第2話 彼女が実家で冷遇されている理由
夜会から戻ったアリアは、そのまま眠ってしまっていた。
きっとそれほどに大きな解放感が彼女を包んでいたのだろう。
ぐっすりと眠った彼女の体に、温かい朝の日差しが差し込む。
彼女はベッドから出てうんと背伸びをした。
「気持ちいい朝ね」
良く晴れていることもあるが、アリアの心の晴れやかさがそう思わせていた。
化粧台の前へ向かうと、姿見の前で髪を整えていく。
アリアには専属の侍女はついていない。
両親がコリンナを可愛がり、アリアを虐げているからである。
しかし、なぜ彼女は実家でこうも冷遇されているのか。
それにはある理由があった──。
姉妹の実家であるイステル伯爵家では、数百年に一度、「泉の聖女」と呼ばれる聖女が誕生する。
「泉の聖女」の加護を受けた地域や国は、農作物も豊富にとれ、豊かな土地になるのだという。
そうした伝承のもと、「泉の聖女」の証である蓮の花の紋章を持った少女が二百年ぶりに生まれた。
それがアリアの妹、コリンナなのだ。
コリンナは生まれながらにして大切にされ、聖女として癒しの効果や豊作の力を持たないアリアは冷遇された。
(一人で支度するのも慣れたものね……)
アリアの視線はふと化粧台にある本に向けられた。
その本には「髪を綺麗にアレンジしよう!」と書かれている。
(懐かしいわね)
彼女は本の贈り主であり、彼女の専属侍女であったリズのことを思い出す。
アリアが二歳の頃、妹コリンナが生まれた。
それをきっかけに、リズはアリアの専属侍女の任を解かれ、新しくコリンナの専属侍女となったのだ。
そして、アリアの専属侍女である最終日に、リズはこの本をアリアに贈った。
『リズは離れていても、アリアお嬢様のことを思っております』
幼いアリアを優しく抱きしめて、リズはそう言った。
(リズが味方でいてくれた。それだけで嬉しくて、私は耐えられた)
実家で冷遇されてもアリアが耐え凌けたのには、そうした心の支えがあったからだった。
(今日はリズの好きなコバルトブルーのドレスにしましょう)
そんな風に思いを馳せながら、彼女はクローゼットを開いた。
朝の支度をちょうど終えた頃、部屋の扉がノックされて開かれる。
「よっ! 元気にしてるか、婚約破棄された可哀そうなアリアお嬢様!」
襟足の長い黒髪の彼が、開口一番そう言った。
その姿を見たアリアは大きなため息をつく。
「で、今日は何の用なの?」
ノックをして少し待ってほしい、と何度伝えても彼はそうしない。
自分の文句ごときでは、この悪癖を直してくれないことを悟ったアリアは、もう放任している。
「たくっ、婚約破棄されたっていうから、幼馴染のレオン様がわざわざ励ましに来てやったのにさ」
「それはありがたいことね」
彼に視線を向けることなくアリアは返事をした。
彼女が今日のドレスに合う帽子を見繕っていると、レオンがそれをひょいっと取り上げる。
「あっ!」
「お、俺にも似合うじゃん!」
「似合わないっ!!」
レオンのほうがアリアよりもずいぶん背が高い。
彼女がいくら手を伸ばしても、帽子を取り返すには無理があった。
「もう、いつも、意地悪するんだから!」
「んなことしてねえって。自意識過剰なんじゃねえの~?」
文句をいいつつも、アリアはどこか楽しそうである。
「その帽子、お気に入りなんだから汚さないでよ?」
二人は部屋をせわしなく移動しながら、子どものように追いかけっこをしている。
(昔から私のもの盗るんだから!)
そう思っていると、レオンは彼女の可愛らしい態度に満足したようで、帽子を返す。
アリアの頭に優しく帽子が乗せられた後、彼女は不満そうに言う。
「もう、せっかく整えたのに。髪が乱れちゃったじゃない」
手櫛で整える彼女を見て、レオンは笑った。
「それだけ元気ならよかった」
「え……?」
さっきまでの彼とは違い、途端に真剣な声色になった。
「なあ、よかったら俺と少し出かけねえか?」
レオンはそう言って微笑んだ。