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新入り料理番の腕前

 

 案内の最後に連れてこられたのは、先ほどまでいた広間の近くの部屋だった。広間より一回り小さい部屋だ。部屋の中には長机が幾つかとたくさんの椅子が並べられていた。

 机の間を通って部屋の奥へと進みながら、テスが奈美に説明した。


「ここが食堂っす。一日五回、隊員はここに来て食事をするっすよ」

「五回!?」

「へっ? なんかおかしいっすか?」


 テスがとぼけた表情で言ったので、奈美は思わずつっこんだ。


「どんだけ食べんのよ! ふつう一日三回でしょーが」

「あー、そういえばふつうの人間はそうだったか……。でも体を使うオレたちは、体力がないとやっていけないっすからね。ここでは五回がふつうっす」

「ああ、もう……一日五回も料理しろっての? しかも、あの人数分の?」


 先が思いやられて、奈美は頭が痛くなってきた。課せられた仕事は想像以上に辛そうだ。


「それで食堂の奥が炊事場になってるっす。ここがナミの姉貴の仕事場っすよ」


 食堂の奥の小部屋に着くと、テスがそう言った。奈美がテスの背中から覗くと、流し台に調理台、作業台や食料庫が見えた。


「うわあ……」


 流し台の中に大量の汚れた皿。作業台の上に料理中に散らばったと思われる食べ物のクズや調味料。油や吹きこぼれた汁がこびりついた調理台。炊事場の床全体には調理器具や皿をはじめとしたさまざまな物が散らばり、食料庫の食材は整理されることなく雑然としている。それらを見た途端、奈美は言葉を失うしかなかった。


「おう、ようやく来たか」


 食料庫の方から誰かが出て来た。三十代半ばの筋骨隆々、髭もじゃの男だ。食料庫から持ち出してきたのか、芋を丸かじりしている。


「今日の料理番のグクイラだ。おまえさん、近くで見ると本当に小せえんだな。女みてえだと他の奴らが騒いでたのも納得だな」


 そう言うと豪快に笑ったので、口の中から芋の食べカスが飛び出してきた。それが顔に当たった奈美は、顔をひきつらせながら袖で顔を拭った。


「グクイラさん、どうしてここにいるんすか? 昼餉からナミの兄貴が用意するんじゃ?」


 そうテスに訊かれたグクイラが、残りの芋を頬張りながら答えた。


「料理番の引き継ぎをしようと思ってな。俺も面倒くせえんだけどよ、隊長に頼まれちゃ断れねえしな。ナミが困らないように料理番のやり方を教えてやれってな」

「へえ~、ライカの兄貴が優しいっすね。普段なら、見て覚えろとでも言いそうなもんっすけど」

「そんなの、わた……おれに信用がないだけだろ。それか、ただまともな食事がしたいだけか。ま、あいつが親切だとか考えられないし」


 慌てて口調を直しながら、奈美が反論した。出会ってまだ一日も経たないが、これだけは断言できた──あの男(ライカ)が親切なんてことは絶対にあり得ない、と。


「そうだな! 隊長なら、そんなとこだ!」


 奈美の発言に、グクイラがカラカラと笑った。


「面白いじゃねえか。おまえさんくらいだぜ、このカンドルで隊長のことをそんなふうに言えるのは。まるで世間知らずの町娘のような言いっぷりだな」

「そ、そうか?」


 グクイラの言葉にギクッとした奈美は、なるべく平静を装いつつ、やっと一言返した。ハラハラしながら見ているテスの目を見て、奈美は心の中で叫んだ。


(あーもう、わかったってば! 正体がバレるような言動は慎むから、そんな目で見ないでよ!)


 そうして、グクイラによる指導が始まった。白色の前掛けを身に付けた奈美は、グクイラから物の配置場所や食料の管理方法など、簡単に説明を受けていく。テスはそんな二人の様子を、食堂から持ってきた椅子にだらっと座りながら見ていた。

 最後は、実際に料理を作ってみることになった。グクイラの話によれば、米は炊いてあるようなので、汁物を作るようだ。


「具材は何にするんだ?」


 調理台の上の巨大な鍋を見ながらそう訊ねた奈美に、グクイラがもちろんと言った調子で答えた。


「グクイラ特製、肉盛りだくさん汁だ!」

「肉……盛りだくさん?」


 眉をひそめた奈美に、グクイラが食料庫から両腕から溢れんばかりの包みを持ってきた。中を覗いてみると、大きな肉の塊がごろごろと入っている。


「窟の近くでイノシシを見つけてな。丸々太って美味しそうだったんで獲ってきた」

「獲ってきた、って……イノシシを?」


 呆れ顔の奈美を見て、奈美が残念がっていると勘違いしたグクイラが慌てて付け足した。


「もちろん、これだけじゃあないぞ! シカとタヌキも数頭ずつ獲ってきた」


 食料庫から次々と運び出される肉塊を見て、奈美は言葉を失った。まだ解体作業の途中らしく、皮を剥がれた状態なのが生々しい。


「さぁてと、こいつらもとっととさばいてやるかな。ナミ、おまえさんは先にイノシシ肉を適当に切り分けといてくれ」


 シカとタヌキの手足を持って隅の方に運ぶグクイラを見て、奈美がエッと声を上げた。


「まさか、ここにある肉、すべてを鍋に入れるのか?」

「あたぼうよ! カンドルの男三十人の腹を満たすにはこのくらいは入れないとな!」

「……入れるのは肉だけ? 食料庫に芋とか野菜もたくさんあるようだったけど」

「さっき言っただろうよ、肉盛りだくさん汁だって。俺はな、肉が好きなんだ。野菜なんかわざわざ入れるか。ちまちましてて面倒だろ」


 グクイラはそう言うと、鼻歌を歌いながら解体作業へと移っていった。そちらの方をなるべく見ないようにしながら、奈美は溜息をついて思った。


(さっき誰かが言ってたけど……犬でも食わないような飯、か。あながち間違いでもないわけね)


 そして、シカをさばくのに夢中なグクイラに気付かれないように、こっそりと食料庫へと入った……。


◇◇◇


「なんだよ、こりゃあ?」


 作業台の上に刻まれた野菜の入ったザルがいくつも並べられているのを見て、グクイラが呆れた声を上げた。


「俺は野菜じゃなくて、イノシシの肉を切っといてくれと頼んだんだがなあ」

「イノシシ肉なら切っといたよ。ほら、そこ」


 奈美が作業台の隅の方を指で示した。続けて、まな板の上で手際よく野菜を切りながら説明する。グクイラが納得できるように上手く説得できるかが問題だ。


「食料庫に入ったらさ、もう少しで痛みそうな野菜があったんだ。腐らせるなんてもったいないだろ? だから、肉はイノシシだけにして、代わりに野菜と芋を入れようよ。それに、知ってるか? 汁物っていうのは、動物性の食材と植物性の食材を組み合わせると美味しく仕上がるんだ。自然と栄養のバランスもととのうし」

「ふ~む……よく分からんが、そういうものなのか?」


 グクイラを上手く説得できそうなのを感じて、奈美はほくそ笑んだ。まともな料理を作るのは決してカンドルの男たちのためではないが、食材が無駄になるのを黙って見ているのは忍びないのだ。


「しかし、シカ肉とタヌキ肉はどうする? さばいちまったぞ」

「冷蔵庫はないみたいだけど、確か食料庫に氷があっただろ? 食料庫に保管しといて、俺が後で料理する時に使わせてもらうよ。それでいいだろ?」

(シカとタヌキの肉なんて食べたことも料理したこともないけどね)


 どう調理すればいいものかと、奈美が心の中で溜息をついていると、グクイラが呆気にとられた様子でこちらを見ているのに気が付いた。


「な、何だよ?」


 また何か変なことでも言ってしまったかと焦った奈美だったが、それも無用な心配だった。


「いやあ、料理番初日なのに、てきぱきとこなしていると思ってな。喋くりながらそんなふうに包丁を扱えるのは、この窟の人間じゃまずいないな。この短時間でそんなに多くの野菜を刻めるとはなあ。しかもきちっと皮を剥いてあるし、大きさも揃ってるときた」


 グクイラがザルの中からつまみ上げた野菜を感心したように見ている。女だとばれたわけではないことにホッとして、奈美は口が緩んだ。


「別に大したことじゃないよ。料理なんて小さい頃からやってることだから、慣れてるだけさ」

「娘っ子でもないのに炊事を? どうしてまた?」


 ひどく驚いた様子のグクイラを見て、逆に奈美の方が驚いた。


(いまどき「女は家事・育児」なんて考えは時代遅れと思ってたけど……フェミニストが聞いたら卒倒しそうな人間がここにいるわね)

「……13の時、母親が亡くなってさ。父親は料理なんてことは何ひとつできなかったし、妹もまだ幼かったから、家事全般は必然的に俺がやるしかなかったんだよ」


 そう言いながら、奈美はふっと昔のことを思いだした。母の葬儀が済んだあと、奈美は子どもながらにこう思った──自分がしっかりしないといけない、と。父はいまひとつ頼りなかったし、明日加はまだ3歳だった。早いもので、あれから15年が経つのだ。

 ぼうっとしながら野菜をとんとんと切っていると、横からテスの涙声が聞こえてきた。


「ナミの兄貴も苦労したんすねえ……」

「……って、別にこんな話はいいだろ! ほら、材料は全部そろったから、鍋に入れてこうよ」


 ナミに先導されて、火にかけた巨大鍋の中に肉と野菜を入れていった。煮えたぎる熱で、奈美の額に汗が浮かんできた。


「ふう……。結構暑いな」


 奈美が襟元を緩めると、白くて細い首と鎖骨の辺りがちらりと見えた。それを見て、グクイラが一瞬固まった。それに気づいた奈美が首を傾げて訊ねる。


「? どうしたんだ?」

「い、いや、なんでもない。俺も暑さにやられたようだ」


 そう言うと、グクイラがパンパンと自分の頬を叩いてから、頭をぶるぶると振った。


(どうかしてるぜ、俺は……。いくら女みてえなナリだからって、男に欲情するとは)

「そういや、この数日妓楼に行けてねえしな……」


 ぼそりと呟いたグクイラに、両手で巨大鍋をかき回していた奈美が聞き返した。


「何?」

「……お、俺が味噌を入れてやろう!」


 視界に映った味噌の瓶を見て、グクイラは慌てて誤魔化した。あたふたと動くので瓶を取り落としそうになったグクイラを見て、テスが溜息をついた。


(こりゃあ、女だってバレるのも時間の問題っすねえ。……ん?)


 何かに気付いたテスが、もたれていた椅子の背から体を起こした。炊事場の入り口で、何人かの隊員がこそこそとこちらの様子をうかがっている。


「みんなして何やってんすか? 飯の時間にはまだ早いっすよ」


 テスはそう言うと、そのうちの一人が静かにしろとでも言うように指を口に当てた。


「新入りがちゃんとやってるか見に来ただけだよ。俺らの飯がかかってるからな」

「おまえ、ナミが気になると正直に言えよ。こいつぁなぁ、ヤツのかわいいツラを拝みに来たんだよ」


 からかうように笑う仲間を叩きながら、最初の一人が顔を赤くして反論した。


「そりゃ、おまえだろ!」


 もはや隠れているのも意味がないくらいに騒ぎ始めた隊員たちを見て、テスは再び溜息をついた。


「ちょっとストップ!」


 突然、炊事場に響いた奈美の声に、一同がしんとなった。見ると、奈美がグクイラの手に握られたさじを見ている。


「さすがにそれは味噌多すぎ! そんなに入れたら塩分摂りすぎだって! このくらいで充分」


 そう言うと、奈美はグクイラから匙を取って、匙の上に載った味噌を半分ほど瓶の中に戻した。グクイラがやや不満そうに言う。


「そんなんじゃ味が薄くないか?」

「大丈夫大丈夫! 足りなかったら足せばいいんだし」

「ふむむ……そうか」


 納得したのか、素直に奈美の指示に従うグクイラを見て、覗き見していた隊員たちが一様に驚いた。


「おおお……! 戦場いくさばでは血も涙もないグクイラが、新入りに形無しだぞ……!」

「んん……?」


 その時、炊事場の入り口に人だかりができているのにようやく気付いた奈美が、焦った様子でテスに訊ねた。


「えっ、もう昼食の時間?」

「まだっすよ。この人だかりはただの見物人っす」

「そっか。暇を持て余してるんだな」


 それを聞いた奈美はにっこりと笑った。その笑顔に一瞬心を奪われた「見物人」たちは、奈美の次の一言に見物していたことを後悔する羽目になった。


「じゃ、炊事場ここの掃除と片付けの手伝い、やっていこうか」


◇◇◇


 昼餉の刻の頃、隊員たちがぞろぞろと食堂にやってきた。席に着いて飯を食べ始めた隊員たちを、奈美はどきどきしながら炊事場からこっそり覗いていた。

 やがて、隊員たちの驚きに満ちたどよめきが聞こえてきた。


「……美味い……!」

「グクイラも一緒に作ったと聞いて、またあのあぶらでごてごての胸やけする汁を食わなきゃいけないと思っていたが……まさかこんなにあっさりしているとは」

「ああ、あっさりはしているが、何と言うか、旨みがあって物足りなさは全く感じないよなあ」

「俺、野菜は嫌いなんだが、この汁を食べたらむしろ好きになったよ」


 昼餉の時間まで炊事場の掃除と片付けを半ば強制的に手伝わされていた隊員たちも、初めはふてくされていたが、椀に口をつけた途端、そんな気持ちも消えてしまったようだ。自分の作る料理にケチをつけられたグクイラでさえも、納得の表情で汁をすすっている。

 奈美は彼らの反応を見て、ほっと胸を撫で下ろした。これで、気に入らない食事を作ったといってひどい目に遭わせられることもなさそうだ。


 だが、安心したのもつかの間だった。一杯目を食べ終わった隊員たちの「おかわり」に対応するため、奈美はまた忙しく働かなければならなくなったのだ。

 奈美が隊員たちの椀に順番に汁を入れていると、口をもぐもぐと動かしたテスが慌てて炊事場に飛び込んできた。


「そういえば、伝え忘れてたっす! 食事の時は付き人の仕事もあるっすよ!」

「……へ?」


 奈美は杓子を持ったまま、呆然と聞き返した。


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