アイスレモンティーは自己嫌悪の味
お久しぶりです。後半ちょっぴりビターな終わり方となっています。
子供たちの挨拶を見届けた両家の親たちが再び話し始めたのを機に、私と眞一朗はデザートビュッフェの場所へと連れ立って行く。……その後ろ姿を微笑ましく見られていることは勿論、話の種にされているなんて気付ける訳がなかった。
こうして外堀が埋められているのを気付きもしないで、お姉さんぶって眞一朗の手を引いていた私は大馬鹿者だ。
一番に危惧していた──六歳児未満のお子様に惚れてしまうという『世界の強制力』を受けずにいられたことで、ゲームシナリオに抗うことができるのだと確信して、浮かれてしまっていたのだ。
(そうよね、『私』という意識があるんだから、あんなイタい台詞を素面の状態で言える訳がないもんね! あ~もう、この半年、生きた心地がしなかったぁ~。ふぃ~、これでシナリオからイチ抜けできるぅ~。後は勝手に盛り上がってくれぇ~、私を巻き込むんじゃねぇ~ぞぉ~)
ある種の中二病を患う心配がなくなり、すっかり警戒心をなくした私は、目的地であるデザートビュッフェの場所へと辿り着いて目を見張った。
(……おおう、チビッ子たちが群れておる)
そう、既にそこは同い年の子供たちで占拠されていた。……とは言っても、ホテルスタッフであるサーバー係りがちゃんといて、危険や混乱もなく統制が取れている。
前世で何度も見掛けたことがある子供の落ち着きなさや騒がしさが一切ないお上品な様子に、やっぱりいいトコロのお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは違うわ~と、内心で感心しながら私もケーキを選んでゆく。
彩り鮮やかなケーキは、子供にも食べやすい大きさで切り揃えられていて、より多くの種類が頂けそうだ。透明で小さなカップに入ったゼリーたちも美味しそう。あ、モンブランがある。これは絶対選ばなければ!
ちらりと隣りの眞一朗を見れば、戸惑うことなくサーバー係りに声を掛け、食べたいケーキを選んでいた。
(もうその年で人を使うことに慣れているなんて、末恐ろしい奴め)
自分のことは棚に上げ、若干引き気味で眞一朗から距離を取る。
(……でもホント、見れば見るほど綺麗な顔をしてるわ、この子。女の子みたい。それもとびっきり可愛い女の子。『美少女』、と言うにはまだ幼いから、『美幼女』か。……うわ、なんて犯罪臭漂うワード)
自身の発想の乏しさと残念さにげんなりしつつ、座って食べられそうな場所を探せば、あるではないか、あるではないか。
「尾上君、向こうの空いてる席で座って食べようか」
ちょうど二席分空いているなんてラッキー! とばかりに、眞一朗を振り返り、笑顔で促す。
気分はすっかり保母さんだ。
私の催促にちょっと目を見張ってから頷いた眞一朗が、サーバー係りから手渡された皿を持って大人しくついてくる。……なんというか、カルガモ親子の行進を彷彿とさせるその稚い様子に口元が弛んでゆく。
見た目は幼児だが、中身は三十路女な為、同い年である筈の眞一朗を見る目に生温かさが宿るのは、仕方のないことだと思う。
何とも形状しがたい万能感を抱きながら向かったテーブル席付近にも、ホテルスタッフは控えていた。
微笑みを湛えたスタッフさんの流れるような動作でもって椅子に座らせてもらう。
前世で幾度か経験したことがある、後から自分で座り直す──なんてこともなく、ぴたりと着席する。
(……ふあぁ、なんとも絶妙なタイミングで)
受けたサーヴィスの熟練度に悶絶しつつ、次いでカトラリーをセッティングしてくれたスタッフさんを見上げ、感謝を述べておく。
たとえそれがお仕事だとしても、スタッフさんだって意志のある人間で、感謝の言葉を掛けられると嬉しく思うものだ。また、客から直に評価されれば自然と仕事に張りがでてくる。……これこそ前世で培われた経験及び処世術のひとつである。
絶世の美幼女(反論があるなら私の両親の容姿をとくと見よ。そうだろう、そうだろう。……べ、別に眞一朗の美幼女っぷりに対抗した訳じゃないからねっ)からのありがとうに、やや目を見張ったスタッフさんは、にっこりと微笑みながら、お飲み物はいかがですか? と、声を掛けてきた。
(おおっ、忘れてた。そっか、ケーキだけじゃ喉が渇くよね! )
まさに目から鱗。私は同じように着席していた眞一朗を顧みる。
「尾上君は、飲み物どうする? 」
「……え、と」
視線を泳がせた眞一朗に、私は再びスタッフさんを仰ぎ見れば、心得たとばかりに微笑みを浮かべて淀みなく応えてくれた。
「紅茶や珈琲以外のソフトドリンクでは、オレンジ、リンゴ、マンゴー、ジンジャエールにカルピスソーダ、炭酸水と烏龍茶も用意しております」
「種類が豊富ですね。迷っちゃいます」
「紅茶や珈琲、烏龍茶は、温かいもの冷めたいものを用意しておりますし、オレンジ、リンゴ、マンゴーは果汁100パーセントとなっております」
「なら私は、アイスティーをお願いします」
「ミルクとレモン、どちらになさいますか?」
「レモンでお願いします」
「畏まりました」
打てば響くような遣り取りを経て、私は眞一朗に視線を投じた。
「私はもう頼んじゃったけど、尾上君はどうする? 決まった?」
「……アイス珈琲、じゃなく、て、カルピスソーダを」
「畏まりました。それでは少々お待ちくださいませ」
恥ずかしげに注文を訂正する眞一朗の姿に、胸の奥のやわらかな部分を擽られ、内心で盛大に悶絶したのは私だけではなかったようだ。スタッフさんもまた笑みを深くして踵を返して行った。
(眞一朗のこの行動って、同い年の女の子がアイスレモンティーを頼むんだったら、男の子としての自負と見栄で背伸びして、アイスコーヒーを注文してみたけれど、やっぱり飲みたかったカルピスソーダを諦めきれなかったってことだよね! ……こ、この私を萌え悶えさせるなんて、なんて怖ろしい子なの!)
これも攻略対象者クオリティなのだろうか? もしそうだとしたら納得だ。十数年後、素面で勘違いも甚だしく痛々しいくっさい台詞をお吐きになられるだけの素養を、確かにお持ちであらせられるのだ。
だが、しかし。
(──今はいい。今は。子供のうちは微笑ましさが勝る。だがそれも、ちいさい子供だからこそ許されるのであって、但しイケメンに限るって言葉も、実際にされると普通に引くから! さぶイボ立つから!)
誰にも指摘されることなく育ってしまったのだろう『恋乙』の尾上眞一朗の片鱗を垣間見てしまい、それまでの浮かれていた気持ちが急降下する。否、乱降下する。主に後ろめたさで。
「佳音ちゃん」
眞一朗の声で我に返った私は、彼のはにかむ表情と、何げにナチュラルな名前呼び、そして次いで紡がれた願いに、しばし唖然とする。
「……これからは、尾上君じゃなくて、眞一朗って呼んでほしい」
これもまた、攻略対象者クオリティだとか何とか言って、茶化すことはできただろう。けれど、純粋な好意とわかるその願いと眼差しに、思わず彼から目を逸らしてしまっていた。
「……うん、わかった」
「改めてよろしくね、佳音ちゃん」
「うん、よろしく。……眞一朗君」
生彩を欠いた返答にも関わらず、朗らかに笑う眞一朗を益々直視できずにいた私に、救世主が現れる。
「失礼致します。お待たせ致しました、アイスレモンティーとカルピスソーダでございます」
まるでタイミングを計ったかのようなスタッフさんの登場に肩を震わせた私は、どうにか眞一朗から意識を離すことができた。……何てことはない。眞一朗の視線から逃げるように、戻ってきたスタッフさんを見上げただけだ。
とにかく、眞一朗側を向く皮膚が厚い膜に覆われているかのように、酷く息苦しくて仕方がなかった。
「……ありがとうございます」
「また何かご要望がございましたら、お近くのスタッフに声をお掛けください」
長い筒状のグラスに刺さるストローの飲み口にだけ被さる袋をサッと取り去り、音もなくスマートにテーブル上にグラスを置いたスタッフさんは、盆を脇に持ち直して一礼する。そして、微笑みと共に去ってゆく。
どうにも律しきれないのか、ぷるぷると震えるその背中を見送りながら苦虫を噛みしめる。
まさかこの私が萌えを提供してしまったなんて、質の悪い冗談にしても程があり、失笑すら出てきやしない。……出てくるとしたら自己嫌悪だ。
そう、あの時感じた後ろめたさは、自己嫌悪だったのだ。
(……そうだ、質が悪い。私、自分の事しか考えていなかった)
ゲーム上での尾上眞一朗はフィクションだからこそ、彼のキャラクターが活かされていたに過ぎない。だがここはゲームの世界じゃない。私とて三十分前まではなかなか実感することができなかったけれど、第三者に行動や感情を操作されるなんて事が起こらない現実の世界なのだ。
このまま幼なじみとして交遊を持つ事になる私が彼を見放せば、『恋乙』の尾上眞一朗として人格が形成され、固められてしまうことは必定。
(──私、)
表情を綻ばせながらショコラムースを頬張る眞一朗からそっと目を逸らせば、色とりどりのケーキたちが視界に映り込む。
カシスとショコラのミニケーキにピスタチオ味のミニマカロン。あれほど楽しみだったモンブランでさえ食指が湧かず、代わりに求めたのは、届けられたアイスレモンティーだった。
いつの間にか水滴を纏うまでになったグラスを引き寄せて一口含めば、溶けて角が取れた氷たちに挟まったレモンの輪切りから滲み出た苦味に舌が痺れた。
(苦い……)
甘いケーキを食べた後の口直しの為に頼んだはずのアイスレモンティーが予想外にも苦味が強くて、図らずしも自身の年齢を再確認する形となってしまった。
(……苦いよお、)
ピリピリと痺れを主張する舌先が、じんわりと涙腺を刺激する。
痺れを慣らす為、何度も口腔内でしごけど、いつまでもいつまでも治まらなかった。