十二
「雷土の如き大火を起こすだと? そのほうはソーサラー(妖術使い)か、はたまた大法螺吹きなのか」
流れ者同然のマテウスが、サーの称号を持つ領主と謁見が叶ったのは、村の農業改革がマテウスの功績であることをオリヴィエ卿が伝え聞いていたこともあるが、なにより、争いの時を目前に抜き差しならない状況に追い込まれていたことが大きい。『長弓兵を無力化させてみせる』とのマテウスの売り込みは平時なら一笑に付されたことだろう。
「いいえ、わたしはただの木こりです。ですが多くのマジスター(賢者)に師事したことがあります。閣下もエミール公の軍に長弓兵の部隊が加わったことはご存知でしょう。失礼を承知で申し上げますれば、こちらの主武器はコンポジット・ボウ(合成弓)、有効射程も連射にも劣る長弓を相手にして、とても勝ち目はないかと存じます。バリスタ(弩砲)をお借りできますれば、わたしの申していることが嘘ではないと証明いたします」
「木こりごときにそんなことができるのか」
猜疑心もあらわに訊ねてくるオリヴィエ卿にマテウスは自信に満ちた声で答えた。
「もし、わたしがし損じればどんな処罰も受けましょう。それに成功したところで褒美をいただくつもりはございません」
「褒美も要らんだと?」
「はい」
自軍になんの損もないとわかれば決断は早い。オリヴィエ卿は従者に向かって叫んだ。
「守備隊長をここに」
「とくとご覧あれ」
マテウスが鉄瓶に詰めたのは南の大陸で製法を教わったギリシャ火薬だった。森を散策中に鍾乳洞をみつけたマテウスは木炭、硫黄、硝石をすりつぶし乳香で固め住居にあった大きな土壺に溜め込んでいたのだ。せいぜい石の玉を飛ばすだけだったバリスタから放たれた鉄瓶は、大きな弧を描いて舞い上がると、かつて田園地帯だった泥濘地に落下していった。
ドンッ! と大きな爆発音がひびきわたり黒々とした煙が噴出する。ほどなくして水を吸った添加剤が発火し、あたり一面に炎のしずくを撒き散らし始めた。
「おおっ!」
経緯を見守っていたオリヴィエ卿の眼が輝く。長弓隊の布陣を炎が燃やし尽くすのを思い描いたのかもしれない。
「そのほう、これを大量に持っておるのだな。幾らでも構わん、城に持ってまいれ」
「お待ちください、閣下。このバリスタでは長弓隊が控えて布陣を敷けば届かない恐れもあります。そこで提案なのですが――」
マテウスはカタポルトスという攻城兵器の図面を広げてオリヴィエ卿に見せた。
「これを作って各バスティヨン上の砲台に具えるのです。そうすれば敵がどの方角から攻めてこようが恐るるに足りません」
「ふむ……、それで、これはどこで手にはいるのじゃ」
着弾地点からさほど遠くない茂みから二頭の馬が走り去る。おそらくエミール公側の間諜だろう。
「閣下の鍛冶場をお借りして新型の射出機を作ります。つきましては兵のなかより数名をお借りしたいのです。鍛冶屋の心得がある者が好ましいかと」
「構わぬ、好きなだけ連れていけ」
ギリシャ火薬の威力は長弓隊の司令官も心得ていたはずだ。間諜の報告が届いてなお無謀な攻撃は仕掛けてはくるまい、マテウスはそう踏んでいた。カタポルトスとギリシャ火薬の砲弾は必ずや争いの時の抑止力になってくれるに違いない。それがマテウスの思惑だった。
木工職人を数名加えカタポルトスの製作に当たるネリの父親のチームにはドミニクと弟子たちの顔もある。これで彼らが最前線に立たされることもなあるまい。『雷土球の材料が足りないので採取してくる』そう言ってマテウスは城を離れた。
「ありがとう、なんとお礼を言っていいのか――」
戦火の口火は開かれぬまま長弓隊は王国へと帰っていった。いつかの丘で声を詰まらせるネリにマテウスは言った。
「争いの禍根を絶つことができればいいのだが……、俺にできるのはここまでだ」
マテウスの胸には一抹の不安があった。
――新たな武器が生まれれば、それを上回るものを開発しようとするのが人間だ。この先も科学と争いは永く親密な関係を保っていくことだろう。民あればこその国であることをひとびとが気づかぬ限り――
ネリに別れを告げマテウスは旅立った。市壁を通過する頃、彼の耳に砲弾の炸裂音が届いた。
古今東西、民の尊敬を得られぬ指導者は、彼らの不満を他国への憎悪にねじ曲げることで地位の安定を図ってきた。それがわからないのか――。
マテウスの脳裏に古の哲人の言葉が蘇る。
――大衆は欲望と快楽によって衝き動かされる者であって、そこに叡智による行動は存在しない――
「バカどもが――」
その呟きは東に向かって進むマテウス自身にも向けられていた。
第二部 完