勝手なヤツ
奈美の顔のすぐ目の前に、切っ先が浮かんでいる。刃を伝って、切っ先からぽたりぽたりと血が滴り落ちる。
奈美に、剣は刺さって──いない。その血はライカのものだった。剣を止めるために、空いていた方の手のひらで刃を握りしめたのだ。
「──あ、あ……」
──剣を止めてくれてありがとう。そう言いたいのに、奈美の口は震えて動かない。
ライカはぎろりと奈美を睨んだ。
「一体、何を考えている!? 剣の前に飛び出す馬鹿がいるか!?」
ライカが刃から手を放すのを見ながら、奈美は何とか言葉を絞り出した。
「で……でも、あなたがこの人を殺すのは良くないと思って」
「おまえはこの男の味方なのか?」
鋭い視線とともに放たれた質問に、奈美はムキになって答えた。
「味方なんかじゃないわよ! 誰がこんな悪者──」
「ならば、何故かばう?」
「殺しても何も解決しないからよ!!」
ライカはびっくりしたように奈美を見た。
「この男を殺せばすべてが解決する──の間違いじゃないのか?」
「それは違う……と思う」
奈美は少しためらった後、思い切って口を開いた。
「人の縁って不思議なものでね。今、この人を殺して縁を断ち切ったとしても、その所業は巡り巡っていつか自分に返ってくるのよ。反対に、縁を大事にすれば、良いことになって自分に戻ってくる。だから殺してオシマイ、なんて間違ってるの。こんなオカルトめいたこと言ってて、自分でも可笑しいわよ? でも死んだ母が昔、よく言ってたから、なんとなくそうなのかなって……」
最後はもごもごと口ごもった奈美を、ライカが眉をひそめて見ている。単に何か考え込んでいるようにも見えるが、奈美には「頭がおかしくなったのか」とでも思われていそうに見える。後ろでナゴリが「はっ」と小馬鹿にしたように笑ったのが、さらに奈美に追い打ちをかける。
奈美はライカの答えを待った。奈美なりに最善を尽くしたつもりだったが、期待はしていない。縁だの所業だの言っている時点で、この男は説得できない気がする。
「縁……か」
ライカがそうつぶやくと、剣を下した。代わりに、傷を負った方の手を掲げる──。
「きゃあっ!?」
突然、炎が舞い上がり、奈美は頭を抱えて叫んだ。恐る恐る目を開けてみると、何かが燃え上がっている。
──奈美に襲い掛かりライカに殺された、ナゴリの手下だ。その死体が今、ごうごうと燃えているのだ。
(どうして、いきなり火が……? あれ、そういえば、オオカミに襲われた時も……)
脳を鉤爪で掻き回され、内臓が引きずり出されるような恐ろしい臭いが鼻を突き抜け、奈美はそれ以上考えることができない。
「……ナゴリという男はここに死んだ。去れ。俺の気が変わらぬうちにな」
ライカのその言葉に、ナゴリが鼻で笑った。
「いいのかよ。頭領の首が目の前に転がってるってのに」
「たまには賭けに乗ってみるのも面白い。見物だな、おまえをここで殺さずにおくことでこの先どうなるか──ま、期待はしていないがな。その出血では、先は見えている」
「フン、その気まぐれで後悔することになっても知らねえぜ!」
ナゴリは立ち上がると、無事な方の手で左耳の耳飾りをもぎ取った。それを、ライカの方に投げる。
「借りを作るのは性分に合わねえんでね」
そう言うと、ナゴリは窟の入り口とは逆方向にふらふらと走り出した。その途中、向かいから来た男──ダンチョウの肩にぶつかったが、一睨みするとそのまま走り去った。
「……ライカどの!」
松明を掲げたダンチョウが、ライカの姿を見つけると駆け寄ってきた。そばにはテスもいる。
「やはり、この窟にも裏口がありましたな。少々手の込んだ隠し方で探すのに苦労しましたが……。それはそうと、今のは……」
「ナゴリのヤツじゃないっすか? 逃がしていいンすか!?」
ライカは二人の部下の肩を拳で叩くと、ナゴリの消えていった廊下を見据えた。
「……いいんだよ。片腕を失くした死にかけの奴に大したことはできないだろ」
「それはそーと……ナミの姉貴――――!!」
突然、半べそをかいたテスが、奈美に抱きついた。
「無事でよかったっす!! 隊員のみんなも、ホンッットに心配してたンすよ!?」
「う……わかった。わかったから、放してテス」
奈美が苦しそうに呻くと、ようやくテスは我に返る。バッと体を離すと、顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「うわっ、オレなんてことを……! ライカの兄貴、すいませんッッ。別にヘンな気持ちはなくて、ただ姉貴が無事だったって知ってホッとしたら体が勝手に」
テスが頭を地面にこすりつけて謝るのを見て、ライカが眉をひそめてつぶやいた。
「……なぜ俺に謝る?」
「しかし、本当に良かった。こうやってナミどのが無事に────ナミどの?」
そのとき、ダンチョウが奈美の異変に気付く。奈美は真っ青な顔をしている。今にも倒れるのではないかと、ダンチョウが慌てて手を差し伸べたが、奈美はそれを制した。
「ありがと大丈夫。ちょっとこの強烈なにおいに参ってるだけだから……」
(抱きつかれても、テスの臭いが全然気にならないくらいだもの)
こっそり心の中でそう付け加える。
今や勢いが大分弱まってきた炎を見て、ダンチョウもうなずく。
「確かにひどいですなあ……。戦場では死臭は当たり前ですが、風通しの悪い窟の中では臭いがこもりますからな」
「ならば、さっさとやることを済ませて、外へ出るとするか」
そう言うと、ライカが手に持っていたものを掲げた。──鍵だ。
「あ……もしかしてそれ」
「村人を閉じ込めている扉の鍵だろうな。先ほど奴が置いていった耳飾りの中に隠されていた。──あいつも損な性分を持っている。あのままこの鍵を渡さずに去れば、俺たちに嫌がらせできたものを」
奈美は思った──悪人のナゴリを何故だか完全に憎めないのは、そういうところがあるからかもしれない。
「……そういえば、どうしてナゴリを逃がしてくれたの? かばっといて何だけど、私、あなたはナゴリを生かしてはおかないと思った……」
奈美のその問いに、ダンチョウとテスが顔を見合わせた。自分たちが来る前に一体何があったのか──と知りたげな顔だ。
「言っただろ、賭けだ。気まぐれにおまえの言い分に乗っただけだよ」
ライカはそれだけ言うと、村の女子どもが閉じ込められている部屋に近づいた。その扉に鍵を差し込むと、カチンという音とともに、いとも簡単に扉が開いた。
開け放たれた部屋には、女と子どもたちが──4、50人はいるだろうか──所狭しとうずくまっていた。扉が開いたことに気付いた彼女たちは、野盗たちにまた何かされるのではないかと怯えている。
「野盗どもはカンドル隊がすべて退治した。皆、部屋を出ろ。村に帰るぞ」
ライカが入口からそう告げると、彼女たちはお互い顔を見合わせた。はじめは疑わしそうな顔だったが、徐々に笑みが広がっていく。
「帰れるのね……家に!」
「信じられない! もう村には帰れないと思ってたわ」
女たちは立ち上がると、子どもの手を引いて、ぞろぞろと扉に向かう。部屋から出てきた彼女たちを、ダンチョウとテスが裏口に案内し始める。ここから外に出るなら裏口に向かう方が早いし、なにしろ表の方は野盗の死体であふれかえっているはずなので行かせられない。
女たちが嬉しそうに部屋から出てくるのを見て、奈美はようやく肩の荷が下りたような気分になった。ずっと張り詰めていた気が緩んだせいか、足元がふらつく。体が傾き、そのまま倒れそうになった奈美を、逞しい腕が支える。ライカだ。
「あー、ごめん……。なんか安心したら、足に力入らなくなっちゃたみたい……」
弱々しく笑った奈美を見て、ライカが口を開こうとした──その時。
「隊長! ここにおられましたかっ!」
カンドル隊副隊長のカミトキが、表へ続く方の廊下から隊員たちを連れてこちらに向かってくる。ライカの背中を見つけると、足を速めた。
「遅くなり、申し訳ありません。少し前には野盗たちを片付け終わっていたのですが、廊下が複雑で迷ってしまい……」
そこで、カミトキの口と足が止まった。
ライカが一人の女を抱きしめている。胸に抱き寄せられているのでその顔は見えないが、背格好や服装から、あれは女で間違いない。さらわれてきた村の女だろうか。
カミトキが言葉を失っていると、ライカが肩越しに振り返った。
「……カミトキか。今、村の女たちを外へ誘導しているところだ。ナゴリはあの通り、消し炭になった。おまえたち、よくやった。任務完遂だな」
ライカがそこまで言うと、ふと思い出したかのように付け加える。
「──この女か? 野盗どもに手荒な真似をされてひどく怯えている。大勢の男が近づくとまた取り乱すかもしれんから、おまえたちはこっちへ来るな。おまえたちは二手に分かれて、村の女たちの誘導と引き上げの準備にあたれ。この者が落ち着いたら俺も行く」
「は……はっ!」
カミトキは答えると、隊員たちへの指示を始める。副隊長の後ろを歩く隊員の一人が、女を胸に抱く隊長の方を横目で羨ましそうに見遣る。
「いいなあ……俺も慰める役の方をやりてえよ」
そのつぶやきを聞いたもう一人の隊員が、思わず噴き出した。
「無理無理! おまえみたいな強面じゃあ、どんな女も怯えるっての! あれは隊長みたいな男前だから務まる役目だ」
「隊長、格好いいもんなあ……。それにしても、一瞬ビビったぜ。あの隊長が、女を抱きしめてるんだもんな。妾でもできたのかと思った」
「いや、それはないだろ。10年前のあの一件から、隊長の女嫌いは続いてるんだぜ? ぜってー隊長の女嫌いはまだ治ってないって。妓楼にも行っていないようだしな。ほら、この前、娼妓たちが言ってたろ。隊長が珍しく東菊を訪ねてきたけど、遊ばずに帰ったって……おっと」
その時、カミトキが無駄口を叩くなとでも言わんばかりに睨みつけてきた。その視線が外れると、二人は懲りずにひそひそ話を続ける。
「そういや、ナミの野郎はどこだろうな? 隊長が一足先に探しに来てたはずなんだがな」
「もう見つかったんじゃねえか? 隊長もさっきまでと違って落ち着いてる様子だし……」
「そうだな。女だと間違われてさらわれて、あいつも災難だよな」
「あとで会ったら揶揄ってやろうぜ。俺たちを慌てさせた罰だ」
カラカラと笑い合う男たちが去り、村の女たちもすべて出て行き、その場に残されたのはライカと抱き寄せられた女の二人だけになった。
「…………行ったようだな」
周りに誰もいないのを確かめてから、ライカはようやく奈美を体から離した。きつく抱きしめられていたためか、それとも何か別な理由のためのなのか──、奈美の顔は上気している。
「……なんでこんなことする必要があったのよ?」
そうだ。わざわざ抱きしめなくてもよいではないか。万が一バレていたら、彼らになんと言い訳するつもりだったのだろうか。
「この間抜け。あいつらはおまえを男だと思ってるんだぞ? それなのに、そんな恰好して現れたらどうなる? 鈍感なあいつらでもさすがに女だと気付くだろ」
「う……」
それもそうだ。結局のところ、ライカは秘密保持のため、やむを得ず、ああしたというわけだ。そう思うと、何故だか心が沈んでくる。そして、ライカのいつもと変わらぬ平然とした様子を見て、なおさら心が沈む。
──訳が分からない。自分には愛する婚約者がいるし、この男は冷酷無情な人殺しなのに。奈美の頭の中は、ぐしゃぐしゃだ。
(婚約者がいる女性を抱きしめて、こんな気持ちにさせて……ホント、勝手なヤツなんだから)
奈美の苛立ちにも気付くことなく、ライカが指示を出す。
「外に出るのは衣を替えてからだ。男物の衣を探してくるから、この部屋で待っていろ」
ライカは部屋を出ると、廊下を進んだ。歩きながら、深く、深く、息を吐く。
奈美には平然としているように見えたが、実際はそうでもない。




