第6話 Hello World
「箒……ですか」
「やっぱり、二人で空を飛ぶならこれに限る」
「師匠、普通に飛べますよね?」
「リツくんは分かってないなぁ……ロマンだよロマン」
そう言いながら、師匠はがさごそと物置から箒を引っ張り出してきた。物置に仕舞っておくということは、普段から乗っているわけではないのだろう。ロマン……か、確かに、箒の二人乗りはロマンだ。元の世界で魔法が使えたら憧れるシチュエーション、トップ5には入るだろう。
「リツくん、魔導書貸して?」
「あ、はい」
わざわざ俺のを借りるということは、どうやら師匠の普段使っている魔導書には載ってない魔術らしい。本当に使用頻度が低い魔術なんだな……
「《トンボ》」
「命名センスなんとかならなかったんですかね……」
「しょうがないじゃないか、ボクが付けたわけじゃないんだし」
妙に締まらない発動詠唱と共に、ふわりと地面に転がっていた箒が浮き上がる。おぉ、マジで飛べるのか。
「さて、リツくん。忘れ物はないかな?」
「元から荷物なんて無いようなものですからね、師匠から貰った魔導書が俺の全てです」
「うん、制服も似合ってる。髪も編んだら可愛くなったね」
師匠が嬉しそうに俺の周りをくるくる回る。ずっと気にしていなかったが、俺の今の身体は結構髪が長かった。今までは放置していたが、入学式なのだから身だしなみを……と師匠に弄り倒された結果、師匠とお揃いの三つ編みにされたというわけだ。
「男の髪型じゃないですよ……」
「良いじゃないか、ボクとお揃いだぞ」
「いじめられたら責任取ってくださいね……」
「リツくんをいじめる悪い子はボクが全員ぶっ飛ばすから大丈夫!」
はぁ、と溜息こそ吐いてみるものの、内心別に悪い気分ではない。確かに、お揃いの髪型は師匠の弟子という実感が湧いてきて結構嬉しい。魔術大学の制服も、魔法使いらしいローブに魔女帽子と、俺が求めていた異世界魔法使いの夢を十分満たしている。うん、すげぇワクワクする。
「じゃあ出発しようか、しっかり掴まっててね」
「……念の為に聞いておくんですけど、師匠って箒の運転したことあるんですか……?」
宙に浮かぶ箒に跨って、前に座っている師匠の肩を掴む。柔らかい。こんなに師匠と密着したことなかったから、まずい、すごくドキドキする。落ち着けリツ、心を律するのだ。触覚を気にしないように……気にしないように……あ、なんかいい匂いするかも……
「ないよ! 出発!」
ドンッ!とまるで殴られたかのような衝撃が全身を襲う。え、やばい、思ってた箒の飛行じゃない。これあれだ、クィディッチで金色のあれキャッチする人が出すスピードだわ。
「落ちる落ちる落ちる落ちる!!!」
「リツくん! しっかり掴まって!」
もうなりふりなど構っていられない。師匠の腰に抱き着くような姿勢でギリギリ箒の衝撃に耐える。密着度はさっきの比じゃないし、多分触っちゃいけないところ触ってるけど、もうなんというか感触を味わってる余裕はない!
「スピード落とせないんですか!!!!???」
「ボクの隠れ家がある樹海から! 魔術大学まで500kmくらいあるからね! これくらいのスピードじゃないと入学式に間に合わないよ!」
「無理無理無理無理! これ生身でジェット機の上に乗ってるようなもんじゃないですか!!!?」
「ジェット機? それはボクも知らない概念だな、今度詳しく……」
そこから先の記憶は、殆どない。
「死ぬかと思った……」
「旋回性能は低いが、直線速度は結構出るようだね、使う機会はないと思っていたが、評価を改める必要がありそうだな」
生まれたての子鹿状態の足で、地面に倒れ込んでいる俺。平気そう……というより、興味深そうな顔で宙に浮いた箒をつんつんしている師匠。これは多分……俺が悪いわけじゃないと思う……
「それより、新天地の感動とか無いのかい?」
「ちょっと味わってる余裕なかったですね……」
言われて改めて顔を上げる。まさしく絵に書いたファンタジーの町並みだ。白い煉瓦の家屋が立ち並び、思っていたよりも清潔感のある町並み。そして今俺がいる大通りの遥か先に橋があり、堀のような断崖絶壁に囲まれた巨大な城が見える。あれが、アダマンティン魔術大学か。
「学校というより城ですね」
「そりゃ……この国の魔術学校の中では最高峰の――」
「『3人の魔法使いを擁する教育機関』ですからね」
得意げに語る師匠のセリフを奪ったのは、背の高い、長い黒髪の貴族のような男だった。いつの間にか俺と師匠の後ろに立っていたらしい。で、この人誰?
「……何の用だ、ソンくん」
「我が校の誇る天才。ルビイ教授の復帰ですから、お迎えに上がっただけですよ」
師匠の声には、少しだけ棘があった。名前で呼ぶぐらいには親しい間柄のようだが、どうも歓迎はしていない雰囲気だ。
「……彼が?」
「そうだよ。ボクの推薦した魔術師、律だ」
「教授が推薦するほどだ、相当の実力者なのでしょうね。期待していますよ」
優しく、落ち着いた声色。けれど、どうも信用できない。そんな胡散臭さのある声で、ソンと呼ばれた貴族男は俺のことを舐め回すように観察する。
「あ、もしかして大学の教授ですか……?」
「えぇ、そうですね。尊と申します。大学では結界学の教授を務めています」
「あ、よろしくお願いします……」
礼儀正しい人だ。悪い人ではないのだろう。
「リツくん、先に行ってて、ボクのことは良いから」
「え、でも」
「入学式に遅れたらまずいだろう?」
どうも、師匠は今の状況を快く思っていないようだ。まるで、この三人が同じ場所にいると、悪いことが起きるとでもばかりに。
「ところで、ルビイ教授……律君は教授の弟子、という認識で良いのでしょうか?」
「……ノーコメントだ」
「……なるほど、まだ『魔法』の継承は済んでいないのですね」
「……黙れ」
「これは風の噂で聞いた話ですが……教授が失踪した後に、こっそり弟子を取っていたと聞きました、もしかして彼が……噂の――」
――ジャキン。
まるで剣が奔るような音が響く。鋭い何かが、空中を走る音。ただ"そういう音"が鳴っただけならば、そこまで具体的な表現をする必要はなかった。それが「剣」であると錯覚した理由……それは、この場に走った音以外のもう一つの何か……
――殺意だ。
「……ソン、それ以上リツの前で無駄口を叩いてみろ……
――殺すぞ」
師匠の方を見る。
その赤い瞳が、まるで紅月のように昏く輝いて、槍のような視線でソン教授を見ている。
そして、師匠のチャームポイントである無数の三つ編みが、まるで生きているかのようにふわふわと宙を漂っていて、そのうちの一本が、意思を持つようにソン教授の喉元に突き付けられていた。
「……失礼。触れてはいけない話題だったようですね」
俺は、怖いと思った。
愛らしい師匠が。虫一匹殺せないような柔らかい雰囲気の師匠が。別人のような表情で、殺意を向けている。
一方で、ソン教授は、命の危険に眉一つ動かすことなく、にこやかな笑みを浮かべた状態で一歩後ろへと後退した。そして、くるりと俺達に背を向けると、そのままてくてくと去っていく。
「……律君」
「あ、はい……」
「君はルビイ教授にとても大切にされているようだね。改めて……期待しているよ」
「ありがとうございます……」
背中を向けながら、教授はそう言い残して去っていった。
気づけば、あの殺気に満ちた空間は霧散していて、俺は慌てて師匠の方へと振り向いた。
「リツくん、彼には気を付けて」
「……ソン教授、ですか?」
「リツくんはきっと、ボクの弟子という目であらゆる人間に見られることになる。けれど……リツくんがボクの弟子であることは、他の誰にも言わないようにしてくれ」
「……分かりました」
「折角のめでたい日に気分を暗くしちゃってごめんね、ほら、行っておいで」
師匠の弟子……いや、『魔法使いの弟子』という存在は、俺が思っている以上に多くの意味を持つのかもしれない。あの師匠がこれだけ警戒するのだから、本当に危険な存在なのだろう。
ふらふらとした足取りで、俺は立ち上がる。大切な魔導書を拾い上げて、少ない荷物を右手に抱える。そして……師匠に背中を向けた。
ふわり。柔らかい感覚が、背中を襲う。
俺の腰に、小さな白い手が回される。
「これから先、ボクは君の師匠として振る舞えないかもしれないけれど……君は間違いなくボクの弟子だ。ボクの自慢の弟子だ。そのことを心に秘めて、頑張ってきてね」
「分かりました……師匠」
きっと、この先は平坦な道ではないのだろう。
魔術を極めるということは、容易なことではないのだと思う。
俺が、胸を張って師匠の弟子だと言える日はきっと遠いのだと。
けれど、いつか必ず。その日を迎えるために。
俺は、一歩踏み出した。
「行ってきます!」