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第5話 負の数を加算する

「リツくん、魔術の制御はONとOFFだけじゃないのだよ」


 風呂沸かし3日目。愚直に《ウォーター》を連打している俺の背後から、小さく顔を覗かせて、師匠がそんなセリフを吐いた。


「理屈は分かるんです、出力を上げれば水の量も増えるってのは」


 だが、そう簡単な話ではない。マナの流れは分かるようになった、それを堰き止めるのと同じように、流す量を増やすということも理論上は出来るはずだ。


「けど、出来ないんです。まるでストッパーが掛かっているみたいで」


「良い気付きだ。時に、魔術における消費魔力はどう決まっていると思う?」


「……固定、な気がしてます。俺が使える魔術が4種類しかないので比較対象に乏しいですが、一つの魔術の発動に消費する魔力は固定だと思っています」


「じゃあ次の質問だ、魔術には『発動』の次に『維持』のプロセスがあるね、この消費魔力は?」


「それも固定な気がしますね、感覚的には、発動に必要な魔力と同じだけの量の魔力が絶えず注ぎ込まれているような感覚があります」


 師匠の質問に答えながら、俺はふと気付きを得る。目を見開いた様子を見て、師匠は満足げに頷くと、そのままふらりと仕事に戻ってしまった。


「そうか、俺は既に発動した魔力の流れを制御しようとしていたけれど……」


 もし、発動のプロセスに「消費魔力」の定義も含まれているのだとしたら。魔術の出力は、魔術を発動する段階で決める必要があるのではないだろうか。


「魔術を発動するだけなら誰でも出来る……か」


 確かに、発動だけなら簡単なのだろう。しかし、効果的に魔術を運用するには。魔術を制御するためには、その発動の瞬間に精密なマナの操作が必要になる。これが云わば「技術」なのだ。




 そして、更に一時間ほど経過。


「で、できた……」


 《ウォーター》の発動の瞬間、身体から手のひらに流れ込むマナの量を通常より増やすという試み。これが無事に成功し、手のひらにはいつもの1.5倍くらいの大きさの水球が浮かんでいた。


「3倍、5倍、10倍……こんなもんか」


 コツを掴めばあとは簡単だった。《ウォーター》の基本消費魔力から掛け算をして、頭の中で設定した出力で《ウォーター》を発動できる。10倍《ウォーター》を数回で風呂桶は一杯になる。今まで数時間掛かっていた作業があっという間だ。


「これが……魔術の可能性……」


 まだだ、出力を上げれるのなら、逆も出来るのが道理だろう。今まで《ファイア》は初期状態だと出力が高すぎて、自分の手が火傷する炎しか出せなかった。けれど、もし出力を下げれるのなら……


「……出来た、小さな《ファイア》」


 温かい。手のひらに浮かぶ小さな炎。手を焼かないが、確かにモノを温められる熱を持った、俺だけの魔術。あとはこの状態で手を湯船に突っ込んでおけば、いつものように必死になって火加減を調整する必要もない。


「おぉ! 凄いじゃないかリツくん」


 俺が手のひらを見つめて感動していると、後ろから楽しそうな声が聞こえてくる。

 ひょっこり顔を出すと、手をパチパチと叩きながら、ふわりと浮き上がる。飛べるのかこの人……


「今回リツくんが出来るようになったのは、魔力の入力量の設定だ。単純に一つの魔術の出力を調整するだけならば、どんな魔術にも応用できる」


 なんでわざわざ浮いたのだろうと思っていたら、ぽん、とその小さな手が俺の頭に乗せられる。そして、くすぐったいような力加減で、優しく、俺の頭を撫で始めた。


「君はボクの自慢の弟子だよ、リツくん」


「……これ、魔術の基本なんですよね、俺が出来ない方がおかしいんですよね」


「どうかな、少なくとも……君の"それ"は普通の魔術使いには出来ない芸当だよ」


 そう言って、師匠は俺の右手を指差す。そこには手を焼かない程度の温かい小さな炎が揺らめいていた。


「君がやってのけたのは"負の数"の入力だ」


「……どういうことです?」


「そうだね、まず……基礎消費魔力という数字があるとしよう、10とかそこらのね。そこに5を足して15にする、これが魔術の出力の上げ方だ」


「……俺のこれは、10という数字から5を引いただけなんじゃ」


「厳密には違うね、基礎消費魔力に-5を足すという処理が正しい表現だ」


「……もしかして、消費魔力の計算式って、基礎消費魔力 + 追加消費魔力、のような計算式なんですか?」


 話していて、違和感を感じた。ここは本当に異世界か? まるで、現実世界の数学やプログラムの話をしているかのようだ。


「まぁ大体そんなところだ、処理自体は加算、けれど消費魔力を減らしたい、そういう時に負の数を追加消費魔力に設定するのだけれど、そんな理論も技術も……まだこの世界には存在しない。かなりレベルの高い魔術師なら、感覚的に理解して出来てしまうがね。だからそれは、君だけの魔術だよ、リツくん」


 師匠の言葉が確かならば。つまり、魔術とは、数学的に記述可能な、論理的に組み上げられた術式なのだ。そして、そのノウハウはこの世界にはまだ足りていない。誰もが感覚的に魔術を使っているだけだということ。


「でも、ルビイ師匠は何故?」


「これはボクの発明でも、知識でもない。昔、人に教えてもらったんだよ」


 そう言って、師匠は遠い目をして笑う。きっと、師匠は俺がここに辿り着くことを理解していた、或いは期待してくれていたのだろう。だからきっと、俺は最初のハードルを超えられた。


「因みに……《ロー・ファイア》」


 感慨に耽っていると、師匠が思い出したかのように、魔術を発動する。その手のひらには、俺の作った炎と同じぐらいのサイズの、小さな炎が浮かんでいた。


「出力の違う魔術は、別の魔術として切り分けてしまう、というのがこの世界の一般的なやり方だ。魔力制御がどれだけ下手でも、これなら誰でも出来るからね」


「俺がやったことが無意味だった……とは思いませんね」


「あぁ、その通りだ。魔術とは、型に嵌まった結果を導くだけのものではない。君たちの想像力と技術次第で、無限の可能性があるのだと。それを伝えたかったんだよ」


 そう言って、師匠は笑った。まるで、あの写真の中のように。満面の笑みで。


 それだけで、俺は、今日までの苦労が報われるような気がしたんだ。







「師匠、お湯が湧きましたよ」


「お疲れ様、リツくん……随分腕を上げたね」


 そう言って、師匠はちらりと時計を一瞥する。スコアは20分、最初の4時間と比べたら劇的な成長だ。


「そろそろ、料理とかも任せてくれても良いんですよ?」


「言うようになったじゃないか、けれど料理は繊細だぞ? ボクですら未だに失敗する」


「そうですかね……師匠の料理、めちゃくちゃ美味しいですけど」


「……やめてくれ、照れる」


 ぼっ、と鍋の下の火が強くなる。感情がマナの流れに出るタイプか……

 俺がニマニマしていると、師匠は不満そうなジト目でこちらを一瞥してから、ごほんと咳払いをして、くるりと指を宙に振る。


「いて……」


 同時に、俺の頭上から何かが落ちてくる。思わず口に出してしまったが、そんなに重たいものが落ちてきたわけでもない。これは……なんだ、封筒?


「ところでリツくん、魔術を本気で学ぶ気はあるかね?」


「……? 最初から割と本気でしたけど……」


「なら、朗報かもしれないね」


 なんとも迂遠な言い回しだ。ともかく、封筒を見てみよう。宛名は……


「アダマンティン魔術大学……?」


 いや、読み上げてみたけど。どこ?


「文字通り、この国最大の魔術の教育機関だ、研究機関でもあるね」


「中は……入学許可証……え、なんで?」


「ちょっと推薦状を試しに送ってみたら通ったみたいでね」


 まじかよ。何者なんだルビイ師匠。

 魔術大学。俺の目標とする魔術を専門的に学べる機関。確かに、この樹海の中で過ごしているだけじゃ学べないこともあるだろう。魅力的な申し出ではある、だが……


「いやでも、俺師匠が教えてくれればそれで十分だし……」


「ボクはあまり人に教えるのが上手くない、それに共に学ぶ仲間がいた方が良いだろう、競争心は良いスパイスになる」


「……俺との生活、楽しくなかったですか?」


「うぐっ……本当にそんなことはないのだけれど……これは君のことを想ってのことで……あぁ、これはよくない毒親の典型なのかもしれないな……でも君の才能を遺憾なく発揮できるし……それに……ぶつぶつぶつ……」


「冗談です、行きますよ、魔術大学」


「本当か!? いや、安心してくれたまえ、授業参観には必ず行くからな!」


「そう言われるとすごい反抗期に入りたい気持ちになってきますね……」


 師匠との生活が終わってしまうのは心苦しいが、別に今生の別れというわけでもない。魔術を極めるという意味でも、師匠の期待に応えるという意味でも、この申し出は受けるしかないだろう。


「どうせやるなら一番を目指しますか、首席卒業、してみせます」


「リツくん……大きくなったな……」


「そういう関係じゃないですよね」


 師匠がうわーんと泣きながら俺に抱きついてくる。堅苦しい喋り方の割に、ちまっこい背丈と泣き虫がかわいらしい俺の師匠。離れ離れになるのは恋しいが、いつか、肩を並べられるような魔術師になってみせるから。

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