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『Reversible Red』

作者: 森野いづみ

 ――左心房を貫いた。

 ……あっけない。運が良かったのか、ぼくに才能があったのか。引っ掛かりもせず肋骨の隙間を縫ったナイフは、一瞬だけ高くなった鼓動を伝えて、後は、圧し掛かる体重を支えるだけになった。

 もちろん、成人男性一人分の重量を支える力は、ぼくにはない。直ぐに刃を抜き去って、その場を退く。

 男の身体が倒れこむ。蓋をなくした心臓から、アスファルトへとペンキが流れた。

「……何というか」

 月を見上げる。丈の間違ったコートに赤が付かないように気をつけ、似合いもしない黒い帽子を深く被りながら、思った――




「……前が見えないのは歩きにくいな」

 夕焼けに染まる学校の廊下を、僕は山のようなプリントを持って歩いていた。

 幼馴染の頼みとはいえ、これだけの量を一人で職員室まで持っていくなんて、ちょっとおかしい。視界の8割が白い束で塞がれていて、凄く歩きづらいし。

「わっ」

「うあっ」

 ……なんてことを考えていたら、誰かにぶつかった。僕はよろけるだけですんだけど、あちらは尻餅を付いてしまったようだ。

「あ、だいじょ……」

 大丈夫と言いかけたところで、僕の両手からプリントの山が雪崩のように崩れ落ちた。

 ……相手の上に。

「え……? うわぁっ!」

「あー……」

 こうなると、両手が塞がっている僕では押さえられない。ごめん、見知らぬ人。

「…………」

 大方の白い雪崩を流し終えたところで、僕はようやく相手の顔に目をやって。

「改めて、大丈……夫……?」

 ――言葉に、詰まった。白に埋まる赤。きょとんと、呆けた顔で僕を見上げる少女。

「……あの」

 白い肌。綺麗というよりは可愛い、でも、どこか中性的で端正な顔立ち。

 ……でも、それ以上に僕は、その赤い髪に魅入られた。

 白いプリントから覗く、綺麗な赤毛。

 長い髪は夕陽に……いや、夕陽よりも尚赤く染まっている。

「……っと、ゴメン」

 我に返って、少女に手を差し出す。

「あ……、ありがとう」

 少女も、まだ状況が良く把握できないのか、間の抜けた返事を返して僕の手を掴んだ。

「…………」

 何故か、少女に見つめられる。

「えっと……」

 照れくささに、僕は視線をそらすように下を見て。

「……うぁ」

 思わず唸った。

 床にばら撒かれたプリントの山は、廊下を白く染めている。

「面倒くさい……」

 僕が拾うために身を屈めると、少女も同じように身を屈めた。

「手伝うよ」

「……あ、どうも」

 長い髪を押さえながら屈みこむ少女に、少しだけ動揺する。

「はい」

 プリントを集め終えた女の子は、僕にそれを差し出してくる。

「……ありがとう」

 僕は素直にそれを受け取ると、自分で集めた分と合わせて立ち上がった。

 女の子も一緒に立ち上がる。そうして、再び、僕を見つめて来た。……何なんだ一体。

「……君。前にあったことがある……よね?」

「…………?」

 そうだっけ?

 こんなに可愛い子、一応男である僕が、忘れるはず無いと思うけど。

「うん……うん。君は、あの時の……だよね? 間違いない……。……会えた。まさか、同じ学校だったなんて」

「あ、あの……?」

 勝手に納得されても困る。思考についていけない。あと、そんな運命みたいなことを言われたら、さすがに顔が熱くなる。

「でも、私じゃ……」

「あの……」

「……そうだっ。よし、待っててね」

 俯いたと思ったら、唐突に顔を跳ね上げ、うんうんと頷く彼女。……何だこの子。どこの電波を受信中? 可愛いから良いけど。いや、良くないか。

「じゃあ、またね」

 彼女は勝手に結論を出した末に、夕陽に染まる笑顔を見せて、去っていった。

「…………」

 返事も出来ずに彼女を見送る。

 ……具体的に、彼女に恋に落ちたときが何時かと問われれば、僕は多分、このときだと答えるだろう。

 ……まあ、別にいいけど。




 ……嫌な夢を見た。深夜の悪夢なんて最悪も最悪だ。

「……いま、なんじ」

 目を向ければ、携帯が光っている。……そういや、何かの音で目を覚ましたんだっけ僕。

「……こんな時間に誰だよ」

 携帯を開く。光る名前は谷守恭子。ちなみに時間は午前三時。

「……キョウコ」

 回らない頭に活を入れながら、メールを開く。と、そこには見知った友人の名前とともに、こんな一文が。

『右螺、起きてる? 起きていたらでいい。明日の時間割を教えて』

「……起きてるわけ無いじゃん」

 いや、起きたけどさ。というか、同じメールが10通ほど届いてるんだけど……完全に起こす気だったよな。これは。

「……別にいいけど」

 眠い目を擦りながら、僕は返信メールに、『知るか』とだけ打って送信ボタンを押した。

「……よし。寝よう」

 携帯の電源を落として、毛布を掛けなおす。

 おやすみなさい。出来れば今度は、あんな夢は見ませんよう。




「死ね」

 朝。教室に入ると共に、幼馴染にこんな言葉を浴びせられるのは、正直へこむ。別にいいけど。

「なんでだよ……」

 不満げに呟くと、机に顔を突っ伏していたキョウコは身体を起こし、何が不満なのか、目に掛かる茶髪の下の切れ長の瞳で僕を睨んだ。

「……なに、今日の時間割。保健しかあってないじゃん」

 吐き出すように呟いて、もう一度顔を伏せるキョウコ。

「一番どうでもいい教科だね。あとキョウコ普段置き勉してるよね。昨日は持って帰ってたけど、保健は残してたよね」

 というか、他全部外すなんて事は教科数的にありえない。

「なにこの奇跡……。宿題なんてやろうと思うもんじゃないよ。うん」

「普段から持って帰ってやってれば、そんなことにはならないんだけどねぇ」

 ため息を吐きながら、ひとつ前の席に座る僕。それに、またも唐突に顔を上げたキョウコが僕を睨んだ。

「それもこれも、お前が時間割を送らないからだ。どうしてくれる」

「あんな時間に起きてると思うなよ夜型体質。僕は安眠中だったっての」

 安眠はしてないけど。キョウコは気の抜けた唸り声を上げながら、三度机に顔を伏せた。うん、もう顔を上げないでくれ。面倒だから。




 僕の祈りが通じたのか、キョウコはHRから昼休みまで、全く起きる気配を見せなかった。

「にしても起きないな。この馬鹿は」

「そうだね……」

 昼休みに入っても目を覚まさないキョウコを置いて、僕ともうひとりの友人と共にパンを買いに行った。

 諏乃森鉄也。

 短髪長身剣道部所属。文武両道品行方正を地で行く鉄人くんは、何故か僕とキョウコの小学校からの幼馴染で、未だに仲良かったりする。

 そうやって、パンを買って戻ってきたわけだが……。

「起きろキョウコ。お前の分のパンも買ってきたやったぞ。感謝しろ。そして金を払え」

 テツヤがゴスゴスとキョウコの頭を殴る。力を入れてるわけではないが、唯でさえ握力があり、拳も硬い彼がやるとかなり痛い。

「……イタッ!?」

 五度目の一撃。『そろそろ手加減無しで行こうか』とテツヤが拳を振り上げるのと同時に、キョウコが目を覚ました。

「おはようキョウコ」

 僕が笑顔(失笑)で挨拶をすると、キョウコはまだ寝ぼけ眼のままで僕を見つめ。

「……ウラ」

「……ハイ?」

 見たことも無いくらいに優しい笑顔を見せるキョウコに、本能に似た危機を覚える。だが、引こうとする僕の頭を、その手がガシッと捕えた。

 キョウコの整った顔が、僕の顔のすぐ近くにある。……うん。まて。何故君は徐々に顔を近寄らせているのかな?

 まて、とりあえずまて。唇を尖らせるなよ顔が近いんだよいやまてまってまっ……っ!

「何をしとるか」

 テツヤの手刀が、キョウコの頭を打ち落とす。僕は力の抜けた両手からとっさに抜け出すと、テツヤの後ろに隠れた。

「……あれ?」

 完全覚醒したキョウコが辺りを見渡す。僕の視線と、彼女の引きつった笑顔が交差する。

「……顔洗ってくる」

 妙に火照った表情で廊下に向かうキョウコを、僕たちは見送った。



「お前の顔が悪い」

 戻ってきたキョウコは、豪快にカツサンドをがっつきながら僕を指刺した。

「わけが分からないよ……」

 僕は前髪を弄りながら適当に答える。視界を亜麻色が邪魔をした。流石に髪を伸ばしすぎたかな…。そのうち切りに行こう

「お前は名前も顔も紛らわしすぎ。整形しろ。改名しろ。あるいは性転換しろ」

「全部嫌だよ……」

 というか、僕が女になったとしてキョウコに利点は全く無いだろ。あと、名前も顔もコンプレックスだからやめて。

 カツサンドを平らげたキョウコは、一度大きく伸びをすると再び机に伏せる。

「つまらない……全く、どれもこれも最近の殺人犯のせいだー」

 ……その台詞に、思わず僕の食指が止まる。

「どうした?」

「いや、なんでも」

 三個目の焼きそばパンを頬張るテツヤに、曖昧に返す。

「でも、最近の通り魔のこと知ってるなら、何でキョウコは夜更かししてるのさ?」

 自分だけは襲われないとでも思っているのだろうか。だとしたら、それは大きな間違いだ。一応、友人として注意しておこう。

「別に外には出歩いてない。ただ眠れない。ああ、でも昨日は通り魔出なかったんだっけ…。勿体ない」

 遊べばよかったと嘆くキョウコ。

「いや、きっとさ……」

 うん、まあほら。

「殺人鬼だって、安眠する日もあるでしょ」

 別にいいけど。




「うん、今日の授業終わり」

 HRの終わりと共に、立ち上がって伸びをするキョウコ。お前は何時の間に起きてたんだ。

「お前、このまま帰る?」

 僕より上からキョウコが聞いてくる。いつも寝ているからあまり思わないが、実はキョウコは女子の中では背が高い。そして胸がある。それについては、別にいいけど。むしろ良いけど。

「……ウラー?」

「……何でもない」

 僕は男子の中では背が低いので、テツヤとキョウコの間に居ると捕らわれた宇宙人みたいだとよくからかわれた。

「どした?」

「別に。……そうだね。多分帰ると思う」

 特によるところもないし。

「そうかそうか」

 するとキョウコは、何故か笑顔になって手に持ったプリントの山を僕の机に置いた。

「これ、竹崎。後こっちが吉野で、これが……」

「まった、まったまった」

 ずんずん積まれていくプリントとノートの山に、僕は狼狽する。なんだろうこのデジャヴ感?

「また?そして何でこんなにあるの、これ」

「あるに決まってんだろ、今年度分の宿題、後半戦なんだから」

 口を尖らせるキョウコに思わず聞き返す。

「今年度分って……四月から今まで?」

「うん。あ、ちなみに前に渡したのが前半ね。あからさまに提出期限が決まってるのは抜かしてるから」

 言って、さらにワーク類を山に追加する。

「……また?」

「また。持って行っといて」

 最後に音符マークでも付きそうな声と共に、キョウコは教室を出て行った。

「……別にいいけどさ」

 ……その性能を他に使えば、絶対に大成できたろうに。何時かその意をキョウコに伝えると、彼女は眉間に皴を寄せて『面倒くさい』というのだった。人生不公平だ。




「あれ? うちによう?」

 玄関を開けて出てきたのはキョウコだった。内心で胸を撫で下ろす。キョウコには姉が居て、彼女曰く、僕はそのお姉さんに痛く気に入られているらしい。

「姉ちゃんに用? 呼ぼうか」

「絶対にやめてっ」

「なんだ、アレでハマったのかと思った」

 ……なんで残念そうなのさ。僕は、二度とごしっくでろりぃたな格好なんてしたくない。ダメ、絶対。

「じゃあ何のようさ?」

 女装以外に用が無いとでも思ってるのか。

「…………」

 僕は無言で、袋に詰めたプリント類を渡す。……プリントの山は、「自分で持って来い」という先生のお言葉の下、また僕がキョウコに返すことになった。

「うわ……受け取れば良いだろ出したんだから」

 ため息を吐くキョウコ。僕はそんな彼女に苦笑して踵を返し、歩き出すより前に、思い出したように振り替える。

「そういう事だから。あと、あんまり夜更かしはしないように。危ないからね」

「おう、お前も帰り道気をつけてな。いろんな意味で」

 ……どういう意味さ。手を振るキョウコを無視して、僕は岐路に着いた。




「……おはよう」

「おはよ。今日は遅刻だね」

 2限の終わり。キョウコが、目を擦りながらやってきた。

「……眠い」

 カバンを置いて机に座ると、そのままばったりと倒れこむ。僕の忠告叶わず、昨日も夜更かししたらしい。……別に良いけど。

「そういや、昨日も出たらしいよ。通り魔」

「……ああ、そうだね」

 心の中を読まれたみたいで、少しだけどきりとした。

「アレってやっぱり同一人物かな?五年前の殺人事件の」

「どうだろうね…」

 五年前にあった殺人事件。殺されたのはこの辺じゃ有名なヤの付く人で、殺される理由はいくらでもあった。何しろ、自分の子供にも容赦しないようなド外道だったらしいし。他人からの怨恨なんて、当たり前のように積み重なっている。

 ……しかし、殺される理由はいくらでもあったが、具体的な動機のようなものは一つも無く。その線で捜しても犯人は捕まらず、かといって他にあても無く、犯人はまだ捕まっていない。ちなみに、その一件でその団体さんは解体となったらしい。別に良いけど。

「どう?同一犯かな?」

 何時にも増して積極的なキョウコ。そんなに夜遊びできないのが辛いか。

「分からないよ。でも、同一犯にしては手際が悪すぎるんじゃない?」

 今回の殺人は、前回の殺人のように心臓を一突きとは行かない。生きたままで血を抜き、腕を切断し、足を切断し、目を抉り。腸を引きずり出し、とにかく様々な殺り方を試してみている。

 まあ、単に色々な方法を試していると思えば、同一犯という可能性も否定できないけれど。

「ところで、何で同一犯だと思ったの?」

「んー……女の感?」

 机に頬ずりをしながら言うキョウコ。……全く、素敵な感を持ってるよ。

 ……未だに思い出す、あの赤い夜のこと。

 ……止めとこ。思い出したら、夜の気分になるから。




 そうしてまた、昼休み。

「在原、お客さんだぜ?」

「うわ、ウラにお客さんとか。珍しっ」

 楽しげに呟くキョウコ……お前はもう寝てろよ。後、テツヤも無言で賛同しないでくれる?

 僕が不機嫌そうに顔を歪めていると、その隣に誰かがやってきた。顔を上げる。そこに居たのは、何時かの赤毛の少女。

「こんにちは。ウラ君」

「こんにちは……えっと?」

 そういや、名前を聞いていない。……というか、僕の名前を何故知っている。

 僕が戸惑っていると、彼女は手に持ったプリントを僕に差し出した。

「これ、あの時に落としてたよ」

「あ……」

 彼女の手にあったのは、何時かのプリントの一つ。

「あ、それあたしの」

 横から手が伸びてそれを奪い去る。キョウコはそのまま彼女を見て、笑いながら、言った。

「ありがとう洸」

「……コウ?」



♪♪


 瀧村 洸。二年二組所属。帰宅部。

 家族構成は母親と弟が一人。

 人目に付く赤い髪と端正な顔立ち。どこと無く中性的な雰囲気から、異性だけでなく同性。特に後輩の支持者が多い。……という、キョウコの説明。

 お前は何だ、ストーカーかと突っ込みたかった。あと、最後の情報要らないよね。

「えっと……じゃあ、改めてはじめまして? コウって呼んで」

 呆れていたのはどうやら僕だけじゃなかったようだ。その長い髪が失笑で揺れている。その顔は本当に可愛かったので、僕はなるだけ笑顔を見せた。

「……うん。よろしく。瀧村さん」

「コウって呼んでって言ってるのに」

「……それはさすがに馴れ馴れしくない?」

 ……それにしても可愛い人だなと、改めて思った。



♪♪


 今日は、帰路をキョウコと共にすることにした。

「どうよ、アイツは」

 ニヤニヤしながら聞いてくるキョウコ。なにその下衆の勘ぐり。

「……うん。まあ、可愛かったけど」

「だろっ」

 良いながら肩をバンバン叩いてくるキョウコ。痛いから。

「自分のことのように喜ぶね」

「そりゃ、自分のことのように嬉しいから」

 らしい。聞けば、結構前から友達だったそうだ。だったら教えてくれれば良いのにと思いつつも、考えてみれば接点なんて無いのだから、理由が無かった。

「感謝しろ、あたしのプリントのおかげだ」

 胸を張るキョウコ。……何故だろう。全くその通りなのに、感謝する気が起きないのは。

「にしても、お前もアイツも名前と顔がややこしすぎるな」

「……そうかな?」

 考えてみる。不本意ながら、可愛い顔立ちと人気のウラ。これまた不本意ながら、同性に人気のコウ。

「ウラって……男子では見ないよね。コウも男らしいし……」

 ……逆だったら良かったのに、何て、名前にコンプレックスのあるものとして思う。

「まあ、それも運命かもね」

 それはそれでほら、型がピッタリはまる似たもの同士ってことで。

「運命的だと思わない?」

「うわ……」

「お願いだから引かないでよ……僕もどうかと思ったんだから」



「……と、ここまでだったね。帰り道、気をつけて。あと夜更かしはしないように」

 途中の分かれ道に到着。

「ははっ。お前も気をつけてな」

「はいはい……」

 初めての会話に苦笑をしながら、僕は踵を返した。



♪♪


 ……それから、いつもの三人組は瀧村コウという新たな面子を招いて、四人で昼食を食べることになった。

「華があって良いね」

「お前では華にならないからな」

 キョウコの何気ない一言に、テツヤが突っ込むが、その意見にキョウコは怒ることも無く、寧ろ頷いている。……いや、賛同しないでよ。実は綺麗なくせに。調子に乗りそうだから言わないけど。

 カツサンドを頬張るキョウコは、テツヤから視線をそらすと残りの二人……要するに、僕たちを見る。

「……ああ、美男美女。和む」

 涎を垂らしそうな勢いのキョウコ。この隠れ少女趣味。

「……因みに、どっちが美男でどっちが美女」

「美少年のコウに美少女のウラだな」

 即答……聞かなきゃ良かった。隣を見れば長い髪が、呆れた様に揺れていた。



「そういえばさ」

 カツサンドを平らげ。満足したらしいキョウコが、思い出したように口を開く。

「最近通り魔でないよな」

「ぶっ!!」

 コーヒー牛乳がスプレッド。

「うわ、ウラ、汚っ」

 ……とんでもなく自分勝手な一言に、僕は牛乳を置いてキョウコを睨んだ。……自分で招いた事態なのに、さすがにそれは酷くない?

「ウラ君、大丈夫?」

 白いハンカチ。

「あ…うん。……ありがとう」

 ……手が触れる。顔が近い。白いハンカチが、肌をすべる。

「…………」

「…………」

「……あー。コホンッ」

 テツヤの咳払いで、飛びのく僕たち。これじゃ、キョウコに笑われ……てないや。悦入ってるこの子。

 僕は一度ため息を吐くと、隣に目を向けて、一応聞いてみる。

「殴っていい?」

「ご自由に」

 即答。長い髪が頷きと共に揺れる。君も友達甲斐が無いね。僕もだけど。

 僕は、とりあえず握った拳をキョウコの頭に叩き落した。



「……いやな、気になっただけだよ。うん」

 僕に頭を殴られたキョウコは、うんうんと頷きながら言い訳をしていた。(ちなみに後始末は彼女にさせた)

「あたし的にはさ、早く捕まってほしいんだ。あるいは早く居なくなってほしい。そうでなかったら、再開してほしい」

「被害者に失礼なことを言うな」

 あと、犯人にもね。

「というか、何でそんなに気にかけるのさ」

「よく聞いたウラッ!」

 ビシッと、変なポーズで指を指すキョウコ。何それ。

「あたしはな、ライフワークを邪魔されてるのが不満で仕方ないわけよ」

「大人しく寝れば良いのに……」

 呆れたように呟く僕に、キョウコは肩をすくめると、

「体内時計の狂ったあたしにはそれは無理なんだよ……。眠たくないんだ」

 残念ながら。とか言いながら、悩ましげに息を吐くキョウコ。その姿は、長身で美形の彼女にとても似合っているのだけれど、台詞は全く似合ってない。残念ながら。

「殺人犯さんお願いします。やるかもうやらないかどっちかにして下さい」

 指を組んで拝みだすキョウコ。お前の中での殺人犯ってなに、神? ……いや、そりゃあこの場に居るから聞けるけどさ。

「物騒な願い事は止めろ」

 静かな突っ込みと共に、キョウコの頭にテツヤの手刀が落ちた。



♪♪


「おし、ウラ、コウを送って帰れよ。……いや、むしろ、コウがウラを送って帰るべきか?」

「どういう意味だよっ」

 キョウコ……僕だけならともかく、その言葉は失礼だよ。両方に。

「ゴメンゴメン。じゃ」

 キョウコは苦笑を漏らすと、件のプリントの山を持って職員室へと踵を返した……というか、まだ出してなかったんだね。

 呆れ気味に肩を竦めてから、僕は隣に向き直る。

「じゃ、行こうか」

「うん」

 そうして、僕たちは二人で帰路に付いた。



「…………」

「…………」

 夕焼けの中、沈黙が続く。

 長い影が、僕らの後ろに伸びていて、そのコントラストに目眩がしそう。

 僕はこんな、ともすれば抱きしめるか絞め殺すかしたくなるくらいに可愛い子とは、お知り合いになったことは無い。

 そりゃあキョウコも綺麗だけど、夕陽に赤く染まった髪の、今の僕のお隣さんは、それとはまた別種の美しさだ。

 ……それは、何と言うか、一目惚れというものだろうか。

 今の僕では、間違いなく釣合わないだろうけど。なんてことを考えながらも、どうにか沈黙を打破する方法を思案する。

「……君はさ」

 顔を俯けながら聞く。『可愛い』という言葉をひたすらに連想させる顔に、僕は少しだけ息を呑んだ。

「……何でも無い」

「……そっか」

 ……結局案は通らず、僕は再び視線を前に戻す。……少しだけ、緊張した。顔が、赤く見えるのは、多分、夕焼けのせいだろう。



「じゃあ、僕はこっちだから」

 岐路に着いた。帰路の岐路って、冗談だなとか笑いそうになる。

「うん、また明日。気をつけなよ、色々な意味で」

「色々な意味って何だよ」

 二人で苦笑。こんな時間も、良いかもしれないなんて、柄にも無く思った。

 沈黙に緊張しながら歩くなんて、正に思春期真っ盛りじゃないか。笑え無いね。冗談だよ。

「それじゃあね」

「うん」

 ようやく踵を返す。

 分かれて、暫くしてから思った。……送って帰るべきだったかな?



♪♪


 ……さて。夜も更けた。昼間のキョウコの願いを、聞いてあげることにしよう。

 今日はどうしようか悩んだ末に、注射器とチューブと、空気入れを用意した。

 僕はアスファルトに寝かせた得物の手首の静脈に注射器を刺しこみ、ガムテープで固定して、血管に空気を入れる。

 得物は、多分僕たちより三つは下の女の子。

 即死だった。つまらない。つまらないから、空気入れを踏み続けてみた。

 血管が膨張している。腕が気持ち悪いくらいに、左右非対称と化している。破裂したのか、至る所で内出血が起きている。

 ……そういえば水死体は、ガスが溜まって風船みたいになるらしい。これもそうなるんだろうか。なんて考えたら楽しくなって。何より泡を吹く死体が面白くて、どんどんどんどん足を動かして血管が血管が血を吹き出しながらぶくぶくぶくぶく肥えた豚みたいに気持ち悪い楽しいけれどこれは気持ち悪い泡がどぼどぼぶくぶくぶくぶく。

 ……結局、そんなことにはならなかったけど。




「殺人事件勃発ー」

 朝からキョウコが起きていると思えば、いきなり何なんだこいつは。

「唐突過ぎて着いていけないんだけど……何、いきなり」

「昨日も通り魔出たんだなってって話。ウラ、知らない?」

「知ってる」

 別にいいけど喜ぶな。被害者に失礼だし、何より犯人が調子に乗るだろ。心にも思ってないけど。

「おはよ。珍しいな、キョウコが起きてるなんて」

 いつの間にかテツヤが僕の隣に居た。それに頷きながら、僕は自分の席に座る。

「どうしよ、どうしよ、あたしが願ったせいかな」

「かもね」

「この罰当たり」

 テツヤと二人で非難の眼差し……妙にテンションが高いと思ったら、気にしてたんだ、それ。なら言わないでほしいなぁ……。関係ないけど。




 相変わらずの昼休み。

「にしても、怖いな殺人犯」

「そうだな。部活も遅くまで出来なくなったからな」

 キョウコの呟きに、珍しく賛同するテツヤ。遅くまでって言うか中止なんだけど、こっそりやってるんだろうね君のことだから。

 キョウコは殺人犯こえーとか言いながらカツサンドを食い終えた。そればっか食ってて飽きないのか。別にいいけど。

 ……にしても、つくづく他人事だなと思う。殺人鬼は、以外に近くに居るかもしれないのに。

「でも、キョウコの夜更かし癖は治らないんだね」

 隣から綺麗な声が響く。赤い髪を揺らして聞く瀧村さんに、キョウコは口を尖らせた。

「だから、夜型体質はそう治らないんだって」

「でも、危ないから出歩いたりはしないほうがいいと思うよ」

 ……それ、散々僕も注意したな。

「いやまあ、出歩いてないって」

 白々しく笑うキョウコ。それに彼女は、赤い髪を揺らしながら呆れ顔というか、疲れた顔をする。

 ……うん、どうやら僕と同じらしい。とか考えてたら、不意に彼女と目が合った。

 ……何と無く、目がそらせなくて。その赤い髪は、何時かの夕焼けを連想させて。

 あの時の彼女は不思議だったけれど。僕は何故かあの時のことを、鮮明に覚えていたりした。

「……こほんっ」

「…………っ」

 ……テツヤのわざとらしい咳払いで、ようやく顔を逸らす。……顔がとんでもなく、赤く染まっていたけども。





 ……その日の放課後、ひとつの出会いがあった。

 ……その出会いが無ければ、僕たちは。

 誰も欠けることなく、一緒に居れたのかもしれない。

 ……別に、いいけど。


「アンタが、在原ウラ?」

 夕陽に染まる廊下で、誰かに呼び止められる。

 日直を済ませ、ついでにキョウコに渡されたプリントも持って行き(同情してくれたのか、ようやく受け取ってくれた)、これで帰れると思ったところなのに。

「そうだけど?」

 返事をしながら振り返る。

 ……ゾクリとした。夕焼けより尚、赤い髪。目に掛かる前髪の下から覗くのは、整った顔立ち。

 丹精な少年だった。中性的な雰囲気は、同じく赤い髪の、彼女に似ている。

 ……でも、それ以上にこいつは……。

「瀧村夕。コウの弟。ちなみに双子な」

 ユウと名乗った少年は、笑うように口元を吊り上げる。その姿は道化のようだ。

「……在原ウラ……ってのは知ってたよね。僕に何のよう?」

 威嚇するように目を細める。それが少しは利いたのか、ユウはその眉を顰めた。

「おいおい。そんなに威嚇すんなよ。アイム、ユア、フレンド。オーケー?」

 ……全然利いちゃいねぇ。

「君と友達になりたいんだ。仲良くできると思うんだけどな?」

 相変わらず、仮面のような笑みを顔に貼り付けて、僕に手を差し出してくるユウ。赤く染まる彼は、僕にあの赤い夜を思い出させて……そして――

「……お断りだよ。僕はね、同属嫌悪する性質なんだ」

 そう言って、僕はその手を振り払った。

「話は終わり? じゃあ僕は行くから」

 踵を返す僕に、ユウはその笑顔と同じく、演技のように肩を竦める。でも、僕は気にせず歩き出し、

「あ~あ。姉は良くて弟はダメか。何だよ。何時か義兄弟になるかも知れない仲なのに」

 ……こけた。

「……な、何言ってんのさ君は……?」

 さっきまでとは違う動揺と共に、僕は振り返る。そこには、子供みたいに腹を抱えて笑うユウが居た。

「コウの奴がさ、アンタのこと気に入ってるんだ。びっくりするぐらいに」

「…………」

 それは……まあ。嬉しいけど。僕も、彼女の事は好きだし。それがどこまでかは、分からないけど。

 でも、彼女は何故だろう?

「まあ、あんたらお似合いだよな」

 ニヤニヤと笑うユウを、思わず睨み付ける。……頬が熱いから、多分格好はついていない。

「お互いにさ、惹かれあうものがあったんだろう? アイツにも君にも。それは運命だよ。いや、形の問題かな。でも、だったらコウだけじゃなく――」

「ふざけるなよ。君は彼女とは似てない。容姿は似てるかもしれないけど、君は僕よりだろう」

 その答えに、ユウは苦笑する。

「大正解。頭が切れる子は怖いね。……まあ良いや」

 それだけ言うと、ユウは肩をすくめた。

 どうやら話は終わりらしい。

「……君、結局何のようだったのさ」

 僕の問いに、ユウは口を吊り上げた。

「姉と仲良くして下さいって、姉思いの弟からの頼みだよ」

 ……嘘だよね。

「ああ、それからもうひとつ。最近、この街って色々あるだろう? その所為でアイツ、結構不安定なんだ。君が支えてやってくれ」

「……別に良いけど。僕に頼むの、それを」

 僕には、彼女の隣に立つ資格も、僕の言葉を聞いてもらう資格も無いというのに。

「君以外に頼む人が居ないんだよ。言ったんだけどさ、弟の言葉なんかじゃ聞きゃしないんだ。人殺しの君じゃないと」

「――――」

 ……だめだ、こいつはここで殺さないと。

 どこまで知ってる。というか、どうして知ってる。

「怖い顔すんなって。ボクハナニモシラナイヨ?」

「……二度と会いたくないな、君には」

「オーケー。会いに行くぜマイフレンド」

「…………」

 いちいち苛立つ発言を残して、瀧村ユウ……僕と表裏を成す、もう一人は、去っていった。



♪♪


「あ、ウラだ。お~いっ!!」

 キョウコの声が学校に響く。

「聞こえてるよっ!! 叫ばないでよ恥ずかしいからっ!!」

「えーーっ!! コウだって待ってるんだぞーーっ!?」

「……だから叫ばないで……はぁ」

 放課後の校門で、僕は苛立ちを隠せないでいた。でも、そんな顔は見せれないと、道化の仮面を被って顔に気合を入れる。

「二人とも、待っててくれたんだ」

 笑顔を意識する。

「……うん。せっかくだしね。だいたい、キョウコのせいでウラ君が遅れてるんだから」

「え、あたしのせい?」

 白々しい……その図太さはある意味尊敬に値する。因みにテツヤは部活で自主練に行った。……部活、中止なのに。

「というわけで、帰ろうか」

 仕切るキョウコを横目に見ながら、どうせなら二人きりが良かったなぁ。なんて。

 ああ、でも二人っきりだと、また会話が無くなっちゃうか。

 ありがとう。キョウコ。



♪♪


 ……ということで。

 夜も更けた。また、獲物を探しに行こう。今夜の犠牲者は、前の子よりも更に三つは下の女の子。

 可哀想に。涙が出てきそう。

 でも、こんな遅くまで出歩いてるからいけないんだよ?

 反省した? 反省したなら頂きます。

 ガツリと、首筋に一撃。得物は何でもない。動物に初めから備わっている、もちろん人間にも備わっているもの。

 口を開けてガツガツガツガツ赤い液体は粘り気で僕の口から糸を引いて気にせず続けると骨が硬くて顎が疲れたので血をすすれば喉に張り付いて飲みにくいったら無いけれどそれはそれでこの人肌のトマトジュースをはたしてどう飲もうかなんて今日のユウの言葉を思い出すけれどその言葉は聞けないし僕には資格が無いからあの隣に立つ資格が無いから僕の言葉を聞いてもらいたいから僕を見て貰いたいから貴女を頂きます。

 ……人間って、おいしくないなぁ。




「やあキョウコ。また殺人事件だよ」

「は? お前朝からなんて話題だしてんの。気持ち悪いよ」

 何時もは先に話題に出すのはそっちだろうに。なんて理不尽。別にいいけど。

「今日は珍しく不機嫌だね。いや、気だるげなのはいつもだけど」

「人を能天気馬鹿野郎みたいにいうなー」

 ダウナーに叫ぶキョウコ。そこまでは言ってない。馬鹿だとは思ってるけど。

「あたしだって不機嫌にもなるんだよー。さすがにー」

 さすがに……ってのは、あれか。

「……うー。やっぱりダメだ。正直、アレばっかりは無理だ」

 頭を伏せるキョウコ。

 ……余談だが、キョウコは可愛いものが好きだ。そして子供も好きだ。基本的に姉貴肌だから面倒見もいい。

 ……まあ、年の離れた妹が居ることも関係しているかもしれないけど。

 だから、

「……ちっくしょう、殺人犯」

 さすがに、今回は軽率すぎたということで。

 今のは僕の失態だ。反省しよう。いや、本当に何やってんだか。殺人犯。……とは言っても、相手を選ぶようでは通り魔とはいえない。

 だから、ごめんキョウコ。約束は出来ないから。

 ……もちろん、殺人を止めれば、すむ話だけども。そう簡単に、止めれるものでもないんだよね。




 さて、いつもの昼食なわけだが……何となくじゃんけんをして、何となく負けてみたら、何となく、僕が全員買いに行くことになってしまった。

 一人で持てと。

 テツヤなんて何個食べると思ってんの。

 キョウコはカツサンドだろうな。

「やあっ。マイベストフレンドっ!」

 瀧村さんは……何が良いかな。

「おいおいおい、耳が遠いのかディアマイフレンド? それとも痴呆? アルツハイマー? この顔を覚えていないとか?」

 ……聞こえてるよ。覚えてるよ。意図的に無視してるんだよ分かれよ。あと、呼び方を進化させるなよ。

「……何のよう」

「わ、覚えていてくれた。うっれしいな」

 ……こいつは本当に、話し相手を苛立たせる天才だな。

「そんな顔をするなよう。今にもサックリいかれそうで怖い」

「手元にナイフがあったら多分そうしてるかもね」

「良かった。君の手元にあるのがあまり入ってなさそうな財布で本当に良かった。ちなみに今、この内ポケットにはナイフが入っているのです」

「うん、渡してくれない?」

「おいおい、やめようそんな物騒な話。唯でさえ物騒なのに。ほら、場を弁えない通り魔殺人犯とか、居るからさ」

「…………」

 思わず、本気で殺りにかかるところだった。それでも別にいいけど。

「まあ良いけどね。でも、関係無いことは無いしね。姉がほら、ご熱心だし。ねぇ、君が『それ』を止めてくれれば万事解決だと思うけど」

「…………」

「……ふう。『別にいいけど』。それよりさ、アレだよ。コウを支えてあげてくれって話」

「だから、僕にはそんな資格は無いんだよ。むしろ彼女に言ってくれ」

 あと、他人の口癖を真似するな。性格悪いね。知ってたけど。

「諦めろって? 無理だよ。無理無理。恋する乙女は弟にも止められません。というか、君が曖昧なのが一番問題だよ」

 苦笑するように口の端を吊り上げるユウ。 ……そりゃあ、僕だって彼女のことは好きだ。多分。

 殺したくないくらいには。

「やれやれ」

 呆れたように彼は首を振った。

「殺人の定義」

「……なに?」

 唐突な話題の転換。こいつの言葉はどこまで真面目に受けるべきだ。

「殺人犯。殺人を犯してる。けど、それは殺人なのかなって話」

「……正直、知るか」

 人を殺してるから、殺人には違いないだろう。僕が、誰かを殺せるからといって、僕が、彼女を殺したくないように。

「その考えは、真っ当に見えなくは無い。君はヤンデレでは無いね。でも、真っ当ではないよね」

「……どうだろう。『好きだから殺したい』なんて考えのほうが、人間としては異常だと思う」

 殺人なんてみんな異常だよ。何て、こいつは肩を竦めたけれど。

「まあ、いいや。また会おう」

 ……心から、嫌だ。立ち去るユウから目を背けて、僕は歩き出す。

 正直、時間を取られすぎた。舌打ちをして、購買へ向かう。

「……カツサンド売り切れてる」



♪♪


 ……キョウコ、カツサンドが無いのは、そりゃあ残念だったけどさ。だからといって僕の分を食べないでくれる……?

「……というか、僕のはともかく、何でコウの分まで食べるのさ」

「だってほら、ユウとかいうコウの弟のせいなんだろ? 間接的には。だったら姉であるこいつのせいでもある」

 なんて理不尽。というか君、単にひとつじゃ物足りないだけだよね。太るとか考えないんだね。栄養は胸に行ってるのか。

「……瀧村さん。ごめんね」

「いや……悪いのはユウだし」

 それもどうだろうけど。ただ、隙があったらユウの制服に隠されているであろうナイフを奪い去ろう。そしてサックリ行こう。機会はあるし。

「……にしても、アイツは何なんだ本当に」

 行動から真意が掴めない。

 あまり邪魔されるのは、困る。

 僕に資格は無いから、僕は未だ、止められない。



♪♪


 さて、出来たらみんなと一緒に帰りたかったが、不意に目に止まるものがあった。

 ……正直、僕からアレに関わるのは願い下げだった。が、まあそれも、時には一興か。昼間のこともあるし。

 昇降口でみんなと別れて、僕は廊下へと戻る。全てが夕焼けに染まる中、赤い影が対峙した。

「来てくれるとは思わなかったよマイブラザー」

「誰がブラザーだ誰が」

 その呼び方はさすがに逸脱しすぎだよ。やっぱり止めとけばよかったと後悔。だが、言ってやりたいことがある。

「お前のせいで、昼飯抜きだよ僕は」

「ありゃりゃ、それは失礼。明日の昼食でもおごろうか?」

「結構」

 お前と昼食を食うなんて想像したくない。

「そんなに嫌がられるとさすがに悲しいかな。ツーカーの仲だろう?」

「僕とお前が? 止めてくれ。想像もしたくない。それよりも、何のよう? 一応そっちから呼んだんだから、言いたいことはあるんだよね?」

「ああ、最後通牒をしに来た」

 ユウは、普段と変わらぬ笑顔で断言した。

「……それはつまり?」

「そろそろ潮時じゃないのって話さ」

「……お前は」

 僕が何かを言う前に、ユウは陽気な挨拶を残して、踵を返す。

「……ちょっと待った。それは……」

「いやいやいや。別に何でも。みんな幸せが一番だよねぇって話だよ」

 相変わらずの虚言に、僕はため息を吐いた。これ以上、アイツと会話をしても意味がない。そもそもユウと会話をしても、僕に得るものなんて無い。

僕は彼が去るのを見送ってから、同じように踵を返した。




 ……せっかくだから回想してみよう。

 僕とキョウコの出会いは、小学校に遡る。

 当時から女子に間違われるような容姿だった僕は、まあ、当然のように周りからイジメられていた。別に気にしては無かったけど。

 そこに入ってきたのが、まあキョウコで。当時から僕よりも男らしくて、相応に馬鹿で、お節介だったキョウコは、僕の手を無理やり引いてくれた。

 ……で、話は現在。ごく最近の回顧録。珍しく、キョウコと二人で帰る機会が出来た。ここしばらくでは特に珍しい。近頃はもっぱら三人だったから。

「おう、コウが居なくて寂しい?」

 ……うん。まあ、寂しいといえば寂しい。

「んー……煮え切らないな。お前は」

 肩を竦めるキョウコ。煮え切らなくて悪かったね。それに前から言ってるけど、僕にそんな資格は無いんだよ。こんな資格、与えられるものでもないけど。

「どうなんだよ、好きなのかよ、好きじゃないのかよー」

 肩を掴んで振らないでよ。首ががくがくするから。 というか、何でそんなに僕たちに固執するのさ。野暮いよ。よく分からないよ。

「何でって、お前たちがお似合いだからだよ」

「……お似合いって」

 詳しく説明してほしいのだけど。キョウコの目が思った以上に真摯なので、下手な皮肉が返せなかったりした。

「何ていうかな……あんた達、ピッタリなんだよ。本当に」

 ……その件についての否定材料は、無い。むしろ肯定意見の方が多いくらいだ。

「だからね、あたしとしては、あんた達にハッピーエンドして欲しいわけだ。友達として」

 そりゃ、いい友情関係だ。相手の都合を考えなければ。でも、そんな強引さがキョウコの良い所で、僕もそれを、友人として気に入っているので、やはり何も言えなかったり。

「好きか好きでないかと問われれば……」

 だから僕も、真摯にそれに答えてみよう。

「……好きなんだけど」

「ほらなぁ」

 分かってたんだよ。とでも言わんばかりのキョウコ。やっぱり言わなければよかったか。

「でも、理由が無い。動機が無い。火の無いところに煙は立たない」

 それが不思議だ。僕が彼女と出会ってから、特に何かイベントを起こしたわけでもない。

 ある意味、出会ったあの時が頂点だったかもしれない。一目惚れといえば聞こえはいいが、それにしては曖昧だし。あれから何があったわけでもないのに。

「そんな単純なもんでもないだろ人間って」

「……? っうぁっ!?」

 僕の肩を掴んでいたキョウコの腕が、唐突に僕を引き寄せた。背が低い僕は、丁度キョウコの胸に顔を埋める。

「そんな分かりきったようなことで恋に落ちるもんでもないだろ。人間って。それこそ意識の持ちようだけだと思う」

「…………」

 言ってることは分かるんだけど、とりあえず開放して欲しい。僕の思いなんて露知らず、キョウコは僕の髪の毛を弄っていた。こうなると暫くは開放してくれないだろう。

「…………」

 仕方なく、僕は彼女に身を委ねた。

「だからさ、単純じゃないからこそ、決定は単純でもいいんじゃないか。過程はどうあれ、結論は好きか違うかのどっちかだけなんだから」

「……ぅん」

 顔が埋まってるせいで、上手く返事が出来ない。その態度が、キョウコのツボにハマッたのか、キョウコは「かわいいやつめー」とか言いながら頬ずりしてきた。この野郎。人が無抵抗モードなのを良いことに。



 ……今更だけど。

 キョウコは僕にとっては、本当に良い友達だった。

 本当に、今更だけど。



♪♪


 そんなことがあった日の夜。

「あれ、お前何やってんの」

「キョウコ……」

 ついに、夜に出会ってしまった。

「……注意したよね?」

 僕が呆れながら彼女に聞くと、彼女は苦笑しながらお互い様なんて返してきた。

 そうなんだけどさ。でも、僕の場合は違うんだよ。本当に、何て運命? これ。

「全く。ほら、一緒に帰ろ」

 彼女が手を差し出してくる。そういえば出会いもそうだったっけ。……実はそのこと自体は気にはしてなかったんだけど。

 でも、そうやって手を伸ばしてきた彼女のことは、そのときから気に入った。

「なに笑ってんだよ。ほら、お前一人じゃ危ないだろ?」

 実はね、ちょっとだけ憧れてたんだ。本当は僕なんかよりもよっぽど格好良くて、でも女性的だったよね。君は。

 同い年なのに、友達というより姉みたいだった。君は。

 いや、もしかしたら、君のことを好きになっていたことも、あったかもしれない。

 だから。


「ごめんね」


 いつもの作業に、その言葉を付け足した。



 アスファルトに寝かせる今日の獲物。規則正しい呼吸をする彼女はとても魅力的で、僕でも目を奪われるほどだった。

「黙っていれば美人なのにね」

 コートの下から獲物を取り出す。今日は最近の流行に習って、鉈なんてものを用意してみた。

 一度首に叩きつける。肉を裂く感触が手に伝わる。

「……残念。一回じゃ切れなかった」

 僕の力では、頚骨に阻まれた。僕は鉈を足で踏みつけると、ゴリゴリと骨を削り始める。

 その顔に傷を付けるのは躊躇われたから。首から上だけは、僕が持って帰ることに決めた。




 ……回想終了。

「……ダメだな」

 昔話を思い出しても、涙が流れることは無い。

 幼馴染の葬式の場で、堪えるなら未だしも、まるで泣く気になれないのはどうしたものか。当然実感が湧いてないわけではない。キョウコとの最後の別れは、今でも鮮明に覚えている。……忘れられるわけが無いし。

 そもそも、僕がキョウコの葬式に出ていいんだろうか? 僕はキョウコの死を、悲しんでいるでも慈しんでいるでもない立場なのに。

 キョウコの姉の感動的なスピーチに眠気を誘われながら、僕は隣を見た。

「…………」

 隣のテツヤは俯いていた。短髪の下の、普段は精悍な顔が、今は目は赤く腫れ、クマが出来ている。心なし、やつれたようにも見て取れた。

 黙って逆隣へ。僕たちより少し遠いところに、瀧村さんが座っている。真っ直ぐに姿勢を正し、きつく口を閉める彼女。だけど、その顔には翳りがある。瀧村さんはキョウコに憧れている節があった気がする。そんな友達を無くしたのは、やはり辛いのだろう。

「ごめんね」

 何となく呟いてみる。本当に、僕が居なければこんな事にはならなかったのにね。

 もう一度前へ。死体からは発見されなかった、キョウコの首から上の写真。

 つくづく思う。

「本当に……黙ってたら、綺麗だった。のにさ」




 葬儀の終わり、テツヤは何も言わず帰って行った。

 ……僕に追うことは出来ない。そんな資格は無い。別にいいけど。

「……ウラ君」

「……瀧村さん?」

 振り返ると、瀧村さんが居た。

「君は、泣かないんだね」

 その言葉に、

「ああ、悲しくないからね」

 思わず素直に応答してしまった。

 別にいいけど。なんて、苦し紛れに最後につけた戯れ言に、瀧村さんが赤い髪を揺らして苦笑する。

「やっぱり君は、そういう人なんだね」

 僕の回答に瀧村さんは、少しだけ安堵したようにため息を吐く。

「やっぱり君は、思っていた通りの人だった」

 それはどういう意味なんだろう。

「明日からもよろしくね」

 赤い髪の少女は、それだけ告げると、踵を返して去って行った。

 送る必要は無い。今、彼女が通り魔に襲われる可能性は無いのだから。

「……僕も帰ろう」

 そして……そうだな、夜まで寝よう。

「……これでテツヤが仇討ちとか始めたら、厄介なことになるなぁ」

 まぁ…、別にいいけど。




 ……それから数日後の昼休み。

「…………」

「…………」

「…………」

 ムードメーカーだったキョウコが居ないと、僕たちは静かだった。

 僕もテツヤも、あまり喋るほうじゃないし、瀧村さんも落ち着いている方だ。

「……何時もここで、殺人犯の話とかしてたよね、キョウコ」

「……そうだね」

 適当に相槌を打つ。

「…………」

 テツヤは、それでも寡黙。むしろ、キョウコの話題が出ると下唇を噛み締める。

 ……仲良かったもんね。犯人のこと、怒ってるだろうね。ゴメンね。別にいいけど。

 追悼のような昼食が、続いた。




「……なんで。待たなきゃいけないんだろう」

「まぁまぁ……。これもテツヤなりの優しさなんだよね」

 不器用だけど、何て付け足しながら、僕は逆向きに座った椅子の背もたれにもたれかかる。誰も居ない教室の、窓際に立つ彼女の影が、夕陽で伸びて僕に掛かっている。

 部活が終わるまで待ってろ、と言ったのはテツヤ。僕たちだけじゃ不安だから、送って帰るつもりらしい。だったら部活を止めれば良いのに。そもそも中止なのにさ。

 でも、止めないのがテツヤの美点でもある。

 だから、別にいい。

「…………」

 何となく、彼女の赤い髪を見つめた。

 本当に、夕陽にも染まらないくらいの赤。

 教室も赤。彼女も赤。

 僕だけが、彼女の影の下に黒。

 ……なんとまあ、幻想的な空気だろう。

 僕たち以外、誰も居ない教室。

 運動部の気合も、吹奏楽部の演奏も、どこか、希薄に、遠く感じるこの世界。

「どうしたの?」

 赤い髪を揺らして、彼女が聞く。だから僕は素直に、

「うん、瀧村さんに見惚れてた」

 そんなことを口にした。

「…………」

 赤い。

 瀧村さんの顔が、赤くなっていくのが分かる。

「ありがとう」

「うん」

 よく分からない会話。

「ウラ君……」

 朱に染まる瀧村さんは綺麗で、僕が見とれる理由は十分にあって。

「好きだよ」

「うん。僕もだ」

 この答えを返すことにも、躊躇いなんてあるわけが無かった。

「好きだよ。好きだったよ、ウラ君。多分初めて出逢った時から」

「うん。僕もだ」

 彼女が僕に初めて出逢った時を、僕は覚えていない。

 でも、僕が初めて彼女に出逢ったのは、他でもない、この学校。夕暮れに染まる廊下で、白い雪崩に埋もれても、染まらない赤の君だったから。

 理由なんて、別にいい。理由なんて必要は無い。

 その容姿も。

 綺麗な赤い髪も。

 中性的な性格も。

 君が持つ危うさも。

 どれもが理由な気がするけど、そうでもないような気もする。不思議。

「瀧村さん」

「コウでいいって言ったのに」

「コウ」

 彼女は、微笑んだ。

 近づく、コウ。彼女は椅子に座る僕に視線を合わせると、赤い髪を押さえながら、ゆっくりとその顔を、僕に近づけ――

「ああ、邪魔だったみたいだね?」

「…………」

「…………」

 目の前の彼女の顔の赤みが、一気に零点まで下がった。彼女は立ち上がると、不機嫌そうに僕の後ろ、教室の戸に目を向けた。

 僕も目を向ける。

「ユウ……」

 コウが、本当に忌々しげに呟く。

「ゴメンねウラ君。後で」

 彼女は唐突にそれだけ言うと、自分のカバンをひったくって教室を出て行った。

 途中、すれ違うユウには見向きもせず。

「振られちゃったね、御仁」

「……君が来なければ上手くいったのにね」

 椅子から立ち上がって、僕はユウを睨み付けた。

 本当は僕も帰りたいけど、ここで何も言わずに帰ったら何故か負けな気がする。

「何のよう?今度は」

 僕の敵意剥き出しの言葉に、ユウは笑いながら答える。

「最後通牒はした。無駄だったからには、さすがに動くしかないってことさ」

 口元を吊り上げた。笑いのような表情で、瀧村ユウは僕に近寄る。

「そろそろ止めてくれないか。その方が良いだろ、君のためにも彼女のためにも。あと、あのお友達君のためにも」

 あくまでも常識的なユウ。

「心にも思ってないことを」

「あら、ばれてる?」

 当たり前だ。

 僕は君なのに。君は僕なのに。そんな考えが、その頭に浮かぶわけがない。

「ご明察。でもね、一つだけは本当なんだ」

「…………」

 一つだけ。ね。それは……。

「……まあ良いか。じゃあ、今夜また会おう」

 あくまでも口元を吊り上げたまま。滝口ユウは去っていった。



♪♪♪


 余談だが。

 ぼくは何も、迷惑をかけようと思ってこんなことをしているわけではない。

 むしろ逆。

 ぼくはただ、気付いてほしいだけなんだ。



♪♪


 さすがにやりすぎたことは自重しよう。

 言いたいことは分かっている。何が起こるかは分からないけど、今日で終わりにするから、見逃してほしかった。

 今日の獲物は、若い男。

 短髪の下の精悍な顔立ちが印象的だった。

 正面から挑んだら間違いなく負けたけど、彼もキョウコと同じように、僕の顔を見るだけで緊張を解いてしまった。

 人気の無い公園に、それとなく連れ込んで、バンッ。いや、死んでないけど。

 ……それにしても、本当に夜回りなんてやってたんだね。

 仲が良かったもんね。

 犯人のこと、怒ってたんだね。

 もしかしたらキョウコも、犯人を捕まえたがっていたのかもしれない。彼女は彼女で、真っ直ぐな人間だったから。

 でも、だからこんなことになるんだよ?

 反省してくれたかな?

 ……さて、意識の無い人物に話しかけてもしょうがない。

 男は趣味じゃないんだけど、そうも言っていられない。

 鬼の居ぬ間に、というやつだ。

 コートから得物を取り出す。今日の得物は、鋸。

 前回の鉈では、僕の力では中々扱いにくかったけど、何度も往復して切り取るこれなら、時間は掛かっても負担は少ない気がした。

 問題は、素材の柔らかさだけど。まあ、何はともあれチャレンジだろう。

 僕が鋸の刃を、その首に押し付けた時。


「……まった。そいつ、僕の幼馴染なんだよね」


 とても聞き覚えのある声が、暗がりから届いた。

「……え?」

 顔を向ける。

「うん。さすがに一週間中にさ、二人も幼馴染が死ぬのは、縁起が悪いと思わない?」

 少ない街灯に照らされた、僕よりも幾分背が低い、華奢な体型。

「まあ……」

 風が吹く。

 髪が舞う。

 彼は、少し苦笑して、一言。

「別に、いいけど」

 亜麻色の長髪を靡かせて、在原ウラがそこに居た。




 ――と。素晴らしいタイミングで割り込んでみた僕。在原ウラ

「約束どおり、って感じだね」

 その言葉に、僕はそうだねと相槌を打った。

「で、それをやったのは、君?」

 倒れているテツヤを指差す。呼吸は見られる。生きてはいるようだ。

「そうだね。割とあっという間だった」

それには素直に感嘆するしかない。油断していたとはいえ、あのテツヤを黙らせるなんて、普通はよっぽどの熟練者じゃないと無理だろう。

 僕がそんなことを考えていたら、あっちが先に口を開いた。

「ちなみに、僕が犯人だって何時気付いたの?」

「ずいぶんと楽しそうに聞くんだね」

「だって、楽しいから」

 ……そうですか。

「割と、はじめから」

 肩を竦めて言う。

「……やっぱり、君は、僕の思ったとおりの人だ」

 ありがとう。そう思うなら、得物を構えないでほしい。

「僕を止めるなら、僕に似ている奴しか居ないと思っていたんだ。……だから、これでようやく確信した。ありがとう」

「はあ、照れるよ」

 色々と言いたいことがあるけど、先ずはひとつ。

 感謝しながら、殺意を向けるな。

「知らないの? 最近の犯人は、真相を突きつけられても逃げようと悪あがきするのが流行なんだよ」

 知らないよ。それともうひとつ。得物が猟奇的過ぎるよね。鋸かよ。別にいいけど。別にいいけどさ…… 。

「戦闘シーンですか…。ちゃちな少年漫画のノリですね」

 半ば呆れながら、僕はポケットからナイフを取り出した。刃渡り12センチくらい。明らかにあの鋸とはリーチに差がある。

 ……ナイフを持ち歩くとか、中学生か僕は。

 犯人が駆けた。振りかぶった大きな鋸。狂気を含んだ乱杭歯が、袈裟懸けに僕の頭へと迫る。

 それを――

「よいしょっと」

 逆手のナイフが受け止める。

「……!」

 驚愕が刃から伝わる。

 僕は鋸の刃の隙間にナイフを差込み、内に巻くように腕ごと引き込みながら腹を蹴りつけた。

 思いっきり、ヤンキーキックで。僕のナイフに絡め取られた鋸が、その手から離れて宙を待った。

 先手必勝とばかりに、僕は仰向けに倒れた相手の上へと馬乗りになって、ナイフを突きつける。

 チェックメイト。

「僕の勝ちだよ」

 聞き分けの無い子供に言い聞かせるように、僕は静かに告げる。

「うん、まだだ」

 ……本当に聞き分けないな……って、へ?

 バチッ。なんて衝撃が、身体に走った。

 ……って、身体の力が……。

 倒れる僕。あ、抜けられた。ナイフを奪われて。

 ……僕の身体が倒れこむときには、完全に、体勢は逆転していた。

 しかもわざわざ僕を仰向けにしてまで。

「チェックメイト」

 誰かの声が、響く。

 その右手にナイフを持って。その左腕には……スタンガンかよ。

 呆れながらも納得する。テツヤを無傷で捕えた時点で、それを想定しなかった僕のミスだ。

「僕の勝ちだよ」

 勝ち誇ったその声に、僕は……。

「……うん。でも、残念ながらそれは無いんだ」

「……悪あがき? 時間稼ぎ?」

「時間稼ぎだけど、悪あがきではないな。そもそも――あんなにタイミング良く、登場出来ると思う? ……ねぇ、テツヤ」

「……ああ」

 ギシリと、その首筋に当てられる、鋸。三半規管のイカれた頭を押さえながらも、テツヤは立ち上がっていた。

「……もしかして、そういうこと?」

 当たり前だろと即答する。殺人犯に無力な一般人が何の策も無く挑むわけが無い。……僕も、テツヤも。

 一般人かどうかは微妙だが、僕は無力だ。でも僕には、割と頼れる……友達……が、一応は居た。

 だから、こんどこそ、チェック。

「……あ~あ」

 ナイフを下げながら、残念そうにため息を吐く姿は、本当に子供みたいだった。

「お前が……」

 テツヤの持つ鋸が、彼の握力と共にその首筋に押し付けられる。どうにか振り絞ったようなその声からは、感情は見えない。首筋に赤い線が生まれ、そこから血が滴り落ちた。

 ……キョウコもこんな感じだったのかな。僕には、分からないけれど。

 ……にしても、そろそろ限界なのかな。

「無理するなよ。君には最大電圧でぶつけたんだ。熊だって倒れるくらいのね」

「熊だって倒せるくらい……練習してるんだこっちは……」

 言いながらもテツヤの身体は徐々にその揺れを増している。

「……テツヤ、大丈夫だから」

「…………」

 僕の言葉に安心したのか、それとも単に限界だったのか、テツヤはそのまま、倒れこんでしまった。

「……本当に熊でも倒せそう」

「はは……」

 その呟きに、僕は笑うしかなかった。



「……なんで僕は、君になれなかったのかな」

 その呟きは唐突で、一瞬意味が分からなかった。

「僕は君に追いつきたかった。そうすれば君は、僕を見てくれるだろうって、そう思った」

 でもすぐに意味を理解する。

 最後まで間違えた、その解答を。

「僕と君は似ているはずなのに。何でだろう」

 それがつまり、最後のいいたいこと。

「どういうことさ」

「何でも何も無いよ。僕たちは似ていないんだ。君は僕にはなれない。僕も君にはなれない。……そもそもね、僕は同属嫌悪する性質なんだ。君が僕に似ていたら、僕が君を、こんなに好きになるわけが無いよ」

「…………」

「……だから、さ。僕は別にいいけれど――」

 これ以上他人を殺すのは止めてね。……なんというか、嫉妬しちゃうからさ。……なんて、似合わない言葉だなと、自分でも思った。

「……ウラ君と始めてであったときはね、赤い夜だったんだ」

 不意に思い出したような、独白。……赤い夜。五年前の殺人事件。

「……見てたんだね、君は」

 頷くコウ。

「僕はきっと、あの時から君に恋をしていたんだ。あの時の君は、堪えようも無く、美しかったから」

 そっか……。

「ほらね、やっぱり、君と僕は別物だ。僕は、あの夜なんか思い出したくも無いんだから」

「そうなの?」

「そうなんだ」

 ふてくされる僕の頭を、彼女は優しく撫でた。彼女の手の中で、僕の髪が遊ばれる。

 ……髪、切らないと。

「どうして、似合ってるよ?」

 嫌だよ。こんなに長いの。女の子に間違われるんだから。

 お互いに、笑い合う。

「ウラ君……」

 コウが、本当に幸せそうに、口を開いた。

「……大好きだよ、ウラ君」

「うん、僕もだ。大好きだよ、コウ」

 僕の言葉に、彼女は照れたようにはにかむ。素直に可愛い。その手に持っているものが、数秒後に僕の命を奪うとしても。

「大好きだよ。殺したいくらい」

 心からのコウの独白。

「僕も大好きだ。殺したくないくらい」

「……やっぱり、君と僕は違うね」

 だから、そう言ってるのに……でも、彼女の笑顔は可愛かった。

 コウが、僕の頭を抱える。本当は逆が良いけれど、僕の身体が動かないから仕方ない。

 ……目を瞑るべき?

「うん。……恥ずかしいから」

 じゃあ、君の顔が、僕の最後の光景だ。なんて。さすがにそんな恥ずかしいことは口に出せないので、僕は心の中で呟きながら、ゆっくりと目を閉じた。

 その光景を、瞼の裏に記憶する。

 まるで、王子様とお姫様だね。配役が逆だけど。

 ……唇が触れ合う。僕たちの、最初で最後になる口付けは、特に理由も無く、赤い鉄の味がした。




 ……って、筈だったのに。

「……何で僕は生きてるのかな」

 口付けを終えた彼女は、次の本命の口付けを僕にくれる事はせず、そのまま、僕に覆いかぶさるように気を失ってしまった。

 そして……。

「よう。マイフレンド」

「……何時から居たんだよ君は」

 そんな僕たちを、ユウが覗き込んでいる。君はアレかな。バカップルの秘め事を覗く思春期バリバリの青少年かい? 別にいいけど。

 彼は僕を引っ張り上げると、強制的に地べたに座らせた。彼が覗いていた秘め事の影響で、まだ足腰が立たない。うん。こう言ってみると誤解を招くね。気持ち的には大差ないけど。

「さて、お話しようか」

 彼も僕の隣に座った。

 その横には缶コーヒーが二本、置いてある。

「…………」

 本当は嫌だが、夜に会うと一方的だが約束もした。

 僕は仕方なく、その缶コーヒーの一本を手に取る。ユウももう一本を手に取った。

「さて、一応言っとくか。姉の愚行を止めてくれてありがとう。弟としてお礼しよう」

「……いらないよ、そんなの」

 目の前で幸せそうに寝呆ける少女と、熊でも倒せる友達を見ながら、僕たちは缶コーヒーを啜る。

「そもそも、君が変なことをしなければ、僕は気付かずにやって行けたかもしれないのにさ」

「やめてくれよ、それじゃ誰も幸せにならないだろ」

 失笑するユウを、僕は睨み付けた。

「……少なくとも、僕とコウは幸せだったよ」

 彼は笑いながら、自分勝手。なんて罵った。

「でも。それだと君は、彼女に殺されてたよね。遅かれ早かれ」

 ……その可能性は、多分これからも。ユウはため息を付くと、一度コーヒーを啜って眉を顰めた。

「彼女はね、恋愛感情と殺意に差がない。紙一重。何てモノじゃない。その二つの感情が、本当に同一直線状にあるんだよ」

 恋ってのは怖いねなんて、ユウは他人事みたいに言いながら、コーヒーを啜る。

「愛してるから殺したい。異常な感情だ。倫理が薄い。彼女はハードルが低いから、それくらいなら決行する。だから、殺人鬼と殺人(れんあい)するなら、自分もそうなれば良いなんて、そんな考えを思い付く」

 ハードルって言うのは、要するに常識と感情の天秤。彼女は常識って言う錘が、羽根のように軽いのだ。

「君はぱっと見、被虐者体質だからね。彼女にとっては最高だろう。まあ。実際は真逆なんだけどね」

 言って彼は、僕の方に目を向けた。思わず顔をしかめる僕に、彼はもう一度笑うと、空になった缶をゴミ箱に捨てた。

「よっと」

 立ち上がる。そして、僕を見下ろした。

「言い忘れてたし、君は多分。覚えてないだろうけどさ」

「……なに?」

 いい加減面倒になってきた僕は、うんざりしながら彼を見上げた。

「あの日、五年前か。君に見惚れたのは、何もアイツだけじゃないぜ」

「…………」

 ……それは、ちょっとだけ、不意打ちだった。

「覚えてないだろうけど、ボクたちは一度話している。あの夜に。赤に染まったボクに、君はためらい無く話しかけてきたんだぜ」

「……じゃあ」

 あの日、あの場所に居た、殺人鬼は……。

「そう。ボク」

「…………」

 ビックリだ。あの日、僕にトラウマを与えたのは、どうやら目の前の彼だったらしい。

「君はさ、ボクに聞いたよな。『どんな感じだった』って」

「…………」

「ボクは、『別に何も。拍子抜けだった』って言ったら、君はショックを受けていた。その時にさ、思ったんだ。ああ、こいつはボクと同じなんだって。ただ、ボクが早かっただけなんだって」

「……どうなんだろうね」

 ……全く、何なんだか。僕たちはそもそも、常識という秤を持ってはいない。

「これだけ求めていたのに、『ソレ』には何も感じなかった。感動も、慟哭も無かった。何なんだろうな、ボクたちは」

 僕たちは狂ってなんか居ない。そんなことを言ったら。生まれながらに狂ってる。こんな歪な生き物が、存在していいのかってくらい。

 指が六本ある人間のように。尻尾を持って生まれた人間のように。僕達は殺人に、何の感慨も抱かない。故に、簡単に人を殺せて。だけど、何の意味も無い。

 だから僕は、同属を嫌悪する。

 そんなのが、居て良いはずが、無いから。

「殺人の定義。前に聞いたよな。あれ、分かったかい?」

「……まあ、何となくはね」

 僕と彼との共通項。

 僕と彼女の相違点。

 人間の尊厳。

 殺したいと、殺したくない。

 要するに、

「相手を、人として扱うか、どうか」

 ご明察。何て、ユウは笑う。

「ボクたちのは、こう。違うだろ?感情が行き過ぎた結果の殺人じゃないんだ。なんていうかさ……不意に小動物を絞め殺したくなるような、それと同じなんだよ」

 殺したいくらいに好きと、彼女は言った。それは、好きという感情が行き過ぎた、あまりにも人間らしい殺意。

 殺したくないくらい好きと、僕は言った。それは彼女への行為とは別の、人間全てを対称にした、単なる殺害衝動。

「それは殺人じゃない。ボク達はその罪が背負えないから。殺人と呼ぶことが出来ない」

 戦場の兵士と同じだと彼は言った。

 戦場では、レティクルに映るものは人間ではなく的だと教えられる。

 敵ではなく、てき

 ゲームのターゲットと変わらないように。

 だから僕は、僕と彼に憎悪する。それは余りにも最低な、尊厳を奪う行為だから。

 全く……本当に、まだ彼女のほうが人間的だ。

「……まあ、それだけだよ。そこに、僕を探しにコウが来たわけだが」

 ……なるほど。色々と辻褄が合った。

「コウは、君に気付いてないのか」

「そう、だからあの時、君が殺したんだと思った。そして君に惚れ込んだ」

 常識と倫理を失った少女が、初めてであった、自分以上に狂った存在。

 ……それは、恋愛感情が先だったのか。それとも殺意が先だったのか。

 いや、二つを同じものとして扱うなら、殺害対象はつまり恋愛対象か。

「……一体どんな人生を歩めば、ああなるわけ」

「それはほら。少し内縁の込み入った事情にもなる。単に倫理を教える側が、彼女の倫理をどうしようもなく破壊しただけだよ」

 失笑の変わりに、またコーヒーを一口。

 なるほど。そういえば、五年前の被害者。『タキムラ』なんて言ったっけ。

「……なんだかんだで、君はコウのために動いてるんだな」

「暇だし、姉だし、僕のせいだからね。責任を取って、我慢くらいはするさ。……君は、あれ以来トラウマらしいけど」

 ……僕のことは別にいいけど。

 要するにアレだ。本当は、狂うのはユウの役目だったのに、コウのほうが込み入った事情で壊れてしまったので、ユウが常識を受け持つことになったと。

「……歪んでるね」

 今更だろ。なんてユウは笑う。

「まあ、コウはさ、確かに壊れてるけど、感情としては、まともに恋する乙女なんだよ。ただちょっと、殺されそうなだけのさ」

 ……そのちょっとが一番問題だけれど。

「……君に言われなくてもわかってるよ。殺されても構わない。刃が僕の胸から生えたとしても構わない。首だけを保存されても、彼女に愛されるなら、それでいい」

 彼女は、こんな僕を好きだといってくれたから。欠陥品の僕の為に、自分まで壊してくれたから。それが僕の、新しい感情になる。

「僕はコウを殺さない。僕は彼女の事が、好きだから」

 僕の答えに、それは良かった。なんて余裕ぶった返事と共に、ユウはコーヒーを一気に飲んで咳き込んだ。……苦いのなら、そもそも買わなきゃいいのに。

「憧れてたんだ。こういうの」

「そうかい。でも、結局君は何がしたかったのさ」

 彼女を救うなら、他にも方法はあるだろうに。

 何でわざわざ僕を使ったのか。

 何でわざわざ、殺人を止めるようなことをしたのか。

 止めなければ、本当に僕たちは笑い合えていたのに。

 嫌なことには蓋をして。

 彼はそれに苦笑する。

「いやいやいや。それじゃ、みんな幸せにはならないじゃないか。ほら、出来たら望みはハッピーエンド。少なくとも、この町から生きてる人間が居なくなるのは、嫌だろ」

「……君は、一体何なの」

 僕とそっくりなのに、何か違う。その何かが分からない。

 僕の言葉に、ユウは、心から無邪気に笑うと、

「みんな幸せが一番だなって考える、どっかおかしな殺人鬼だよ」

 そう答えた。

「……どこまでが嘘なのかな」

 その一文は矛盾しすぎだ。少なくとも、最後の一言は真だけど。

「ボクが嘘をついたことがあったかい?」

 どうだっけと首を傾げる。

 まあ、そんなことはどうでもいいか。彼は僕が思ったよりもねじくれてる。そういうことで。

 ユウはコーヒーをゴミ箱にシュートすると、踵を返す。

「それじゃ、ウラ。ボクの裏。また会おう」

「絶対に嫌だ」

 苦笑して、去っていく彼の背中。それから目をそらし、僕は、すぐ隣で寝呆ける少女を見た。

「……遅くなったし。まさかこんな言葉を言うことになるとは思わなかったけど」

 僕は、その幸せそうな寝顔に苦笑しながら、思う。

「これから、よろしく」

 ……ああ。

 まだ、僕と彼女の物語は、続くらしい。

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