作戦会議
「次は後ろだ」
「えっ……後ろも?」
「力みすぎだ、もっと力を抜け」
「い、痛くしないでね……?」
「心配するな。俺が信じられないか?」
「別に信じてないわけじゃないんだけど……」
「……いいぞ。次は前を向け」
「エッ、もう終わったの?」
奈美がくるりと振り返った瞬間、目の前にいたライカが奈美の首に剣を当てた。もちろん首の皮膚に少しも触れることなく、寸止めだが。
「……なるほどな。もう楽にしていいぞ」
「ふう……」
ライカが剣を鞘に収めるのを見て、奈美もホッと息をついた。
ライカが自分の躰をもらうとか言い出したときは、いきなり何を言い出すのかとギョッとしたが、その後のライカの説明で彼が何をしたいのかが分かった。
ライカは常々、例の紅い紐──シスイによって呪いをかけられた、ライカと奈美を繋ぐテムルという『命の鎖』の仕組みを明らかにしたいと思っていた。そのためには奈美の協力が必要不可欠で、つまり、奈美の躰を使って実験したかったのだ。
ライカは奈美にこう言った──今から幾つかの状況に分けて、おまえに剣を振り下ろす。それで鎖が出現するかどうか調べたい、と。
奈美としても、自分にとりついているテムルとやらがどういうものかを知りたかったので、了承した。剣を振り下ろされるのは恐かったが、ライカは絶対に自分を斬らないという確信があった。なぜなら、奈美を傷つければ、ライカ自身にも「良くないこと」が起こりうるからだ。
「……で、今ので何か分かったの?」
「はじめに言っておくが、俺が調べたかったのはテムルの出現条件だ。そして、実際に出現した場合……つまり、俺とおまえをつなぐ鎖が紅く輝いた場合、それを目にすることができるのは俺たち二人だけなのか、それとも、他者にも見えるのか。これらはできるだけ早く知っておかないとまずいからな」
「でも、私が三方の崖から落ちた時、テスとダンチョウさんもいたでしょ。その時、二人が、えぇと──テムル、を見たかどうか確認すれば、他人にも見えるかどうかは分かるんじゃないの?」
「そうなんだが、二人は少し離れた場所にいたから何とも言えん」
「そっか……っていうか、そもそも何でそんなこと調べたいの?」
奈美があっけらかんと訊いたので、ライカがため息をつきながら説明した。
「もし他者に見えるのであれば、テムルの存在が皆の知るところとなってしまうだろ。そうなれば、仮に俺を仕留めたい奴らがいたとすると、まずはおまえに危害を加えようと画策するだろう。その方が手っ取り早いからな」
「なるほどー」
奈美がふんふんと頷きながら、思った。
(俺を仕留めたい奴らって、あんた……誰かに恨みでも買ってるの? そりゃいるわよね、普段からその態度じゃ)
そういえば、奈美自身もこの横柄で冷淡な男に復讐してやると思っていたものだが、テムルのせいで冗談でも殺してやることはできなさそうだ。奈美だって復讐のために死にたくはない。
「それで、今の試みから導き出された結論だが。……よく分からん」
「……は?」
ライカの言葉に、奈美は呆気にとられた。これでは何のために、寸止めとはいえ、体を張ったのか分からない。
「おまえに正面、背後、振り向き様と三度、剣を振り下ろしたが、どれもテムルは出現しなかった。おまえが攻撃を受けていると気付いていなければ出現しないだろうと考えたが……攻撃がよく見える正面からの攻撃でも出現しなかった。攻撃が全く見えない背後からの攻撃も、振り向き様という予期せぬ攻撃でも同じだった……」
ライカはしばらく考え込んだあと、何かを思いついたのか口を開いた。
「こんなお遊びじゃなく、おまえが本当に危険だと認識しないとテムルは出現しないのかもしれないな」
「どういうこと?」
「剣を振り下ろした時、俺は殺気を込めていなかった。当然と言えば当然だが」
それならば、これまでテムルが出現した時の状況も納得がいく。崖から落ちた時も、オオカミに襲われた時も、ナゴリやその手下に襲われた時も、奈美が本当に危険だと感じたからこそ、赤く光ったのだ。
その時、奈美があっけらかんと言った。
「なら、もう一度やってみればいいんじゃない。今度は殺気を込めて」
「……なに?」
「大丈夫だって、さっきみたいにギリギリで止めてくれれば。できないの?」
「ぬかせ。この俺を誰だと思っている……?」
奈美を睨んでから、ライカは気付いた。本気の殺気を向ければ、ナゴリのような大男でさえ震え上がらすことができる。そんな物騒なもの、この女には向けたくない、と。
ライカが黙り込んだので、奈美がその顔を覗き込んだ。ニヤニヤと笑いながら。
「やっぱり、できないんだ? 殺気を込めた剣を止められないんじゃないかって心配なのね」
「違う。できないんじゃなくて、やらないんだ」
(殺気のこもった剣がどれほど恐ろしいか、おまえもついこの間、身をもって経験したところのはずだが……懲りていないのか、この女は!?)
ライカがまったく納得いかないといった顔をしていると、奈美が不憫そうに頷いた。
「はいはい、そういうことにしといてあげる」
「~~おまえという奴は……」
ライカが口を開いたとき、背後で扉を叩く音がした。
「遅くなり申し訳ありませぬ」
「入れ」
扉を開けて入ってきたのは、ダンチョウとテスだ。奈美の姿を見つけたダンチョウが、ライカに訊ねる。
「お邪魔でしたかな?」
「問題ない」
「今から、何か始めるの?」
奈美が訊ねると、ライカが答えた。
「作戦会議だ」
「ああ、そっか。王様に会ってきたんだものね。例のお城に復帰するって話? はいはい、おじゃま虫は消えるわよ」
奈美は部屋を出て行こうとしたが、ライカが止める。
「残れ。おまえも聞いていくんだ」
「え? 私も? ただの料理番が、作戦会議に混じるの?」
「付き人でもあるだろ」
そもそも付き人は作戦会議に出るものなのか。判断のつかない奈美は、ダンチョウをちらっと見た。椅子に座りかけていたダンチョウは、意味ありげに頷く。
(……そういうものなのね)
奈美は大人しく椅子に座った。次の食事の支度をしなければいけない頃なので退散したかったが、わざわざ隊長の機嫌を損ねるようなことはしない方がいい。読み書き指南の約束を守ってもらうためにも。
(──でも、なんかうれしいかも)
これまでは大事な話し合いの時に隊長の周りにいるのは、参謀のダンチョウや副隊長のカミトキ、あとは伝令役のテスくらいのものだった。今はそこに自分が加わっているのだ。
「カミトキはまだ戻っていないか?」
「はい。まだ訓練中っす」
「そうか……なら仕方ない。始めるか」
今からどんな話がされるのだろうと奈美がドキドキしていると、ダンチョウが口を開いた。
「……して、ライカどの。王は例の提案を受け入れてくれたのですか?」
「ああ。何とかやる気にはさせておいた。さすがにあの王でも栖ノ国は落とせないだろうが……ま、王の気概を見るには良い機会だな」
「えーと、出だしから話の腰を折って申し訳ないんだけど……それは何の話デスカ?」
「……そういえば、ナミにはまだ何も話してないんだったな」
ライカがため息をつくのを見て、ダンチョウが景王タカイヌとの試し合いの件について説明した。それを聞いて、奈美がポカンと口を開ける。
「え、待って? てっきり私、カンドルは王様の下で働くことに決まったんだと思ってたけど。試し合いなんて、何でいまさらそんなことするの? もしどちらかが、相手に言われたことが出来なかったらこの話はナシ、なんてことになるの?」
「その可能性はない、とは言えないな。だが、俺はあの王に仕えたいと思っている。今回の試し合いは、単なる俺のわがままだ。俺がタカイヌを信じ切れる、最後の一押しがほしいだけだ」
「最後の……一押し?」
「今しがた言ったろう。王の気概だ。10年前のようなことはもう……二度と繰り返したくないんだ」
ライカは険しい眼差しをしている。テスもダンチョウも、じっとうつむいたまま動かない。
(その、『10年前』に、一体何があったっていうの……?)
訊ねたいのは山々だが、彼らの顔を見ればそれはできない。この話はもう終わりにしたくて、奈美はちらっとダンチョウの方を見た。ダンチョウもそれに気づいて、話をもとに戻す。
「……それで、王が我々に求められたのはどのようなことでしたか?」
「それがな……」
ライカは少し言いよどんでから、口を開く。
「『鼠』の長はハンゾウという男です。彼と会って、意気投合してみせてください」
タカイヌは手を組むと、困ったようにため息をついた。
「どうやら彼、カンドル隊のことを快く思っていないようなんですよね。だから今回、僕がカンドル隊に直属の部隊になるよう働きかけている件のことも良く思っていないんです」
それから目の前に立つライカをちらっと見て、続けた。
「僕が言って聞かせれば、彼は僕の意向に従ってくれると思うんです。でも、僕としてはやっぱり、王にじかに仕える者同士、仲良くやってほしいんですよね。兄上にもハンゾウにも、互いに手を取り合うことを心から納得して仕えてほしい」
それを聞いて、ライカは心の中で皮肉っぽく笑った。
(一国の王となっても、甘ちゃんなところは昔と同じ……か)
「だから、兄上にはハンゾウを口説き落としてもらおうと思います。できますか?」
「……それはまた何とも……」
「えぇッ!」
ライカから景王が出した課題を聞くやいなや、ダンチョウは言葉を失った。テスも驚きを隠せない様子だ。しかし、何が彼らをそうさせたのか、奈美には分からない。
「え? そのハンゾウって人と仲良しになればいいだけじゃないの? そんなに難しいこと?」
奈美の経験上、よっぽど厄介な性格持ちでない限り、よく知らない者とは一度酒を酌み交わせばひとまずは打ち解けられた。ハンゾウさんを呼んで飲み会開けばいいんじゃない?──と奈美が考えていると、ダンチョウが説明し始めた。
「カンドル隊が武芸の達人ならば、『鼠』は体配と変装の達人。彼らはその俊敏な身のこなしで、どれほど入手困難であろうとも、景王のために諜報活動を行ってくるのです。そんな『鼠』の長ならば、そう易々と捕まえさせてくれないでしょうな……」
「そっすねぇ……養生所のばーさんとじーさんでさえも、『鼠』の足取りをつかむのにだいぶ苦労してたみたいだし」
「本人に会うこと自体、難しいってわけね……」
奈美の元いた世界ならばスマホひとつで連絡が取れるというのに、ここはなんとも難儀な世界だ。
「万が一ハンゾウを捕まえたとしても、嫌っている俺たちの話を素直に聞いてくれるとは思えないがな。意気投合など、以ての外だ」
ライカがそう言い切ったのを聞いて、奈美があははと乾いた笑みを浮かべた。
「早くも行き詰っちゃった感じ……?」
「しかし、王にはやると言ってきたのでしょう?」
ダンチョウの問いに、ライカがムッとした顔で言った。
「当然だ。できるかと訊かれて、できないなどと答えられるか」
(……子供か!)
奈美は心の中でツッコんだ。と同時に、思い出した──ライカが子どものように無邪気に笑った、あの時のことを。
奈美が一人、顔を火照らせているのに誰も気づかないまま、話は進む。
「では、カナイ嫗とヨハイ翁には引き続き、『鼠』──特に、ハンゾウについての情報収集をお願いすることにしましょう」
「じゃ、次に養生所に行った時に、オレから伝えとくっす!」
「頼むぞ。……そういえばテス、養生所に行ってきたんだろ。依頼はあるのか?」
「あっ、はい! これっす!」
そこでテスは懐に手を入れて、一枚の紙を出して広げた。それをさっと見て、ライカがつぶやく。
「──護衛か」
「はい。珂族のお嬢さんが、武装した奴らに何度か狙われてるらしいっす」
奈美はこのひと月、隊員たちの世間話に聞き耳を立てていた──窟からほとんど出られないが外の世界のことは知りたいがゆえの行動だ。そのおかげで、少しだけだが、この世界の言葉や情勢が何となくわかるようになっていた。『珂族』もそのひとつだ。
(珂族って、貴族みたいな身分の高い人のことだったわね。確か)
なぜかライカが依頼書を見つめながら、眉をひそめている。
「どうかされましたかな?」
ダンチョウが声をかけたが、ライカはまだ何か考え込んでいる様子だ。すでに依頼内容を薬師姉弟から聞いているテスは、なぜライカがそんな顔をしているのか分かるので居心地が悪そうだ。
「甚だ不本意だが……」
ライカは顔を上げると、奈美を見た。
「今回の依頼は、おまえにも手伝ってもらうことになるかもしれない」




