第4話 同じ処理を何度も書かないこと
「《ウォーター》」
手のひらに水球を浮かべる。そして、数秒後にばしゃりと弾けて消えた。なんとか魔術の終了は出来るようになった。今日だけで数十回は練習しているが、魔力が切れるような感覚はない。もしかすると、ルビイの言っていた通り、俺の身体には、なんか凄い膨大な魔力が秘められていたりするのだろうか。
「リツくん。君に重大な任務を任せたい」
ある日の夕方、ルビイがそんなことを言いだした。今まで割と穀潰しというか、食べて寝て本を読むぐらいしかしていなかったので、少しくらいはルビイの役に立てるかもしれないと、内心浮足立つ。
「なんですか?」
「君を風呂を沸かす係に任命する」
「薪とかで?」
「違う違う、魔術だよ魔術。魔術を使って毎日風呂を沸かす仕事だ」
「……そんな専門的な魔術習ってない……と思うんですが……」
そう、俺がルビイから習った魔術は、基本中の基本魔術のみ。《ファイア》、《ウォーター》、《ウインド》、《アース》の四種類だけだ。《風呂を沸かす魔術》なんて教わってない。
「魔術の基本は応用だよ、新しい魔術を使うのは禁止、教えた魔術だけでやってみてね」
「ルビイさんいつも無詠唱かつ3秒くらいでささっとやってますよね」
「そのレベルは求めないから、やれる範囲でやってみて、あとルビイ"師匠"ね」
「……師匠?」
「君はボクの魔術の弟子だからね、敬意を込めて"師匠"と呼ぶように」
「あ、はい……」
謎のこだわりらしい。だが、折角師匠が任務を与えてくれたのだ。やれるだけやってみよう。
工程自体は難しくない。シンプルに《ウォーター》で水を溜めて、《ファイア》で沸かす。だが、言葉にするのと実現するのには結構なギャップがある。例えば……
「何時間かかるんだよこれ……」
《ウォーター》で発生させられる水は、所詮コップ一杯ほど。それを風呂桶を満たすレベルで繰り返さないといけない。膨大な作業だ。何回《ウォーター》と唱えたか分からない。
それに《ファイア》も簡単ではない。発生させた火は当然自分の手も焼く。だから長時間発動させ続けると火傷どころでは済まない。その割に火自体は小さいので、湯を沸かすレベルの加熱には至らない。
「課題だらけだな……あっつ……」
恐らく、これらを効率的にやる魔術は専用で用意されているのだろう。だが、師匠のオーダーは基本の4種類の魔術だけで目的を達成すること。そこをズルするつもりはない。
初日。風呂沸かしの任務。4時間で達成。
「うん、出来ている、流石はリツくんだね」
ぴちゃりと、片手を湯船に突っ込みながら、師匠はにこやかに頷く。
一方の俺は、冷水に右手を浸しながら、満身創痍で地面に座り込んでいた。
「毎日これやるんですか……?」
「リツくんが諦めるまではね、ただ、一回やってみて課題も分かったんじゃないかな」
「そうですね、多分……効率化することは出来ると思います」
「よし、じゃあ明日も頑張ろう。じゃあボクはリツくんが入れてくれたお湯に預かろうかな」
「ごゆっくり……俺はちょっと寝ます……」
マナの欠乏とかそういう感覚ではなく、単純に疲れた。
ふらふらとおぼつかない足取りで、魔導書を抱えながら寝室に向かう。
「いてっ……」
あぁ、俺相当疲れてる。何もない壁に激突するとか……すげぇ情けない。
ぶつかった衝撃で落としてしまった、写真立てのようなものを拾い上げる。すごい、写真あるんだこの世界。魔術なのかな……
「って……あれ……この子……」
写真には、二人の魔女が映っていた。いや、片方は魔女ではない、二人とも同じ帽子とローブを被っているが、片方は男の子だ。片方はルビイ師匠、もう片方は……
「あれ、これって……」
――俺だ。
いや、きっと、正確には違う。ただ、転生した後の俺の身体がそこには映っていた。師匠と同じ白い髪。けれど、正反対のような青い瞳。今の俺の姿が、師匠と一緒に笑顔で写真の中には収まっていた。
きっと、大切な人だったのだろう。
けれど、喪ってしまったのだろう。
取り戻そうとしたのだろう。
その結果が、俺かよ。
「クソっ……」
なんだろう。言語化出来ない感情が湧き上がってくる。
悔しいのか、哀しいのか、俺は誰に対してこの情けない感情を向けているんだ。
「『魔術に適正のある身体』か……」
きっと、多分、これは確信に近いのだけれど。
この子は師匠の弟子だったのだろう。未来ある魔術の才者だったのだろう。
どうしてこんなことになっているのかは分からない。
俺が知る権利など無いのかもしれない。
けれど、もし……俺に代わりが出来るのなら。
この子が果たせなかった魔術の境地に、師匠の期待に、応えることが出来たのなら。
「よし、決めた」
異世界に来てから、目標などなく、ただ漫然と過ごしてきた。
けれど、俺はここに誓うことにした。
――魔術を極める。
魔法使いにはなれなくとも、魔術という「技術」であれば、俺にも可能性はあるはずだ。
短い付き合いではあるけれど、俺のことをあれだけ大事にしてくれる師匠に応えたい。
「よし……明日から本気だそ……」
写真立てを丁寧に元の場所に戻して、左手に抱えた魔導書をぎゅっと強く抱き締めて。
俺は確かな足取りで寝室へと向かった。