連れて行ってもらえないのなら
「あー、もう! 何でなのよっ!!」
奈美は手に持っていた布巾を机の上に投げつけた。朝餉が済んだ後の食堂の長机を拭いていたのだが、とうとう怒りが爆発したようだ。
「まだ怒ってるんすか? 連れて行ってもらえないこと」
背もたれの上で頬杖をついているテスが、呆れたように訊ねた。
「でも、今回の依頼はキケンな遠征っすからね。奈美の姉貴はこの窟で待ってた方が絶対いいっすよ」
「でも、少しくらいならいいじゃない!? ちょっとだけ見物させてもらったら、すぐに帰るわよ! なのに、ライカったら、『おまえは窟に残って、全ての部屋の片づけと掃除をしていろ』? どんだけ人をこき使う気よ!?」
「留守番組になれて、オレはうれしいっすけどね。伝令役はいつもなら遠征のときは絶対出動っすからね、うじゃうじゃいる敵に見つからないようにビクビクしながら動く必要もないし、剣が飛び交う戦場を兄貴について回ることもないし」
普段ならダンチョウが奈美の目付役なのだが、参謀であるダンチョウが遠征に行かないわけにはいかない。ゆえに、必然的に遠征中の奈美の監視役をテスが引き継ぐことになったのだ。
平穏な日々を楽しもうとしているテスに対し、奈美はどうにも納得できない顔をしている。
そのとき食堂の外が、がやがやと騒がしくなった。向かいの広間で行われていた決起集会が今、終わったようだ。遠征に向かう隊員たちがまもなく出発するにあたり、準備の最終確認に向かうべく動き出したのだ。
「あー、みんなそろそろ出かける頃っすね。オレ、ライカの兄貴にちょっと確認しときたいことがあるから探してくるっすよ」
そう言うと、テスは“瞬足”で食堂を一瞬にして出て行った。
一人部屋に取り残された奈美は、開け放たれた扉をぼうっと眺めた。食堂の外の廊下では、遠征に向かう隊員たちが忙しそうに行き来している。その中で、大きな箱を抱えて窟の外に運び出そうとしている者を見て、奈美の頭にある考えが浮かんだ。
(私ったら天才! イイこと思い付いちゃった!)
「ナミ」
突然声を掛けられて、奈美は喉から心臓が飛び出そうになった。顔を上げると、そこにはライカが立っていた。奈美はたった今、考え付いた企みを悟れないように、できるだけ平静を装って答えた。
「……な、何?」
「これから出発だ。おまえは妙な気を起こさずに、昨日俺が言った通り、窟に残って掃除に励めよ」
淡々としたライカの言葉に、奈美はぎくりとした──今まさに、妙な気を起こしていたのだから。だが、奈美は全力で素知らぬふりをすることに決めた。
「あーはいはい、分かったわよ。それだけを言いに、わざわざ食堂に来たっての? テスがあなたを探しに、さっきここを出て行ったわよ。会わなかった? なんか、あなたに確認したいことがあるとかなんとかで──」
ライカがこちらに差し出した物を見て、奈美の口が止まった。それは、奈美の──元いた世界から持ってきた──カバンだった。
「隊員たちに見つからないように気をつけろよ」
久しぶりに自分のカバンを手にして、数十年ぶりに昔のアルバムを発見したかのような気分に襲われた。元の世界から共にやってきたそのカバンは、窟に来るまでの長い道のりを越えてきたので、すっかり薄汚れ、よれよれになっている。だが、中身はそのままにされているようだ。
怪しげな物だとライカにこのカバンを没収された時のことを、ふっと思い出す。取り上げられたカバンを必死に掴もうとする自分に向かって、ライカはこう言った──「ああ、返してやろう。おまえがシスイの間者ではないと分かった時にな」──。
つまり、自分がシスイとやらの間者ではないとわかってくれたということなのか。少なくとも、害となる者ではないと認めてくれたのだろうか。
奈美は何だかこそばゆくて、もごもごと礼を言った。
「あ……、ありがと」
だが、ライカはすでに食堂を出るところだった。奈美は呆れたような、ホッとしたような気持ちで、その後ろ姿を見送った。
◇◇◇
食堂を後にしたライカは、安堵していた──なぜなら、遠征でしばらく奈美と顔を合わす必要がなくなったからだ。
景の都から戻ってきてから、ライカは自分の異変に気付いた。目の届く所に奈美がいると、気が付くと彼女の姿を目で追っている。いつもは冷静なその心が、何だかざわざわとするのだ。
──奈美とはただ『鎖』でつながれただけの関係であって、それ以外の何物でもない。少し近づきすぎただけで、距離を取ればまた以前の自分に戻れるはずだ。
ライカはそう確信して、廊下を歩いていった。
◇◇◇
炊事場の作業台にカバンを置き、中の物をひとつずつ取り出していく。電池の切れたスマホに財布、着替え、化粧ポーチ……野湯に入りに行くために持って出たものだ。
最後に、小さなケースを取り出し、その蓋を開ける。中には指輪が収められていた──そう、寛人からプロポーズされた時のエンゲージリングだ。
奈美はそれをつまみ、ゆっくりと左手の薬指にはめた。指輪を見つめながら、奈美は微笑む。
(いい、寛人? 今さらあの時のことはナシ、なんて言わせないわよ。約束は絶対に守ってもらうんだからね)
本心としては、ずっとこのまま指にはめておきたい。だが、他の者に見つからないようにとの「お達し」を守らなければ、後でライカに何をされるかわからない。
奈美は指輪を外し、一本の紐を通すと、首に掛けた。襟元の中に入れておけば誰にも気づかれないし、いつでも指輪を持っていられる。
「これならいいでしょ」
奈美は満足そうに微笑んだところで、炊事場に誰かが飛び込んできた。
「ナミの姉貴!」
「わあっ!」
奈美は即座に指輪を襟元の中に隠すと、炊事場の入り口を振り返った。テスだ。
「なんだ、テスか……。あー、もう、驚かさないでよ! 心臓が飛び出るかと思ったじゃない」
「そろそろみんな、出発するっすよ。姉貴も一緒に、表まで見送りに行くっすよね?」
そう訊かれて、奈美はにやっと笑って答えた。
「もちろんよ」
奈美はテスと共に窟の外に出ると、その光景に驚いた。入り口前の窪地に、筋骨隆々の馬が数十頭も集まっていたからだ。馬たちは、息荒々しく前脚で地面を掻いたり、いなないたりしているが、どうも従順そうだ。おとなしく隊員たちに馬具や積荷を付けられたり、世話を受けている。
「馬……!? これ、どうしたの?」
目を丸くして訊ねた奈美に、テスが近くにいた一頭の馬の首を撫でながら説明した。
「窟の周りには、顔なじみの馬の群れが棲んでるんすよ。任務のときとかは、こうやってみんなの足代わりに力を貸してもらうっすよ」
「馬と顔なじみって……」
可笑しいやら呆れるやら、奈美は何とも言えない気持ちになったが、カンドル隊にはまだまだ驚かせられることがあるようだ。
「ま、オレは乗ったことないっすけどね。“瞬足”があるし」
「ふうん……──あ、」
そのとき、奈美の目にある物が映った。先ほど見かけた、隊員が運び出していた大きな箱だ。奈美はさりげなく近づくと、テスに訊ねた。
「ねえ、テス。この中には何が入ってるの?」
「あぁ、そこには武器を入れてるっす。遠征先の村にどのくらいの武器があるか分からないっすからね。事前準備は大切っす」
得意気に話すテスを尻目に、奈美はその木製の箱にそっと手を掛けた。ゆっくりと蓋を持ち上げると、大量の剣や斧、弓など、中から物々しいブツが姿を現した。
「おい、新入り! 軽々しく触ったら怪我すんぞ!」
突然降ってきた声に驚いて、奈美は思わず手を離した。そのはずみで蓋がガタンと閉まる。
「グ、グクイラさん」
「炊事に関しては俺に勝ち目はないが、戦いに関してはおまえさんに出る幕はないからな」
傍にいた馬に水を与えていたグクイラが、腰を上げてカラカラと笑った。遠征に向けて髭を剃り落としたようで、さっぱりとした顔立ちになっている。
「おまえさん、留守番組じゃなかったか? どうしてここにいるんだ?」
鋭い質問に、奈美はどもりながら答えた。
「み、見送りに来たんだよ! ほら、握り飯作ったから、持っていけよ……う~~~~ん」
奈美は持っていた巨大な風呂敷を何とか持ち上げた。グクイラは「気が利くな」と言いながら、軽々と受け取る。
「長道中だからな、助かるぜ。……そういえば、またまずい飯に戻るのか。任務だから仕方ないがなあ、おまえさんの飯が食えなくなるのは辛いもんだ。だが、カンドルの連中には丁度いいかもしれん。ここしばらくは食いすぎで肥えてきたからな。次会うときはきっと皆、痩せてるだろうな」
ハハハと笑うグクイラの後ろで、水を飲み終えた馬がヒヒンと鳴いた。
「おっと、次は飯をよこせってか。ちょっと待ってろ」
そう言うと、グクイラは馬の餌の置いてある場所に行ってしまった。残された奈美は、辺りをうかがった──隊員たちは皆忙しそうにしていて、誰もこちらのことなど気にしていない。
(──チャンス!)
奈美は武器を収めている箱の蓋を再び開けると、小声でテスを呼んだ。
「ちょっとテス、こっちに来てよ!」
「どうかしたっすか?」
「大変よ! ほら、中を見てみてよ……」
何も不審に思うことなく箱の中を覗いたテスに、奈美は謝った。
「ごめんね」
「えっ?」
次の瞬間、テスは武器の上で転がっていた。奈美に背中を押されて、箱の中に落ちたのだ。奈美もすかさず足を掛けて、箱の中に入る。
「ナ、ナミの姉貴……!?」
訳の分からない奈美の行動に驚きながらテスが起き上がろうとしたので、奈美が慌てて制止した。
「あ、ダメよ! そのまま伏せといて!」
ダメと言われれば、素直に言う通りにするのがテスの良いところだ。奈美はそう思いながら、音を立てないようにそっと蓋を閉めた。その瞬間、目の前が真っ暗になる。
「な、何なんすか……!?」
テスの戸惑った声に、奈美が口の前で人差し指を立てて答えた。
「気付かれないように静かに喋ってよ。せっかく上手く潜り込めたのに、見つかったら計画が台無しになっちゃう」
「計画……?」
「そうよ。連れてってもらえないなら、ついて行けばいいのよ! こうやって箱の中に身を潜めてれば勝手に連れてってもらえるでしょ」
「えーーーーーーっっ!!?」
「──ん?」
馬の前に餌を置いたグクイラが、何かが聞こえた気がして顔を上げた。だが、周りに変わった様子はない。
「気のせいか……。そういえば、ナミとテスがいつのまにかいないな……戻ったか」
グクイラはやや寂しそうに窟の入り口の方を見遣ると、剣を携えたライカがちょうど出てくるところだった。
「お、ようやく隊長のおでましだ。──おい、食ってる途中ですまんが、もう出立だぞ」
そう話しかけると、相棒はまだまだ食べ足りないとでも文句を言うようにヒヒンと鳴いた。
◇◇◇
「──あ、出発したみたいね」
真っ暗な箱の中で縮こまりながら、奈美は体の揺れを感じてそう言った。のんきな奈美に対し、隣から方からテスの焦った声がした。
「どうするんすかっ! ホントにこのまま遠征についてくつもりっすか!?」
「モチのロンよ」
平行だった感覚が斜めに傾く。どうやら、窪地の底から崖の上へと壁沿いに続く道を上っているらしい。カンドルの窟に来た当初は窪地に下りる手段は飛び降りる以外にないと思っていたのだが、実は薮に隠れた坂道が存在したのだ。奈美がそれを知った時、海に飛び込む必要はなかったと気付いて、ライカを恨めしく思ったのは言うまでもない。
「今からでも遅くないっす! 窟に戻りましょうよ~!」
テスが懇願するように言ったので、奈美は少し考えてから口を開いた。
「今、箱から出たら、あなたの隊長さんはどんな反応するのかしらね?」
「え?」
テスがきょとんとした声を出したので、奈美は深刻そうにつぶやいた──心の中で、私ってホント意地悪ね、と思いながら。
「私を監視する役目を果たせなかったんだもの。そのうえ、許可なく一緒に窟を抜け出しちゃってるし。きっと怒るんじゃないかしら、ものすご~~くね」
「ううう……」
ライカのその反応は想像に難くない……。状況はもはや手遅れであることを知って、テスは半泣き状態で頭を抱えた。
それを見て、奈美はすまなさそうにテスの背中をポンと叩いた。
「ごめんね、巻き込んじゃって。でも、危ないことはしないって約束するから。このままバレずに遠征先までついて行って、あなたたちが一体、どんな仕事をしてるのかを少しだけ見せてもらったら、窟に帰るつもりだしね。あなたの瞬足とやらですぐに戻れば、窟を抜け出したことなんかバレないわよ」
「でも、3日も箱詰め状態っすよ?」
「……3日?」
今度は奈美の方がきょとんとする方だった。テスは知らなかったのかと言いたげに頷いた。
「そっす。遠征先の村まで3日はかかるっす」
「えーーーーーーっっ!!?」
「──ん?」
何かが聞こえた気がして、ライカは馬上から辺りを見渡した。だが、周りには黙々と馬を走らせる隊員たちだけで、特に変わった様子はない。
だが、自分の直感を信じているのがライカという男だ。傍のダンチョウに訊ねた。
「今、何か聞こえなかったか?」
「はて……私には何も。申し訳ありませぬな、少し考え事をしていまして……」
「そうか……」
ライカは短く息をつくと、自分の直感も鈍ったものだと心の中で苦笑いをした。それから再びダンチョウの顔を見ると、手綱を握ったまま、何やら思い悩んだ表情をしている。彼がこのような顔をしている時は、大体コレを考えている時だ。
「作戦のことか? あまり思い詰めるなよ。先は長いんだ」
ライカの気遣いを感じて、ダンチョウは肩の力を抜いて微笑んだ。
「しかし、それが参謀の役目ですからな。私はカンドルの皆と同じような活躍は戦場ではできないゆえ……その分、頭の中で戦っているのです。そうでなければ、ただ飯食いでしょう?」
「そうだな」
ダンチョウがニヤリと笑うと、ライカもフッと笑った。だが、ダンチョウはすぐに顔を引き締めると、まっすぐ前を向いて言った。
「このような任務はこれまで数多くこなしてきましたが……いつだって手抜きな作戦は出せません。ライカどのと隊員たち、皆の命がかかっていますからな」
しばらく馬の背に揺られ、蹄の音を聞いてから、ライカはぽつりとつぶやいた。
「これだから、俺たち馬鹿野郎は脇目も振らず突っ走れるんだよ」




