11.カーディル王子の帰還①(※中一の時)
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四年前の中学一年も終ろうかという二月半ばのことだ。
突然、『空の回廊』を抜けて、故国から使者がやって来たのだ。
異界に逃れてから定期的な行き来はなく、故国から忘れられた存在となっていた姫子達に知らされたのは、元王国軍を率いて戦っていた王弟殿下の訃報だった。
その時点では戦いが始まってすでに八年が経過していた。
元々身体が丈夫でなかったと言われている王弟殿下のか細い命の炎を、長らく続いた戦乱が吹き消してしまったのだろう。
ちなみに『空の回廊』の開閉は基本的に不規則である。はるかな昔、飛竜達が偶然迷い込み、以降は開閉を超感覚で察知して自発的に行き来していたのを古代人が知ったらしい。気候の違いのせいか、飛竜達が異界で繁殖することはなかったが、双竜町に残る古文書等が示す通り、その存在は古くから確認されていた。
また、故国側と異界側で魔術師を媒介することにより、ある程度『空の回廊』の開閉を操作出来るようになったのが、ここ数十年のことである。
老魔術師ダンダーンは異界側の『回廊番』として、いまは亡き王命により長きに渡って留め置かれているのだった。
「……カーディル王子に置かれましては、至急ご帰国頂きたく……将軍以下一兵卒に至るまで、殿下のお帰りを首を長くしてお待ち申し上げております……」
自宅の居間で急使の口上を聞いた時、姫子は心臓が潰れるような思いだった。
老ダンダーンは考えの読めない無表情、サビーハはエプロンを揉み絞りながら落ち着きなく王子や姫子の顔色を伺っている。
そして当の本人と言えば、仮にも叔父を喪ったばかりにも関わらず、浅黒い顔を紅潮させて不敵に笑みを浮かべていた。両手の拳と手のひらを打ち合わせ、
「……よっしゃ。とうとう来たか!」
姫子よりも二つ年上とはいえ、王子はまだ十五歳だった。
故国においても、成人は十六歳である。
とはいえ、幼かった王子に変わって兵を率いていた王弟殿下が身罷られた以上、王子が元王国軍の旗頭となるために帰郷するというのは至極まっとうだ。もちろん、戦に参加出来ない姫子は置き去りだろうから、ずっと側にいるなどという幼い頃の言質を引っ張り出して王子を困らせるつもりはなどなかった。
しかし、どうにも理解出来ないのが、王子が次に発言した内容だった。
「こうと決まればダンダーン。俺の葬式を出してくれ。こっちの様式でいいから」
「えっ、なんでお葬式っ!?」
声を出したのは姫子だけだった。こちらの生活が長いので忘れがちだが、世が世なら王子は絶対君主の王位継承者である。神の代理人となるはずの相手に、許嫁と言えど突っ込みなど許されないのだ。姫子が思わず青くなると、
「承知致しました。近日中にそのように取り計らいましょう」
老ダンダーンが話の矛先を逸らした。
「宗派や使用するお写真、死因などの細かい事柄のご指示は何かございますか?」
「いや、万事宜しく頼む」
「心得まして御座います」
ほぼほぼ異界育ちの王子も姫子を罰することなど考えてはいないだろうが、急使や乳母が胸を撫で下ろす気配を察した姫子だった。
その日の深夜、姫子は隣りの部屋から聞こえる物音と乳母の哀願する声によって安らかな眠りから引き摺り出された。布団の中で聞き耳を立てていると、
「――どうか、姫様もご一緒にお連れ下さいませ!」
「くどいぞ、サビーハ」
衣擦れの音がする。こんな夜更けに、王子はパジャマから別の衣装に着替えているらしい。
「アレを連れて帰っても、あちらでは足手まといになるだけだ」
「で、ですが!」
「お前の気持ちも分からなくはないが、お前はお前の責務に励んでくれ」
悲しいかな、姫子にも乳母の気持ちが分かってしまった。
何も、姫子の身を思いやってのことではないのだ。故国にいる家族に会いたい一心で、故国であれば鞭打ち覚悟の勢いで王子に食い下がっているに違いない。
「では、アレを頼んだぞ」
乳母は声もなく泣き崩れ、次いで王子が階段を駆け降りていく足音がした。姫子も慌ててベッドから降り、パジャマの上に適当な上着を羽織って部屋から出る。
「ひ、姫様!?」
泣き濡れている乳母にどんな言葉を掛ければいいのか分からず、姫子はそのまま階段を降りてあとを追った。
(↓続きます)




