008.魔女と護衛と侍女
「できたら、来週来るとき、その『魔女の化粧水』をあと数本持ってきてくれねえかな」
雑貨屋の店主は、笑顔で言った。
「こんな綺麗で優しいお嬢ちゃんの雇主が必死で探してるモンなら、間違いねえだろう。魔女の使いのお嬢さん、ぜひこの店で売らせてくれとご主人に伝えてくれ」
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「やったー!」
万歳! と両手を上げ先頭に立って街を歩くルナティナの表情は、達成感で満たされていた。
「なんだか、騙してしまった罪悪感が……」
パパリーが肩を落としてついてくる。
町娘の恰好をしているが、雑踏に紛れても違和感がないほど溶け込んでいた。小脇には、夏にも関わらず黒く古くさいフードを抱えていた。
ルナティナはその声に振り返り、腰に手を当てた。
「あら、騙してなんかないわ。私の作った化粧水なら、きっとキレイになるもの。あと薬もね」
ルナティナは、黒くて地味だが上質のワンピースに、大きなつばとレース装飾がついたボンネットを被っていた。
ボンネットは目立つ銀髪を隠すためだったが、服から覗く白く滑らかな肌は隠しようがない。町娘というより「町娘に扮装したいいところのお嬢さん」。だが、それも狙ってのことだった。
今日は役どころを「金持ちの使い=ルナティナ」「魔女の使い=パパリー」として小芝居を打ち、見事雑貨屋に売り込みを成功させたところだった。
「あまり揉めない方が。目立つっすよ」
目立つのは主にルナティナの方だが、それは言及しない。
辺りを見回して形ばかりの警戒をしているのは、茶髪茶目の地味な青年だった。
青年の名はパズー・パディソン。
パパリーとはいとこ同士。顔立ちは似ているが、どことなく脱力感を漂わせている。
彼は離宮で、もうひとりの宮姫『月の宮』の館の専属警備兵として勤めていた。今日は、パパリーの個人的な要請で、護衛として同行させられていたのである。
「……こっちの宮様と一緒に居るなんてバレたら、殺される……」
「来ちゃったものは仕方ないと諦めなさい」
「……なあパパリー、俺、今日休暇だったんだが」
「あら奇遇ね、わたしもよ。それどころか、先月から毎回休みごとに街におりて仕事をしているわ」
責めるようなパズーの視線を、パパリーは好戦的に胸を反らして跳ね返した。なんだかやけっぱりちに見えるのは気のせいか。
パズーは諦め気味にため息をついた。どうも王都に来てから運が悪い。
「ねえねえ」
袖を引かれて見下ろせば、紅玉の猫目が興味津々にこっちを見ていた。
「月の宮って、今どうしてるの?」
「すんませんが、所属する宮様の情報は、外に伝えちゃいけないきまりっす」
言うなり、パズーが視界から消えた。
ルナティナが視線を下にやれば、パズーがカエルのように地面に倒れていた。その横で、パパリーがパンパンと手の埃をはたいている。
パパリーの肘鉄による制裁が、パズーの無防備な脇腹にさく裂していたのだった。
侍女は膝をつき、恭しくルナティナの手を取った。
「姫様、大変失礼いたしました。実は私の従兄弟、腕がちょっといいだけの役立たずなのです」
「ひでえ」
パズーは脇腹を押さえて痛みに呻いた。息は絶え絶えである。
「ねえパパリー、私、月の宮のこと知りたいの」
へにょ、と眉を落としたルナティナのお願いに、パパリーは即座にキッ、と従兄弟を見下ろした。
「パズー、姫様がお尋ねよ」
「だから……あー、もーっ」
パズーはよろよろと起き上がると、地べたに胡坐で座って頭の癖っ毛を乱雑に掻いた。
「月の宮様は、全然外に出てないっす」
「ずっと? 寝込んでるの?」
「……部屋の様子は分からないっす。俺たちも知らされないんで」
「そうなんだ……」
ルナティナはがっくりと肩を落とした。
満月の夜の夢――昨晩の夢はいつもと少し違っていた。
実は、猫になってイルムに会ったことしか覚えてないけれど、ずっと胸のもやもやが晴れない。
切なくて、愛しくて、懐かしい気持ちがずっとルナティナを支配していた。
そして、月の宮の護衛をしているパズーを紹介してもらったとき、突然思ったのだ。
――「月の宮にも、好きな人がいたかもしれない」
入宮翌日から寝込んでいるというのも、もしかしたら恋人を想ってのことだったら。そう考えたら居ても立っても居られなくなった。
月の宮のことが知りたい。
入宮してから一カ月間も経っているのに、ルナティナは月の宮の過去も経歴も、何ひとつ知らないことに気づいた。
だけど空振り。ルナティナは肩を落とした。
「パズーにいろいろ聞こうと思ったのに……」
「ふふ。わたし、知ってますよ。月の宮様って、宰相閣下の娘らしいです」
パパリーが自慢げに胸を張った。
その情報に驚いたのは、ルナティナだけではなかった。
「えっ、マジ?」
「ちょっとパズー、あんたも知らないの」
「や、だから、宮様の情報なんて教えてもらえねえから。どっかのお嬢様ってくらいで」
わいのわいの言い合ってる二人の間に割り込んで、ルナティナは真剣な顔で聞いた。
「パパリー、それ本当?」
食いつきすぎて、被っていたボンネットのつばがパパリーの額に当たってへしゃげた。
「信用できますよ。なんせ、国王付きの文官が庭で話しているのを立ち聞きしたんですから」
パパリーは丁寧にボンネットのつばをのばした。ついでに後ろにズレてしまったので、顎の大きなリボンを結び直し、正しい位置に被せ直してくれる。
「宰相閣下の娘……」
「宰相閣下ってのは、国王陛下の次に偉い人のことっす」
ルナティナの呟きを疑問と勘違いしたパズーは、年上風を吹かせてルナティナに説明した。
「宰相閣下の名前は……えーと、なんつったかな」
「頼りないわね。脳筋パズー」
「じゃあお前は分かるのかよ」
「……えっと、ノー……なんとかだったような」
「頼りないな。勉強嫌いのパパリー」
「なによ」
「なんだよ」
「――――宰相、ケルト・ノーティフ」
鈴の鳴るようなルナティナの声が、睨みあう二人を止めた。
「第四代目国王を曾祖父に持ち、血縁と信任の厚さで代々宰相を務めるノーティフ一族。ケルト氏はその一族の現在の長。前宰相である父親は早世したが、幼い頃から優秀だったケルト氏は一族の総支持も得て、歴代最年少の二十六歳で宰相に就任。現王がクーデターを経て即位したのちも、留学で得た知識と外交力、旧臣派の信認の厚さと土台に宰相職を継続している。――なるほど、そっか。力のある宰相の娘さんなのね。じゃあ入宮してもおかしくないかー」
ぱちくり、と一重の目を瞬かせたパズーは、驚いた顔で従姉妹を見る。
「おいパパリー、この子の頭、どうなってんの」
「ふふん、私の姫様は天才なのよ」
「やめてパパリー。私、ただの本の虫よ」
「あのですね姫様」
屈んでルナティナに視線を合わせ、パパリーはぴっと人差し指を立てた。
「以前から言おうと思っていたのですけど、普通の人は娯楽だからって、蔵書の全てを記憶できません。あと、読んだだけで膨大な薬草の効能を理解して、あんないろんな器具を使いこなしてオリジナルの薬を作ったりなんてできないのが普通です」
「えええ。私って、そうなんだ……」
「規格外だ、この姫さん」
イルムが、ルナティナのために道具一式をそろえてくれてから一カ月。
ルナティナの寝室の隣、衣装室を改装して作った作業室には、今、薬草や調理道具、製薬器具が溢れていた。寝ると食べる以外の時間を作業室に籠り、研究者のごとく製薬作業に集中するルナティナを見たパパリーは、「小さくて弱くて健気」だと思っていたルナティナへの認識をすっかり改めたらしい。
ルナティナは指摘に驚き、そしてぱあっと顔を輝かせた。
「じゃあ、イルムを買収するのもきっと楽勝ね!」
小さな両手をぐっと握りしめて目を爛々とさせる少女を目の当たりにして、パズーの顎がカクンと開いた。
なんだこの飛躍した思考。
「おい、お前んところの姫さん大丈夫か」
「……欠点転じて長所となす! 擦れてない、純情な価値観と考えましょう! 美少女万歳!」
「おい、お前も大丈夫か」
ただでさえ暴走気味の従姉妹の強度が上がっていた。
一方、ちっこい宮姫のやる気も止まらない。
「最高の魔女になってやるぞー! おー!」
「姫様ばんざーい!」
「あ、俺、昨日料理当番で火傷した右腕が痛いんで帰ります」
こりゃ駄目だ。くるりと踵を返したパズーの襟首は、すぐさま従姉妹に捕獲された。
「過去の失恋遍歴を離宮中に広められたくなかったら、最後まで付き合うのよ」
パズーは、この二人に関わってしまった今日という日を心の底から呪った。
次の更新は、明後日9/14夜になります。
【お知らせ】
今日は「ヒロインと悪役令嬢の親友の敗因」も更新しています。