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並行世界(パラレルワールド)は君のいる世界  作者: 方丈 治
第一章

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23/67

さらわれた奈美

 

「いたっ!?」


 両手を縛られ、目は布で覆われた状態でしばらく馬上の旅をさせられた後、どこかに着いたのか、馬から降ろされ運ばれていた奈美が、痛みで声を上げた。突然、地面に放り投げられたのだ。


「俺らの秘密の隠れ家にようこそ」


 そう声がすると、奈美の目の覆いが無造作に剥ぎ取られた。目の前には自分を運んできたと思われる男がこちらを見ながら、にやにやと薄ら笑いしている。


「確かにこんな上玉、ここらの田舎じゃあ、そうお目にかかれねえなあ……。どれ、味見くらいいいだろ」


 男は舌舐めずりすると、奈美に手を伸ばす。


「おい、なにしてんだ。てめえは」


 背後からの声に、男の手がピタッと止まる。


「とっ、頭領!」


 男は焦った様子で立ち上がると、言い訳を始める。


「違うんですよ。このアマがけしかけてきたんですよ?」

「その女には手を出すな。他の奴にも伝えとけ」


 ナゴリの凄味のある睨みにおびえた男が、飛び上がるようにして部屋を出て行った。


「へ、へいっ」

「……ったく、油断も隙もあったもんじゃねえ」


 ナゴリは溜息をつくと、奈美の前にどすっと腰かけた。それから奈美を見据えてつぶやく。


「ま、仕方ねえな。こんな辺鄙な田舎でならず者集団やってたら、女に飢えてて当然だ。上玉を前にすれば、なおさらだ」

「おい、この縄を解け。何か勘違いしてるようだけど、俺は男だってずっと言ってるだろ」


 奈美は強気に攻めた。相手を納得させるのは難しいのかもしれないが、自分は女ではなく男だと主張することは大事だ。この男どもの前で女だと認めてしまえば、身に災いしか降りかからなくなるからだ。


 突然、ナゴリが奈美の上衣うわぎの襟をつかみ、ぐいっと引っ張った。胸を目立たなくさせるために巻いていたさら木綿もめんあらわになり、奈美はぎょっとする。


さらしも剥がれてえなら、喜んでそうしてやるがな」


 ナゴリがニヤリと笑うのを見て、奈美は観念した。

(どうやら男のフリを続けるのは無駄みたいね……)


「おっかしいなー。カンドル隊の男どもは騙せたのに」


 そうぶつぶつと言っている奈美を見て、ナゴリは快活に笑った。


「遊郭浸りのあいつらと飢えたオオカミのような俺たちを一緒にしてくれるなよ。俺たちゃ鼻が利くんだ」

「遊郭浸り……確かに」


 深く頷いた奈美を見て、ナゴリは愉快そうだ。


「男装するだけあって、変わってるなおまえ。他の女とは違う。喋り方も髪の色も。異国から来たのか? 見たこともない色だが、キレイだな……」

「触らないでよ!!」


 ナゴリが奈美の髪を触ってきたので、奈美は縛られた両手ではねのける。


「この世界に来てから会う人会う人、髪が紅い髪が紅いっていうけどねー、地毛なのよ! 悪い!? この髪色のせいで学生時代、何度『茶髪だ』だの『髪を染め直せ』だの生活指導受けたことか……。それもこれも父さんの遺伝子のせいよ!」


 今まで積もり積もった鬱憤を晴らすように、奈美がわめいた。それを見て、ナゴリがくっくっと笑う。


「訳の分からんことを言ってるが、気が強いのも気に入った。ま、安心しろ。おまえは他の女のように俺たちの慰み者にはしねえよ」

「な、なぐさみ……」


 奈美は背中がゾッとするのを感じた。一歩間違えていたら、とんでもない目に遭っていたのだ。


「じゃ、じゃあ、どうして私を連れてきたっていうのよ?」

「そうだなぁ、おまえのような上玉なら高く売れるんだが……しばらく売らないで、ここにしばらく置いておく。俺がおまえに飽きるまでな」

(な……なんですってぇーーーー!?)


 奈美は心の中で叫んだ。それもそうだ。会ったばかりの男たちとまた共同生活をすることになるとは夢にも思わなかったのだから。


◇◇◇


 夜が明けたクタラ村に、朝日が差し込む。本来ならカンドル隊が村を出ている頃だが、夜中に野盗集団の襲撃を受けたせいで、その予定は中止となった。カンドル隊に死者はでなかったのだが、傷を負った隊員の手当てをしなければならなかったからだ。それに、再び焼き討ちに遭い、民家の火消しもしなければならなかった。

 厳しい顔をしたライカが、ある民家から出てきた。扉のすぐ横に立っていた隊員に命令する。


「しっかり見張っておけよ。奴を家から一歩も出すな。誰かを家の中に入れてもならんぞ」

「はっ!」


 隊員が頷くのを見てから、ライカはダンチョウの待つ民家に急ぎ向かった。その家に入ろうとした時、テスが突然ライカの目の前に現れた。どうやら瞬足を使ってどこかに行っていたようだ。


「ちょうどいい」


 そう言うと、ライカはテスと共に家の中に入った。ここはライカの部屋として借りている民家だ。部屋の中には、机に広げた地図をじっと見ているダンチョウがいる。


「……さて、ではおまえの報告から聞かせてもらおう」


 机の周りに三人が集まると、ライカがテスに訊いた。


「ウス。兄貴の命を受けてすぐに村を出てったアイツらを瞬足で追いかけたっすが、思った通り山脈の方に向かっていったっす。えーと、確か、この辺りから山に入っていったっすかね……」


 テスが地図を覗き込むと、クタラ村北部に連なる三脈のうちのひとつの山を指した。ライカとダンチョウもそれを見て、つぶやく。


「テシジャガ山……か」

「日が昇りかけてたんで、バレないように上空から追跡したっすが……アイツらの棲み処は特定できなかったっす。……申し訳ないっす」


 テスがしゅんと肩を落としたが、ライカもダンチョウも彼を責めることはなかった。


「木で姿が隠れて目で追えない代わりに、蹄の音を頼りに追ったんだろ? それならば仕方ない」


 敵の棲み処を特定できなかったことを責めないばかりか、ライカが自分の苦労を理解してくれていることを知って、テスは目をうるうるとさせた。


(だから、オレは兄貴について行くンすよ!!)


 テスは心の中でそう再確認してから、何か役に立つことは言えないかと考えた結果、ふとあることを思い出した。


「そういえば……蹄の音が止んだ辺りで、山に下りてしばらく探索してたんすが、人っ子一人、気配を感じなかったんすよねー……。あれだけの大人数なら、声や物音のひとつくらい聞こえても不思議じゃねえのに。その場からパタッと消えたみたいにいなくなったんすよ。アイツらが暮らす集落も近くにあったはずなんすけどねぇ……でも、煙のひとつもねえし」


 テスのつぶやきを聞いていたライカとダンチョウが、同時に顔を上げた。


「……俺たちと同じか」

「そのようですな。ならず者にとって、人家に住むのは人目につきやすく何かと不都合でしょうしな」

「え? どういうことっすか?」


 二人の会話についてきていないテスに、ダンチョウが説明した。


「我々と同じく、彼らもいわやを棲み処にしているかもしれない。突然人気ひとけを感じなくなったのも、煙が立たないのも、納得できるというものだ」

「あっ、そっか」


 テスがぽんと手を叩く。その横で、ライカが難しい顔をしてつぶやく。


「しかし、厄介だな。入り口は綿密に隠されているだろうし……俺たちカンドルの窟もそうであるようにな。窟の場所を見つけるのは簡単ではないだろう」

(くそ、早くあいつを取り返さなければいけないってのに……!)


 ライカは歯をくいしばりながら、地図に目を落とす。まるで奈美のいる場所を探すように。


「安心くだされ、ライカどの」


 頼れる参謀の声がして、ライカは顔を上げた。


「ナミどのは、じき無事に戻ってきましょう。我々もついているのですから」

「そうっすよ! 絶対にナミの姉貴を助け出すって、カンドル隊のみんなも張り切ってるっす!」


 頼もしい顔つきの部下たちを前にして、ライカの肩から力が抜けた。そして、思う──こいつらが居てくれて良かった、と。


◇◇◇


 そこはかとなく臭うじめじめとした空気、窓ひとつない部屋、土で固めたような壁──。

 ナゴリたちの暮らすこの棲み処は、どうやら窟らしい。カンドル隊の窟での生活経験がある奈美は、すぐにピンときた。


 ナゴリの部屋で着替えを済ませた奈美は(着替えの時だけ両手を結んでいた縄が解かれたが、その後また縛られたのが惜しい)、今は大部屋に連れて来られ、ナゴリの隣に座らされていた。目の前では、ナゴリの手下どもが飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。


「女の衣を着せたら、ぐっと女っぽくなったな」


 ナゴリは横目で奈美を眺めながら、さかずきを傾けた。村々から食糧と共に奪ってきた物品の中には女物の服もあったので、それを奈美に与えたのだ。


「それはどうも」


 奈美はつんと返事をした。人さらいの施しを受けることにためらいを覚えたものの、けが人の手当てで服が血や汗で汚れていたので、助かった、というのが正直なところだ。まあ、ナゴリたちにはもう女だとばれているし、ナゴリの目が黒いうちは手下どもにちょっかいを出されることもなさそうなので、という前提があっただからなのだが。


(……でも、なんだか変な気分。この世界に来てからはずっと男の恰好してたんだもの)


 こんなに堂々と女物の服を着ていると、なんだかムズムズしてくる。東菊でほんのわずかの間こっそりと着たわけではなく、こんなにも大勢の人間──しかも男だ──の前なのだ。

 奈美が袖の端を引っ張っていると、ナゴリが声を掛けた。


「ナミ、っていったな。おまえはあの村のもんじゃねえよな……カンドル隊と一緒に来たのか? 俺たちが襲う村ってのは知ってただろ? それなのに、わざわざあの村に来て何してた? そもそも男だらけのカンドル隊になぜ女がいるんだ?」


 次々と質問を浴びせられ、奈美は頭がぐちゃぐちゃになった。


「ちょっと、そんなに一度に訊かれても答えられないわよ……っていうか、そんなに私に興味あるのね」

「さっき、おまえのことが気に入ったって言っただろ。おまえのことが知りたいんだ」


 それを聞いて、奈美はピンときた。気に入られているなら、そこを上手く利用すればいいのだ。


「そうねえ……答えてあげてもいいけど、この縄ほどいてよ。痛いんだから」

「それはダメだ。何か仕出かされては困るからなぁ」


 ナゴリがにやりと笑うのを見て、奈美は心の中でちぇっとつぶやいた。それが駄目でも、へこたれない。

「そういえば、村からさらってきた女の人と子どもがいるんでしょ? どこにいるの?」

「この窟の中だよ。鍵付きの部屋に閉じ込めてある。ま、当然だな。……で、それがどうした?」

「宴会なんでしょ? なら、今だけでも部屋から出して、酒とおつまみの用意でもさせたらどうかな、って……」


 それを聞いたナゴリは、目を細めて奈美を見つめた。まるで奈美の心の中を探るかのように。


「出さねえよ。明日にはよその国に売り飛ばすつもりなんだ。誰かさんに大事な金づるを逃がされちゃたまらねえからな」


 ナゴリのその言葉に、奈美はギクッとした。奈美の考えていることは何もかもお見通しというわけだ。


「やっぱりおまえ、カンドル隊の人間だな。その、敵に捕まっても歯向かう気概は、あいつらにそっくりだ」

「そっくり? 冗談言わないで! 確かに私は、他の人から見たらまあ一応カンドル隊の一員ではあるんだろうけど、あいつらみたいなトウヘンボクと一緒にしないでよね」


 そのとき、手下の一人の男がナゴリの前にやって来た。既に相当酔っているようで、千鳥足だ。


「我らが頭領! こんな端で湿っぽく飲んでねえで、俺たちと向こうで共に飲みましょうや。さあさあ、飲んでください! こるぁ、そこの女。ぼーっとしてないで、頭領の杯くらいしっかりおぎしろ」


 男はナゴリの杯に酒瓶を傾けむけながら、奈美を脅すように睨んだ。睨まれた方も、「何で私が」とでも言っているかのような顔で睨み返した。奈美も負けてはいない。

 それを見ていたナゴリが面白そうに笑いながら、手を振った。


「俺のことはいいから、おまえはあっちで好きに飲んでこい」


 そう言ってナゴリが手下を追い返すのを見て、奈美が感心したようにつぶやいた。


「……随分、部下に好かれてるのね。ライカあいつの場合、たぶん部下に一緒に飲もうだなんて誘われないもの」


 ライカは隊員たちに大いに尊敬されているが、ナゴリのように親しく話しかけられたりはしない。隊員たちがライカに畏怖の念を抱いているからでもあるし、ライカの方も隊員たちと一定の距離を取っているからだ。


「俺たちゃ、苦境も共に乗り越えてきた仲間だからな。この窟の中にゃ、上も下もねえよ。……ま、あいつらは勝手に俺のことを頭領と呼ぶがな」


(このナゴリとかいう男、少しだけカッコイイこと言うじゃない……)


 そう思った瞬間、奈美は我に返ったように頭をぶんぶんと振った。


(こいつらは村を襲った悪い奴らなのよ! 人さらいなの! カッコイイだなんて、反吐が出る!!)


「……で、カンドル隊のナミ。話の続きだ。あの村で何してたんだ? 隊長さんの女なら連れ立っててもおかしくはないが、危険だと判りきっている遠征にまで連れてくるとは思えねえ。何か他に理由があるんだろ?」

「誰が誰の女って? 気持ちの悪いこと言わないでよ」 


 奈美がうんざりした様子で答えた。


「別に理由なんてないわよ。私が無理やり遠征についてきただけよ。その結果こうやってあんたたちにさらわれちゃったわけだけど、ついてきて良かったと思ってる。村の人を手当てできたんだもの」

「なに……?」


 奈美の言葉を聞いて、ナゴリの眉がピクリと動く。


「仲間から村人たちが手当てを受けた跡があると聞いていたが、おまえだったのか。カンドル隊の奴らがあんな上手くできるはずねえからな、不思議に思ってたんだ」

「それが何だっていうのよ」

「かー! してやられた! 毒の効果を見たかったってのに、おまえがいてくれたせいで台無しだ」


 ナゴリは半分は笑い、もう半分は悔しそうな顔で、自分の頭をポンと叩いた。お気に入りの奈美が仕出かしたことなので、ナゴリは怒る気も失せてしまったようだ。


 奈美はナゴリの言葉を聞いて、胸がギュッと締め付けられた。余計な事は知りたくない。だが、知らなければならない気がする。


「……毒──ってなに? まさかとは思うけど、あんたたち……」

「おうよ。昨日村を襲撃する前に、俺たちの武器に蛇毒を塗っといたんだよ。本番・・の前に効果のほどを知っとくためにな」


 悪びれる様子もないナゴリを見て、奈美は全身の血が逆流するような感じを覚えた。


 ──殺してやりたい。こいつらにも、傷つき死んでいった村人たちと同じような目に遭わせてやりたい。滅茶苦茶にしてやりたい。


 生まれて初めてそんな考えが頭をよぎったが、どうせ返り討ちにあうだけだ。


(だから、血が止まりにくかったのね。だから、傷口の色もバイタルもおかしかったのね。だから……)


 これで全ての事象に合点がいった。

 奈美はギリギリと歯を食いしばって、ナゴリの顔を睨みつけた。殺気立った目で。

 だが、ナゴリにとっては子猫が噛みついたくらいの痛みしかないようだ。余裕の表情で奈美を見ている。


「──トギ!?」

「どうしたんだ!?」


 突然、奈美の背後が騒がしくなった。部屋の中央では男たちが相変わらず飲み騒いでいたのだが、今はうつぶせに倒れた一人の男と、その周りを取り囲む他の者たちが見える。


「何があった?」


 ナゴリはさっと立ち上がると、男たちのもとに寄っていった。

 突然の出来事のせいでナゴリたちへの憎悪心の行き場がなくなってしまったが、とりあえず奈美もナゴリのあとをついていく。ナゴリの後ろから、倒れたという男をそっと覗いた。顔色が悪く、呼吸が荒い。手足の震えもあるようだ。


「そ、それが、トギの野郎が小便から戻ってきたと思ったら急にぶっ倒れて……今の今まで楽しく飲んでたってのに、なんでこんな……」


 うろたえながら説明する男を見て、奈美は思う。


(仲間に対しては思いやる心があるんじゃない)


 そのひとかけらだけでもクタラ村の者たちに分けてやれなかったのだろうか。だが、野盗集団相手にこんなことを考えるだけ無駄だ。

 目の前ではナゴリたちが倒れた男を介抱しようと躍起になっている。顔に水をぶっかけてみようだの、顔を叩いてみようだの、果てはまた酒を飲ませたら治るんじゃないかと言いだす者もいる始末だ。

 そんな会話を端で聞いていた奈美は、イライラしながら心の中で叫んだ。


(~~~~あーーーーもう!! ホントはこんな奴ら、助けたくないんだけど!)

「ちょっと通して!」


 奈美は男たちの間をかいくぐると、トギのもとにひざまずいた。すぐそばにはナゴリがいる。奈美が何をしようとしているのか分からないらしく、不思議そうな顔をしている。


「ちょっと! 大丈夫!? 聞こえてたら返事して!」


 奈美がトギの肩を叩きながら、耳元で大きな声で言う。するとトギの顔が歪んで、トギは喘ぎながら言葉を発した。


「や、やめてくれ……あ、あたまが割れそうだ……。地面が揺れて、き、気持ち悪ぃ……」

「意識あるんじゃない」


 頭痛とめまいもあるらしいが、とりあえず意識のあることに奈美はホッとした。次にトギの体を見下ろしていき、気付いた。この男、腕に血の滲んだ包帯を巻いている。


「もしかして、怪我してるの!?」


 奈美は雑に巻かれた包帯を外そうとした──が、両手が縛られていては無理だ。傍にいるナゴリに両手を出して言った。


ほどいてよ、これ!」

「あン?」


 ナゴリが訝しそうな顔で見てきたので、奈美はイライラして叫んだ。


「この人を助けたいなら、早く縄を解いてって言ってるのよ!」


 その言葉にナゴリは眉をピクリと動かすと、すぐに奈美の両手から縄を解いてやった。

 奈美は久しぶりに自由になった両手首を何度か回すと、包帯を外しにかかった。ナゴリに訊ねる。


「この傷、さっきの争いで?」

「ああ、そういや……さっきクタラ村でやり合った時に、カンドル隊の奴にやられたって言ってたな」

「怪我してるの分かってて、何でお酒を飲むのめないのよ!?」

「何で……って、決まってるじゃねえか。俺たちゃ酒好きだからだよ。それに、飲んだ方が痛みがマシになる。いつも、皆そうしてるぜ」

「信じらんない!」


 この男たちの無謀さに、奈美は呆れた。トギはおそらく、急性アルコール中毒を起こしている。しかも、怪我をしているのに、飲酒するという悪習慣。受けたばかりの傷に良いはずがない。


「お酒はね、血の通る管を拡げて血の巡りを良くする働きがあるの。だから怪我してるときに飲んだら、止血を遅らせたり、炎症を悪化させたりするのよ。……水はある? 混じり物のない、きれいな水よ」


 奈美の催促に、ナゴリが応じた。周りを見渡して、隅の方に置いてあった樽を抱えると、奈美のもとに運んできた。


「近くの湧水で取ってきた水ならある。……やっぱりおまえ、医術ができるんだな。それでクタラの村人も助けることができたわけだ」

「言っておくけど、私は薬師とかいうのじゃないから。でもまあ、医術のことは少しくらいなら分かる」


 言いながら、奈美はトギの傷口を観察した。やはりまだ完全に血が止まっておらず、じわじわと滲み出ている。無理をして傷口が広がったのかもしれない。


「あとは清潔な布……ああ、もう!」


 奈美は辺りを見渡したが、清潔な布など、どこにも転がっている気配はない。下ろし立ての自分の服が一番清潔そうだ。奈美はためらうことなく、自分の紗覧さらん(くるぶしまで隠れる、裾広がりになった巻きスカート。この世界の女性が身に付ける)の裾を両手で握ると、思いっきり切り裂いた。それを見ていた周りの男たちがどよめく。


 奈美は破った紗覧を折りたたんでから、樽の上部に引っ掛けてあった柄杓ひしゃくを手に取る。


「今から傷口を綺麗に洗う。当然しみるし、かなり痛いと思う。もしこの人が暴れたら、押さえつけてくれる?」


 奈美の言葉に、ナゴリが代表して疑問を投げかけた。


「水で? 傷にゃ酒を吹きかけたらいいんじゃねえのか?」

「……ま、この世界の人ならそうしそうよね」


 父親の観ていた時代劇の中でも、確か刀傷を負った武士が傷口に酒を吹きかけて消毒の代わりにしていた気がする。衛生状態の悪い時代ならば消毒という目的でそうするのも分かるが、奈美の頭の中の知識ではそうはしない。


「酒をかけたら、ばい菌を殺すついでに正常な皮膚も傷つけて、傷の治りが遅くなっちゃう。だから酒の代わりに、水で傷口を洗うのよ。それで細菌は大体落ちるし」

「……ん? おまえの言ってることはよく分からないが……それでトギは本当に良くなるんだな?」


 ナゴリの睨みに奈美は一瞬怯んだが、ここで引き下がっては看護師根性がすたるというものだ。


「絶対、とは言わないわ。でも、この傷はそんなに深くはなさそうだし、動物に咬まれたとかじゃないのなら、消毒はしなくて大丈夫だと思う。人の体ってよくできててね、傷口から出てくる体液の中には、傷の治す物質が含まれているの。ま、あとはこの人の自然治癒力に期待しましょ。もちろん治るまでお酒は控えてもらうけど」

「……わかった。おい、おまえらも手伝え」


 ナゴリは奈美のことを信用したのか、周りに立ち尽くしている男たち数人を近くに呼んだ。ナゴリも仲間たちも、トギがいつ暴れてもいいように構えている。彼らの想いはひとつ、仲間のトギを助けたいのだ。

 それを見て、奈美はまたしても思った。


 ──彼らが傷つけてきた者たちにも、少しだけでいいから与えてやれなかったものだろうか。仲間を想う、思いやりの心を。


「いくわよ」


 トギの傷口にゆっくりと柄杓の水を掛ける。傷口を洗う間、トギはうめきながらもがいたが、それほど暴れることはなかった。

 折りたたまれた紗覧で傷口をやさしく拭きながら、奈美は思い出したようにナゴリに訊ねた。


「そういえば、塩と砂糖ってある? あと、あればミカンとかの柑橘類も」

「今度は一体何するってんだ?」

「経口補水液を作るのよ。脱水症状があるようだから、飲ませるの」


 それから、材料を持ってきてもらった奈美は、経口補水液作りに取り掛かった。その辺に転がっていたお椀と匙を洗うと、お椀に水を注ぎ、その中に塩などの材料を匙ですくって入れていく。


「あのトギって人に、飲める分だけでいいから、こまめに飲ませてあげて。経口補水液の作り方教えとくし、なくなったら自分たちで作ってね。このお椀に、この匙で塩をひと匙の半分、砂糖を12匙くらい入れて、これくらいの量の水で溶かして。まあ、目分量なんだけど」

「ナミ」


 男たちに説明していると、ナゴリが声をかけてきた。


「他の怪我してる奴も見てやってくれ。こいつらああ見えて、やせ我慢だけは得意なんだ」


 ──なんて厚かましい。他の者にあれだけむごいことをしておいて、自分たちは手当てしてもらいたいとは。


 奈美は一瞬、断ってやろうかと考えた。こんな男たちを助けても、良いことは何もない。どうせ彼らはこれからも他の者に危害を加えて生きていくのだろうから、むしろ助けないほうがいいに決まっている。


 だが、看護師たるもの相手を選んでもいいのか。──いや、良くない。


 これまで、こう教えられてきた──看護師をはじめ医療従事者は、相手がどんなに金持ちだろうが貧乏だろうが、憎かろうが、たとえ親の仇であっても、他の者と同じように接するべきだと。

 腹の底からわきあがるムカムカとしたものを抑え込みながら、奈美は何とか答えた。


「……いいわよ」


 それを聞いたナゴリも、他の男たちも、驚いた様子で奈美を見つめた。まさか奈美がいいと言うとは思っていなかったようだ。


(もう一人助けちゃったんだし、この際、一人も十人も一緒よ)


 奈美はそう思うことで、手当てする相手が何者かを忘れることにした。だが、しかし。


(──なんだか虚しい)


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