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第37話 参照型のオブジェクトは何処からアクセスしても同じ実体を示す

風邪を引いていました

少し長めに2話分くらいあります、けれどあまり話は進みません

エル・レディンガーさんですから仕方ないですね

 本来であれば、この独白はシュヴァルツ先輩の手で記述されるべきなのかもしれないのだけれど。けれど、実のところこうしてこの世界に立っている。夢の世界で活動しているのはエル・レディンガーであり、つまりは視点人物はエル・レディンガーであるという記述の方が都合がいいのだから。今回の視点者はエル・レディンガーということにする。


「実際、シュヴァルツ先輩はただ観測者として見届けるだけであり、彼女の意思は何一つ介在しない。だからまぁ、これはこれで正しいとも言える。なんて、御託を言っていたら後で怒られそうだな。さっさと仕事を始めようか」


 エルは周囲を見渡す。ここはソン教授の研究室だとのことだが、これまた奇怪な場所に来てしまったものだと痛感する。青空が広がっている。空高く、天高く、青い青い空が広がっている。そして、下も同じだ。エルの立っている約10m四方ぐらいのガラスの足場の真下には、青い青い、どこまでも深く、堕ちてしまえば空の彼方へと永遠に堕ちていきそうな、そんな空が広がっている。

 上も下も右も左も、全てが空で出来ている。こんな空間はあるはずがない。こんな世界はあるはずがない。だから、恐らくここはソン教授の"空の魔法"によって生み出された空間なのだろう。


「陰気臭い部屋を漁るだけの簡単な仕事だと思っていたのだけれど、想像よりも骨が折れそうだなぁ、これは……」


 そして、エルの立っている足場から繋がるように、ガラスのような透明な足場が様々な方向へと続いている。中には上向きや、下向きの、階段のような道もあり、まるで立体的な迷路のように、その世界は構築されていた。


「まずはアンカーだ。そうだね、整合性という意味では……これがいいか」


 そう言いながら。自分でそう言いながらとか記述するのは少し気恥ずかしいけれど。ともあれまぁそんな風に口に出しながら、エルは耳からイヤリングを外す。これはなんだっけ、通話のイヤリングだとか何とか、つまりはアンオブタニウム教室のみんなが使っている連絡手段だ。これをアンオブタニウム教室であるエルが持っていることは、何らおかしくないだろうし、エルの耳に何かが付いているだとか、付いていないだとか、そういう"描写"はまだ行われていないのだから、持っていても不思議ではないのである。


「そして、エルはそのイヤリングを地面に落とした。ちょっと足りないか……エルはとてもとても意味深な行動を取った。その真意とは何なのだろうかー?」


 うん、まぁこんなものでいいだろう。あまりあざとい伏線はエル好みではないけれど、今は手段を選んではいられないだろうしね。

 さて、後は情報収集か。そうだなぁ。一応は、今回は時間的な制約がある。端的に言ってしまえば、シュヴァルツ先輩が目を覚ますまで、というタイムリミットがある。時間とは極めて相対的なもので、極めて主観的なものだ。例えばこの瞬間にエルが6時間経ちましたと言えば6時間経ったことになるだろう。逆にまだ30秒しか経っていないと言えばそうなるだろう。ただ、そこにも整合性は必要だ。不可能を可能にすることは出来ない。今から5億年経ちました、と記述したところで、そんなにエルの寿命は無いのだから、整合性という意味では全くの価値を持たない戯言だ。だからまぁ、その辺の辻褄合わせというか、つまりはシュヴァルツ先輩が目を覚ますタイミングというのは、シュヴァルツ先輩の主観として整合性が保たれる範囲で時間が経った後ということになる。


「と、話しながら探索していると……エルは扉を発見する」


 この空とガラスしかない空間で、唯一青以外の色を持っている何か。それに近付いてみると、驚いたことにそれは扉であった。見た目はまさしく魔術大学で使われているそれとほぼ一致しており、言うなればこの世界に置いてあるモノとしては随分とミスマッチなものがそこにあったわけだ。

 もちろん、扉の奥に建物があるだとか、トンネルがあるだとか、そんなことはなく。ただペラッペラな扉だけが、まるで舞台装置のように置いてあったのだ。


「まぁ空の魔法使いなのだから、恐らくは別の何処かに繋がってるってとこかな、と呟きながらエルは扉を開く」


 すると、まぁ想像の通り、中にはこれまた異なる異空間が広がっていた。イメージとしては、そうだな、植物園のような空間だ。鳥籠のような鉄骨で全方位を囲まれ、多種多様な植物が狂い咲き、そして水音が静かに響いている。そんな空間。

 軽く推察するに、ここは薬品などに用いる植物の栽培場のようなモノなのだろう。少し魔法薬学をかじっている人間ならば、名前をそらんじることができる植物が沢山生えている。逆に言えば、かじった程度では用途が不明な植物、図鑑ですら見たことがない植物もわんさか生えている。

 ソン教授は、あのアダマンタイト教室の担任を務めているのだが、アダマンタイト教室は特別な部屋を使えるという噂がある。あらゆる魔法薬に使うことのできる植物が栽培されている植物園というワードも、確かその噂に含まれていたはずだ。


「つまりはここがその特別教室って所かな、しかしまぁ扉はこの1つしかなさそうだ、しかも……」


 エルは扉を開けっ放しにして、身を乗り出しながらこうして話しているのだが、恐らくこの扉は一方通行だ。もし扉を閉じてしまえば、植物園側からソン教授の迷宮に入ることは出来ないだろう。そうでなければ、アンオブタニウム教室の人間はソン教授の迷宮にいつでも入ることが出来てしまう。


「どの扉も片道切符。となれば、探索できる部屋は1つだけ……」


 少なくとも、ここではないだろうとエルは扉を閉じる。そして、再びガラスの迷宮を歩いていく。その後もエルは多種多様な扉を発見した。豪華絢爛な寝室、あらゆる料理が並んだ食堂、絶対零度の倉庫に、灼熱の廃棄場。どれも施設としては世界一を誇るであろう、理想の空間が並んでいたが、恐らくはそういった"用途"が推察できない部屋を、エルは見つけることになる。


「……塔?」


 扉の先は、円形の空間になっていた。大理石の床にギリシャ彫刻のような柱が立ち並び、そして柵もなしにこの広間の周囲には青空が広がっている。一致する。デザインの意図、正確にはソン教授らしさという意味で、あのガラスの迷宮と同じ何かを感じる部屋だった。

 エルは扉の先へと進み、その空間を確認する。広間の部分は直径50mはあるだろう円形だ。そして外周を見てみると、まぁ当然のように外側には奈落のような空が広がっていた。落ちれば終わりなのは言うまでもない。

 広間の中央には、長方形の台のようなものが置いてある。棺か何かかと思ったが、別に開くような形状はしていない。どちらかと言えば、上に乗せるための台という印象だ。手術台、解剖台、検死台、あぁ、多分そういうイメージが近い。

 エルは台座に歩み寄り、何やら屈んで台座に触れているようだった。収穫は芳しくなかったようで、その"背中"はゆっくりと肩を落とす。この台座に、魔術的な何かが刻まれているのは分かるが、エルはこれを調査する術は持っていない。試しに寝転がってみようか、流石にリスクが高いか。どうせ夢の中なのだからと、きっと今これを見ているシュヴァルツ先輩は思っているかもしれないが、エルにとっては夢の中だろうとそうでなかろうと、あまり関係はないのだ。エルは完璧超人で、無敵の存在だと思っているかもしれないが、まぁ確かにその推察は概ね正しくもあるのだが、それでも観測されてしまえば只の……


「待て……シュヴァルツ先輩、念の為に確認しておくけれど……これは本当に夢か? もし夢なのだとすれば……今こうして語っている視点は……


 ――何故、エルの背中を映している?」


 あぁ、バレてしまったようだ。

 いつの間にかエル・レディンガーの背後に立っていた観測者は、驚いたように口角を上げて、そしてパチパチと乾いた拍手をしながら、一歩ずつ前へ進んでいく。

 そうそう、もう独白なんてする必要はないんですよ、エル・レディンガー。この空間は、もはや私のモノなのですから、記述するべきなのは私の独白です。

 エル・レディンガーは、珍しく大層。えぇ、本当に大層驚いた顔をしていました。そうですよね、夢の中という独立した空間。自分だけの世界に、邪魔者が入ってくるなんて許せませんし、有り得ないでしょう。


 あぁ、でももし。これは仮定の話ですが。


「あらゆる空間を自在に操ることが出来る存在が居たとすれば……そこが夢の中であるだとか、不可侵の聖域であるだとか、そういうことは大した問題にはなりませんよね?」


「はじめまして……ではないか、エルはあなたの授業を受けた"時もあった"。それは可能性であり、重ね合わせの1つでしかないけれど、そういう空間があったのならば、きっとそれをあなたは知っている」


「えぇ、そうですね。ですので、お久しぶりです。エル・レディンガー君」


「久しぶりだね……

 ――灰 尊……教授」


 そして、あぁ多分このタイミングでしょうね。私のことを描写するとすれば。

 長い黒髪に、エメラルドカラーの瞳。貴族のような赤色のアビ・ア・ラ・フランセーズに身を纏った、優しげな男。灰 尊は、これまた優しく笑みを浮かべて、エル・レディンガーと相対していました。

 そして、そんな彼の後ろには、図書館の人間であろう赤色のフードローブを纏った集団が、空の器である灰 夏という少女を。意識を失った彼女を、優しく運んでいるところでした。


「随分と自分勝手な描写をするんだね、ソン教授」


「お互い様でしょう。きっとあなたがこの空間の主導権を握っていたならば、私のことは『悪辣な笑みを浮かべた中年の男が……』とでも独白するのでしょうし」


「エルは別に嘘つきではないよ。ソン教授はまだまだ若々しいし、その張り付いたような笑顔も確かに優しげな笑みであることは決して否定しない。それは客観的な事実だ」


「随分と褒めてくれますね。嬉しいじゃないですか」


「それで? エルの夢に何の用事?」


「逆でしょう……? エル・レディンガー君、あなた……私の研究室で何を嗅ぎ回っていたのですか?」


 今頃、おかしい、因果関係が逆転している、とでも思っているのでしょう。実際、彼女らしからぬ強気な視線でこちらを見ている様子からは動揺が見て取れます。ですがまぁこればかりはエルさんが悪いのだと思います。困惑している様子なので、私は丁寧に説明を加えます。


「エル・レディンガー君。君が通ったのは"空間を超える扉"ですよ?」


「っ……!? あぁ、なるほど……そういうことか。エルは確かにさっきまで夢の世界にいた、けれど……夢の中にある"空間を超える扉"を通して、目的地であるここに入ってしまったから……今ここにいるエルという存在は、夢の中ではなく……」


「そう、この現実世界に存在する私の部屋に入ってきてしまったわけです。まぁ仕様がないですよね、空間を超える扉を夢の中で通過するなんて経験、流石のエル・レディンガー君でも経験したことはなかったでしょうから」


 ――ジジッ。


 視界が歪む。そして生み出せれる虚構の空間。虚構の風景。それを私は空の魔法で丁寧に"否定する"。同じ空間に作用する能力で、彼女が私に勝てる可能性は万に一つも無かったということです。


「しくじったな……シュヴァルツ、良いか? エルはこの後に……リツくんたちの前に姿を現して、現状の説明とサポートに回る心積もりだった、けれど恐らく、それは叶わない。良いかシュヴァルツ、逆に言えばこれは最大の好機だ。エルがこれだけお膳立てしたのだから、やるべきことは分かるな――」


「――少し静かに」


 バチン。空間が弾ける音と共に、エル・レディンガーの身体は空間ごと切り取られました。まぁ殺しはしてませんよ。まぁでも別の場所に送り込めば、これ以上の観測はできないでしょう。

 色々と厄介なので、本体も含めて少しお仕置きはするとして……さて……


「そこで見ているあなた。あぁ、シュヴァルツ君のことですよ。覗き見は趣味が悪いですよ」


 そう言って、私は開きっぱなしになっていた、夢の世界とここを繋ぐ扉を閉じます。あなたは扉越しにずっとこちらを見ていただけ。つまりはこの先を知ることは出来ない。

 そうして、この夢は終わりましたとさ。


 めでたし、めでたし。

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