動いているのだろう。見当はついているがのう」
「城を離れて10年の私の憶測で恐縮ですが……前王を支持する一派ですか?」
ライカがそう訊ねると、イルグカが頷いた。
「おそらくな。ヤワジ王亡き後から、王の正統性をヤワジ王の嫡子に、と説き続けた彼らのことだ。もしタカイヌ王と王妃の間に御子がお生まれになったとしたら、彼らにとって大きな痛手となる。その御子が男ならなおさらな。そうさせないためにも、王妃になりそうな娘を排除し、御子をもつ前にタカイヌ王を王座から引きずり降ろそうという魂胆だろう」
「イルグカ様はタカイヌ様を王に推した、いわば前王一派と対立するお立場。そして妃の筆頭候補はイルグカ様のご令嬢。前王一派がオウキ様のお命を狙わずにはいられない理由がそろいすぎているわけですね」
「まったく……オウキは王妃の座から最も遠い娘だというに。周りが勝手に妃候補などと決めつけてしまうからオウキの身が危うくなるのだ」
イルグカが怒った顔でそうつぶやくと、ライカはまるで時の止まったような顔で訊ねた。
「……それはどういう意味で?」
「その……オウキは大の男嫌いなのだ。王妃になれるのだと周りにはやし立てられても、あの娘のことだ。頑として拒むだろうな」
ライカはそれを聞いて、あの不可解な文面の意味するところがようやく理解できた。
「……つまり、『隊の中で華奢、小柄で女人の風貌に最も近い者の対顔求む』と依頼書に書かれてあったのは……」
「そうだ。オウキは気の強い性格ゆえ、男の護衛をそばに侍らせるのは万に一つでも許さないだろう。カンドルは男だけの部隊だろう? ならば、最も女人に見える者に女人だと偽って護衛についてもらうしかない」
──そういうことだったのか。こうなると分かっていれば、ナミを窟から出すつもりは毛頭なかった。護衛任務で最も重要で危険な側付きを、誰があいつにやらせるものか。
ライカは湯のみを割りそうなほど強く握りしめていることに気付いて、ゆっくりと手を離した。
(このところ平和だったから油断していたな……)
側付きなどではなく、ただの連携係の一人として潜入させるだけだと思っていたからか。それともイルグカが、亡き父が昔懇意にしていた人物だからか。なぜ素直に奈美を連れてきてしまったのか悔やまれるところだ。
「それでその者は、今日は連れてきていないのか? 衣裳と化粧でどうにか女人に見えればよいのだがのう……」
奈美は隣の部屋に待たせてあるのだが、今からでも遅くない。そんな危険な任務に奈美を巻き込むわけにはいかないのだ。
「イルグカ様、申し訳ないですが──」
ライカが口を開いた瞬間、奈美がいるはずのすぐ隣の部屋から、がらがらがっしゃんという派手な音が聞こえてきた。
イルグカが目をぱちくりとさせていると、隣との間の扉がスーッと開き、向こうから奈美がきまりの悪そうな顔をのぞかせた。
「……ごめんなさい。足が引っかかって、ちょっと、棚を倒しちゃった……」
(……大方、俺たちの話に聞き耳を立てていたんだろう)
ライカが大きなため息をひとつついた途端、イルグカがばっと立ち上がった。
「ライカどの、まさかこの者か……?」
イルグカはそのまま、慌てて棚を直している奈美の前に近寄ると、膝をついた。目の前の男物の衣裳を身に着けた者をまじまじと観察してから、やがてじわじわと笑顔になっていく。
「まさかカンドル隊にこのような男がいるとは! この者なら、誰の目にも女人にしか見えまいのう!」
イルグカが嬉々として叫ぶのを聞いて、ライカは再びため息をついた。




