32話 展望
32話
展望
心地よい人肌の温もりと、さらさらと流れるような金髪の感触を楽しみながらまどろみから覚醒する。
こちらが覚醒したことに気付いたのであろう、横で眠る娼婦も体を動かした。
訓練された高級娼婦は、客に不快な思いをさせることを極力避ける……間抜けな寝顔を見せて興醒めさせるなど、もっての外ということだ。
眼が飛び出るほどの高い金を出しただけあって、そのサービスは細部まで行き届いている。
「ん……起きたの? おはよう」
くびれた腰を蠱惑的にひねりながらこちらへ向き直る。
その際肩を寄せ、豊満な乳房を強調することを忘れないのは流石というしかあるまい。
「ああ……」
「凄く……良かった。壊れちゃうかと思ったもの。
きっと私達凄く相性がいいと思うの。今日のこと忘れられなくなりそう。
また、呼んで欲しいな」
台詞自体は陳腐だが、体の接触のタイミングや目線の動きなどの手管は熟練のものだ。
昨晩の様子から、この女の言葉はまるっきり嘘というわけではあるまいが、鵜呑みにするのは馬鹿のすることである。
娯楽に溢れそのレベルが頭打ちになりつつある現実世界での、高級風俗での経験。
また体の関係なしで客を呼ぶ、手練手管の持ち主のキャバクラ嬢に煮え湯を飲まされた経験もある自分には力不足だったようだ。
「最高だったよ。また呼ばせてもらう」
「ふふ、うそついちゃだめだからね」
この女に寝物語に語った、真実を混ぜながら話した俺の武勇伝は、この街のお偉方の耳に入るなりする可能性が高い。
なにしろ一月もせぬ内に様々な成果――といってもほとんどは隠蔽しているが――を挙げているのだ。
状況が落ち着けば近日中に50階層まで行く予定であるし、探られることは避けようもない。
その際ほとんど情報が出てこないと先方を警戒させてしまう。
ならば、ある程度の真実を、肝心な部分以外を流しておいたほうが利口というものだ。
勿論これは全て杞憂で、たかが新人の50階層到達程度眼に留まらないということもありえるし、それならそれが一番いいのだが。
これは意図していなかったが、この世界の安全な精力剤や官能用品の信用できる入手先を知れたことも大きかった。
薬品系は安物を使うと副作用や不純物が怖い。
いい客になって、いずれ風俗業界の人間ともコネを作りたいものだ。
男も女も権力者といえど人間、快楽とは切っても切り離せないのだから。
つつ、と胸をなぞる娼婦の指の感触を楽しみながら、そんなことをつらつらと考えていた。
■
「アランです。レベルは41で、前の主人には、30階層付近で堅実に稼ぐよう言い渡されていました。
現実では大学病院で医者を、外科医をしていました。
特技は、正直医者としての腕よりも、統率や組織を動かすことを得意としています。
腕にはそこそこ自信がありますが、正直自分の力量以上の役職についていましたので」
「ビル。レベル46。同じく主に迷宮での稼ぎを。
前世……のほうがしっくりくるが、土方の現場監督をしていた。
学歴もなんもなかったしな……多少怪我させていいなら、若い奴を引き締めるのは得意だ」
「……セリア、です。25レベルで……店番と10階層から20階層の低レベル組の交互組でした。
現実では大学生でした。三年で就職も決まって、余った時間でゲームしてたんですけど、こんなことになるなんて……。
特技はピアノとヴァイオリンに、チェロ。
習字と、チェスや将棋などのボードゲーム、それと4ヶ国語話せましたけど、この世界では意味がないものばかりですね。すいません。
……そういえば、どうして言葉が通じているんでしょうね。不思議です」
「リョーコよ。18レベルで店番をしてた。
奴隷になった中では一番の新顔で、最近買われたばっかりだったんだけど……。
現実? 前世? では高校行ってて……ってもほぼさぼり。
特技っていうとあれなんだけど、一応上京して読モしてて、結構売れてたんだよ! ピン表紙もらったり?
ヤンキーヤンキー言うけどさ、元だから! 今はギャル! あーでもヤンキー入ってたかもだけど」
リョーコの荒い言葉遣いに、他の三人がぎょっとした顔で身を引いている。
外科医だったアランなど、こっちを巻き込むなとばかりに苦々しい顔で数歩引いている。
――暫定的にリーダーとした四人を部屋に呼び、大まかに話を聞いている。
遠まわしに会話を進めようとしたが、アランが初めに
「私達は全員現代人です」
と胡散臭い笑顔で告げてきたため手間が省けたのだ。
少し驚いたが、まあ少し賢い人間ならわかることか。
正直ここら辺はどうでもいい。
「……話しやすい言葉でとは言ったが、そこまではっちゃける奴があるか。
それに、今はギャルじゃなくて奴隷だろう?
まあ、喋りながら訂正されても鬱陶しいから、最低限は言葉に気を使う程度でとりあえずはいい。
外で舐めた口聞いたら調教だからな」
「あ、あーやっぱだめか……ご、ゴメンナサイ。
ってかセリア超エリート!? お嬢!?」
「ひゃっ、あ、はい!
えっと。まあ、普通の家庭じゃなかったかも……」
セリアは急に話を振られ、肩まで伸ばし少々ウェーブしている亜麻色の髪を揺らし、びくりと体を跳ねさせている。
――ずば抜けて美人というわけではない。
むしろ顔立ちだけなら元モデル――自称だし読者モデルだが――の売れっ子――こちらも自称――であったリョーコの方が上ではある。
だが、そのややアンバランスなパーツがある、一般人の域を出ているものの美貌という感じではないリアルな整い方。
この世界の女性の平均からすれば少し小柄な体躯に、こちらも"爆"がつくほどではないが豊満な胸に、なにより魅力なのは熟れた桃尻。
作法が整っており、歩くだけでも染みついた知性や育ちが感じられ、その顔立ちと体型と合わさり何とも言えぬエロスが漂っている。
気配りのきく性格で、愛らしい振る舞いも無意識の計算で行うことができる割に、その反面どこか抜けたところがあり、程良く隙がある。
結構な高望みではあるものの、もしかすれば背伸びをすれば手の届くかもしれない……そう思わせるような高嶺のちょっと下にある花のような感じか。
元の世界ではさぞモテたことだろう。
「お嬢様か。出身高校、大学は?」
「はい、小中高エスカレータ式で女子校だったんですけど」
「ぎゃあ! エスカレータ式の奴初めて見た! しかも女子校!」
その学校の名前は、余程の田舎者でなければ大抵の者が知っている超有名お嬢様学校。
大学に至っては日本で最も偏差値の高い学校の、最も偏差値の高い学部……完全無欠たるエリートだったということか。
さらにその中で次席だったという筋金入りだ。
就職先は、親が大手企業を経営しているのでそこに内定が出ており、有望な若手と見合い話まで持ち上がっていたという金持ちのエリートの鏡である。
これならば、特殊覚醒称号も期待できるな。
思った以上にいい人材がいるようだ。
その証拠にほら、話を聞いてほしいとばかりに熱心な視線を向けている男が。
「アラン、俺が言いたいことが分かるか?」
この質問の答えは無数にあるし、ある意味一つしかないとも言える。
「……私は御主人様の最も求めている人材として、自信があります」
俺がどういう人間を求めていて、どういう役割を求めていて、自分たちをどう動かしたいか。
理解できない人間は理解できている人間が動かせばいい。
理解できている人間がいなければ、手間ではあるが俺が動かすし、理解していなくても動く仕組みを作る。
しかし理解できている人間が代わりにそれをしてくれるならば、優遇措置を惜しむことはない。
だがまあ、しかし……。
「下手に有能すぎる部下は警戒されるぞ?」
「御主人様ならば御し得るだけの力量がお有りかと。
それに隷属の首輪も御座います……そもそも、奴隷に堕ちたような愚かな人間ですので」
にこやかに笑み、あえて表情までは謙らず有能な雰囲気を醸し出すことでよりこちらの優越感を擽ってくる。
不安にさせるような切れ者の表情ではなく、"有能な自分があなたの下につきたがっているんですよ"というそのアピールは、あからさまな世辞でも聞いていて悪い気はしない。
明らかに誰かの下に付き慣れた話のペースに、表情の動かし方。
No2志望です、と態度だけで示してくるとは、呆れてしまう。
「どうせ、死ぬよりはマシと奴隷になったんだろう?
お前が騙されて奴隷になるとは思えんよ」
「はは、手近な人間で最も強い者の下についていたら、外のもっと強い者に下された。
情けないことに、鞍替えする暇すらありませんでしたので……それだけの話ですよ」
(思ったよりいい人材がいたもんだ。
ユージは現代人ばかり集めた奴隷の、特殊覚醒称号しか見ていなかったということかな。
贅沢にも、この逸材を遊ばせていたとはね。奴隷の運用に無駄が多過ぎる)
いい人材など本人には言ってやらないが、恐らく漠然と感じ取ってはいるだろう。
土方のおっさんのビルに、元ヤン読モのリョーコは訳がわからないという表情で、しかし僅かに流れた不穏な空気を敏感に感じ取り不安げにこちらを窺っている。
セリアはある程度はわかっているようだが、ぽやぽやしていて今いち解り辛い。
敵を作りにくそうな感じだが、これが天然でなく意図的にやっているなら、アランを超えた鬼才だな。
「お前達四人は他の奴隷のリーダー格として、命令権の一部を渡しておく。
……立場はとりあえず同格としておく。
これからの活躍次第ではわからないがな。
同格といっても、名目上仕切り役がいるだろう? アラン、お前がやれ」
「了解しました」
ほっとした様子で返事をする。
営業が成功したサラリーマンのようだ、とふと思った。
「ビルは奴隷へ教育。多少怪我させてもいいが、骨は折らないようにな。
お前は適度に痛めつけて、奴隷が円滑に動くようにしろ」
「ああ、任せてくれ。頭使うのは苦手だからよお」
がりがりと頭を掻きながらいう。
年取ったらオクラみたいになりそう……いや、この小さいおっさんはそこまで金にがめつくないか。
「リョーコとセリアは、まあ普通に仕切ればいい。ビルがいるからといって下の奴隷への指導に手を抜くなよ。
俺の一声でお前らも他の奴隷と同じ扱いになることを忘れるな」
「はい、わかりました」
「プレッシャー……だけど、しっかりやるよ。
できるだけいいモン食いたいしね!」
俺が話すときはしゃきっとしているところから、セリアも真面目ではあるのだろう。
相変わらず何も考えてなさげなリョーコだが、それでいい。彼女に求めている役割はそれだからだ。
――人間はより裕福になることよりも、身近な人間関係の中で上位に立つことに喜びを感じる者が多いという奇特な生物だと俺は考える。
それが日本人という民族では顕著である。
理不尽な理由で――今回の場合、最初にユージの資産の心当たりを言っただけの四人――奴隷内部に上下関係を作ってやれば、内部で勝手に妬み僻み合い、一致団結してサボタージュをしたり、口裏を合わせて事実を誤魔化し命令の手を抜く可能性が自ずと下がる。
……故にコントロールしやすい。
隷属の首輪があるためそこまでする必要はないかもしれないが、現代から来た人間は奴隷として不必要な知識が多すぎるのだ。
贅沢に、人権に、歴史……そしてなによりこの世界とは大きく異なった常識。
奴隷は従うものだ、という常識が欠如しており、奴隷の改革などの妄想に囚われても困る。
あの手この手でサボられても厄介だし、恐怖だけで従えて、ここ一番という肝心な時に一致団結して反抗されては眼もあてられない。
下手に知識をつけた現代人の奴隷は、他の奴隷より扱い辛いのだ。
信賞必罰の賞、つまりご褒美は、形ある物ばかりではなく娯楽の提供であったり、休憩時間であったりを重視するつもりだ。
食べ物や財貨でご褒美を与えた場合、可能性は低いがその褒美を奴隷内で平等に配り合い結束を高める場合もあり得る。
しかし、娯楽や風俗利用、休憩時間などは譲ることができない……つまり不満や反感を零にすることは不可能となる。
その状態まで持っていけば、一致団結しようにも、その旗頭、指揮を取るものは?
その人間がリーダーとして優遇され恩恵を受けていたら、皆はその人間に従うだろうか?
それ以外の人間が指揮を取ろうとして、リーダーとして優遇されることに慣れた人間がその人物に従うだろうか?
あくまで俺の命令であるのだが、元々同じ立場であった奴隷仲間から急に高圧的な態度を取られれば当然不満に思う。
信賞必罰の罰も奴隷のリーダーにさせ、直接命令し動かすのもリーダーにさせる。
この不満や憎悪は誰に向かう?
原因は勿論俺なのだが、その行為を行った人間にも少なからずその悪意は向くだろう。
大元の原因である俺は、気まぐれに奴隷全員に平等に気前よく――あくまで奴隷達の日常食べている物からすれば――豪華な食事やご褒美を配る。
例え今の境遇は俺が原因だとしても、一時的にでも善の感情が生まれるだろう。
飴は俺が配り、鞭は他人に打たせる。
どちらも俺がしていることに変わりはないが、印象は随分変わる。
まともに敬語も使えず頭も悪い女に、リーダーとして命令を下されれば当然苛立つだろう。
その、都合良く憎しみを集めてくれるスケープゴートとしての役割をリョーコに期待しているのだ。
そして直接的な暴力で、原始的な恐怖で縛って動かす役割をビルに。
どこか憎めない魅力で、奴隷達の不満を和らげる役割をセリアに。
そして、それらの役割の人間を利用し奴隷を円滑に動かし、かつ先程のプランで俺への不満を逸らす役割をアランに。
正直、奴隷同士で一致団結して庇い合うのが防げれば良かったため、リョーコ以外の役割は期待していなかったのだが、思わぬ拾い物だった。
「そういえば、恐らくユージが聞いているかも知れんが。
自分には人とは違う特技が……この世界でな、ある奴がいるだろう?
奴隷全員から『虚言禁止』の命令をした上で聞いて、まとめて俺のところに持って来い。
不明瞭なことでもいい。
それと、"目を引く異質な人間"を、判別できる者もだな」
俺の様に、早期から"補正持ち"の判別ができる人間がいるかもしれない。
「私はそのどちらも心当たりがないですね。
ユージも同じ様なことを言っていましたね。"主人公"がわかるかとかいう不明瞭な聞き方でしたが。
了解しました、後ほど聞いておきます」
「わからんな、なんだそれ?」
「あたしもわかんないな」
「あの……たぶんですけど、わかります」
「ほんとかっ!?」
アラン、ビル、リョーコはわからないようだが、セリアがわかったようだ。
しかしおかしい、ユージは49レベル以下でわかるやつは知らないと言っていた。
誤魔化されていたということか?
「いつからだ?
ユージには聞かれなかったのか?」
「聞かれた時はわかりませんでした。
なんていうか、小説の主人公みたいな人間ですよね?
奴隷になって、22レベルになった頃だったと思うんですけど、迷宮内で大きめの怪我をしたとき以来、なんとなくわかるようになりました。
たまに眼を引く人がいるなと思ったら、凄いトラブルメーカーだったりしますね」
「他に変わったことは?」
「たぶん、ですけど。
同じように戦っていた他の奴隷の人よりレベルが少し高くておかしいなと思ったことが……。
あと似た訓練しかしてないのに、熟練度も高かったような」
俺の勘が正しければ、恐らくこいつは"早熟"持ちだろう。
俺は誰ともつるまず一人で訓練やレベル上げをしていたことで、気付くことができなかったのか。
「アラン、奴隷たち全員レベルをある程度合わせてレベル上げをさせろ。
下っ端奴隷で一番レベルが高い二人と、ここにいるリーダー組四人でパーティを組め。
俺とオクラが手伝ってパワーレベリング(強引なレベル上げ)するぞ。
レベル差があると経験値がお前らに流れないからな……俺が敵を弱らせて追い込み、お前らが殲滅だ。
兎に角50レベルまでさっさと上げる。
残りの奴隷は適当にレベル上げをさせておけ。
……ああそれから、『俺が現代人という情報を、他人に伝えることを禁止する』。
無駄に吹聴することはないだろうし、見る人間から見ればすぐわかるが……一応な」
特殊覚醒称号を十人以上使えば軍で名を売るなり、冒険者として名を売るなり思うがまま……。
この争いばかりで快適とは程遠い文明世界でも、金をつぎ込めばまともな生活ができるだろう。
庶民の飲み食いする温い酒も、薄い味付けの飯も、固いベッドも、暑さも寒さも……現代で過ごした経験のある俺には足りないものが多すぎる。
しかしこのファンタジーな世界、高い金さえ出せば現代のものよりうまい、涎の出るような魔物の肉。
魅惑的な味わいの、貴重な材料を使った酒。
魔物の素材を加工した信じられないほど快適なベッド。
魔法の刻印で動く温度調節のマジックアイテムも……金さえあれば、地位さえあれば!
不安要素も多々ある。
まず"補正持ち"。
"迷宮"という不可解現象。
なにかのきっかけで人間が滅ぶ可能性も零ではない、危険なこの大陸。
こういうことを言い出したらきりがない……ここに俺達が存在していることが不安要素の塊なんだから。
その日生きることだけに一所懸命な時期は終わり、生活にゆとりが出てきた。
ゲームの中に自分がいるということと、自分の意思をいじられている可能性すらあるということを忘れず、心に留めておかねばなるまい。
危険に対抗するために力を蓄えなければならない。
理不尽な"補正持ち"に対抗、回避のために力を蓄えなければならない。
未知に備えるために力を蓄えねばならない。
せっかく奴隷という素晴らしいシステムがあるのだ、大いに利用させてもらおう。