14.虚空に吠える姫君と二枚目の手紙
「――いまさら、なんだって言うのよーっ!!!」
銀色飛竜の背にへばり付いていた――寒風に吹き飛ばされないように――姫子は、双竜町の灯りの渦を眼下にして叫んだ。
確かにカーディル王子が生き抜いて、戦に勝利できたことは純粋に嬉しい。戦の終わりは故国の民草の悲願であり、それは例えようもなく喜ばしいことだ。
けれど、安堵した姫子の心の奥底からフツフツと湧いて出たのは、怒りと戸惑いの感情だった。
五歳の時に突然両親を奪われ、命からがら故国も追われた幼い姫君の行き場のないほの暗い感情が、大人になったいまでも――故国では十六歳で成人だ――胸のうちで燻っていたのだ。次期王妃として相応しくない心持ちであるとサビーハに諭されるだろうことは、百も承知している。
だから、いままで誰にも言えなかった。
ずっと半笑いの『顔だけファンタジー』で過ごすしかなかったのだ。
「私はもうお姫さまなんかじゃないっ、ただの女子高生なんだからねっ!!!」
そして四年前、王子と最後に交わした言葉を思い出し、さらに毒づく。
「『頼むから女子高に入ってくれ』って、いったいなんなのよーっ!!!」
カーディル王子の懇願は、実質的に命令である。姫子に否やはあり得ない。
とはいえ、地元の女子校に入ったからこそ親友である康代やクラスの友達たちと出会い、異質な存在である自分が受け入れて貰えたのだから、人生、何がどうどう転ぶか分からないものである。結果オーライとはいっても、異界で天は人の上に人を造らず的な意識の中で育った姫子としては、命令ばかりされては苛立ちが収まらなかった。姫子は心の内にとぐろを巻くドロドロした感情を持て余し、
「――カーディル王子なんて、大っ嫌いーっ!!!!」
半ば八つ当たりの魂の叫びは、寒風吹きすさぶ虚空に飲まれていった。
聞いていたのは、黒目がちの大きな瞳に瞬膜を張る燻し銀の飛竜だけであった。
それから三十分後、半分氷漬けになった姫子が夜間飛行を終えて家に戻ると、満面の笑みを浮かべたサビーハが台所に立っていた。
「――今日はご馳走ですよ、姫さま!」
もう夜も更けたというのに、ダイニングテーブルの上には盛りだくさんの料理が並んでいる。フライパンで代用した丸い薄焼きパン、キツネ色に揚げた白身魚のフライに、故国のものに近い風味の香辛料を塗して焼いた鶏肉は小さく切り分けられ、いまや生野菜に包んで食べられるのを待つばかりであった。
飲み物はカップで湯気の立つジャスミン茶で、それらはすべて故国を偲ばせる料理であった。ご馳走を用意出来るぐらいだから、使者が来た時刻は明るいうちだったのだろう。とはいえ、乳母の気持ちを慮った姫子はあえて追及しなかった。
「……さっ、寒いから、先にお風呂に入ってきます」
風呂場へ向かう姫子に、いつもの無表情でやってきた老ダンダーンが、
「お気持ちは静まりましたか、姫さま」
「あ、半纏ありがとう。冷たくなったから居間のストーブの前で広げてあるわ」
「いえいえ、この年寄りめにどうぞお気遣いなく」
そして老ダンダーンは飄々とした様子で、
「姫さま、実は手紙がもう一枚ありましてな」
と続けた。それを聞いて姫子は、嫌な予感に頬を引き攣らせる。
冷え過ぎて、歯の根がガチガチ鳴っていた。
「そんなお顔をならずに。これには、ひとりの若者の人生が掛かっておりまして」
「……それって、どういうこと?」
今日という日は、さすがに色々あり過ぎた。
お風呂に入って特別なご飯を食べ、それで終りにしたかったのだ。
渋々受け取った姫子が手紙をあらためると、こちらも短い行数である。余裕のない殴り書きのような、乱れた筆致だった。
(『智志』『一緒』『連れてこい』)
「……はぁっ!?……」
ひと読みして、姫子の思考が停止する。
言葉もなく老ダンダーンの顔を見ると、姫子の読解が正しいことを肯定するように、皺だらけの顔で重々しく頷いて見せたのだった。




