12.カーディル王子の帰還②(※中一の時)
姫子が素足に突っ掛けで外に出ると、飛竜離発着のためのやたら広い庭に、通常の砂色の飛竜と色の褪せた金色の巨体が鎮座しているのが見えた。
それは、姫子の銀色飛竜よりひと回りも二回りも大きな、黄金飛竜だった。
「――マルカブじゃない、元気だった?」
駆け寄ってその長い首を擦ってやると、飛竜はくぐもった音を喉の奥で鳴らした。銀色飛竜のコカブは姫子の飛竜だが、金色飛竜のマルカブは王家の持ち物である。かつて異界へ逃げてきた時に王子が乗って以来、ずっと元王国軍の象徴として王弟殿下を乗せ戦場を駆っていたのだろう。元気そうでなによりだった。
「使者が遅えぞ、主を待たせるなよっ」
見上げれば、すでに黄金飛竜の背に跨っているのは、故国の装いを身に纏ったカーディル王子である。白いシャツの上に金糸で贅沢な刺繍を施した茶色のベスト、白のズボンの裾は騎竜用のブーツの中に押し込んでいる。
サイズが少し大きい衣装を、白のサッシュベルトで締め上げていた。
「今日お使者がいらしたのに、その日のうちに出発なんて急ぎ過ぎなんじゃ?」
「こっちじゃ、思い立ったが吉日って言うだろ?」
急に思い付いたのだろう。使者も今頃、慌てて仕度をしているに違いない。
「明日、学校の先生になんて言ったらいいのよ?」
「風邪とかサボリとか適当に言っときゃいいだろ。言い繕う必要ねぇし」
「……それはそうだけど……」
二人きりならば、ある程度は対等な会話も許されるのだ。ただし、王子の顔色を伺いながらではあったが。
「どうせ、異界の俺は死ぬんだからな」
姫子は言葉に詰まった。確かに、異邦人に過ぎない自分達が死のうが行方知れずになろうが他人はすぐに忘れてしまうだろう。
もしも、悲しんでくれる相手がいるとすれば――。
「でも、智志君は? きっと悲しむわ」
「……それとなく、言ってある」
「何で? お使者は来たばかりなのに?」
王子は腕を組み押し黙る。こうなると言うだけ無駄だった。
やるせなさのあまり、姫子は寒さが身に沁みてくる。
「……私、ひとりぼっちになっちゃう……」
「がたがた抜かすなっ、俺は戦をしに行くんだ。観光に行くんじゃねぇぞっ!」
王子に怒鳴られ、菫色の瞳が涙で潤む。それを見て慌てた素振りの王子は、
「戦が終ったらすぐに呼んでやるから、大人しくこっちで待ってろ、な?」
そう言って、そっぽを向いてしまった。
武者震いで興奮しているせいなのか、顔が赤らんでいるように見えた。
「戦が終ったらって、いったいいつ?」
「そんなの知るかよ、叔父貴だって八年もやってたんだ。挙句、死んじまったし」
王子が王弟殿下と同じように命を落とすことなど、想像も出来なかった。
王子には故国の戦が現実だが、姫子にとっては限りなく遙か遠い国の出来事のように思われたのだ。
「……あっちに帰ったら、私達のこと忘れちゃうの?……」
それを聞いて、王子は白い歯を剥き出して笑った。強く巻いた黒髪が揺れる。
「馬鹿なヤツだなぁ。俺が、お前のこと忘れるわけ、ねーじゃねぇか」
「えっ?」
潤んだ菫色の瞳が、竜の背に乗った王子を見上げる。王子はついと目を逸らした。何故か心持ち早口で、
「お前が許嫁だっていうのは、俺とお前の親父、そして神さまの前で宣誓したことなんだし。誓いを破ったりしたら天罰を食らっちまう……って何怒ってんだ?」
「……いいえ、なんでもない」
姫子は俯いて頬を膨らませた。なんだかはぐらかされたようで釈然としない。
許婚とはいえ、世の恋人同士とは違って本当に兄妹のように育ってしまった間柄である。いまさら、何かを望むのは無理なのかもしれない。
「でも、よりによって葬式なんて」
「俺は二度と、ここに戻るつもりがない」
王子は珍しく丁寧に説明し始める。それは己に言い聞かせるようでもあった。
「少なくとも戦に勝利するまでは、な。でも俺は確かにここで八年間生きてきたわけだし、葬式はそのことの証みたいなもんだ。退路を断つという意味でもあるが」
「……よく分からないわ、王子」
浅黒い肌の王子は苦笑したようだが、説明はそれで終りだった。
その代わりとでも言うように、
「フェトナ。ひとつ頼みがあるんだが――」
真実の名を呼ばれ、姫子は顔を上げた。




