第27話 Butterfly
「シア!」
「やったな!」
「良■っ■ね」
「……そうね、みんな……ありがとう!」
多分。これは夢なのだと思う。意識は朧気だが、強烈な既視感だけが今この光景が本物ではないと叫んでいる。
ふわり。蝶が舞う。青い蝶々が、ひらり、視界の端を飛んでいく。
あぁ、俺は蝶なのだろうか。それとも、蝶が俺なのだろうか。確か、こんな言葉があったような気がする。胡蝶の夢。夢の中の蝶と、現実の自分のどちらが本物なのか分からなくなること。
「■■のお陰だな、ありがとう」
「これもリツくんのお陰だよ……リツくんは■■の■■■■■」
ジジッ。視界にノイズが混じる。俺は何を言っているんだ? この子は何を言っているんだ? いや、そもそもこの子は誰だ? 俺は今、誰と話しているんだ? 既視感。あったはずの光景。けれど、確かに本物ではないと実感する奇妙な感覚。
「……ッ……! リツ! リツ!!」
醒める。俺は、顔を上げて慌てて飛び起きる。頭がうまく回らない。ここはどこだ、俺は誰だ?
「珍しいわね、リツが居眠りなんて……」
「ごめん……エル……折角来てくれたのに……」
「……? 誰?」
「……あれ」
どうやら今は授業中だったらしい。隣にはシアの顔。シア……だよな、俺は何を口にしたんだ? エルって誰のことなんだ? 朧気な視界の端に……青い蝶が……一匹……
「シア、中間試験を受けたのって6人だっけ……?」
「一応6人ではあるわね、テストだけを受けて一度も顔を出さなかった誰かが居るみたいだけど」
「……あ」
そう言えばそうだ。そういう事の顛末だったはずだ。それでも、結果発表のあの場には5人しか居なかったはずで、"あの子"は居なかったはずだ。あぁ、頭が混乱している。あの子って誰なんだよ。
「ごめん、ちょっと体調悪いから医務室行ってくるわ……」
「そう、疲れてるなら無理しないでよ。最近徹夜続きでしょ?」
シアが優しくて脳がバグりそうだ。実際、最近は夜通し魔術の改造をやっていて、ろくに眠れていないのは事実。師匠とティオ先生から貰ったタクトによるリアルタイムな改変も、まだ練度が足りていないところだ。決戦の日までに、少しは役に立てるようにならないと。
「すいません、ベッドをお借りしたく……」
そう言いながら、俺は医務室に入っていく。中は無人だった。入口の札を見ている限り、回復魔術師のミリア先生は外出中らしい。まぁ、別に棚の薬とかに勝手に触るわけでもない。ただベッドを借りるだけなら断りも不要だろう。
「……っと、なんだ? これ」
夕暮れが差し込む医務室。白い床。白い壁。カーテンで仕切られた小さな病室が並ぶ。
そして、その一番奥にガラス張りの部屋があった。普段は黒いカーテンで隠されていたようだが、誰かが掛け忘れたのだろう。カーテンが開いた状態で、ガラスの病室が見えるようになっている。
「……ベッド、と……人?」
そんな異質な空間に、ぽつんと置かれたベッド。そこに横たわる人影が見えた。俺は、抑えられない好奇心で、吸い寄せられるようにガラス部屋に近付いていく。
人だ。"少女"だ。モノクロームな白と黒の長い髪。人形のような白い肌。閉じた瞳。俺は、取り憑かれたかのように、じっと……横たわるその少女を眺めていた。
あぁ、おかしい。だって……
――俺はこの少女を知っているような気がする。
「覗きとは悪趣味だなぁ少年」
そんな俺の肩が、唐突にぽんと叩かれる。慌てて振り向くと、そこにはうちの大学で回復魔術師をやっているミリア先生が立っていた。その眼鏡の奥でジト目を浮かべながら、ニヤニヤとした顔で俺の顔を見ている。あ、いや……違うんだ。説明しなければ。
「すいません、カーテンが開いてたもので……」
「まぁ男の子だもんな。気になるのも仕様がない。確かに彼女は美しい。襲いたくなる気持ちも分かる」
「だから……俺は何もしてないんですって……」
「分かってるよ。ただ、そのガラスの部屋には入るなよ。少年、君じゃなくて彼女の方の命に関わる」
「……免疫系の病気……ですか?」
「おや、詳しいね。だが少し違うね。彼女の病状は特殊でね……直接観測されることで肉体が崩壊する特殊な魔力症を患っている」
「……? つまり、ガラス越しではなく、肉眼で見てはいけない……と?」
「そういうことだ。安易に立ち入って、彼女を今の少年のようにじっと見つめていたら、もうとっくに彼女は死んでいるだろうね。あれはそういう病気なんだ」
「そうだったんですね……ごめんなさい」
「気にするな、結界魔術を解除したままにした私にも責任がある」
そう言いながら、ミリア先生は黒いカーテンを閉める。同時に、視界がジャックされるような感覚と共に、そこには何もない普通の病室が浮かび上がる。なるほど、この結界魔術があったから今まで気付くことがなかったのか。
「名前は?」
「一応は個人情報だが……君は確かアンオブタニウム生か……ならまぁ言っても良いだろう。"エル・レディンガー"……2年生だ」
「……エル、か」
「彼女は自らの病気の影響で、少なくとも現実で君の眼の前に姿を晒すことはないだろう。が……より特殊な状況下では、別かもしれないな」
ふわり、青い蝶が夕日の差し込む窓から部屋に入ってきて、ミリア先生の肩に止まる。それを先生は気にすることなく、すたすたと歩いていく。
「私は薬を取りに来ただけだが、少年。君は?」
「あ、ちょっとベッドをお借りしたくて……」
「あぁ、それなら好きにするといい。見たところ過度な睡眠不足だな、しっかり寝とけ」
「ありがとうございます」
ちらりと俺を一瞥するだけで診断を済ませると、俺に背を向けて手をひらひらと振りながらそのまま医務室を出ていった。いつの間にか、あの青い蝶は姿を消していて。俺の心には、ぽっかり空いた穴のような感覚だけが残っていた。




