記憶持ち故の恩恵と弊害
(……ついに、この時がやってきた)
あの衝撃的な五歳の誕生日を経て、私は今日、これから攻略対象者たちと初めて対峙する。
不安だ。物凄く不安だ。……正直、お互いを認識し合わずに生きていきたいところなのだが、いかんせん上流階級の家庭に生まれた者の宿命。今年の春には(うわっ、いつの間にか半年以上が経っていた!)帝館学園の小等学部に入園する為、学園主催の事前交流会なる集まりに出席せねばならなかったからだ。
会場となる某有名高級ホテルの煌びやな大広間に集う招待客に混じり、私こと間宮佳音は、先に到着していた知己を見つけて談笑し始めた両親の傍らでそっと嘆息をついた。
あ、そこの人。感慨深く嘆息をつく幼女って何か嫌だ、とか言ってくれるなよ。
父親に名を呼ばれ、気持ち斜め下に向いていた顔を戻し上げた際、ちらりと目があってしまった見知らぬ三十代前半のおじ様(……って、前世感覚では同世代だよ! )よ。そんなに目を見開いて驚くことでしたかね~。隣にいる美人(ちょっ、待て! 前世の私より若いじゃないか! )な奥様が不思議そうな顔してっぞ。おい。
(……って、嫌なことに気付いてしまった)
改めて会場内を見渡せば、初等部に入る子供とその親たちがいる。……そう、三十代、四十代と、前世の私が独身で生きていた頃と同年代の『親』たちの(我が親も含めた)リア充っぷりに気が付いてしまったのだ。
上流階級、裕福層と聞いて導かれるのは、政略か純真か──。
前世では婚期を逃していた私とは違い、彼らの常識では早婚は当たり前。自由恋愛で結婚する者も確かにいるのだが、家と家との結び付きこそを重要視されている為か、極少数派でしかない。私の両親とて、仲睦まじくされてはいるが、王道通りに政略で結ばれている。
今日のような入園前の交流会も、更なるコネクションを求める親たちや多額の寄付金で経営が潤う学園側の目論見は勿論のこと、結局のところは子息令嬢たちのお相手探しの一環として設けられた場なのだろう。……子供の預かり知らない内から婚活が始まっているのだ。
(そもそも『奴』との婚約話も、今日の交流会があったからで──)
「佳音。父様と母様はね、こちらにいらっしゃる尾上夫妻と公私共に親しくさせてもらっているんだよ。彼らのお子さんも佳音と同じで、今年初等部に入園されるんだ。これから共に長い学園生活を送る彼に挨拶をしようか」
そう、私のこれからを思えば、どっしりと腰を据えて対峙せねばならない、重要な局面であることは明らかだ。……実際ほんの数分前までは、自身を鼓舞してもいたのだ。
だが現実は、想定外な伏兵(前世感覚で見た、同世代《親》たちのリア充っぷり)に横っ面を殴られたような打撃を負わされて、父親の言葉が上滑りに聞こえてしまうほど、やさぐれた気持ちになってしまった。
(リア充め爆発してしまえ……)
ぼそりと、胸中で呟いた呪いの言葉。……幼い心に不釣り合いな、ドス黒く渦巻く妬み僻みの塊。
今世での『私』の精神を守る為なのか、 乙女ゲームほど前世のことを記憶していない私は、 無意識の内に自衛を働かせているのだろう。
自身の詳しい生い立ちや、息を引き取ることになった原因などがすっぽりと抜け落ちている。……その割には、三十路女の感覚が根強く残されているが。
けれど、そう悪いことばかりではないのだ。
上流階級ならではの英才教育の数々に、そつなくこなしてこれたのは、三十路まで生きてきた意識があればこそ。
前世以上に身に付いた博学と立ち居振る舞いは、ゲームの知識と並び立つほど、今世の『私』にとって宝となっている。……しかし、弊害が出ることもしばしばあることを否定はしない。
「初めまして。間宮佳音です」
先に会場入りしていた両親の知己が誰なのか、彼らの傍にいる男の子を見てすぐにわかってしまった。……だからこその冒頭にあった嘆息となるのだが、当初思い描いていたほどの動揺がないことに若干の寂しさを感じてしまう。
(これが記憶持ち故の恩恵と弊害か)
あれほど波立っていた心が凪いで、落ち着いて自己紹介をする。私よりも背が低い相手(どの世界でも女の子の方が早熟なのは同じらしい)に、微笑みかける余裕すらあった。
「……初めまして。尾上、眞一朗です」
この広い会場で大勢の見知らぬ大人たちに囲まれて緊張していたのだろう。
同年代の私に声を掛けられてほっとしたのか、萎縮していた口元を僅かに緩ませながら自己紹介を返す彼の姿に、浮かべた笑みが深まるのを自覚する。
(この子が尾上眞一朗。『恋乙』の攻略対象者……)
流石はメインを張る攻略対象者だけあってか、利発そうな面差しをしている。また、彼のご両親を見比べれば、納得の容貌でもあった。
つまり、何を言いたいのか──。
(綺麗な子)
事実は事実として、素直にそう思う。
そして──。
(……ちっさ! )
胸中で思わず漏れ出たツッコミに、私は深く感じ入ってしまった。……とは言え、今年初等部に入園する彼の年齢を失念していた訳ではない。
だけど、彼と対峙してわかったことがある。
(うん。この子に恋をするなんて、無理だわ)
なまじ三十路まで生きてきた意識があればこそ、六歳児未満の子を恋愛対象として見るなど、土台無理な話だったのだ。
(……良かった。変態にならなくて)
前世で読み込んでいた乙女ゲーム転生を題材にしたネット小説に取り上げられていた『世界の強制力』を感じなかった私は、安堵の息を細く長く吐き出した。
二次元が三次元になった衝撃(驚きと戸惑い)はまだあるけれど(なんせゲームでの彼は17歳)、この世界が『現実』であることを理解し、納得することができたのだ。
それは同時に、どこか借り物のように感じていた『間宮佳音』が、ようやく『私』として受け入れられたことを意味していた。
「よろしくね」
晴れやかな気持ちで声を掛ける。……でもまさか、わたしから彼におもねる言葉を向けるとは、想像すらしていなかったことだ。
「うん、よろしく」
はにかみながら笑う彼に、私は思う。
(……こんなに純粋でええ子が、十数年後、リアルであんなナルスィーで勘違いな台詞を言いまくるのかぁ。顔がいいだけに不憫やな~)
気の毒そうに彼を見遣ったのは一瞬で、後はずっと生温かい目で見つめていた私は気付かなかった。……私と彼との初々しい(……かったか? )自己紹介の遣り取りを、双方の親たちが、それはそれは微笑ましげに見下ろしていたことに、気付きもしなかった。
「これが小さな恋のメロディーか。だが、まだ佳音はやれんぞ」
なんて、ツッコミ処満載のボケを発した我が父親がいたことすら気付けなかったのである。