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004.宮姫と侍女

「また恥ずかしい夢を見てしまった……」


 口に出したら恥ずかしさがぶり返してきた。

 頬っぺたが熱い。朝食のパンを口に放り込んで、いつもよりちょっと強めに噛みしめる。悶えたい気持ち、一緒に咀嚼できたらいいのに。


 イルムは街の商人。森でひとりぼっちのルナティナの様子を見に来てくれた人。森では手に入らないものを持って来てくれて、ひとりぼっちでは手に入らない笑顔を届けてくれている人。


『あなた、だあれ?』


 ぽかんと尋ねた三カ月前の自分が懐かしい。

 出会って、三カ月。たったそれだけなのに、彼が現れたことでルナティナの生活は瑞々しく変化し、彩られた。

 ――そして、結果、あの夢。

 思い出して再び悶える。パンを噛むのがリスみたいに小刻みに早くなった。

 優しくされたからって、ときめいて、あんな願望の塊みたいな夢をみるなんて単純すぎる。魔女としてあるまじき弱さ。……魔女関係ないけど。


「露の宮様、パンはおかわりなさいますか?」

「へ? あ、ええと、小さいのをひとつ……」


 オネガイシマス、と照れを隠しきれず、消えるように伝えた。

 さて。と、おかわりのパンで気持ちが切り替わったルナティナは考えた。


 宮姫なんてものになってしまったけれど、これからどうしよう。

 当然、正妃になるつもりはない。

 結婚するなら好きな人がいい。例えば――いや、ここは掘り下げるの止めよう。顔が熱い。


(となると前向きに考えて逃亡ね。ええと、王都から森の入り口までは、馬を駆けて五日……)


 ルナティナの住んでいた『とばりの森』は、ダボラ山脈を挟み、王都の反対側に広がっている。

 直線距離なら近いけれど、天然の城塞である切り立った山を越えるのは無理。となれば街道に沿って、麓をぐるりと回るしかない。


(歩くのはナシ。体力ないし)


 けれど、馬を買うにはお金がいる。


(適当に薬草を加工して、売りさばいて路銀を得ることはできるけど……子供の私が売ったところで、ちゃんとした値段で買ってもらえるかどうか)


 手元のパンに塗ったジャムを見つめる。

 砂糖さえ調達すればジャムだって作れる。けど。


(ジャムにしても薬にしても、誰にも見つからないように加工するのは難しい)


 本で得た知識を並べて、あれやこれやと考える。


(大人の協力が必要、か……)


 空いた皿に、またパンがのせられた。

 露の宮付きの侍女の名は、パパリー・パディソンといった。

 茶髪茶目の平凡な顔立ちで、媚びない素直な笑顔の女性だった。まだ十七歳で、田舎から出て来たばかりらしい。実家は、その地域ではけっこう大きな豪族なのだとか。

 離宮には、侍女は最低限しかおらず、露の宮であるルナティナを間近で世話する侍女は彼女だけ。


(この人は、信用できる人なのかしら)


「――よかったです」


 ルナティナと目が合って、パパリーは微笑んだ。

 ルナティナが、パンを口に入れたまま不思議そうに瞬くと、はにかんだように笑う。


「露の宮様がお元気そうでよかった。昨日は泣いていらっしゃったと聞きましたから。やはりご実家が恋しがったのだろうと……」


 噛み終えたパンを飲み込む。気まずくて目が泳いだ。

 実は信頼してる人間に売られたせいで、癇癪おこして泣いていた、なんてちょっと言えない。


「そ、う、いえば」


 たどたどしく、話題を変える。


「ええと、もうひとりの宮姫みやひめ……私より先に入宮した月の宮は、どうしてるの?」

「月の宮様、今日は寝込まれているそうです」


 不自然な話題転換を不思議がることもなく、パパリーは空いた皿を片付け素直に答えた。

 寝込んでいる。

 不穏な言葉だった。月の宮は確か、ルナティナの直前に入宮式を追えたはず。


「月の宮、疲れちゃったのかしら」

「というか……昨晩が昨晩ですし。そう、疲れたのかも。寝不足、とか、あるでしょうし」


 もじもじと、皿を不必要に手でもてあそぶ、パパリーの言い回しが気になった。


「月の宮は、入宮式のあとに夜通しの宴とかあったの?」


 彼女は大人だから、子供の自分には関係ない行事があっても変ではない、と思ったから聞いたのだけど。


「え?」


 ぱちくりと瞬いたパパリーとの間に、奇妙な沈黙ができた。

 これは何か勘違いをしたようだ、とルナティナは気づく。そして考えた。

 入宮式の夜に「何か」あって寝不足。そして、その「何か」のせいで疲れてる。

 文献の記録や一般常識、王城のしきたりを脳内で検索した、きっちり三秒後。


 ――初夜。


 思い当たった結論で、ルナティナの顔は真っ赤になった。そして椅子から転げ落ちた。


「いたーい!」

「露の宮様!」


 恥ずかしさと動揺で頭がぐるぐるする。ルナティナは、パパリーに心配されながらなんとか椅子に戻った。

 初夜、そうか、初夜。ここは子供を作る場所。

 水を注いでもらったグラスを一気に傾け、深呼吸した。なるべく冷静に考える。

 自分に起こりえないことだと思ったから、すっかり頭から抜けていた。常識的に考えて、まだ八歳のルナティナに「そういうこと」を求めてくる男性はいない。

 ――けれど。

 トン、とグラスの底を正確にテーブルにつける。ひとつの疑問が浮かび、頭が急に冷えた。


「……お父様は、これを知っていたのかしら……?」


 魔女になるためには、俗世と欲望、そして愛を知らねばならない、と思って読んだ本がある。


 ルナティナの実家、リンデール家の円形書庫に納められている蔵書のひとつ。その名も『あまねく性と愛の趣向』――世の、様々な愛と性を分類し解説した書。

 お蔭でルナティナは、愛と性の分類の中に『幼女性愛』『幼児性愛』があることを知った。

 離宮で、同じ日に入宮した二人の宮姫。

 国王は、大人の宮姫を選び、初夜を過ごした。


「つまり、王様にはそういった(・・・・・)嗜好がなったということ、よね。お父様は、私が安全だと分かった上で入宮させた……?」


 あんなホケホケした父だけれど、ルナティナへの愛情は疑いようがないほど深い。


(だけど忘れちゃ駄目。お父様は研究ばかだわ)


 父は、魔女学の研究者として大陸各地を巡っていた。そして娘も家も放置して研究にのめり込んでいた。

 何カ月も帰ってこないなんてザラだし、娘の誕生日を忘れてすっぽかしたりする。

 お金にも適当だった。一目惚れの衝動買いは多いし、勝手にあちこちに借金を作ってしまうので、何度お金を作るために奔走したことか。


 そう、忘れてはならない。

 ルナティナのこの現状は、無計画無頓着な父が、賭けに負けたせい。


「……珍しい魔女グッズをチラつかされて、うっかり賭けにのって負けて、娘を差し出したって考えるのが超自然……!」


 お仕置き決定。「気つけ薬なのに気絶するほど不味い」とイルムに言わしめた、最狂の試薬を一度味わってもらうことにしよう。


「露の宮様……おいたわしい……」


 黙り込み、怒りで肩を震わすルナティナに、後ろに控えていたパパリーは勘違いをした。

 この少女は、冷酷王と呼ばれる恐ろしい国王の元へ入宮し、頼れる大人も少ない環境で、必死に耐えている。

 ああ、この幼気いたいけな宮姫が、これから自分が使えるべき主人……


「あああ!」

「へっ、何?」


 びくりと振り返ったルナティナの前で、パパリーが拳を握りしめ、震えていた。


「こんなに……こんなに幼いのに入宮なんて可哀想や――!」

「豹変した!?」

「月の宮様!」

「は、はいっ!?」


 感極まって両肩を掴んでくる侍女に、小さなルナティナは驚きで固まった。

 侍女は、強い決意を込めた目で力強く誓った。


「月の宮様は! わたしが、全力でお守りしますでな!!」

「でな」

「……ああしまったー! なまりが出てしもたあー!」


 さっきまで被っていた、なけなしの侍女の皮が取っ払われた。ルナティナは驚きいて椅子の端っこまで身体を引く。しかしすぐにパパリーに距離を詰められた。


「すいませんこれは故郷のフクエバの言葉で! 切羽詰まると地元の言葉が、うっかり!」


 頭を抱えたり、必死に取り繕ったり苦悶したり。奇妙な動きをする侍女に、ルナティナが先に冷静になった。


「パパリー、落ち着いて。分かったから」


 ルナティナのことを心配してくれるのはよく伝わった。


「……わたし、怖くないですよ?」

「うん、びっくりしただけ。大丈夫。ちゃんと、パパリーが面白い人だっていうのは分かったよ」

「……たぶんそれ、わたしが伝えたかったことと違います……」


 がくりとうなだれたパパリー。しかし自分の仕事は忘れていないらしく、とぼとぼと皿の片づけを再開した。


「あ、そういえば、この首輪外せないかな。ベルベットの下、金属入ってて切れないの」


 首をぐるりと囲う、ベルベットの輪の下に指を突っ込み、浮かせる。

 昨日の入宮式で「宮姫の証」として嵌められたものだった。


「首輪でなくてチョーカーです。取るなんてとんでもない。ベルベットに縫い込まれているのは王家の紋。陛下のご威光がある証拠ですよ」

「ご威光、ね……」


 ぐるりと輪をなぞる。肌触りは柔らかく、不快ではない。けれど、二枚重ねられた赤いベルベットの間には、薄い金属の感触。輪をつなぐ留め具も金属で、どうやら取り外しはできない構造らしい。

「宮姫様のお顔は知られていないので、それが証明にもなるんです」というパパリーの言葉に生返事をする。


(どう考えたって、囚人の首輪よね)


 鍵付きならまだ納得がいく。けれど取り外し不可のこの構造。嫌な感じだ。

 冷酷王は、何を思って「銀髪の女性を正妃にする」なんて触れを出したのだろう。こんな首輪をつけて、離宮に捕えて。


「ねえ。パパリーは、王様に会ったことある?」


 かしゃん、とガラスが割れる音がした。

 パパリーが、片づけ中のグラスを大理石の床の上に落とした音だった。

 パパリーは、足元すら見ずに青ざめ震えていた。震えの振動が早すぎて、支えに寄りかかった椅子が脚から順に粉になりそうな勢いだった。


「会ったこと、あるのね……」


 ルナティナは悟った。明後日の方向を見る彼女の瞳は、完全に死んでいた。


「そんなに怖かったの」

「……視線で射抜かれただけで死を覚悟しました……フクエバの殺人大熊、ザグズリーに山で出会ったときよりも恐ろしく、逃げる気すら起きませんでした……」

「くま」


 冷酷王>野熊


 フクエバの熊のことは分からないけど、とりあえず強さの順位はルナティナの頭に刻まれた。

 未だ震えるパパリーは、怖さを紛らわすように空中に向かって話し続けていた。


「こっちで初めて会った偉い人が、陛下みたいな恐ろしい眼光を持つお人で、王都に来たことを死ぬほど後悔しました。実家の借金が無ければこんなところ絶対に来なかったのに。都会の人間は悪魔のような奴らばかりだとばあやに聞いていたのは本当だったんです」

「さらっと田舎の偏見を暴露しちゃうのね」


 とは言え、自分も森の奥でひとり暮らししていた超田舎者なので、パパリーの気持ちはちょっと分かる。


「あ、でも! 露の宮様は別ですよ。どんな宮姫にお仕えするのかと心配していましたけれど、露の宮様のような可愛らしいお方でよかったと思っています」

「で、本音は?」

「同じ田舎育ちでしかも子供! 助かった!」

「つまりチョロそうで安心したと」

「うあああー! わたしのバカー!」


(正直な人で安心したわホント)


 ところで、自分のことをどう聞いているのか確認したら、「田舎で育った八歳のお姫様」としか聞いていないらしい。そりゃそうだ。賭けの景品で親に売られて拉致ってこられた引きこもり幼女とは誰も言えまい。

 とりあえず一緒に過ごす相手は悪くなさそうな人だし、とルナティナは離宮暮らしの不安をひとつ減らした。


 あと決める必要があるのは、ルナティナ自身の、これからの方針だけ。


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