23.進路希望調査票には
*
小春日和だった水曜日、放課後の教室で地元の新聞を広げていた康代は、とある記事に目を止めて歓喜の叫び声を上げた。
「姫子っ、今度の日曜日に、お弁当持って山へワイバーン狩りに行こうよっ!」
「……なによ、それ?」
差し出された新聞記事には、先日の晩、双竜町の上空を横切る『白っぽい』飛行物体の目撃情報が載っていた。写真は夜間の為に写りが悪く、建物などの大きさの対比もないことからいまひとつはっきりしない。
だが間違いない、これは姫子の駆るコカブの姿であった。
「きっと、山中に潜んでいるのよ……いいえ、双竜町の上空は時空が歪んでいて、太古の翼竜なんかが紛れ込むのかもしれない」
当たらずとも遠からずといった康代の見事な推測に、姫子は笑いを噛み殺す。
「今日はバレンタインデーなのに、康代が追い掛けるのはドラゴンのわけね」
「だから、ドラゴンじゃなくてワイバーンだって、いつも言ってるでしょ!」
康代の小言は長くなるのが常だが、これも最後だと思えば不思議と愛おしい。
姫子は今夜、故国へ帰る。
康代もほかの友達も、スマフォもプリ○ラ集も何もかも置き去りだった。
サビーハは引越しと称して近所に挨拶して回ったが、姫子は誰にも別れを告げないことに決めていた。このまま自分が消えても、老ダンダーンが学校に連絡を入れてくれるだけで事足りる。静かに来て静かに去る、それが仮初めの異邦人である自分達の大原則であり、王子の葬式騒ぎは例外中の例外といえた。
自分のことなど早々に忘れ去り、そのままみんな平穏に過ごしてくれればいい。
「……ちょっと姫子、聞いてるの?」
心ここにあらずといった姫子に、康代は目を瞬かせてから重々しく腕を組み、
「元気ないわね。私はイヤだけど、一緒にカラオケに行ってあげてもいいわよ」
奇しくも一週間前に康代達と共に歌ったことが、この異界で最後のカラオケになってしまった。姫子は藤の花がこぼれ落ちるように破顔してから、
「今日はちょっと用事があるから、先に帰るね。また今度誘ってよ」
念のため、綺麗に片したはずの机の中をもう一度覗き込むと、底にB5のわら半紙が張り付いている。結局、出しそびれてしまった進路希望調査票であった。
「あら、アンタまだ出してなかったの?」
「すっかり忘れてたわ……」
姫子は進路希望調査票をくしゃくしゃに丸め、ナイスコントロールでゴミ箱に放り込んだ。そして目を丸くしている康代の耳元へ、不意にピンクの唇を寄せ、
「今夜、空を見て」
そう言い残し、思わず抱き締めたくなるような寂しい笑みを浮かべ、他の級友達といつもの挨拶を交わしつつ、ひとり教室をあとにしたのだった。
**(※ここだけ康代Side)**
銀の髪のなびく後ろ姿を見送りながら、康代は鳥肌が立っていることに気付いた。なぜだか焦燥に駆られ、ゴミ箱に手を突っ込んで丸まったわら半紙を掬い出す。丁寧に皺を伸ばしてみると、用紙にはただ一言、
「王……妃?」
そうとしか読めない漢字が、二文字書いてあるだけだった。
ほかの級友達も寄ってきて、皆で顔を見合わせる。
進路で悩んでいるのなら、自分に相談してくれればいいのにと思いながら、康代は草臥れたわら半紙を姫子の机の中に仕舞い込んだ。




