10.康代、忘れない。(しぶといらしい)
「双竜町の人々から姫さまの記憶を奪っているわけではありませんで」
「と、いいますと?」
「ただ、脳内の海馬をちょっと弄って、姫さまの記憶のみを長期記憶で保持する必要が無いという扱いにしているだけでして」
「……?……」
「姫さまに関する事柄を、昨日の朝ご飯並に重要度を下げ、忘れる方向に仕向けているだけで。そう、大したことは行っておりません」
何故だか急に科学的(?)な説明になったので、思わず右の耳から入って左に抜けていってしまう康代である。まぁ、極まってしまえば魔法も科学も大差ないと、何処かの偉い人も言ってたような気がしなくもない。
「姫さまが旅立つ時に仰ったのですよ。身ひとつで逃れて来た時と同じように、ただ黙って立ち去ると。残された人々が平穏に過ごせれば良いと思ってらっしゃる」
だから、双竜町の人々の記憶から、姫子の記憶が自然と抜け落ちるように術を掛けたのだと、老ダンダーンは続けた。
いや、自分にも他の人にも、大切なものを失って悲しむ権利はあるのではないだろうか。双竜町の人々から姫子の記憶を消し去るなんて、老魔術師ダンダーンの忖度が過ぎる。すまじきものは宮仕えというやつだろうかと、康代は思った。
あるいは、単なる孫馬鹿――孫ではないようだが――かもしれなかったが。
「ですが、想像以上に康代殿がしぶと――いえ、姫さまを思う気持ちが強かったので、混乱させてしまったようですな。大変申し訳ない」
そう言って、老ダンダーンは頭を下げた。
「ちなみに、何処からうちの場所を探し出しましたかの?」
「偶然、駅の改札で姫子の画像をスマフォで見ていた村山君を捕まえて、それで」
「…………」
それより先に、担任のパソコンの文書データの更新履歴から見つけ出したと伝えると、うむ、智志殿はともかく、電子データはなかなか手強いですなぁと呟いた。
「智志殿は、もう存在がそのまま姫さまのよすがみたいなものですからな」
「……それで、私も忘れてしまうんですか?」
「いえ、実際に智志殿も、なにひとつ忘れてはおりませんし」
唐突に、老ダンダーンは空けた窓を閉じ、鍵を閉めた。
これから出掛ける用事でもあるのだろうか。
「忘れ形見として、姫さまにまつわる物を何かひとつお持ち下され。それに今まで通り念を込め続ければ、忘れることはないでしょう」
忘れ形見と言っても、なにも故人の遺児ということだけでは無い。その人を忘れない為に残す記念の品、という意味もあるのだと老ダンダーンは続けた。
康代は言われるまま、殺風景な部屋の中をぐるりと見回す。
「康代殿がいつまでも覚えていて下されば、遠い故国においても姫さまの無聊が慰められることでしょう」
「……いいえ、大丈夫です。この部屋は、このままがいいです」
姫子が、いつ帰ってきてもいいように――。
老ダンダーンが許してくれるなら、たまに来て部屋の空気を入れ替えたり掃除機を掛けたりしよう。うん、それがいい。クンカクンカはしません。たぶん。
「それに、忘れ形見というのなら、もう目星は付けてあります」
ちょっと意地悪な――訂正、かなり意地の悪い――眼鏡君の顔を思い出しながら、康代はおもむろに老ダンダーンの皺深い手を取って、握った。
「ダンダーンさん。姫子の話を、いっぱいいっぱい、しましょう」
「康代殿?」
「私しか知らない姫子のことを教えてあげるので、ダンダーンさんしか知らないことを、教えて下さい。あ、様付けした方がいいですか?」
それを聞いて、老ダンダーンはそっと康代の手を握り返す。
「お好きなように。貴女は姫さま唯一の、ご友人ですから」
「ええ、そりゃあもう、親友ですから」
最後まで、頑強に親友と言い張る康代だった。
あとはコレがあれば完璧とばかりに、胸ポケットに入っていた進路希望調査票を――姫子の決意の証を、勉強机の上に広げて置いた。
ぐしゃぐしゃになった進路希望調査票は、風も無いのにカサリ、と揺れた気がした。




