たっ、台風なんて怖くないんだからねっ!
今年も台風の季節がやって来た。
……、という訳で、超大型の台風が日本列島に上陸しました。今後の行方にご注意下さい。
またこれだ。超大型?最大規模?もう聞き飽きたわよ。いっつもそんなこと言ってきた試しがないじゃない。
「ねえねえ、台風ってなあに?」
三歳の息子がニュースを見て尋ねてくる。
「熱帯低気圧のうち、かなり大型のものを台風っていうのよ」
「ふうん」
しまった。この子には少し難しかったかな?
「あっ、熱帯低気圧っていうのは雨を降らせる雲のことね。ほら、お空に雲があるでしょ、あの黒い雲が雨を降らせるのよ、って誰も聞いてないじゃない!」
息子たちはニュースに出ているライオンの赤ちゃんのニュースに釘付けになっていた。
「だっ、だから台風っていうのはね」
「ママっ、テレビ聞こえない〜っ!」
「はい。ごめんなさい」
なぜ私が謝らなければ?という疑問はさておき、そう言っている間に外には雨が降り始めていた。かなり強い。
「キャッ」
横殴りの雨が私の立っているすぐ横の窓に叩きつけられた。これはヤバイ。本当に超大型がくるのかもしれない。
ええと、何するんだっけ?
ああ、サイフサイフ。あとは免許証と保険証……、ってちがーう!
まずは家の雨戸を閉めなければ。トントントンッとこんなときこそ軽やかに階段を駆け上がり優雅に窓を開ける。
どんな時もうろたえない。強さと優雅さを併せ持った完璧なママ。それが私。
ゴーッ!!
轟音とともにバケツをひっくり返したような雨が吹き込み私の顔を直撃する。それでも私は負けずに雨戸を閉めていく。私の部屋、寝室、パパの部屋……は別にいいか。どうせ大したもの入ってないだろうし。
あーあ、びしょ濡れだわ。本当についてない。
「ふぅ〜」
私は部屋にあった服に適当に着替え、一息つく。やっぱり仕事したあとは疲れるわぁ〜。パリジェンヌよろしくカプチーノでも入れよう。
トントントンッ、イテッ!
甘いカプチーノで頭が一杯の私は階段にあったミニカーに全く気づかなかった。
もうっ!
ミニカーを拾い上げ、文句を言おうとしたその時、私の目に恐ろしい光景が広がっていた。
リビングの雨戸、閉めてない……。
降り続く雨が窓を叩く。長男と一歳の次男が私の足にしがみつく。可愛いやつらめ。
雨戸、閉めなきゃいけないよなぁ。パッと止んでくれないかなぁ。恨めしく空を見るが、全く止む気配はない。
ふと、我が家の庭に恐ろしいものを見たように感じ、また外を見る。
「あーっ!」
あまりの雨の強さに庭の側溝が溢れている。そういえば排水口の落ち葉を掃除したのっていつだっけ?思い返すとその記憶はない。庭付きの家に住みたい!その私の願いでの庭だったが、最初の数ヶ月で飽きてしまい、今はカオス状態になっている。
みるみるうちに溢れた水はリビングの掃き出し窓に迫ってくる。このままでは床上浸水もあり得るかもしれない!私がなんとかしなければ!
「ねぇ、台風って怖いの?」
少しビクビクしながら長男が尋ねてくる。
「たっ、台風なんて怖くないんだからねっ。お母さんがやっつけてあげる!」
やるしかない!私は意を決して外へ飛び出す。轟音に混じり、何かがカチャンと鳴った気がした。思えばあの時に気づくべきだったのだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
言葉にならない咆哮をあげながら、私は別の事を考えていた。
カッパ……、着れば良かった。
ものの数秒で、服も下着もビシャビシャである。おまけに放置されたホースに足が絡まり、盛大に転んでしまった。
もう嫌だ!しかし、気持ちが折れかけたその時、私の中で何かが囁いた。いつも私を奮い立たせてくれるあの言葉。
(諦めたらそこで床上浸水だよ)
ありがとう。安西先生。私、私、やっぱり……、床上浸水は嫌です!
私はヨロヨロと立ち上がり、側溝に向かう。
どしゃ降りの、雨の中、溝に大量に溜まった落ち葉と対峙する。しかし、慌てて出てきた私は軍手も忘れてきてしまった。
やってやるさ!
私は素手で溝の落ち葉をつかみ、次々と庭に放り投げる。
次!
次!
次!
グニャ!
……え?
それは、明らかにそれまでとは違う感触だった。柔らかく、そしておぞましいこの感触は?
見てはいけない!
本能がそう告げていた。しかし、私は何者かに操られるように手の平に視線を向けた。
「ギイャアァァァァァァァァァァッ!!!」
そこにはおびただしい数のミミズが一つの塊となって蠢いていた。それは野球ボールより少し小さい位の大きさで、様々に絡まり合いまるで一つの生物のように見えた。私は悲鳴をあげてその塊を放り投げる。私はミミズがこの世で一番嫌いなのだ。
手、手、手を洗わないとっ!
リビングの窓に取り付き、扉を開ける……、が、開かない!なぜっ?カギ、カギがかけられている。はっ!さっきのカチャンという音。あいつ、やりやがったなー!
昨日の出来事が私の中にフィードバックする。
『ママ〜。自分でカギ閉めれたよ〜』
『まあ、偉いわねー。カギは開けたら必ず閉めなきゃダメよ』
あのクソガキャァァァ!!!それは時と場合によりけりじゃー!
「こらー!開けなさい!」
窓をバンバンと叩きながら叫ぶも雨の音に打ち消されて聞こえていない。二人ともテレビに夢中だ。あいつらー!平和にテレビなんて見やがって!と怒りがこみ上げるが、現実問題として、カギを開けてもらえないと入れない。
しかも……、見ている番組は……、ア、アンパンマンだと!私は絶望に包まれた。長男はアンパンマンを見だすと他のものは全く目に入らない。今も食い入るように画面を見ている。ダメだ。
その時、天使のように笑う次男と目が合った。この子なら、私の救世主となりえるのかもしれない。
「陽ちゃん!陽ちゃん!助けて!」
私は笑顔でバンバンと窓を叩く。
次男はそんな私を満面の笑顔で見ながら窓に近寄ってくる。
よし、そうよ、そうよ。もっと近くにおいで。
この子にカギが開けられるとは思わない。しかし、長男が異変に気づく可能性もある。とにかく現状を打破しなければ何も始まらない。
窓まであと数十センチ。しかし、次男は満面の笑顔を私に再び向けたかと思うと次の瞬間、奥の和室へと逃げ出した。
「ちがっ、違うの!これはいつもの鬼ごっこじゃないのよ〜!」
襖から少し顔を出してニヤリと笑うその姿は悪魔がこう言っているかのように見えた。
(一生そこにいろよ。バーカ)
ああ………。
私は水たまりにガックリと膝をついた。
もはや私に打つ手はない。このまま雨に打たれて死んでしまうか、ミミズの菌に犯されて死んでしまうのか。
しかし、くじけそうな私に、再び先生が語りかけてくれる。
(諦めたらそこでミミズだよ)
はっ?何言ってんだコイツ。
しかし、何となく理解はできた。要するに諦めるなということだ。
私は再び立ち上がる。たとえ、1%であっても希望ならある。入口はこの窓だけとは限らない!
私は歩き出す。雨に濡れた服と髪の毛がずっしりと重い。
やっとのことで玄関に着いた私はドアのノブを回す。地獄の門のように思えたそれは何の抵抗もなく、外側に開いた。
あっ、そういえば、買い物から帰ったあと、カギ閉めるの忘れてた……。
私は盛大にこけた。
シャワーに入って身を清め、ホッと息をつく。冷静になると怒りも収まってきた。あの子たちはあの子たちの考えがある。一時の感情で怒ってはいけないわ。それが理想のママというものよね。笑顔、笑顔。
「ごめんね。お待たせ〜!」
リビングに軽やかに入ると、足の裏にまたも激痛が走る。
あのクソガキども!ミニカー片付けとけっちゅーただろーが!!
拾い上げたミニカーを手に荒々しく近づくと、またもや信じられない光景が外に広がっていた。
雨がすっかり止んでいた。
私の苦労って……、一体……。
私は三たびガックリと膝をついた。今度はもう立ち上がることはできなかった。
その後、「いやー、ちょうど帰る時に雨が止んで助かったよー」とノコノコ帰宅したパパに抑えきれない怒りの矛先が向いたのは言うまでもない。
この物語はフィクションです。わっ、私とは何の関係もないんだからねっ。