5.王子は遊びに向かない(※小三の頃)
以来、姫子は小中と異界の学校に通い、女子高の二年生として現在に至る。
今でこそクラスでは、カラオケ好きの『顔だけファンタジー』などと気安く呼ばれているが、子供の時は不慣れな言葉や明らかな容姿の違いなどから、周りの子供達に長らく馴染めないでいた。また自身も故国の大臣息女としての気概を無意識に抱え込み、異界の文化に染まることを恐れていたのかもしれない。
正直、姫子の子供の頃の記憶にあまり思い出したいものはなかったが、あえて見繕うとするならば隣家の幼馴染のことだろう。
それはこの異界に来て四年、小学校三年生の夏休みの頃である。
姫子と王子はいつも通り、隣家の智志と共に近くの児童公園に来ていた。
砂場の上部に生茂った藤棚の若葉が、直射日光を遮ってささやかな日陰を提供してくれていた。ときおり山から飛んで来た啄木鳥が、虫を突付き出している場面に遭遇することもあった。双竜町は故国とは違い、地味豊かな土地柄なのである。
「――あたしね、本当はお姫さまなの」
白のワンピースが汚れるのも構わず、砂山を手の平で叩きながら『いつもの』秘密を打ち明ける姫子の隣りで、盛るための湿った砂を掘るのが智志の役割だった。
「そうだろうと思ったよ。だって姫ちゃんは、絵本の挿絵みたいに綺麗だもの」
智志の目には、肩口で切り揃えられた銀色の髪と儚げな菫色の瞳の、幼くとも非日常の雰囲気をこれでもかとダダ漏れさせている姫子の姿が映っていた。
智志は眩しげに目を細め、そして黙々と砂を掘る。
「俺だって、正真正銘の『王子』なんだぜ!」
それまで砂場の縁に座って手持ち無沙汰に砂を弄っていた王子が、急に立ち上がる。こちらは姫子とは対照的に、黒髪黒瞳で浅黒い肌の細っこい少年だった。
姫子と王子、これほど似ても似つかぬ双子はいないだろう。
ちなみに、王子の黒い瞳はほんの僅かに青みを帯びているのだが、それに気付くほど近づく者はまずいなかった。
世間には双子と説明しているが、王子は姫子の二つ年上なので、本来であれば十一才、小学五年である。だが、二人一緒に居た方がいざという時に行動しやすく、学年が離れると目が届かなくなると、王子は老ダンダーンに主張したのだ。
このぐらいの年齢であれば、一般的に女子の方が身体が大きく且つ口が達者である。小柄で痩せた王子であれば二学年程度ごまかせるだろうということで、老ダンダーンは王子の命令を是としたのである。もちろん、隣家の智志は知らなかった。
「おいっ、智志。そっちから穴を掘れよ。どっちが早いか、競争しようぜっ!」
「えっ、これは姫ちゃんの砂山だし」
「コイツの物は俺の物だ。よーいドンッ」
困ったような眼差しを向ける智志に姫子が頷いて見せると、遅れて穴を掘り始めた。智志は見るからに弱々しい眼鏡君で、引越しの挨拶に行った時などは最後まで母親の後ろから出て来なかった。姫子達が呼びに行かなければ隣家の二階の自室で、プラモデルを作るか本を読んでいるはずである。母親に何か言い含められているのか、外でも学校でもさりげなく二人の世話を焼いてくれるのだった。
「王子ったら、もっと丁寧に掘らないと」
姫子の心配をよそに、王子は砂山のどてっぱらに杜撰なトンネル工事のごとき大穴を空けていく。この四年の間に王子の性質を嫌と言うほど学ばされているであろう智志は、大人しく掘っているだけだった。
案の定、細くなった裾野に耐え切れず、砂山は脆くも崩れ落ちた。
「あーあ。だから言ったのにー」
「うるせー。大体、こんな子供っぽい遊び、やってられるかってんだっ!」
先頃、口答えを覚え始めた姫子を置き去りにして、王子はジャングルジムの方へ走っていった。王子がジャングルジムの鉄棒に手を掛けると、それまで遊んでいた子供らが潮が引くようにいなくなる。以前、遊具の順番待ちが出来ずたびたび喧嘩騒ぎを起こしていたので、智志以外の男の子は王子に近寄らなくなったのだ。
砂山はまた作り直せばいいよと、智志は姫子を励ましてくれた。
姫子は涙目で頷き、智志と共にジャングルジムのてっぺんへ視線を飛ばす。腕を組んで辺りを睥睨している王子を見て、智志はぼそりと呟いた。
「……王子はたぶん、焦っているんだと思う。何に対してかは、分からないけど」
智志は年のわりに大人びた考え方をする子供で、誰が見ても我が侭で乱暴者にしか見えない王子を理解しようと務めてくれていた。王子も王子で、担任教師を手こずらせても、智志の言うことならまったく聞かないでもなかったのだ。
姫子はふと、故国の戦に加わるために闇夜に乗じて飛竜で飛び立つ同国人達の姿を、黙って見送る王子を思い出した。
そのか細い後ろ姿に、容易には声を掛けられない何かを感じ取ったのだ。
幼いゆえに、父王の仇を打てない無力さ、故国を取り戻す戦いに参加出来ない口惜しさ。それらが綯い交ぜになって王子の小さな肩に圧し掛かり、押し潰そうとしているのだ。しかし、その時の姫子に出来たのは、察することだけだった。
(↓続きます)