夜に預けたオルゴール
夜は優しい。
夜の広場は、昼間よりずっと広く感じられた。
舗装された地面は昼の熱をまだ少し残していて、歩くたびに靴底がかすかに音を立てる。
噴水は止まっていて、水の代わりに風だけが円を描くように流れていた。
街灯の光が届かない端のほうに、古いベンチがある。背もたれに触れると冷たい。
僕はそこに腰を下ろし、ポケットに手を入れた。
オルゴールは、歩いてきた間に体温を吸ったのか、少しだけぬるい。
空を見上げる。
雲の切れ間に、星がぽつぽつと浮かんでいる。
「……ここ、座ってもいい?」
声がして、顔を向けると女の子が立っていた。
僕がうなずくと、彼女は一度ベンチを確かめるように触ってから、少し間をあけて座った。
ベンチが小さくきしむ。
しばらく、何も言わずに並んで空を見る。
遠くで車が走る音。風が木々を揺らす音。
夜は、思ったより賑やかだった。
「星、見えるね」彼女の声が、空気に溶けていく。
彼女の視線が、僕の手元に落ちるのがわかる。
ポケットのふくらみ。
「それ、なに?」
「オルゴール」
「見てもいい?」
「いいよ」
「鳴らす?」
「……鳴らない」
彼女は「そっか」と言って、それ以上は聞かなかった。
風が吹く。木の葉が擦れて、乾いた音が重なる。
少し、涼しくなった。
沈黙は、気まずくなかった。
「開けないの?」
「……こわい」
「ふうん」
それだけの返事。そこに「ねえ」と彼女は続けた。
「今ならさ、ひとりじゃないよ」
その言葉は、なんだか夜の空気みたいだった。
僕は少し考えてから、ポケットからオルゴールを出した。
月の光が、蓋の縁で小さく反射する。
金属の模様が、淡く浮かぶ。
指先で蓋を押す。
小さな抵抗のあと、静けさが開く。
音は、しない。
「……やっぱり」
「うん」
そのまま、しばらく中を見る。
止まった歯車。動かない針。
「でも」
僕が言うと、彼女がこちらを見る。
「思ってたより、いやじゃない」
「……そうなんだ」
僕は小さく笑って空気を揺らした。
少し間があって、彼女が言う。
「悪くないね」
僕は空を見上げる。
雲が流れて、さっきより星が増えていた。
「私、そろそろ、帰るね」
彼女は立ち上がり、ベンチの影から外に出る。
「またね」
彼女が軽く言うから、僕は少しびっくりして、言葉が出るまでに少し間が空いた。
「……また」
ひとりになった広場で、僕はもう一度ベンチに深く座り直す。
オルゴールを握り直す。
音は出ない。
でも、夜は静かで、悪くなかった。
星は、来たときより少しだけ多く見えた。
読んでいただいて、ありがとうございました。




