2.異界への道行き
初回のみ一日三話投稿になります。(こちらは二話目です)
先に一話目へ目を通されることをおすすめ致します。(-人-)
『空の回廊』――そこは薄闇であったが夜ではない、全くの異空間だった。
生暖かい闇はねっとりと粘性を増して絡みつくようで、上下左右どころか時間の経過すらもあやふやになってしまう。乗り手達は心細くも、飛竜頼みで運ばれるままだった。だが、飛竜達もまるでそれを心得ているかのようにお互いにはぐれないよう鳴き交わし、あるひとつの方向を目指して飛んでいたのだ。
銅鑼の余韻のように響く飛竜の妙なる長鳴きを、銀色飛竜の背で乳母に抱かれたフェトナはうつらうつら聞いていた。前を飛ぶカーディル王子が背後を気にするようしきりと振り返るが、フェトナがそれに気付くことはない。薄闇を飛んでいるのに、フェトナが夢うつつで見る幻は何故か赤い色をしていた。
「――出口だっ! 通り抜けるぞっ!」
閉塞感から脱して放たれる歓喜の声より先に、半ば気を失っていたフェトナはあまりの寒さに体中が粟立った。どうもこちら側は真冬のようだ。そして気の遠くなるほど長い『空の回廊』を抜けてもそこは暗闇、つまり本物の夜だったのだ。
その証拠に、中天には故国と同じ黄色い丸い月が掛かり、その周囲を淡い星々が力なく取り巻いている。黒く沈んだ山々に取り囲まれた盆地の底には、まるで星々を掻き集めて撒いたような眩い光の渦が出来ていた。
だが、それが『電気』なるものによる町の灯りであるとフェトナが知るのは、もっとずっとあとのことである。
「……お星さまが、下に?」
水面に映った星灯りのようだと、フェトナは思った。
フェトナを乗せた銀色飛竜は、その光の渦へゆっくりと降下し始める。冷たい水の中へ飛び込むような感覚に、フェトナは意識が遠退く。光の向こうに、微笑む両親の姿を垣間見たような気がした。
「――フェトナっ、しっかりしろっ! 俺がずっと傍にいるから、大丈夫だっ!」
隣りを滑り落ちる黄金飛竜の背から、フェトナに向かって激が飛ぶ。
大臣の息女である自分にこんな物言いをする輩を、フェトナはひとりしか知らなかった。正当なる王位継承者、そしてただの幼馴染ではない、神の前で共に誓った許婚――。
「姫さまっ、どうぞお気を確かに!」
ほぼ垂直落下の飛竜の背にへばり付いたフェトナは、先行の飛竜が一軒屋の広い庭先に降りてゆくのを見た。その先には故国において魔術師がよく着る、長いローブを羽織った人物が手にした灯りを振っていた。
(着いたんだ。もう飛ばなくていい……お父さま、お母さまはどこに……)
寝る前に、王宮からの急使にて慌しく出仕した父親の後ろ姿を思い出す。
そして母親の頬へおやすみの口付けをしたのはいつのことだったろう。あれが数日前のことなのか数週間経ったのか、もう何も分からなかった。
猛烈な眠気に囚われるままフェトナが意識を手放した時、隣家の二階の窓、閉ざされたカーテンの隙間から覗いている小さな影に気付く者は、誰もいなかった。
十二年過ぎたいまでも、フェトナはその時の光景を夢に見る。
燃えるような、赤の色彩と共に――。